心優しき少女は魔姫となる

桜華 夜美

第一章 望まぬ旅立ち

第1話 バベルの塔と大いなる存在

2119年。


 ネットワーク社会が世界中に確立され、”バーチャルネットワーク”が世界の中心となった。

 買い物をするのも、デートをするのも、ましてや結婚でさえも、全てはバーチャルの世界で行われてしまう。


 それはこの国、日本でも同様だった。仕事をするのも、家庭を築くのも当然……全ては電脳の中ばかりになってしまった。


 だが、実際に自分の体で動く人間も居る。国の中枢機関に勤める、言わばエリート達だ。

 むしろエリート達は、自ら体を動かしたがる。……健康を考えているのだろうか。だが今の時代、治らない病気など無い。寿命でさえも金で買える。


 だが、エリート達はこう考える。人を支配する……管理するならば、人より全てにおいて優れていなければならない……と。

 その思想が、例え……大いなる存在の怒りを買おうとも。



「バベル計画は最終段階。いよいよ我らが、居もしない神に取って代わる時が来るのだ」


「これにより、全人類の繁栄は未来永劫に約束される。まもなくその時がやって来る」


「我ら人類の真なる時代の幕開けだ……」



 内閣府の中にある、誰も知らない秘密の部屋。通称”神の間”。

 その中では、狂気に囚われたエリート達が進める国家プロジェクトについての会議が行われていた。その成功を確信し、自らを神だと称する一部のエリートがここには集まっている。

 計画は最終段階。間もなくその時が訪れようとしていた。






 神を自称する一部のエリート達からの命令を受け、何も知らない研究者達は人類の為に今日も自らの仕事に没頭する。

 その場所とは、国立研究所。ありとあらゆる分野の専門家達が、日々研究に明け暮れる場所だ。今や当たり前だが、再生医療や寿命を伸ばす為の薬もここで研究開発された。

 そんな国立研究所では、今日も多くの研究者達が人類の発展の為に働いている。


 その中の一人『天命みこと れい』。

 彼女は、二十三歳という若さからは考えられない程に優秀だ。一流大学を首席で卒業。当然ストレート合格で、入学から卒業までを僅か一年足らずで終える程だ。欠点は、運動が苦手という事だろう。いわゆる、運動音痴だ。


 運動音痴はともかく……その容姿は、際立って目立つ事も無く至って普通。どこにでも居る普通の女性だ。性格は至って穏やか。むしろ、今の時代にそぐわない程に優しいと言える。

 その優しさが垣間見えるエピソードがある。

 どんな生き物でも、死ぬという事に心を痛め泣いてしまうのだ。その為に虐められたりもした。お陰で、友人は少ない。


 趣味は、旧世代のアニメやゲーム、それと妄想。零は、いわゆる”オタク”と呼ばれる人種だった。

 数少ない友人も、同じ趣味の人ばかり。


 だが、一流大学を首席で、しかも一年足らずで卒業する頭脳を買われ、人類の為の国家プロジェクトへと参加している。


 そんな零は、欠伸を噛み殺しながら寝癖もそのままに、今日もダルそうに出勤する。



「ふわぁ〜〜あ。……昨日、やり過ぎちゃったなぁ……ふわぁ〜あ……」



 如何にも眠そうにしているが、それもその筈。昨日の仕事を熱中するあまり、日付を跨いで働いていたのだから。


 そんな仕事熱心な彼女。彼女は何をそんなに熱中しているのかと言うと、新たなバーチャルネットワークの世界の開発と設定だ。プログラミングである。

 報酬は、自らのアバターを好きにしても良いという、いわゆる開発者特権だ。重度のオタクと言える零には堪らない報酬だった。


 その零が開発及び設定をしている世界は、中世ヨーロッパをイメージしたファンタジーな世界。

 白亜の城に美しい城下町。街の中心を流れる清流に、色とりどりの花。

 中には、空中に浮かぶ大地も創った。地の底に広がる都市も。天にも届く巨大な聖樹も設定した。それに、突如届いたメールに書いてあった、雲の上に広がる天空都市も。

 企画の段階で上司に相談したが、これには上司である所長も苦い顔をした。だが、何故か零の要望が通った。


 それは、神を自称するエリート達が認めたからだ。自らが管理するのであれば、ファンタジー世界の方が今よりも人類を管理しやすい世界だと考えたからだ。

 つまり、その世界で自らが神として君臨するのであれば、文明が劣る方が人類がもしも反抗しても御しやすいという思いに至ったという事だろう。


 だが、ただ神として君臨するだけだとつまらない。そこで魔法などの設定も組み込む様に指示を出した。例のメールもその一つだ。神である自分達が住むのであれば、当然天空都市が相応しいとの発想からである。


 魔法を設定しても良いと話を聞いた零は、当然歓喜した。ファンタジーの世界に魔法は付き物。歓喜するのもオタクならでは、である。






「世界の構築は終了したから、後は他国から送られてきたアバターのデータにナンバーを書き込むだけね……はぁ、ダルいわね……。

 そう言えば、魔物の設定はどうなってるのかしら……? そろそろ期限が迫ってるんだけど。……ま、いいか。私の管轄外だし」



 出勤して来て自分のブースに着いて早々、幾つもの空中ディスプレイを展開させながら零は、そう呟いた。仕事を始める前の進捗の確認の為だが、半ば独り言だ。


 独り言の中で魔物の設定の心配をする零だが、それよりも零にはやるべき事がある。何十億という人間のナンバーをネットワークに落とし込む作業だ。目の前に広がる幾つもの空中ディスプレイには、全ての人間が使用する為のアバターが次々と映し出されていく。


 人類一人一人にナンバーが与えられて既に一世紀以上。それを有効活用する為の環境としても、バーチャルネットワークは有効だ。何故ならば、情報社会の最先端とも言える現在では、全てのナンバーに遺伝子情報などの個人情報が記されている。それを人間の元となる素体に書き込めば、バーチャルネットワークの世界で本人そのものが出来上がるという事だ。そして、ナンバーがある以上管理もしやすい。


 零は、ナンバーを書き込む事が自らを含む人類が管理される為だとは知らない。知らないからこそ、新しい生活スタイルの為のバーチャルネットワークだと思っている。しかしそれは、一部の人間が神に代わって人類を支配する……言うなれば、バベルの塔を建設している事に他ならない。それは、正に神をも恐れぬ所業だ。


 とにかく、世界の構築は終わった。後はナンバーを書き込むだけ。数日もあれば、零になら……零達の開発チームならば可能だ。



「期限は一週間。毎日、二十時間近く作業しないと終わらないわね。……睡眠不足で死にそうね、私……」



 そんな事をボヤきながら、零はナンバーを凄まじい速度で人間を模したアバターに書き込んでいく。その速度は、一秒間に二人から三人分のナンバーを書き込むという速さだ。零の手の動きは残像が見えそうな程に動いている。

 だが当然、零一人では終わらない。他にも数名の研究者達……チームメンバーが必死に書き込んでいく。他のメンバーは一秒間に一人書き込む程度の速度だが、それでも一週間という期限にはギリギリ間に合うだろう。全員がエキスパートだ。






 しばらくその作業に没頭した後に零は、一息入れる為に空中ディスプレイに”あるコード”を入力する。いわゆる、開発者コードというヤツだ。



「さて、と。裏コードを解除して……よしっ! 出た出た♡ 相変わらず最高だよね、私! ……の造ったキャラは、だけど」


「……主任。またですか!? 主任が頑張らないと終わらないんですよ!? もう、全く! 少しだけですからね!」


「ありがと! すぐ終わるから♪」



 何枚もある空中ディスプレイの中の、零がメインとしているディスプレイに映し出されたのは、女性の零とは違って男性のアバター。

 その見た目は、銀髪の長髪で、切れ長の目付きに筋の通った鼻。黒いロングコートを身に付けている事から、旧世代の某ゲームに出て来た有名キャラもかくやと言う姿だった。一箇所を除いては。

 その一箇所とは、側頭部から生える禍々しい捻れた二本の角。いわゆる魔王角と呼ばれる物だ。

 それはともかく、どこにでも居る平凡な顔付きの零とは大違いだった。



「システムを立ち上げて……私のIDを設定。しっかし、不思議だよねぇ。私のナンバー666だもんなぁ。何だか運命を感じるわねっ! あっと、いけない。私のナンバーカードをセットして、マウントディスプレイ着けて、アーム着けて……よしっ! これでわ!」


「あっ! 主任!? 見るだけだと思ったら、ダイブもするんですか!? ……知りませんよ、遅れても」


「大丈夫だって! それじゃ、行ってみよーっ!」



 頭にフルフェイスのヘルメット、腕にはガントレット。傍から見れば怪しさ満点だが、そこから複雑に伸びるコードだけがこれらが研究中の物である事を証明している。

 それらを装着後、必死に書き込み作業を続ける同僚からの鋭い指摘が入るが、零は構わず続けた。

 どんな仕事でも息抜きは必要な事だ。これが零にとっての息抜きなのだから、邪魔はされたくない。作業が遅れたとしても取り戻せばいいだけだ。



「触覚……よしっ! 匂い……よしっ! オールクリア! おっと、これも試さないとね」



 零は微動だにしないが、ディスプレイの中の零の分身であるアバターは、手や足などを動かして確認動作をしている。バーチャル内の感覚を実際に体験出来る技術により、その感覚はマイクロパルス波によって零の脳へと直接伝わる。

 ちなみにだが、アバターを動かす時でもその原理は応用されている。体を動かす時に発せられる脳波を拾い、それを解析してアバターへと伝えるのだ。どちらも感度良好である。


 零の意思を受け取ったそのアバターが、右手を前方に突き出してその手を開くと、その瞬間小さな炎の玉が勢い良く発射された。その小さい炎弾が遥か前方に着弾すると、それと同時に大爆発を起こす。辺りは眩い光に包まれた。



「えへへへっ! も成功っと♪ 次は……やっぱり召喚よねっ! 誰だか分からないけど、本当にありがと! この設定を組み込ませてくれて♪」



 ディスプレイ内の零の前方には巨大な炎の柱が吹き上がり、衝撃波により広範囲の樹木が吹き飛んだ。炎が消えた後には、凄まじい威力を物語る様に巨大なクレーターが出来上がっている。

 しかし零は、そんなのはお構いなしに次の確認へと入る。


 ディスプレイ内の零のアバターが何かをブツブツと言ってる様だが、スピーカーをオフにしてあるので何を言っているのかまでは分からない。

 それでも何を言っていたのかは分かる。おそらく呪文を詠唱していたのだろう。


 零のアバターが左手を前方の地面へ向けると、その地面には淡い光で描き出された巨大な魔法陣が浮かび上がり、そこから漆黒の巨大な化け物が現れた。俗に言う”ドラゴン”だ。このドラゴンは、零自らが作り込んだ魔物だ。愛着がある。

 その漆黒のドラゴンは翼を羽ばたかせると宙へと舞い上がり、空中散歩を楽しむように優雅に飛び始めた。



「召喚も成功っと♪ ……攻撃もさせてみようかしら。『焼き払え!』」



 零の被るヘルメットには音声入力システムが組み込まれているのか、その言葉と共にディスプレイ内のドラゴンは、零の後ろに広がる街並みに向かって漆黒の息吹ブレスを吐き出した。

 瞬間、街並みは消滅。現実世界では無くて良かったと思える惨状が作り出された。



「よしよしっ! 後はステータスの設定ね。どうしようかしら。でも、開発者の特権だよね! 本人の意思で変動出来る様にして、1から最上限に設定……っと! 完璧っ♪ どこから見ても完全な魔王の出来上がりね! 後は運だけど……運は1で充分よね。……必要無いと思うし」


「……知りませんよ? こんな化け物チートステータスにして。の人達だってこれの十分の一以下なのに……」


「いいの、いいの! これが特権って物でしょ♪ それに、普段は使えない様に設定してあるし。裏コードを使えば解除されるけど」



 バーチャルネットワーク内のドラゴンを帰還させた後ダイブから戻った零は、ステータスの最終設定に入った。

 空中ディスプレイには、零のアバターの拡大した姿とステータスが映し出されている。それを見ての部下の発言だ。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 天命 零 (男性) ナンバー666


 種族:【人間】


 HP:10000

 MP:1〜999999999

 力:1〜999999999

 知:1〜999999999

 魔:1〜999999999

 防:1〜999999999

 運:1


 全ての魔法:使用可

 全ての戦技スキル:使用可

 裏コード使用時:称号”魔王”の付与により能力解放及び、概念変更可

 尚、一度解放されると本人の意思に関係無く種族が魔王に固定される


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 しばらくそのステータス画面を眺めていたが、世界を破壊した事を思い出し、ガントレットを嵌めたままの本物の指を動かす。すると空中ディスプレイ内では、破壊された景色や街並みがビデオの逆再生を見てる様に元に戻った。

 一瞬にして元に戻った世界は、長閑のどかな雰囲気の中世ヨーロッパを思わせる景色が広がっている。



「これでよしっ! さぁ、追い込むわよ〜!!」



 自らのアバターと使用した魔法に満足したのか、零は再び作業に戻った。その表情には笑みが浮かんでいる。



「このシステムが稼働したら、私もモテるかしら……えへへへへっ♪」



 そんな事を独り言ちるが、性格の問題だろう。モテないのは。しかもモテたとしても、アバターは男性なのだから相手は女性だ。……そっちの気もあるのだろうか、零は。


 それはともかく、この数ヶ月後。零達は突然研究所を解雇された。全てを開発し終えたからなのかは分からないが、それと同時に、全人類管理法案が国会の議題に上がった。


 全人類管理法案は、この国の国会でも承認され、可決及び成立された。……でも、と言うのは、世界中の国々でも同時に賛成多数で決まったからだ。

 但し、日本の野党だけはその法案を一斉に反対した。反対はしたのだが、圧倒的な数の暴力で押し切られた。


 更に数ヶ月が過ぎた頃、世界に緊張が走った。

 嘘か真か、A国とR国が戦争に突入したと報じられたのだ。その二国は大国同士。戦争の余波は日本にも被害をもたらすと国民に知らされたのだ。

 政府からは、シェルターに避難しろとの指示が下された。



「何だか戦争が起こるとかのデマが流れて地下シェルターに行けって言われたけど、何なの? この巨大なシェルター。いつの間に造ったのかしら。しかも個人で入るのは構わないけど、まるで棺桶みたいだし……」


「あ、主任! 主任もここに来たんですね!」


「……メグちゃん、開発も終わって解雇されちゃったんだから、私の事は零……レイでいいわよ。というか、メグちゃん家が近かったのね!」



 レイがメグちゃんと呼ぶ女性は、『諏訪部すわべ 愛美めぐみ』。当時の副主任に当たる。

 メグミはレイとは違い、スポーツ万能で成績も優秀。文武両道を地で行く女性だ。その容姿も、申し分なく美人の部類に入る。

 年齢はレイの一つ下の二十三歳。当時は二十二歳だった。

 今のレイの年齢は、二十四歳という事になる。



「そうみたいですね……れ、レイ……主任」


「もう! 慣れるまでは主任を付けても良いけど、早く名前だけで呼んでよね! そんな事より、メグちゃん、ちゃんと自分のナンバーカード持って来た?」


「もちろんです、レイ主任! 戦争が終わった後、これが無いとヤバいですもんね!」


「あ……私達の順番が来たみたいね。行きましょ? 立ち話してても仕方ないし」



 数万人が集まる地下シェルター。順番待ちに時間が掛かるのかと思われたが、予め決められていたのか、すんなり個人用カプセルシェルターへと入る事が出来た。

 メグミとは、どうやら隣同士の様だ。二人同時にカプセルへと入り、そして蓋が閉じられる。シェルターにしては頼りなく、ウィーン、カチッと軽快な音がした。


 蓋が閉じる際、頭部付近にあるカードスロットにナンバーカードをセットする事も忘れない。それをセットしないと、バーチャルネットワークの世界を楽しむ事が出来ない。戦争が終わるまでの間、何もせずに寝たままとなってしまう。それだけは避けたい。


 カードをセットし終え、体の各所へ機器類を装着する。戦争が終わるまではここで体は眠りに就くのだ。栄養を摂るのも排便も、当然生きる上では必要だ。


 機器類の装着を終えると、小さなアラーム音が響き、その後眠る様にバーチャルネットワークの世界へとダイブする。

 その際、アラーム音に混ざる様に軽く耳鳴りが聞こえた。バーチャルネットワークへダイブする際の弊害だ。隣のメグミも、レイと同じタイミングでダイブした様だ。





「さて、我らも行くとしよう。新たな神となる為に……」


「未来永劫、我ら十二人が神として人類に君臨するのだ」


「楽しむとしよう……」



 今回の計画を画策した各国のエリート達は、通信でその事を確認し合った。ディスプレイ上に映し出された十二人の姿は、既に神としてのアバターになっている。



 を含む全人類がバーチャルネットワークへとダイブし終わった瞬間。そのバーチャルの世界で不思議な現象が起こった。突然、目を開けていられない程の光に包まれたのだ。

 こんな事は設定していない。レイはそう思ったが、言葉に出す前にが全人類へと語り掛けてきた。


 ――我はかつて……我に近付こうとする人間の塔を破壊した。なのに何故、再びを築いたのだ、人間よ。我に取って代わり、何をしようと言うのだ。


 ……良かろう。そこまで望むなら、その世界を与えよう。

 我の真似をし、どこまで我に近付けるかをやってみるが良い。

 だが、忘れるな人間よ。で我は居ない。その事を努々ゆめゆめ忘れぬが良い。サラバだ人間よ――


(な、何なの!? 誰かしら、プログラムしたのは……? 演出にしては妙にリアルだったわね……。ま、いいかっ! それよりも……楽しみね、イケメンになるのが!)



 不思議な光に不思議な声。それを演出と考える辺り、やはり開発者なのだろう。

 だが、その声は更にレイだけに語り掛けてきた。



 ――そなたの名は……レイ、か。そなたの罪は最も重い。バベルを再び築いたのだからな。よって、そなたには罰を与える。人類を滅ぼせ。そなたの力は、”すてーたす”とやらのまま与えてやろう。抗おうとしても無駄だ。我は唯一絶対の真理……つまり、そなたらの言う所の本物の”神”なのだから。

 但し、チャンスもやろう。もしも我を見つけ出し、そして立ち向かうのならば……限り無く可能性は低いが、人類の継続を約束しよう。努々ゆめゆめ忘れるでないぞ? もっとも、覚えては居るまいがな――


(え……っ!? 何で? 私がバベルを築いた? きゃぁぁぁぁぁっ!!!)



 叫びを上げるほどの衝撃。それは、体が引き裂かれる……いや、それ以上の苦痛。細胞レベルで分解されるのであれば、こんなかもしれない。

 薄れる意識の中でそんな事を不思議と考えていたが、やがて……レイの意識は闇へと落ちた。




 ☆☆☆




「早く起きなさい!? もう朝ごはんよ!」



 窓から柔らかな朝日が室内を照らし、外からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。時おり吹く風が窓を優しく鳴らす。部屋の中では、母親の声に起こされ、少女が目覚めようと身動みじろぎしている。



(あれ? あたし、どうしたんだっけ? 何だか変な棺桶に入ってたような? 棺桶に入って、美男子になる筈だったのに……? ま、いっか! きっと夢ね!)


「はーい、ママ! 起きたから、今行くね!」



 母親の声に起こされた彼女の名は『レイ』。年齢は十五歳。当然、まだ未経験だ。


 その容姿は、美しい銀髪をショートにしており、瞳の色は透き通った新緑色。目尻の少し下がった優しい眼差しに、少しツンとした可愛らしい鼻。口を閉じれば自然と笑顔に見えるという美少女だ。


 そのスタイルも、十五歳という年齢にしては整っている。腰のクビレや美しいヒップライン。その可愛いお尻からは可憐な足が伸びている。胸の大きさも、隠そうとすれば手の平から少しはみ出す丁度いいサイズだ。


 レイは寝間着から普段着へと着替える。下着は昨夜替えたばかりだから今朝は替えない。

 膝丈のショートパンツに膝下までのブーツ、長袖のシャツに、フワリと羽織るレザーコート。色は黒で統一している。これがレイのいつもの格好だ。



「……大丈夫かしら?」


「……何が?」


「だって貴女、今日から”ガーディアン”になるんでしょ? 何の才能も無い貴女が魔物を相手に出来るのかしらって……。しかも、泣き虫だし。魔物は殺さないとダメなのよ?」



 レイの母親が心配する程にレイは弱い。しかも、泣き虫だ。どんな生き物でも死ぬ場面を見てしまうと、泣いてしまう。心優しくも弱いレイが、よりにもよって魔物を相手に戦おうと言うのだ。親なら誰でも心配をする筈だ。



「ママ……? まだ正式なガーディアンじゃないんだから。それに、その為に学園に行くんじゃない。卒業する頃にはちゃんと強くなるわよ! パパとママの娘なんだから! ……それに、死ぬ所を見るのは悲しいけど、いつまでも泣き虫なんかじゃいられないもん! いくら泣き虫のあたしだって、魔物と人間を比べたら人間を選ぶわよ!」


「……だと良いけど。でもねぇ。貴女、どっちにも似てないじゃない。不思議よねぇ……」



 レイの母親の名は『レイラ』。元ガーディアンだ。引退する時のランクはAランク。一人で千人の軍隊に匹敵すると言われるランクだ。結婚した後もガーディアンを続けていたが、レイを懐妊した為にそれを引退。今は主婦として家庭を守っている。


 ちなみに、父親の名は『アデル』。現役ガーディアン、それもSランク。つまり、ガーディアンの最高峰の強さを誇る。レイが通う学園の園長でもある。Sランクであるアデルの実力は、万夫不当。一人で一万人の軍隊にも勝てるという程の実力者だ。軽い性格及び見た目が優男の為、普段から色んな人に好かれている。先にも述べたが、学園の園長とガーディアンを兼任している為、家には月に一回程度しか戻って来ない。


 両親共に髪の色が赤い色なのだから、本来であればレイもその遺伝を受け継ぎ赤い髪になる筈なのだが、そうはならなかった。隔世遺伝なのか、突然変異なのか……それは分からないが、確かにレイはアデルの血を引き、レイラが腹を痛めて産んだ子供に間違いない。その証拠と言ってはなんだが、顔立ちは似ている。つまり、両親共に美男美女という事だ。



「だからぁ〜! ちゃんとママとパパの娘だってば! ……あ、そろそろ時間ね。行ってくるね!」


「気を付けて行くのよ? 分かった?」



 朝食のパンと卵焼きを食べ終え、レイは背中にレイラの声を聞きながら家を後にする。家の外では柔らかな春の日差しの中、小鳥達がレイの入学を祝うかのようにさえずっている。風も優しく暖かい。絶好の入学日和だ。



(のんびりしてられないわね。早く行かないと遅刻しちゃう!)



 レイは、自らのの時刻を確認する。

 何故こんな物が頭に浮かんで来るのか、レイには分からない。念じれば誰でもステータス画面を開く事が出来るらしい。

 そのステータス画面には時刻の他に、自らのスキルや魔法も記載されている。当然ステータス値も分かる。


 そのレイのステータスの能力値は、オール1。名前も出ている。性別は女で、年齢は十五歳。

 よく分からないのが、年齢の横に記載されているナンバー666という数字だ。その数字はいったい何を意味しているのか。両親にナンバーを聞いてみたら、それぞれ全く違った事から、家族の繋がりという数字では無いだろう。


 それと、これは両親には言っていないが、種族欄が【???】となっている事も不思議だ。両親の種族欄にはしっかりと”人間”と出ていると聞いたのに、レイは【???】なのだから意味が分からない。

 今となっては気にもしなくなったが。


 ともあれ、レイは緑鮮やかな街路樹が彩る街中を颯爽さっそうと駆け抜け、目的地である『王立ガーディアン学園』へと辿り着いた。途中何度も通行人とぶつかりそうになったが、何とか躱して事なきを得る。

 走った影響か、ぶつかりそうになった冷や汗か、レイの額には幾筋もの汗が流れる。



 王立ガーディアン学園があるここは、『王都スピア』。王都と名のつく以上、国の中心地だ。

 国の名は『ランス王国』。世界に五つある大国の内の一つだ。


 五つある大国以外にも当然国はあるのだが、基本的にその五つの国が世界を動かしている。

 ランス王国以外の大国の名は、湖に浮かぶ美しい王城を誇る『ブレド王国』、地底深くで魔法の研究開発が盛んな『マジク共和国』、ドワーフが国を治める鉱山が豊富な『メイル帝国』、それと魔族が治めている『デムル国』だ。


 ランス王国は広大な森林の国で、そこから得られる森の恵みにより発展した。森林に覆われているという事は、当然水にも恵まれている。

 それを象徴する様に、王が住まう城……つまり王城は一本の巨大な樹の幹を囲う様に建造され、城の中庭からは豊富な水が湧き出ている。


 その湧き水は巨大な樹……聖樹の幹を通って湧いている事から聖水と呼ばれているが、普通の水だ。その水は、城から王都中へと張り巡らされた水路を通り、そこに住む全ての人の命を繋ぐ水となっている。その恩恵は当然、レイ達家族も受けている。


 ともあれ、そんな豊かな国にも魔物はいる。魔物から国民の命を守る、その為のガーディアンなのだ。

 そのガーディアンを鍛える為の学園に、今日からレイは入学する。目指すは母親の様に美しく、父親の様に強くて逞しいガーディアンになる為に。



「よーしっ! 頑張るぞぉー!!」



 学園の正門の前で、両腕を天に掲げて叫んだレイ。

 レイの入学を祝福してるのか、聖樹から地上へと大きな虹が掛かっていた。

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