第4話【4月10日その3】これだからミステリマニアは


「これで今年も二人は確定かあ」


 鈴木先輩が感慨深げに天井を見上げたが、すぐにわたしたちの方に向き直ると満面の笑みを浮かべる。


「じゃあ今度こそ自己紹介タイムでいいよね?」

「……いいけど、飛ばし過ぎるなよ」


 結城先輩は反対に渋い表情をしている。


「わかってるって。あらためまして二年五組の鈴木早苗すずきさなえです」


 鈴木先輩はわざわざ立ち上がって軽くお辞儀をすると胸に右手を当てる。


「あたしの好きなジャンルはミステリ。SFやファンタジーもそこそこ読むよ。主戦場がハヤカワと創元の翻訳物ってことだね。

 ミステリなら何でも読むけど一番好きなのはやっぱり本格、それも純粋なフーダニット。だからクイーンが好き。XやYもいいけど、初期国名シリーズの方が好きだな。世間的にはギリシャ棺の評価が高いけど、個人的にはオランダ靴がマイフェイバリット、これは譲れない

 国産だと有栖川有栖の学生有栖シリーズだね。あとは綾辻行人の館シリーズかなあ。最近だと青崎有吾と今村昌弘はいいね」


 鈴木先輩が立て板に水のごとく話し出した。どうやら立ったのも礼儀というより勢いをつけるためらしい。


「ハードボイルドだって好きだよ。やっぱりチャンドラーが不動のナンバーワンだけど、ネオハードボイルドもいいよね。リューインって日本での評価が低すぎると思う。アルバート・サムスンシリーズなんか凄いおもしろいし、なかでも『A型の女』なんて傑作だよ。

 ハードボイルドの国産なら原尞一択だね。『そして夜は甦る』は出だしだけでも読んでみて、かっこよすぎるから。あたし三十回は読んだもん。ただ初期三作が良すぎるからその後のはちょっと。

 ノワールだって読むよ。これはやっぱりエルロイだね。散々言われていることだけど『ホワイト・ジャズ』はその文体が癖になるの。あれを読んだ後に創作するとちょっとヤバい。それから――」


「待て鈴木。一年生がついていけてない」


 結城先輩が口を挟んだ。

 そのとおりで、わたしと北条さんは口を開けて唖然としていた。


「あ、ごめん」

「一方的に話すんじゃなくて、応答しながら共通の話題を探したほうがいい」


 結城先輩に言われて、鈴木先輩は言葉を探すように指を回した。


「えっと、要するにミステリが好きなんだけど、二人は読む?」


 さっきまでの呪文のような語りから一気にシンプルになった。

 だが隣に座る北条さんは困り顔で固まっている。

 むむ。彼女にとってはジャンルエラーらしい。ならばわたしが頑張らないと。


「東山篤哉さんの『謎解きはディナーの後で』は読んだことあります」


 勇んでそう答えたが。鈴木先輩の反応は芳しくなかった。


「あー……」


 と声を出して、その後に何と続けようか考えていたようだったが、結局そのまま声が消えてしまった。

 その様子を見て結城先輩がフォローしてくれる。


「なんだよ、ユーモアミステリは駄目なのか?」

「そんなことないよ! ウエストレイクのドートマンダーシリーズとか大好きだし。ただあれはさあ……」

「ドラマの影響でコメディ部分が注目されがちだけど、ミステリとしてもしっかりと練られているだろう?」

「たしかにそのあと雨後の筍みたいに出てきたライトミステリに比べれば読めるけど……。あれだって本屋大賞獲ったから売れたけどさ……」


 鈴木先輩には先程までの歯切れの良さがまったくない。

 どうやらチョイスを間違ったらしい。ならばと二の矢を放つ。


「東野圭吾さんの『探偵ガリレオ』も読みました」


 今度は鈴木先輩が目を輝かして食いついてきた。


「ホント!? じゃあシリーズ三作目の『容疑者Xの献身』は?」

「いえ、そっちはまだ」

「ああ、そう……」


 空気が抜けていく風船のように一気に萎んでいる。喜哀の落差がジェットコースターみたいだ。


「今度は何が不満だ?」


 結城先輩が呆れた表情で聞く。


「そもそもさ、あたしハウダニットって好きじゃないのよ。だってどうやったかなんて別にどうだっていいじゃん。専門知識でもアクロバティックなトリックでも何でもいいけど、要はこじつけじゃない?」

「偉い極論を言い出したな。そんなこと言っていたらミステリマニアのコミュニティでも居場所がないんじゃないのか?」

「そんなことないよ。カーが嫌いっていうミステリマニアだって結構いるよ」

「カーが嫌いな人間はトリックうんぬんじゃなくて、あの大仰な語り口が苦手なだけだろう」


 結城先輩は演技ポーズじゃなくて、本当に頭が痛いように手で押さえてため息を吐く。

 鈴木先輩はそれを見て頬を膨らませていた。


「とにかく一年生が歩み寄ってくれているんだから、おまえも否定から入るのはやめろ。気を使わせているぞ」

「別に否定しているんじゃなくて、何が好きかを最初から明確にしておいたほうがいいじゃん」

「だとしても程度を考えろ。俺と話しているんじゃないんだ」


 結城先輩は結構きつい言い方をしたが、二人が険悪な雰囲気になるということはなかった。

 日頃からこの手のやりとりに慣れているのか、お互いの間に信頼関係があるのかはわからない。

 結城先輩はわたしの方を向いて謝るように手を上げた。


「有村さん、すまない。悪い奴じゃないんだけどミステリの話になるとスイッチが入っておかしくなる」

「いえ、全然気にしてません。それよりもフーダニットとかハウダニットってなんでしょうか?」


 ミステリ用語らしいのだがわからなくて気になったのだ。

 すると頬を膨らませていた鈴木先輩が、再び目を輝かせてわたしの方へと身を乗り出してきた。


「興味ある!? 大丈夫、あたしが全部教えてあげるから!」


 あまりの顔の近さにわたしは思わず仰け反った。


「まず Who done itフーダニットは『犯人は誰か?』を推理するもの。クローズド・サークルって呼ばれる外界との隔絶された状況で起きる事件が多いけど、もちろんそうじゃないのもあるよ。

 大事なのは限られた容疑者の中から。作者からの『読者への挑戦』があるのはほとんどがフーダニットだね。

 How done itハウダニットは『どうやって犯行を成し遂げたのか?』を推理するもの。要するにトリック当てだね。密室がどうやって作られたのかみたいな不可能犯罪を扱ったものが多いよ。

 他にWhy done itホワイダニットっていうのもあって、これは『なぜ犯罪を行ったのか?』いわば動機探しだね。犯人の内面描写を重視したもので警察小説に多いかな。

 あとWhat done itホワットダニットっていうちょっと特殊な――」


 そこで結城先輩が、わたしの眼前まで顔を寄せていた鈴木先輩を強引に引きはがした。


「補足すると有村さんのあげた『探偵ガリレオ』は、超常現象にしか思えない事件を探偵役の湯川教授が科学で解き明かすっていう内容だから、ハウダニットの最たるものと言っていい。

 ただ三作目の『容疑者Xの献身』はハウダニットではあるものの、理系トリックの要素がなくて本格マニアにも受け入れられたんだ。さっきの鈴木の反応の理由はそういうこと」


「勉強になりました」


 わたしはどちらへともなくお辞儀をする。

 鈴木先輩のミステリ愛には圧倒されるが、その話に完璧についていける結城先輩も只者ではないと思った。


「じゃあ次は俺が簡単に済ませて一年生に移ろう」

「ちょっと待った。あたしはもう終わり!?」

「まだ喋り足りないのか? メインはあくまでも一年生なんだぞ」


 さすがにそう言われると、鈴木先輩もそれ以上は強く出られないらしい。

 結城先輩は立ち上がりはせずに、わたしたちの方を見て軽く頷く。


「二年一組の結城ゆうき恭平きょうへいです。俺は鈴木と違って得意なジャンルがないんだ。小説だけでなくノンフィクションなんかも含めてなんでも読む方だとは思う。広く浅くだと思ってくれていい。

 例外はあるけど同じ作家の本は三冊までしか読まない。だから申し訳ないけれど深い話には付き合えないと思う」


 結城先輩の話はそれで終わりだった。鈴木先輩の後だというのもあるが、さすがに簡略しすぎな気もする。


「それだけ? いくらなんでも短すぎでしょ」


 鈴木先輩もそう思ったらしくクレームを入れた。


「だからメインは俺たちじゃない。一年生の話を聞きながらそこに加わっていけばいいんだよ」


 それでも鈴木先輩は不満そうだったが、ひとまずは引くことにしたらしい。ただ最後に結城先輩評を付け加えた。


「謙遜してたけどさ、結城はホント馬鹿みたいに本を読んでるからね。どんな話題を振っても通じると思っていいよ。それとあたしのことをだいぶくさしていたけど、こいつもかなり面倒くさい奴だから。たとえば――」


 そこで鈴木先輩は言葉を切った。


「――ま、すぐにわかるだろうからいっか」


 そこまで言ったのなら教えて欲しい。凄く気になる。

 とにかく文芸部の先輩は二人とも一筋縄ではいかない人たちらしかった。


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