#5 ありうべからざるフーアムアイ

 さっきから、やけに息の荒い奴がいる。

 ゼイゼイハアハアと不安定極まる喘鳴を繰り返して、この場の空気をホラー色に染め上げている奴が。

 見苦しくも冷や汗を滲ませ、放っておけば今にも死にそうなそいつは、名前を遠野観行といった。

 とどのつまり、俺であった。


 説明しよう。突如として異世界転生を果たすも謎の少女アイリスに手錠をかけられ、多世界犯罪捜査局という謎の組織の廊下を連行されている俺は、未だかつてない窮地に立たされていた。

 具体的に言えば、こう宣告されたんだ。

 『おまえは殺人犯人だ』と。

 冗談じゃない。殺人なんてまったく身に覚えがない。仮に冗談だったら訴えて勝てるレベルだ。

 正直、最初から変だと思っちゃいたんだよ。捕まるような心当たりがまるで皆無だったんだから。しかしまさかオチが殺人罪で、それも冤罪だなんて予想だにしていなかった。

 とはいえ、凹んでばかりじゃいられない。なんとかして無実を証明しなければ、俺は身に覚えのない罪で裁かれてしまうんだから。


「ねえ、絶対に何かの間違いだって! 俺が人を殺すような奴に見えます!?」


 ゆえに、先程からこうやって真摯かつ誠実な異議を申し立て続けているのだが、


「犯罪者はみんなそう言うのよ。話は取り調べで聞かせてもらうから」


 と、アイリスにはこの決まりきった台詞の一点張りで却下され続けていた。

 こうなるといよいよ弁護士を呼ぶしかないのかもしれないが、アイリスによれば多世界犯罪捜査局はあっても異世界弁護士はいないらしい。それでいいのかよ。

 と、廊下の奥まったところでアイリスの足が止まる。思わずイヤな予感に身をすくめると、アイリスは「ん」と、ある一室のドアを親指で指し示した。

 入れ、ということか。いったいどんな魔窟なのかと怖くなって、ルームプレートを確かめる。


「――『風土紀行課』……?」


「そ、風土紀行課オープンワールド。ここの皆は縮めて風紀課バイスって呼んでるけど」


 遺物課アーティファクトに、今度は風土紀行課オープンワールドか。ゲーム用語の縛りでもあるのかなと思いながら、少しだけドアを押し開ける。室内に押し込められていた空気が鼻に飛び込んできて、俺は思わず顔をしかめた。

 コーヒーの匂い、甘ったるいお菓子の匂い、爺さん婆さんの家みたいな線香の匂い。それらが混じり合った雑多な生活臭は、どこか俺が暮らしていた引きこもり部屋のそれに似ていた。

 ファイアランスの世界で過ごした時間から逆算するに、俺が現代日本の『遠野観行』でなくなってからそれほど時間は経っていない。せいぜい一週間くらいだろう。

 なのに、まるで数十年ぶりに故郷に戻ったかのように懐かしく思えてしまって、少しだけ緊張がほぐれた。俺はその勢いに任せてそっとドアを開けた。


 ――――ロボが、いた。


 とはいえ近年のロボットアニメによく出てくるような、人体に寄せた生物的なシルエットだったり、名前が難解なカタカナの組み合わせだったりするようなヤツじゃない。俺が目の当たりにしていたのはロボという言葉のどこか間抜けな響きにふさわしい、古風で単純な造形のやつだ。

 輪郭は直線ばかりで構成されていて、肩幅は広く四肢も電柱のように太い。装甲のカラーリングはお約束のような赤と青で、そこにシルバーがアクセントを加えている。

 そんなよく言えば骨太で、悪く言えば古くさいデザインの人型ロボ。

 身長は少なく見積もっても二メートル強はある。

 それがこの部屋の主みたいな顔をして、ひときわ大きなデスクについていた。

 いや。いや、いやいやいや。これはないだろ……

 目の前の光景のあまりのシュールさに耐えかねた俺は反射的にドアを閉めて、アイリスを振り返った。


「どうしたの?」


「いや。なんか、ロボがいた……」


「そうね」


 ドア一枚隔てた向こうに待ち構える異常さを尽くせる限りの言葉で訴えてみたものの、それを当たり前のように流してしまうアイリスに逆らえず、俺はやむなくもう一度ドアを開ける。


 ――ロボが、こっちを、じっと見ていた。


 奴の頭部には人間の双眸に相当するセンサーらしきものが一対備わっていて、機械の中に人間味を感じさせるそれが鈍い光を放ちながら俺を凝視している。

 そこに何かしらの意志があるのを期待して、しばらく見つめ合っていたのだが、ロボはただ無言で俺を見ているだけだ。しだいに胸のうちに募っていく恐怖に耐えられなくなり、俺はまたドアを閉めた。


「アイリスさん、ごめん。怖い」


 正直に伝えると、アイリスは何かを察したように眉をひそめた。


「なるほど。なんとなくわかったわ」


 そのまま突き破るような勢いで風紀課のドアを開けて、何怖じることなく恐怖のロボットに詰め寄っていく。

 え、大丈夫なのかアレ。突然目から殺人光線で焼かれたりとか――


「――ボス。参考人をからかわないでください」


 心配する俺をよそに、アイリスは子供を叱るような調子でロボの頭をべしべしと叩いた。


「いやあ、すまない」


 すると出し抜けに、朗らかな紳士を思わせる声が響く。それからギュイイインという関節の駆動音とともに、ロボが立ち上がった。

 床が抜けるのではというくらいの重厚な足音を響かせて俺の眼前まで迫った謎のロボットは、片膝をついてかがみながらすっと鋼の手を差し出して。


「風紀課の課長を勤めている、ナイトラスだ。君が遠野観行くんだね」


 と、たった今アイリスに謝った紳士の声でそう言った。

 そこでやっと、この紳士の声とロボットの姿が頭の中で結びついた。どうやら俺に握手を求めているらしいけど、力の加減を間違えて握りつぶされたりしたらどうしよう。

 明らかにサイズ感の違うナイトラスにおずおずと手を差し伸べると、座布団みたいな大きさのロボットアームが俺の手を優しくつまんで離した。


「さあ、かけてくれ」


 風紀課の隅に設けられた応接スペースに導かれて、すとんと腰を下ろす。ナイトラスはどう見ても彼専用と思われる厳つい金属製のチェアに腰掛けながら、


「世間話だが。『鋼鉄無頼ヘヴィーボンド』というアニメーション作品を見たことは?」


「え。ありませんけど……」


 唐突に振られて面食らいつつも素直に答えると、ナイトラスはがっくりと肩を落とした。全身のメタル関節が見るからにやる気をなくしている。


「そうか。いやね、昔の作品とはいえ、今はインターネットや配信サイトが充実してるから、若い世代も見てくれているものだと思っていたんだが……」


 言われてみると、俺の三倍くらいの体格で意気消沈するその姿に見覚えがあるような気もしてきた。

 実際、鋼鉄無頼なんちゃらというタイトルには覚えがある。確か俺が生まれる十年以上前のロボットアニメ黄金期に、そういう作品が放送されてたはずだ。

 とはいえそれはナイトラスが言うようにネット上での伝聞というかたちにとどまるのみであって、作品の内容を詳しく知っているわけじゃない。

 アニメに限らず、昔の作品にはどれもこれも似たり寄ったりってイメージがあって、それがなんとなく視聴を躊躇わせるんだよな。大人がゲームやアニメを十把一絡げに扱うのと同じような偏見なんだろうけど。


「やっぱりね。今の若者からすると、ロボットアニメとは基本的に人間が巨大なロボットに搭乗するものなんだよ。私の時代は必ずしもそうじゃなかった。時代に置いていかれた寂しさを感じるね」


 何か日頃から溜め込んでいたものがあったのか、ナイトラスは勝手にくたびれた懐古に浸り始めた。イヤな人間味に溢れたロボもいるものだ。

 そろそろ慣れてきたからわざわざ訊かないが、きっとこのおっさんロボの出身たる物語がその『鋼鉄無頼』だったりするんだろうな。


「ボス」


 アイリスのたしなめるような一言が差し込まれて、ナイトラスは思い出したように姿勢を正す。どっちが上司なのかわかったもんじゃないな。


「ああ、そうだった。こんな話をするために君を呼びつけたわけではないんだよ」


 幾分か真剣さを帯びたその口ぶりに、俺の方もかねてよりの大問題を思い出す。


「そうだ! 殺人罪ってどういうことですか? 正直何もかもよくわかってないし


自覚ナシで何かやらかしたのかもしれないけど、殺人だけは絶対やってないのに!」

 アイリスに対しては梨のつぶてに終わったが、このナイトラスには話が通じるかもしれない。なんせアイリスの上司だし、それに人柄、もといロボ柄か、そこを鑑みてもアイリスよりは話をわかってくれそうだ。

 けれど一縷の望みをかけてまくしたてた俺に、ナイトラスはなぜか眉をひそめて――正確には眉などないのだが――慌てて俺の言い分を制した。


「いや、ちょっと待ってくれ。殺人を、君がやったと?」


「やっぱ濡れ衣なんですよね?」


「いや、そうと言えばそうなんだが……違うといえば違う、というか」


 そうなのか!? 何が何やらわからない。言いよどんだナイトラスは困惑する俺からアイリスへと疑わしげな視線を移す。


「アイリスくん。ちゃんと説明した?」


 ナイトラスに言われて、アイリスは俺を一瞥した。クールな無表情だったその顔に、徐々に焦りが浮かび始める。


「切迫した事情を理解してもらうために、とりあえず一番わかりやすい部分を……」


「考えうる限りで一番ダメなやつじゃないか……」


 ナイトラスは嘆きながら頭を抱えた。何が何やらわからないが、現状は俺にとってもナイトラスにとっても好ましいとは言えないらしい。


「今回の件は複雑でね、単純な言葉では説明できない。そういう意味では殺人罪も


間違いじゃないが、誤解だと思ってくれてかまわないよ」

 意味深な言葉を並べてから、ナイトラスは腕組みして「あー」とか「うーむ」とか唸りはじめた。何か本題を切り出そうとしながらも、うまい言葉が見つからないらしい。

 コミカルなその姿を眺めるうちに、心臓の鼓動が少しずつ落着いていく。状況は未だにひとかけらも飲み込めていないけど、どうやら俺が危惧していたほどには悪くないみたいだ。

 ほっと胸をなで下ろしていると、ナイトラスは「よし!」と何やら心を決めて、デスクから巨人サイズのノートPCを取り出した。


「できる限りは言葉で説明するべきかと思ったんだが、あいにく状況は複雑を極めていてね。しばし、君の目と耳を貸してもらいたい」


 ナイトラスはPCを起動し、いくつか操作してから応接スペースの机に置いた。

 モニターの中では動画再生ソフトが起動され、倉庫街の風景を映している。いくつかのトラックや積まれたパレット、コンテナなどがおぼろな夜間照明に照らされている映像だ。

 とはいえ、それだけだった。映っているのはただおぼろな風景と闇だけで、たまに動くものがあるかと思えば隅に表示された日付と時刻くらいだ。

 それでもあえて、頭に浮かぶ疑問らしきものをつまみ上げるとすれば――


「日本だよな、ここ?」


 映像内の風景は誰がどう見ても日本だった。トラックの貨車にもコンテナにも、明らかにそうだとわかる日本語の表記がある。


「ええ。晴海埠頭の監視カメラ」


 そう応じたアイリスは、いつの間にか俺の隣に腰を下ろして画面をにらみつけていた。

 やっぱりか、と納得する一方で疑問が浮かぶ。アイリスたち捜査局はあくまで異世界間の犯罪を捜査する組織のはずだ。俺にかかった嫌疑だっておそらくはそっち絡みだろう。なのにどうして地球の、それも東京の映像なんかが――


「来たぞ。ここからだ」


 背後からの声に振り向くと、いつの間にかナイトラスも俺とアイリスの背後から食い入るようにモニターを見つめていた。そのまま三人身を寄せ合うような格好で映像の続きを追う。ロボと少女と犯罪者(?)という、なんとも奇妙な取り合わせで。

 画面に目を戻すと、ナイトラスの言葉通りに映像が変化していた。画面の端、月明かりに見捨てられた闇の中から人影が現れたのだ。小走りで照明の中に足を踏み入れたことで、その容貌が露わになる。

 男だった。金の長髪を後ろで縛った、端正な顔立ちの青年。

 服装こそ一般的なスーツだが、その手には常識的見地からすれば明らかに巨大で、明らかに過剰装飾気味の槍が握られている――異世界人か。

 金髪の男は一世代前の携帯電話らしき端末を取り出し、どこかに連絡をとりはじめる。しかしいきなりその体がぐらりと揺れて、彼は地面に倒れた。

 携帯電話と槍がそれぞれアスファルトに転がる。男の膝あたりには緑色に光るペットボトル大の刃が突き刺さっていて、たちまち赤い血だまりがアスファルトに広がった。

 誰かに攻撃された。そう理解するなり、さらに幾人かが闇から現れる。大柄な、いかにも荒事慣れしていそうな男が数人。こちらの服装も現代風ではあるけれど、その正体は決して見かけ通りのそれではないだろう。

 男たちは倒れた青年を無理矢理に立たせ、手近なコンテナに押しつけた。その間もとめどなく痛々しく血が流れているというのに、そいつらはまるで気にかけもしない。

 そして、最後の男が悠然と光のもとに現れた。白い外套に身を包んだそいつは仲間とおぼしき男たちを待たせているにもかかわらず、遅々とした歩調を決して崩さない。世界が自分のものだと確信しているかのような自信に満ちた足取りだ。

 そいつの顔はフードに覆われていて、残念ながら見えないけれど――


「――え?」


 一瞬、ぞくりとした。男のフードの中に恐ろしい何かを見出した気がして。背筋がぞわりと総毛立つけれど、その正体は俺自身にもわからない。

 白外套の男は拘束された青年に迫り、二言三言を語りかけた。青年は顔を怒りに歪め、押さえつけられながらも必死にもがく。

 男は仰々しく肩をすくめ、「やれやれ」のポーズをとった。まるで舞台で演じているみたいな、わざとらしい動作で。

 そして、男は青年の胸に右手を当てる。袖から覗いた素肌には点滴めいたチューブがいくつも絡み、テープで固定されている。

 押し当てた右腕を中心として緑色の光がうごめいた。先ほど青年を傷つけた緑色のなにかが俺の脳裏によぎり、一秒後の映像を想像させた。


「……やめろ」


 映像は過去の記録にすぎない。だから俺がたまらず呟いても、結末は想像とさほど変わらない。男の手に満ちた光は小爆発を起こし、青年は目を剥きながら断末魔の悲鳴を上げて、

 やがて、動かなくなった。 

 男たちが青年から手を離すと、その体がずるりと落ちて地面に転がる。コンテナの側面に、赤くにじんだ軌跡を残しながら。


「――殺した、のか……?」


 そうとしか思えない光景をそうと思いたくないがため、思わず俺は問うてしまう。けれどアイリスもナイトラスも、俺の言葉を否定してはくれなかった。

 映像の中の男たちは青年だったものを囲みながら、神妙な顔で白外套の顔色を窺う。おそらくはこの男こそが、青年を殺した集団のリーダーなのだろう。

 白外套の男は大儀そうにフードに手をやり、その素顔を露わにして。


 俺は、目が眩むような既視感を覚えた。


 脳の奥底から訴えかけてくる明確な見覚え。けれどそれはマリナ先輩に覚えたような、物語を通したヴァーチャルな既視感じゃない。人生の多くを、『現実』として関わり合ってきたからこその、何から何までソリッドなデジャヴ。

 口から吐く息がやけに冷たい。

 男は青年の死体に近寄り、品定めでもするかのように手を当てて――弾かれたようにこちらへ振り返り……俺を、見た。

 その鬼気迫る視線に心臓を掴まれたような心地になりながら、俺は気づく。奴はただ監視カメラを一瞥したのであって、俺を見ているわけじゃない。

 けれど俺が目にした白外套の素顔には、そう錯覚せざるをえないくらいの重大な意味があった。きっと立場が逆ならば、白外套もそう感じたことだろう。

 一言で言えば、なんとも言えない顔だった。

 別に不細工とまでは言えないと思う。かといって美男子とも言いがたいことはわかっていて、結果なんとも言えない顔という結論に落着くことになる。

 俺は毎日毎日その顔を見るたびにひとしきり嘆いて、それからいい加減に元気づけたものだ。まあ、そんなに悪い顔じゃないんだから、お互いそれなりにやっていくかと。


 ――――毎朝、洗面所で。鏡を見ながら。


 映像の向こう側から、遠野観行が俺を見ていた。鏡を通して見たものとまったく同じその顔が、俺の知らない誰かとしてそこにいた。 


 俺が。

 俺の知らない俺自身が、人を殺して立っていた。


 殺人事件が起こったならば、まずはこう訊くのが作法だという。

 

 フーダニット――誰がやった?


 ワイダニット――動機はなんだ?


 ハウダニット――どうやって殺した?


 けれども俺の胸中で暴れるこの問いは、そのうちのどれとも違っていた。


 フーアムアイ。

 こいつは。この俺は、俺の知らないこの俺は、いったいどこの誰なんだ?


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