第37話
風景が横に流れていく。
何もかもが嫌になった。ゲームも、うみのさんも、何も、誰も、全てだ。
気持ちがノイズだらけで、心がかき乱された。何を思っても、落ち着かない。気分が悪い。吐きそうだ。
なんで僕は走ってるんだろう? どこに向って走ってるんだろう?
意味が分からない。
それでも僕は走った。町の中を走った。
歩いている人はほとんどいなくて、住宅街には車も少ない。それを良いことに僕は走った。
走って、走って、足が重くなって、でもまだ走って、疲れて、止まったら、家に帰っていた。
僕には、行くところさえなかった。
逃げる場所さえまともになかった。
汗をかきながら、俯いて、僕は家に入った。情けなくて、情けなくて、泣きたくなった。
そんな気持ちでリビングのドアを開けると、姉がアイスを食べていた。僕の顔を見て、姉は笑った。
「何? ゲームで負けたの?」
普段ならどうでもいい姉の言葉が我慢出来ない程腹立たしかった。殴りたくなった。
「・・・・・・うるさい」
「は? あたらないでよ。あ、アイスならもうないから」
「うるさいって言ってるだろッ!」
僕は自分でもびっくりする音量で怒声をあげていた。
顔を上げると姉も同じくびっくりしていた。しかしすぐに姉の表情がむっと変わる。
「な、なに怒ってるの? あたらないでって言ってるでしょっ!?」
確かに、これは八つ当たりかもしれない。けど普段から積もっていたイライラは堰を切った様に溢れ出し、制御不能になっていた。
「いつもいつも鬱陶しいんだよ! だらしない格好でリビングをうろつくなよ! アイスだって僕の分まで食べるし!」
「今は関係ないじゃない! それにヒロだって夜中までずっとゲームしてうるさいのよ!」
「指示出さないといけないからしょうがないだろ! お前だって友達と夜中にくだらない話ばっかりしてるくせに! 大体なんだよ? 高い金払って大学行って、遊んでばっかり! ちゃんと勉強するって父さんに言ってたのは嘘じゃないか!」
「そ、それは・・・・・・。ヒ、ヒロだって成績よくないじゃない」
「お前よりましだ!」
「さっきからお前お前ってなんなの? ちゃんとお姉ちゃんって言いなさいよ!」
「うるさい馬鹿ッ!」
その後も僕らが言い合っていると、父さんが上から降りてきた。
「こらこら。もう夜だぞ? 何を言い合ってるんだ?」
父さんを見付けると姉はすぐに駆け寄った。いつもの手だ。見ていて腹が立った。
「聞いてよ! 帰ってきたと思ったらヒロが喚くの!」
「喚いてるのはお前だろ!」
「だからお前って言わないで!」
「おいおい」と父さんが呆れる。「元気なのはいいけど、もう少し静かにしなさい。一体どうしたんだ」
「ゲームで負けたのよ。くだらない」と姉が告げ口する。
僕がギロリと睨むと、姉はそっぽを向いた。殴ってやりたかった。
父さんは溜息をつき、苦笑した。
「お姉ちゃんはちょっと一言多いぞ。それにちゃんと服を着なさい。ヒロもそうだ。お前なんて言うんじゃない。姉弟なんだから。な? 言うこと聞かないなら小遣いはなしだ」
そう言われて僕と姉は黙った。
小遣いが貰えないとゲームが出来ない。SF0は月額課金制だからだ。
姉もバイトしないで遊んでいるのは親からお金を貰ってるからだった。
黙った僕を見て、父さんが尋ねた。
「ヒロ、どうしたんだ? お前が叫ぶなんて久しぶりだな。小学校の時お姉ちゃんがお前のおもちゃを壊して以来だ。何があった?」
多分、普段の僕なら絶対に言わなかっただろう。適当に理由を付けて躱していた質問だ。
でも今日の僕はおかしかった。頭に血が上って、心が乱れて、ちゃんと思考出来てなかった。
だから理由を話した時、自分でも不思議な気分だった。ただうみのさんの事は言わなかった。
父さんは黙って聞いてくれた。姉も早くどっかに行けばいいのに、聞いていた。
話し終わると父さんは頷いた。
「・・・・・・そうか。ヒロはその子達のリーダーだったんだな。そうか。知らなかったな。お姉ちゃんは知ってたか?」
「・・・・・・いや、知らなかったけど」
「うん」と父さんは頷いた。「いや、けどこれは大変な事だぞ。俺が人を率いる立場になったのなんてつい最近だ。学生時代も働いてからもほとんどが誰かの指示を聞く役だった。大体の人がそうだろうし、そっちの方が楽だからな。そりゃあ理不尽もあるけど、お前らを食べさせられるならあんまり気にならなかった。今だって部下はいるけど、上司だってちゃんといる。けど、ヒロはそのメンバーのリーダーをやってるんだよな。一番だ。大変だなぁ」
しみじみと独り言の様に呟く父さん。僕は何故か恥ずかしくなった。
父さんは続けた。
「俺も、人を率いる大変さは分かってるつもりだ。やりたい事とか、好みとか、人それぞれだろ? 同じ人なんていないもんな。それをまとめて同じ方向に向かせる。意見が割れた時なんて頭が痛くなるよ。でも、リーダーは答えを出さないといけない。会社の場合は利益っていう船頭がいるからなんとかなるけど、趣味だとそうはいかない。みんな楽しむ為にやってるんだ。納得させるのは簡単じゃないさ。それでもヒロはやってるんだ。そうか。うん。すごいな」
「別に、ちゃんと出来てるわけじゃない」
「そりゃあそうだ。そんなの誰だってそうだよ。この世に完璧なリーダーなんていないんだから。カリスマって言われてる人も、誰をも説得出来てるわけじゃない。ただ、父さんが思うに彼らには類似点がある。と言うより、絶対条件だ」
父さんはそう言って僕に笑いかけた。
「誰よりも熱中すること。その熱さを持たないリーダーに、人はついていかない」
その言葉を聞いて、僕の中で絡まっていた糸がするりとほどけた気がした。
もちろん全部じゃない。でもその一本はずっと絡まったままで、きっとずっとこのままだと思っていた糸だった。それが、ほどけた。
僕の表情を見て、父さんは僕の肩にぽんと手を乗せた。
「ヒロにはそれがある。なら大丈夫だ。なんとかなるさ。父さんもそれでなんとかなった。俺の場合はゴルフだったけど。接待ゴルフって事を忘れてベストスコアを叩き出したら、相手の社長に気に入られて、そのお陰で昇進出来た。だから明日もゴルフだ。分かるか? これも仕事なんだ。だから、今度新しいクラブを頼む時、母さんを一緒に説得してくれ。あのクラブがあればアンダーパーに届くと思うんだよ。そしたら会社を辞めてプロになろうかなあ」
それを聞いて僕と姉は呆れて笑った。父さんの部屋にはゴルフクラブがたくさんある。
母さんが嘆くのもしょうがない程にだ。落ちついた僕らを見て、父さんは言った。
「じゃあ明日早いんだ。寝かせてくれ。二人共喧嘩はほどほどにな。お姉ちゃんは頑張ってる人にいじわるしないこと。ヒロはもう少しちゃんと話すこと。いいね? じゃあ、おやすみ」
そう言って父さんはリビングから出て、二階の自室に戻っていった。
リビングには僕と姉の二人だけが残った。姉は僕を見て、唇を尖らせた。
「お父さんはああ言ってたけど、ゲームはゲームだからね。そればっかりやってても良いことなんてないから。ヒロはゲーム作るの?」
「・・・・・・いや、分かんないけど」
「ふ~ん。でも今からちゃんと考えた方がいいよ。時間なんてあっという間にすぎるから」
偉そうに。そう言いたかったけど、僕は言わなかった。多分、姉は姉で色々悩みがあるんだろう。
姉は拗ねた子供のようにそれだけ言って、風呂場に向った。
リビングには僕一人になった。
あれだけ煮立っていた頭がクールダウンして、思考が通常通り働き出した。少し色々ありすぎて、僕のキャパシティーを越えてしまっていたらしい。
長く静かな息を吐いた。余熱が口から出ていった。
それでも、まだ僕の中には火が灯っていた。その熱は消えずにちゃんと残っていて、心をじんわりと温め続けている。
きっとこれはやる気とか覚悟とか、そういう感情なんだろう。
誰よりも熱中すること。
父さんはそう言った。なら、僕は誰よりもSF0に熱中している。それだけは言えた。
くだらない事かもしれない。馬鹿らしい事かもしれない。
けどそれは他人の評価だ。もうそんな事はどうでもいい。
僕はさっきこう言ってしまった。これは所詮ゲームだと。
後悔していた。あれは、僕が言って良いことじゃない。本気でやってる人が言って良い事じゃなかった。
誰かに否定される前に自分で自分を否定して、身を守った気でいた。それじゃ駄目だ。何も守れない。何も得られない。
まだ僕は人生で何も誇れるものを持ってない。運動も勉強も容姿も並以下だ。
でも、ゲームだけは、SF0だけは誰よりも本気でやってる自信がある。けどそれは僕が思うにだ。
誰から見てもそうと分かる何かが欲しかった。
その証を今回のキャンペーンで手に入れられると思ったんだ。
もう無理かもしれない。けど、まだどうにかなるかもしれない。
諦めるのはいつでも出来る。なら、今やるべきじゃない。
いてもたってもいられなくなった。早くゲームがしたかった。
僕はすぐに二階に駆け上がり、自室に入ってディスプレイの電源を入れた。
約束の十分前にも関わらず、もう三人とも待っていた。それが嬉しくて嬉しくて、僕はヘッドセットをつけ、開口一番ボイスチャットに叫んだ。
「やろう! 僕達はまだ何も終わってない!」
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