最終話【3月24日】図書準備室で待っている
最後のホームルームが終わると教室の中が一気に賑やかになった。もっとも楽しげな会話に混ざって、女子の鼻をすする音も聞こえる。
進級するとクラス替えがあるので、仲の良い友達と離ればなれになってしまう可能性があるからだろう。
もっとも同じ校舎の同じ階で過ごすのだ。廊下ですれ違うことは多いだろうし、行事でいっしょになることだってあるはずだ。
わたしはそこまで悲観していなかった。我ながら最近はポジティブになったと感じている。
今日は霧乃宮高校の終業式だった。
明日からは春休みで、年度が替わればわたしは二年生になる。月並みだがあっという間の一年だった。
友達が「瑞希、クラスが別になっても無視しないでよー」と抱きついてきたので、笑いながらその頭を撫でてやる。
わたしはしばらくクラスメイトと話をしてから、別れの挨拶を交わして教室をあとにした。
図書準備室へと向かうため、階段を通り過ぎて廊下を曲がる。
渡り廊下の窓から外を眺めた。
今年は暖冬だったせいか桜の開花が例年になく早い。霧乃宮でも開花宣言が出されて、学校のソメイヨシノもすでに三分咲きだった。このままだと入学式の頃には散ってしまいそうだ。
そして入学式が終われば新入生歓迎部活動紹介が待っている。
今年も文芸部は壇上での発表はない。しかし、その代わりとなる新入生へのアピールは準備万端整っているつもりだ。
今日の部活はそれらの最終確認をする予定だった。
まずは部活動見学の期間にビブリオバトルを開催する。そのための準備と練習は繰り返してきた。
ルールはビブリオバトルの公式ルールに則ったものだが、ひとつだけ条件を付け加えた。紹介する本を小説に限定したのだ。
文芸部に入部しようか迷っている新入生は、やはり小説にこそ興味があるだろうと考えてのことだ。
部員一同気合が入っている。新入生勧誘の一環ではあるが真剣勝負だ。やるからには勝ちたいし、みんなが何の本を紹介するのかも楽しみである。
他にも新入生勧誘の方法についてはいろいろと準備をしてあった。
文芸部のホームページを作って、そこに文集『星霜』に寄稿したみんなの小説を載せた。他にも活動内容や部員からのコメントなども掲載してある。
部活動紹介の冊子には当然URLを載せてあるし、それだけでなくチラシを作って図書室のカウンターに置くことにした。
本が好きな人間は当然ながら図書室の利用率も高いわけで、その人たちにアピールする狙いだ。
それならば部活動勧誘期間は図書室のカウンターに入って、直接声をかけるのはどうでしょう? そう提案したのは亜子ちゃんだ。
これは盲点だったが、言われてみればグッドアイデアだ。
普段から文芸部員は図書委員会のサポートで、カウンター業務を手伝うことがある。申し入れてみると快諾してくれた。
提案者だからということではないが、この担当には亜子ちゃんが就いた。
結城先輩いわく「新入生に鈴木がまくし立てたら、ドン引きされるからな」とのことだ。
早苗先輩に言わせると「結城みたいに目つきの悪い奴がいたら、入る人間も入らない」ということになる。
わたしはというと両先輩から「ちょっと熱量が高すぎるのが心配だな……」そう言われてしまった。自分では意識していなかったが、どうやら新入部員勧誘に力が入り過ぎているらしい。
渡り廊下を通って事務棟へと来ると、わたしはポケットに手を入れた。
そこには卒業式の日に長髪さんからもらったネクタイが入っている。
今日は亜子ちゃんといっしょに、早苗先輩から流行りのネクタイの結び方を教えてもらうのだ。
そして新入生がネクタイをしたいと言った時には、わたしが教えてあげたい。
図書室前の廊下を歩いていると文化祭を思い出した。
文芸部はこの廊下に設営所を出して、みんなで作った『星霜』を売っていたのだ。アカペラ同好会さんの歌声が今でも耳に残っている。
そしてわたしはここで遠野先輩と会話を交わした。文化祭には他にも忘れられない思い出がいっいぱある。
つい昨日のことのように感じるが、もう半年も前の出来事だ。本当に時間が経つのは早い。
図書準備室へと到着すると、そのドアにそっと触れた。
わたしが霧乃宮高校で一番落ち着ける場所は間違いなくここだ。自分の居場所だというたしかな実感がある。
そこで思わず笑ってしまった。部活動見学の初日に、ここを訪れた時のことを思い出したのだ。
あの時は何度も廊下を行ったり来たりして、ノックをするまでに随分と時間がかかった。いま考えると何を怖がっていたのかと思う。
そこでふと視線を感じて横を向いた。
少し離れた場所から結城先輩がこちらを見ていた。
ひとり佇んで笑っていたのを見られたと思うと、羞恥で顔が赤くなる。
わたしは恥ずかしさを誤魔化すように、大袈裟に頬を膨らませた。
「盗み見は趣味が悪いですよ。いつからいたんですか?」
「いま来たばかりだよ。絵になるなと思わず見とれていたんだ」
それを聞いて、いっそうわたしの顔が赤くなった。
「からかわないでください」
「からかってなんかいない。本当にそう思ったんだ」
結城先輩が真面目な顔でそう言うので困ってしまう。
返答に窮しているわたしを見て、先輩が優しく笑った。
しかめ面をしていたわたしも、堪えられずにいっしょになって笑ってしまう。
ホワイトデー以降、結城先輩は約束通り毎日本を薦めてくれていた。今のところは目標である一日一冊を読めている。
そしてわたしはその感想を毎晩先輩に伝えていた。これは特に決めていたわけでなく、なんとなく日課になったものだった。もっとも本の感想を言うだけで、艶っぽい会話にはならない。
たまに沈黙が流れて、お互いに何か他のことも話そうとしているのだと感じる時がある。
だけど結局、おやすみの挨拶を交わして終わってしまう。
それでもわたしは満足していた。
焦ることはない。作家になる夢と同じように、先輩との関係もゆっくりと
結城先輩がわたしの隣へと来る。
照れたように微笑んで頷き合うと、わたしは図書準備室のドアに手をかけた。
一年前の自分に伝えたい。
何も怖がることはない、あなたはこのドアを開けることで人生が変わるのだと。
素晴らしい出会いが待っているのだと。
そして霧乃宮高校に入学する新入生にも伝えたい。
少しでも本が好きならこのドアを開けて欲しい。
そこでは同じように本を好きな人たちが、あなたを待っているから。
わたしたちがこの図書準備室で待っているから――。
〈了〉
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