平安なぞ解き絵巻 心なき

@nakamichiko

第1話命再び


「心なき・・・・・


心なき をんなが世の中多すぎて」


 時は平安、京の都の大豪邸で若い男がつぶやいた。片腕を脇息に載せ、とてもゆったりとした気分のようであった。ここ数日は宮中にも出向かないため、狩衣をずっと身に付けている。その身分によって柄が違う束帯と違い、自由な模様の狩衣は、女性のものかと思われるようなとても小さな花柄。少しあせたような緑地で、その中に色とりどりの花が咲いている。とても小さく、お互いがお互いを引き立てあっているような優しい、美しいものだった。

この時代、男性は女性を得るために着るものには心血を注いだが、彼の場合はそうしなくても、生まれついた身分、それで培われたのか、自然に上品で自分に合うものを選ぶことができていた。


「はあ・・・それは・・・駄作にございますな」


その部屋にもう一人、こちらは年をとった男で、身なりはきちんとしているが、若い男に比べればその衣の良し悪しが一目でわかる、少々古いものを身に付けていた。


「この楽(がく)のような素晴らしい音の中で、そのような歌でございますか」


「そなたが自由に歌を詠んでくれというからだ! 別れの歌など詠みたくもない。私は必ず帰ってくる、心配するな」


「若君・・・私も年でございます、仏様の知らせは急なこともございます。

ですから、大きなことは止めておかれた方がよろしいと申し上げたではございませんか。

菅原の道真公が遣唐使を廃止なされて、そのあと大宰府です、逆に復活させようとなされば、問題が起きるとお考えにならなかったのですか? 確かに若君の才はこの国だけでは足りぬかもしれませんが、その、帝が、お可哀そうです。唯一無二の友を失うのですから。その友が都落ちするのに、あのような名手を供として使わしてくださって、私はもう帝のお心遣いが・・・」


 屋敷の庭からはずっと同じ音が狂わずに続いていた。ギリギリと弓を引く音、ビシュッツと飛ぶ音、スンと的に当たる音。その音の張本人、彼は弓の名手として帝の側で警護をしていた。その弓を引き絞る姿、しなった弓の美しさが

「まるで月の様だ、そなたは月読と名乗るがよい」と帝直々のお言葉まで賜った。容姿もなかなか端麗であったが、実直な男なのか、この屋敷の主とは違いあまり浮いた話は聞かなかった。


「自分が唐に行ったら、そこで素晴らしいものを送ってやるからなどと言って口説くからでございます。それがかなわぬから別れるだの、確かに心無い女でございましょうが」

家臣にしては口うるさいがそれはそれで仕方がない。高貴な家に生まれたが相次いで両親を亡くし、この側近に支えられながら、彼は若くして家督を継がなければならなかった。


 だが仕事は優秀なため、人より早く終えて、若さゆえ、遊びまわる、遊びまわる! 幼き頃から帝の友となれるほどの身分を持ち、優秀で、なかなか男前ときたらモテぬはずもない。それはわかるのだが、まあ、源氏の物語のようにいかぬのは本人が悪いのか、それともをんな達が悪いのか、どちらとは言い難い。そうなってしまった男の面倒を、一手に引き受けてきたのだ。そして独り身のまま政敵に敗れ、数日中に都を去らねばならない。赴任地は遠い、遠すぎる。


「この屋敷は、好きに使って構わんぞ、息子夫婦と住めばよいではないか」


「冗談ではございません、身に合わぬことをすれば、道を踏み外し、やがてはすべてを失うこととなるでしょう。ここは若君の家にございます」


「そなたは本当に賢いの・・・だが、私が死んだら・・・」と彼は真剣に見つめた。


「その時は・・・このお屋敷を売り、私が死ぬまで何とか暮らせるだけのものをいただきまして、ということでよろしいでしょうか」


「そなたを父君と母君が信頼するはずだ」

弓の音はまだずっと続いている。


「おお! そうだ! 月読様のお陰で弓が飛ぶように売れているとか。だが弓を射る場がないとみんな嘆いております。ここを練習場として皆に貸して、金子を取ればよいですな、月読様が使った所とくれば、それはきっと多くの人間が集まるでしょう」


「そなた、商才もあるのか」


「この大きな屋敷を守ってゆくためには、金子は欠かせません。屋敷の中に休憩場を作りましょうか、しかし少々危険やもしれません。だが厠ぐらいは貸して」


「今度の旅では船には乗らぬが、私は大船に乗った心地を味わえそうだ」


「ですが若・・・その・・・孫が弓をしたいと言い出しておりまして・・・」


「それは好きにいたせ。そなたの孫が弓をするときには誰も入れるな、孫がほかのものの矢に当たったら大変だ」


「ありがたいお言葉にございます」


「全くもう・・・私と同じ名を付けおって」


「かわいいからでございます、若様のように文武両道、お心映えも優れた男に

なって欲しいと、息子夫婦も申しております」


「そんな男が女運が悪いか? 」


「若様の不運は・・・それだけにございます」


嫁は若君のことをこう言っていた。


「あまりにもすべてのものを持ちすぎておられるため、扱いが困難な女に逆に惹かれてしまうのかもしれませぬ。だまされてばかりでお可哀そうに・・・」

賢い嫁を貰ったと内心うれしく思った。



すると急に弓の音が止まり大きな声がした。


「やはりそなたであったか! 素晴らしい弓の音がすると思った。今は月読殿と申し上げねばならんか? 」


「おお! 久しぶりだな! 同じ京の都にいながら会えぬとは」


「私は都を守護する仕事だからな、外から入ってくるものを見張らねばならん」


「そうだな、だが、帝も友の君もお人が悪い、誰が来るとは全く教えて下さらなかった。だが、先に友の君様にご挨拶せねばならないのではないか」


「それはそうかもしれぬが、まずは命の恩人に先に会うが礼儀だろう。もしそなたの矢がなければ、私は海の藻屑と消えておった、完全に野盗となった水軍の者と同じく」


「そこに行きつくまでの貴殿の武功がなければ、私も生きてはおられぬ、お互い様だ」


「あれ以来あそこの海は平成を保っているようでうれしいことだ、だが、だろう? 」


「そう、帝の側で弓を射ることなどほとんどない、このままでは腕が鈍ってしまう」


「そうだ、何のための武だ、立ったままでは何もできぬ」


楽し気な声だった。宮中ではこの若い貴族を友の君と呼ぶ、言わずもがな帝の友だからだ。

「やれやれ、こちらがあの場に出向いた方が早そうだ」と彼は腰を上げ、外に出た。その後ろ姿を見ながら、家臣は思った。


「身分の高い方が自ら出向くなどないことだ、本当に若君は・・・」



「これは友の君様、わざわざ出てきていただいて」

「ああ、大きな立派な体をしておるな、立っているだけで恐ろしいほどだ。仁王と呼ばれておるそうだが、それはあまりだな。優しい顔をしておるのに」

「お恐れながら友の君様、彼は戦場ではまさに鬼神のごとくにございます」

「二人の水軍を撃破した話は私も好きで聞いておった。少々驚かせてやろうと思ってな」

「彼が仲間になるとは本当に嬉しいです。そうそう、友の君様の弓を彼に見せていただけませんか、本当に素晴らしい」

「上手はいらぬぞ」

「何と、弓もお上手なのですか? 見せていただけませぬでしょうか?」


そのあと月読と全く同じ音がしたかと思うと

「ほおー」と感嘆の声がした


「素晴らしい・・・月読殿と全く同じだ」

「名人の技をずっと見ていれば、自然とそうなる」

「私が苦心して会得した技でございますが、友の君様はわずか数日で」

「それならば私も友の君様にお教えしたい」

「私はそなたのように力が強くも、大きくもないぞ」

「いえいえ、いつも力を使っていたらすぐに尽きてしまいます。すべてはコツでございます、きっと友の君様はすぐにお出来になるのでしょう」

「道中は師匠二人か、退屈しなくて済みそうだ」

「あの国に至る道は盗賊などもでてくるかもしれませぬから、ご自身もお強くなければなりません。もちろん、私共がお守りいたしますが」


旅の仲間たちが集まった。家臣はそれの邪魔にならぬように屋敷の陰から見守っていた。


「良かった、力強い仲間だ。若君は本当に人を引き付ける魅力がある。心根が澄んでおられる証拠だ。幼き頃から」小さくつぶやいた。

今でも若君が幼い頃のことを思い出す。宮中で幼い頃の帝と遊んだ後で


「御子が私に大きくなっても変わってくれるなとおっしゃった、どういうことなのだろう」大きな目で、自分をまっすぐに見た。


「若君は素直なお方です。このまま、変わることなく御子のおそばにいて欲しいとおっしゃっているのでしょう」

そう答えた。幼い頃から御子の不自由さを「可哀そう」と思う優しさがあった。長じて優秀な文官となり、帝の右腕になろうとしたとき、それを面白く思わない人間から、まるで仕組まれるように蹴落とされたのだ。


「唐のものをそれほど大事というのなら、きちんと国書を手渡せばよい。そうすれば裏で渡来のものを賄賂として使うものが少なくなり、政も清らかに進められるものを」

若君は正しい。しかし自分も経験からわかるが、正しい者の連帯よりも、不のものの方が大きく、何故か強固なのだ。それが金と物と楽(らく)でつながり、決して心の奥底でつながっていなくとも。


 事が大きくなる前に何度か帝は若君に内々に忠告をした。それを聞かなかったためなのか、この決定は帝ですら変えることはできはしなかった。

庭にはまだ楽しげな声が聞こえている。それをほほえましく見ながらも


「帝は若君も失い、あの者もこの仲間に入れるという。あと数日で出立というのに最後まで自分のおそばにおいておられる。良いのだろうか。これからの帝の心の支えはどこにあるのだろう」

都に残るものは、やはり都の者のことが心配だった。

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