6月
第19話【6月5日】生徒会立会演説会とお薦め漫画
先週から霧乃宮高校では令和元年度の生徒会執行部役員を決める選挙期間に入っていた。
廊下には立候補者のポスターが貼られているし、お昼休みには候補者と推薦人による紹介放送が流されている。
わたしはひそかに、結城先輩が立候補しているのではと思っていたのだがその予想は外れた。
そして今日は授業がすべて四十分の短縮授業で、午後の最後に立会演説会がある。
体育館のアリーナに座って壇上を見上げていたら、最初に現われたのが結城先輩だった。
驚いているわたしをよそに、先輩は淡々と開会挨拶と諸注意を述べている。何のことはない、立候補者ではなくて選挙管理委員長だったのだ。最近、部活に遅れてくることが多かったのは選挙準備のためだったらしい。
各立候補者の演説は良くも悪くも無難なものだった。結城先輩だったらどんな公約を掲げたのかなとそんなことを思った。
放課後、わたしたちが図書準備室で話していると結城先輩が遅れてやってきた。自然と選挙の話になる。
「結城先輩は会長に立候補するものと思っていたのですが」
わたしがそう言うと、隣で亜子ちゃんも大きく頷いている。
ところがそれを聞いて早苗先輩は笑った。
「二人ともまだ結城のことを知らないねえ。こいつは目立つことや面倒くさいのが嫌いだから絶対に生徒会役員になんかならないよ。推薦の内申点稼ぎなんかも考えてないでしょ?」
「ああ、そもそも推薦を受けるつもりがないからな」
結城先輩ならかなり良い大学の推薦も取れると思うのだけれどその考えはないらしい。わたしからするともったいない気がするが先輩のことだ、きっと明確な希望進路があるのだろう。
「面倒くさがりなのも当たっている。そのために選挙管理委員になったしな」
首を捻っているわたしたちに説明をしてくれる。
「常設の委員会だと年間通して拘束されるからな。選管なら働くのは選挙期間のみだ。それも文化祭実行委員なんかと比べると仕事量が圧倒的に少ない。実際、明日の投開票が終わればお役御免だ。楽でいいぞ」
入る委員会ひとつにもそこまで深慮遠謀しているとはさすがだ。かといってわたしには選管委員長になって全校生徒の前で挨拶をするのは抵抗がある。それだけのことと思えるか、そんなのは無理と思うか。向き不向きだろう。
「そういえばさ、生徒会って良い題材になりそうなのに小説になってないよね」
早苗先輩の一言にみんなが考え始めた。
わたしにはまったく思い浮かばない。意外なことに結城先輩からもすぐに返事はなく、ようやく出てきた言葉も歯切れが悪かった。
「『生徒会の一存』とかラノベではそれなりにあるんだけどな。ただ、どれも生徒会が舞台じゃなきゃいけないかというと微妙だよなあ。真面目な生徒会活動を描写している小説は思いつかない」
「あ、あれがあった! 『マリア様がみてる』! あれの山百合会って生徒会じゃない」
わたしもタイトルは聞いたことがある有名な少女小説だ。だけど結城先輩はそれを聞いて微妙な表情をしている。
「俺は一巻しか読んでないから強くは言えないが、あれは生徒会というには特殊じゃないか?」
「まあそうかもしれないけどさ。というかあんた、コバルト文庫も読んでるのね」
少女レーベルでも普通に読んでいるあたりが結城先輩らしい。しかし先輩たちがこれだけ考えても出てこないなら、本当に書かれていない題材なのかもしれない。
そう思っていたら結城先輩が意外な方向から答えを出してきた。
「漫画なら『
「知らないなあ。というかまったく内容がわからないタイトルね。どんな話?」
「タイトルは野球の背番号からだな。中学時代に15番と18番を付けていた人間がそれぞれ挫折して、高校では生徒会で自分の居場所を見つける物語だ。
生徒自治が強い学校が舞台だから生徒会執行部の仕事も多くて重要なんだ。とにかくリアルでおもしろい。お薦めだぞ」
わたしは驚いた。亜子ちゃんもびっくりしたように結城先輩を見ている。
「へぇー、おもしろそうじゃ――」
早苗先輩もそこで気がついたらしい。
「結城! あんた普通に本を薦めてない!?」
「漫画だからな」
結城先輩は涼しい顔をしている。
「……小説と漫画でどう違うのよ?」
「俺は漫画はほとんど読まないんだ。絵の良し悪しもわからないし、コマ割りとかの技術的なことも知らない。妥当な評価ができるとしたらストーリーだけだ。
自分がおもしろいと薦めた漫画を酷評されても、すみませんでしたと謝ることにまったく抵抗がない。見る目がないと言われてもそうなのかと思う。だから気軽に薦められるんだよ」
結城先輩の言うことは何となくだがわかった。
おそらく先輩にとって小説を薦めるということは真剣なことなのだ。自分の評価にも自信がある。だから軽々しく薦めることもしないが、意見が違えば議論を戦わせて安易な妥協もしないのだ。
「あんたってホント面倒くさい奴よね。別に小説でもそのスタンスでいいのに」
早苗先輩が心底呆れたようにため息をついた。演技には見えなかったから本当にそう思っているのだろう。
「じゃあせっかくだし聞いておく。あんたのベストワン漫画ってなに?」
「
即答のうえに大絶賛だ。これはこれで新鮮ではあるけれど、普段の結城先輩らしくないので違和感がある。
「また古いのを出してきたわね」
早苗先輩は古いと言いつつも読んだことがあるみたいだ。わたしは読んだことがないのに、そのフレーズは聞いたことがある気がする。
「どんな話ですか?」
わたしが聞くと結城先輩がこちらを向いた。
「ベースはSFだよ。未来において宇宙進出を果たして、異星人との接触から星間連盟に加入しているという下地がある。各星系からのエリートが集う宇宙大学の最終テストが舞台なんだ。
十人一組で廃棄された巨大宇宙船で五十三日間を過ごす。一人でも落伍者が出れば全員不合格。スクランブル用の非常ボタンはあるが、それ以外の外部とのコンタクトはいっさい不可能。
そういう条件下で宇宙船に乗り込むんだが着いた瞬間に十一人いることが判明する。いきなりの不測の事態だ。この時の「一人多いぞ、十一人いる!」というセリフはその後にいろいろなパロディで使われている」
なるほど、わたしが聞いたことがあるのは原作ではなく、後から使われたパロディのものらしい。
「その後も予期しない出来事が次々と起こって――という話だ。百二十ページ程度の短編なんだが物語に必須の要素がすべて詰まっているといっていい。
正体不明の一人がいるというのはミステリだしサスペンスホラーでもある。漂泊船での暮らしはサバイバルだし、その環境下で困難を乗り超えることで友情が芽生えるわけだが、同時に相手が正体不明の一人ではないかという疑心暗鬼もある。ネタバレになるからこれ以上は言えないが人間ドラマとしても素晴らしいんだ。
最近は日本の小説や漫画がハリウッドで映画化されているけど、俺がエージェントならどれだけ高額でも真っ先にこの作品を買い付ける。そんな傑作だよ」
手放しの大絶賛だ。
結城先輩が貸してくれるというので楽しみがひとつ増えた。
「あたしだと何かなあ。最近のだと『乙嫁語り』とか好きだけど」
「ああ、あれは良いよな。俺も好きだ」
結城先輩が同意したので早苗先輩は嬉しそうだ。自然とみんなが好きな漫画を発表する流れになる。
亜子ちゃんは少し恥ずかしそうに口を開いた。
「ちょっと古いのですが日渡早紀さんの『ぼくの地球を守って』が好きです」
「わかる!」
早苗先輩が叫んだ。
「あれさあ転生物の元祖だと思うんだよね。もちろん恋愛物としてもおもしろいけど、あたし的にはミステリの部分が評価高いのよ。というか、なんで亜子はそんな古いのを読んでるの?」
「叔母がくれたんです。その頃の『花とゆめ』を愛読していたらしくて、他にも『動物のお医者さん』とか『赤ちゃんと僕』なんかも貰いました」
「『動物のお医者さん』は知ってる。「オレはやるぜ オレはやるぜ」のシベリアンハスキーが出てくるやつだよね? たしかチョビだっけ?」
「あ、それはちょっと違うんです。チョビは主人公の飼い犬で、早苗先輩の言っているのはシーザーという別の犬ですね」
早苗先輩と亜子ちゃんは楽しそうに話しているが、結城先輩は未読らしく聞く側に回っている。さすがの先輩でも漫画だとそういうことがあるようだ。
そしてわたしの番がきた。わたしは小説と同じく漫画もほとんど読んでいない。みんなが知っているであろう有名作をあげるのは気が引けたが仕方がない。
「すみません。わたしのお薦めは『ちはやふる』です。みなさん読んでますよね?」
早苗先輩と亜子ちゃんは頷いたが、なんと結城先輩が首を横に振った。
「いや、俺は読んでない。映画化もされて話題になったからタイトルは知っているけど、わかるのは競技かるたが題材ということぐらいだよ」
となると紹介しなくてはならない。そこで気づいた。
結城先輩と感想を言い合うのは『そして、バトンは渡された』で経験している。
しかし先輩が未読の本を薦めるというのは初めてのことだ。それが漫画だとしても一気に緊張してきた。
「えっと、主人公の
わたしは頭が真っ白になった。これではおもしろさを全然伝えられていない。
あらすじを言うだけでは駄目なのだ、もっと魅力を伝えないと。しかしネタバレにも気を付けなくてはいけないし、どうすればいいのだろう。
パニックに陥っているわたしに結城先輩が優しい声でアドバイスをくれた。
「有村がこの物語で一番好きなことを語ればいいよ。そうすれば伝わるから」
一番好きなこと。
わたしは少しだけ考えると真っ直ぐに結城先輩を見た。
「わたしが『ちはやふる』で一番好きなのは千早の幼馴染で高校ではかるた部をいっしょに作った
あれ? 太一ってひょっとして結城先輩に似てる? 誤解されるかもと思ったけれど、とりあえずその考えを頭から弾き出す。
「だけど太一はかるたでは凡人なんです。誤解のないように言うと彼も物凄く強いんですよ。だけど千早をはじめ、名人やクイーンなど天賦の才を持っている人間に比べると悲しいぐらいに凡人なんです。そのことで太一は何度も挫折をします。それでもある想いがあるため、その度にかるたに戻ってくるんです。
最初に言ったように他のことなら何をしてもトップに立てるのに、わざわざ自分が凡人であると自覚しているかるたで天才に挑む、そんな太一を見ていると泣きながら応援しているんです。
わたしが『ちはやふる』で好きなのは太一の決して諦めない姿です」
しばらく誰も言葉を発しなかった。
わたしが不安になってきたころ、結城先輩が口を開いた。
「……わかるな。自惚れてもいいなら俺も小器用に何でもできるタイプだと思う。だけど本当の天才には逆立ちしても敵わないと思い知らされたことがある。そこで逃げずに戦えるというのは凄いことだよ。ありがとう有村。読んでみるよ」
「はい!」
本を薦めるということは幸せなことなのだとわたしは初めて気づいた。
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