She For Me(あるいは純粋読者のための葬列)

祭ことこ

Chapter 1

わたしは見た。

 彼女を。

 

 それは水の中のこと、身長よりも少し深いプールの底に、もう少しで爪先が届こうとしたときだ。

 わたしは沈んでいく。彼女は水面へ向かう。彼女の脚が水底を蹴ったので当然のこと。

 彼女と目が合う。

 少なくとも、わたしはそう思う。そんなことはあるはずがないのに。

 一瞬の交錯、上下動のかみあい、互いの位置が等しくなるそのときに、彼女と目が合う。まっすぐと。

 わたしは彼女のまつげに付着している気泡までを見る。ゆっくりとまばたきをする、そのときに上昇する空気のきらめきを見る。ごく小さな虹に似ている。持続時間は限りなくゼロに近い虹。

 まつげの下には瞳がある。わたしはこれまで彼女の瞳に関して、知らなかったことを知る。どこまでも続く穴のような瞳孔の周りに、虹彩のあることを実感する。みんなにあるものが、彼女にもあることに安堵する。それを『みんなが持つものと同じ』というのは、どの家にも壁があると述べることと同様ではある。壁はある。素材が違う。彼女はわたしたちと、素材が異なるとしか思えなかった。正面からまっすぐに見据えたことは、これまでなかった。ずっとずっと彼女はわたしから目をそらしてきたから。しかしその結果、今、ここに、わたしは彼女との差異を見るのであった。

 わたしを見て、と言いたくなる。口が思わず開く。文章の一番最初の音を、発音しようとする丸い唇から、空気が漏れ出る。水中で喋ることはできない。当然思考がそのまま伝わることもない。なぜ水中で会話ができないのだろうか。こういった場合のために、用意されるべきではないのだろうか。

 気泡が水面に向かう速さのほうが、わたしが底を蹴って浮上するよりも早いだろう。それよりも早く、彼女は水面から顔を出すだろう。沈んでいく間中――とはいっても、数秒もないだろうけれども――彼女を見上げることとなる。陽光にまぎれて、表情を見ることはできない。顔の下には風にそよぐグラスのような首がある。そして胴体につながる。

 胴体に手足がついているのは、わたしたちと同じだ。

 身につけた水着は、ぴったりと彼女の胴体を覆っている。表面に微かに骨格が浮く。その下には腹部があって、えぐられたようにへこんでいる。まっさらなアイスクリームを掬ったような(これは確か、わたしの友人が教えてくれたおはなしのなかの台詞だ)へこみが彼女の胴体の下半分を形成している。彼女の息が唇から排出されるにしたがって、そのへこみはさらに大きくなる。

 そう、彼女には中身がないのであった。わたしたちのような。それは知っていた。彼女が食事の際に何も食べないことは、暗黙の了解だった。どんなプレートを出されても、口にしない。飲み物すらも飲まない。

 なにもないから、空気が詰まっているのだ。知ってはいたけれど、こうやって目に見える形になるのははじめてだった。

 彼女は骨格を持っている。そうでなければ、水の中でふにゃふにゃになって、流れてしまうだろう。へこんでいる腹部の上の、皮膚に覆われた下にある構造物を、肋骨と呼ぶことは、わたしの知識の中にあることだ。わたしもそれを持っている。彼女との共通点を発見して、わたしは少しうれしくなる。

 わたしはわたしの腹部を確認する。手のひらを当てると、反発がある。つまり、中に何かが詰まっているということだ。わたしはその中身を知らない。おそらく、わたしの友人たちも、自分の腹部に何が入っているかなんて、正しくは知らないのだ。あたりを見回すと、いろいろな胴体が水中に並んでいる。そのうちのひとつも、へこんでいるものはない。肋骨より下は平坦に下がるか、多少のふくらみを持っている。息を吐いたところで、ここまでの曲面をもつ胴体はない。要するに、わたしたちは腹の内部に何かを持っている。内臓というらしいが、その詳細は知らない。

 彼女の腹部に何も入っていないのも、わたしたちに内臓があるのと同じことなのかもしれない。彼女は「なにもない」を持っている。そして、「なにもない」を確認することはできない。せいぜい、外部から推測するだけ。なるほど、彼女の吐いた息は、「なにもない」なのだ。捕まえるには少々早く、水中を昇っていくのだけれども。

 わたしは思う。彼女の中に何があるのかを知りたいと。「なにもない」があるというのは、どういうことなのかを。空気の入っていない腹部には、なにかが存在するのではないかと。

 普段は服を着ているから中身がわからない。水圧のおかげで可視化されたそれに、触れてみたかった。手を伸ばそうとする。腹部に届くより先に、するりと抜けて、彼女は斜め向こう側に行ってしまう。

 

 永遠に近い一瞬の後、わたしは水底を蹴る。浮上を始める。彼女の脚を眺めながら、水面から顔を出す。彼女はわたしの横にいて、わたしを見ない。水中ではなにもなかったかのように、彼女はわたしを見ない。わたしを通り越して、何かを見ている。視線を追っても、そこには大したものはない。白い柱、白い柱、それから監視用の『先生』。

 ことさら見なくてはならないものでもない。

「何を見ているの?」

 その問いは、空気に溶けて消えていく。彼女が音声言語を受け付けないことは、ここに来てから極初期に知るべきことだ。

 呼びかけるべき二人称の存在しないことも。

 

 水面の近くで息をすれば、彼女の吐いた「なにもない」がわたしの肺にも入るのではないかと思えた。実際は拡散してしまって、分子の一つや二つくらいしか入らないのだろうけれども。本で読んだので、分子については知っている。あとはそれらに詳しい友人たちから聞いたのだった。聞いただけで、確認のできない知識ではあるが、「なにもない」わけではない。

 

「彼女がわたしを見たの」

「ありえない」

「知ってる、でも」

「願ってはならないことを、願ってはならないよ」

 

 誰もがわたしの言うことを信じないならば、真実を伝えるほかあるまい。写真を撮ることはできない。過去のことだから。言葉にしなくてはならない。そうやって、誰かに伝えなくてはならない。

 共有されない過去は、ほんものかどうかを判別する俎上に載せられない。わたしたちが過去に存在したことを保証するのは、日に日に減っていくろうそくの長さではない。

 わたしは誰かと記憶を共有することによって過去の実在を信じることができる。他人にとってもそうであることを信じる。そうすると、過去が発生して、わたしたちは友人となることができる。

 しかし、彼女は音声言語を受け付けないので、過去を共有できない。だから彼女とは友人にはなれない。友人でないものがなんなのか、わたしはまだ言葉を見つけられていない。

 

 わたしたちには、事実の記述以上のことが許されていない。しかし、これは事実なのだから、書き記す自由があるはずだ。ペンは用意されている。

 ペンを手に取る。線を引き、文字を形成する。一文字書いたら、次の文字を記す。そうしていると、手が止まる。わたしは『わたしは』から先を書き進めることができない。わたしが何を見たのか。何を感じたのか。何を美しいと定めたのか。誰かに伝えるための記述。

 見えない巨人でもいるのではないか。不可視の巨大ないきものが、ペン先を人差し指ひとつで止めてしまっているのだ。そうであったらよかったのだが、あいにくわたしたちは目に見えないものを信じるすべを持っていない。

 

「彼女が」

「彼女がどうしたの?」

 わたしが見たものを、このひとの頭に直接流し込めたらいいのに。あるいは、わたしの目を貸してあげられたらいいのに。なんなら、首をすげ替えればわかってくれるのではないだろうか。

 悲しいことに『先生』はわたしたちが身体を傷つけることを許していない。もしそうすれば、図書館に行くことは明らかである。

「彼女の話をしたいの」

「するといい」

「できないの」

「なぜ?」

 それはわたしが言葉を持たないから。それ以前に口を開くことすらできないから。どうすれば彼女に見合った言葉を発せられるかがわからないから。それらすべての弁明を話そうとすると、またもや透明な巨人がわたしの口を塞ぐのだ。思考だけが自由であって、その発露は禁じられている。そうとしか思えない。彼女について話してはならないという規則は存在しないはずだった。ここに来てから長いわたしが知らないのならば、ないはずに違いない。もしあったら、もっと前にわたしの本は図書館に送られることになっているだろう。

 明確な理由がわからないまま、見えない壁にぶつかり続けている。友人たちにはこういったことはないのだろうか。

「彼女についてのことを、話せないんじゃないかって」

「今話してるじゃん」

 なぜだかわかったら、わたしはこうも悩んだりしない。

 

 そしてわたしは彼女に対する感情を、光景を、どうやったって手持ちの言語で適切に書き記すことができないことを知る。わたしの読んだことのある本の作者はひとりきりで、さまざまな美しさについて述べられたそれらを、覚えているつもりではいるけれど、そこにこの光景がないのであった。

 改悛した人生の尊さではない。寝室にいる少女の慎ましやかさではない。社会の最下層で生きる彼らの叫び声ではない。初めて見つけた恋愛のきらめきでもない。空高く掲げた革命の炎ではない。ようやく行きあった慚愧でもない。社会の中のあらゆる人々を記述しようとした試みには、この光景がない。

 きっとこの作者は、彼女を見たことがないのだ。かわいそうに。

 彼女を見たことがあるのならば、わたしはこの作者に会ったことがあるのだろうし、そしてわたしは作者に会ったことがない。こんな名前のひとは、ここにはいない。

 存在したらいいのに。わたしのように。

 あるいは、彼女のように。

 

 引用文で話そうとしたこともある。

 『それはまさしく、姿を隠したあのやさしい娘だった、六カ月の間彼に輝いていたあの星だった、あの瞳、あの額、あの口、消え去りながら彼を暗夜のうちに残したあの美しい顔だった。その面影は一度見えなくなったが、今また現われたのである』

 読んだときは、これでぴったりなのだと思えた。なるほど、この娘というのが彼女なのだろうと、作者はなんとわたしのことを理解しているものだと、思うことができた。

 わたしはこれを友人のひとりに話した。話そうとした。だいたい「それはまさしく」のあたりで、何もかもが瓦解する音がした。これは正しい文ではない。文法的には正しいのだろうが、意味が異なっている。

「どうして話さないの?」

「話せないから」

 赤いりんごを青いと言ったら間違いである。青いりんごの実際が黄緑色であったとしても。黄緑も青も赤ではない。

 誤謬を口にしてはならない。その行為は禁じられている。誰も掲示板に名前を張り出されたくはあるまい。

 

 あたらしい言葉を見つけなくてはならない。この本に書かれている以外の言葉を用いて、わたしは彼女を記述しなくてはならない。友人からもらった、真っ白なノートがここにある。

 すべての居室に、金属製で先の尖ったペンと、基本的なインクが備え付けてある。カリグラフィーペンや、金粉の入ったインクは、承認を受ければ供給される。

 わたしはこれまでペンにもインクにも大したこだわりを持たなかった。だからここにあるのは、銀色のペン先と、三色のインクだ。今となっては後悔がある。普通のインクで彼女について書くだなんて。

 悔やんでも仕方がない。色は何にしようか。わたしはインク瓶を取り出して、並べてみる。ラベルに色の名前が書いてあるけれども、ガラスの外側からは濁った色にしか見えない。

 使えそうなインクは赤と青がある。黄色もあるが、長い文章を書くのには足りない。それに、黄色は可読性が低い。わたしはこれを何回も読み返すことになるはずだし、きっと、これには長いことかかる。だったら好きな色にするのがいい。彼女の唇の赤にしようか。彼女の身にまとう青にしようか。

 迷った末に、青とすることにした。

 赤はあまりにも、あまりにも、なんだろうか。今まで読んだ文章に、友人たちから聞いた断片に、最もそれらしい言葉はないだろうか。赤と結びつくべき表現がどこかにあるはずだ。ページを捲って、捲ってはこれではないと言う。五分くらい前にありそうだし、もう二度と口にしないものかもしれない。

 あった。

 風に舞うスカートの中からちらりと見える靴下留めのように、背徳的。

 わたしはしっくり来る単語を見つけ出す。それをよしとする。

 ノートの最初の行に、わたしは名前を記す。このノートはわたしの所有物で、記す文章はわたしの見たものそのものであることを示すために。

 

 わたしの名前は〈レ・ミゼラブル〉、紙の束に記された表紙の文字と同じ。消しゴムで擦っても消えないインクの形と同じ。作中に何度も登場する『惨めな人々』と同じ意味だけれども、同じ対象は指し示さないもの。


 なぜなら、わたしはそうとしか呼ばれたことがないから。

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