第2話【4月10日その1】歯医者や注射を済ませるように、いざ文芸部


 今日は寒の戻りで朝から冷たい雨が降っていた。ところが授業中に教室の窓から外を見ると白いものに変わっていた。まさか桜に雪が積もっている景色を見ることになるとは思わなかった。


 放課後、図書準備室のドアの前でひとつ深呼吸をする。

 わたしは昨日の帰宅後に自分にふさわしい部活がなにかを検討してみた。

 部活動紹介には参加していなかった部もいろいろと調べてみたが、やはり文芸部の第一印象での優位は動かなかった。

 楽そうだというはなはだ不純な動機は棚に上げておく。


 そういうわけで文芸部の活動場所らしい図書準備室の前にいるのだが、実はここに至るまでに二度ほど廊下を行ったり来たりし、さらに隣の図書室から準備室のほうを窺うという、ストーカーまがいの行動をしている。

 社交的な性格ではないと自覚している。初対面の人と話すのは苦手だ。

 そうはいっても先延ばしにするのにも限度がある。

 そもそも昨日の段階で部活動見学は可能だった。現にクラスメイトの中には早くも仮入部を決めてきた子もいるのだ。


 もし文芸部にも昨日の時点で新入生が入部していたとしたら、わたしは一歩後れを取っていることになる。

 人間関係がすでに構築されているところに後から入るのには勇気がいる。早めにその輪の中に入ったほうがいい。

 歯医者や注射といっしょで、どうせ済ませるのなら早いほうがいいのだ。

 わたしは意を決してノックをした。

 打てば響くように「はーい」という女性の返事があったので、わたしはドアを開ける。


「失礼します。こちらが文芸部でよろしいでしょうか?」

「うん、そうだよ。部活見学かな? どうぞ入って入って」


 女子生徒さんに勧められるまま室内に足を踏み入れた。 

 目の前には二つ合わせの長机とパイプ椅子。何も書かれていないホワイトボード。その周囲はスチールラックが取り囲み、当然だが本がぎっしり詰まっている。

 見える範囲はそれだけだが天井の空間は広い。

 後から知ることだが、書庫として本棚の並ぶ部屋の一角に無理やり場所をとったのが文芸部の部室ということらしい。

 書物に日光は禁物だからだろう、今日みたいに天気が悪い日でも暗幕カーテンが引かれていて蛍光灯がつけられていた。


「とりあえず座って。えーっとね、もうひとり来るから少し待ってて貰えるかな?」

「はい」


 わたしは返事をしてパイプ椅子に腰を下ろした。

 そして盗み見るようにその女子生徒さんを観察する。

 最初に浮かんだ言葉は女史だった。

 艶のあるショートボブに、赤のアンダーリムの眼鏡が似合っている。

 霧乃宮高校の生徒は総じて頭が良さそうに見えるが、この人もその例に漏れない。ただ机にかじりつくガリ勉型ではなく才気煥発というタイプだ。

 将来は法曹関係かなあと勝手に進路まで想像する。

 そんなことを考えていたら視線が合ってしまった。慌てて目を逸らしたがこれは逆に失礼だろう。


「待たせてごめんね。本でも読んでて」

「いえっ。大丈夫です」


 裏返った声で返事をしつつ、わたしはしまったと思った。

 文芸部に入ろうとしている者が暇つぶし用の本も持っていないのだ。これはいきなり印象が悪い。冷や汗がでる。

 そんなわたしの様子を緊張していると勘違いしたのか、女史さんが声をかけてくれる。


「緊張しないでいいよ。おっと、そういえばまだ名乗っていなかったね。わたしは二年の鈴木早苗すずきさなえ

「わたしは一年の有村ありむら瑞希みずきです。よろしくお願いします」


 言ってから一年なのは当たり前だと気がついた。

 その後もわたしが本を取り出そうとせずにかしこまっているのを見て、鈴木先輩から話を振ってくれた。


「どう? 霧高の印象は」


 最初はちょっときつい人かなとも思ったのだが、年下にも気を使ってくれる面倒見の良い人らしい。


「やっぱりみんな頭が良さそうに感じますね。見た目だけじゃなくて会話なんかを聞いていても」

「ははは。理屈っぽい奴が多いからね。間違っていても言い負かしたら勝ちみたいなところがあるから。相手にするのが面倒だと思ったら、さっさと降参したほうが疲れずにすむよ」


 なるほど。心に留めておこう。

 そこで気になっていたことを思い出した。

 同級生に聞いても知らないだろうから保留していたのだが、先輩ならわかるかもしれない。


「昼休みに廊下ですれ違った上級生の女子でスラックスを履いている人がいたのですが、霧乃宮高校もスカートとの選択制になったのですか?」


 最近は女子生徒でもスラックスとスカートの好きな方を選べる学校が増えていると聞く。

 ただ入学前に読んだ学校案内には書いていなかった気がするのだ。


「厳密に言えば校則違反だね。ただ昨今のジェンダーレスの流れがあるから黙認されてるの。生徒会でも議題にあがったから今年中に正式に改正される可能性はあるよ。有村さんもスラックスがいいの?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど。中学の時にはいなかったから、やっぱり高校は進んでるんだなあって」

「冬はスカートだと寒いしねー。でもスラックスだと足が短く見えるんだよね、まあスカートだと太い足が隠せないから、痛し痒しなんだけどさ」


 おお、乙女の悩みだと、微笑ましいとともに安心した。

 どれだけ頭が良さそうでも、というか実際良いのだろうけれど、やっぱり鈴木先輩も普通の女子高生なのである。


「それにスラックスといっしょにネクタイも正式に認められると思うよ」


 そう言いながら鈴木先輩が自分のネクタイをひらひらと振った。

 そこでようやく気がついた。

 鈴木先輩を最初に見た時に女史と思ったのは、ネクタイによるところも大きかったのだ。

 ちなみにわたしの胸元はリボンだ。クラスメイトもみんなリボンだった気がする。

 上級生はどうだったろう? 廊下ですれ違った人や、昨日の部活動紹介を思い返すが記憶に残っていない。


「鈴木先輩が特別ですか?」

「ううん。二、三年の女子ならネクタイが圧倒的多数派だよ。リボンのままなのは自他共に認める可愛い系か、まったく服装に興味がないっていう子だけじゃないかなあ」

「そうなんですか?」


 正式に認められていないものが多数派というのには驚く。


「スラックスと違って安いしね。リボンは野暮ったいし、男と違ってネクタイを締める経験が貴重だっていうのも大きいかも」

「なるほど」


 たしかに女性だと大人になっても、ネクタイをするのは限られた職業や状況だけだと思う。


「結び方にも流行りがあるから有村さんがネクタイにするなら教えてあげるよ。運動部だと一年生はネクタイ禁止っていうとこもあるけど、うちはそんなのないから」

「部として禁止なんですか?」

「体育会系の上下関係っていうやつなのかね」


 意図せずに学校生活の厳しさを知ってしまった。

 それはさておき、鈴木先輩の発言はそのまま受け取ってもいいものだろうか?

 言葉とは逆で、暗黙の了解で察しろということだったりするのかもしれない。

 しかしわたしの出した結論は、この人だったらそんな持って回ったことはしないだろうということだった。

 わたしはこの短い時間で鈴木先輩に好感を抱いていた。

 そんな風に会話が弾んでいるとノックの音がした。


「はーい、どうぞー」


 鈴木先輩が元気よく返事をする。


「失礼します。こちらが文芸部さんでよろしいでしょうか?」


 そう言いながら顔を覗かせたのは可愛らしい女子生徒だった。

 可愛いにも色々あるが彼女は日本人形のようだ。髪を揃えているせいでそう感じるのかもしれない。

 背は低く、百四十センチぐらいだろう。

 最初はひょっとして中学生かなと思ったのだが、制服は霧高のものだ。


「合ってるよ。部活見学でしょ? 遠慮せずに入って」


 もう一度「失礼します」と言いながら入ってきた彼女と目が合い、お互いに会釈をする。


「あたしは二年の鈴木早苗。少し待っててくれるかな、もうひとり来るから」


 ということは、先程言っていた待ち人は彼女ではないらしい。


北条ほうじょう亜子あこと言います。よろしくお願いします」


 北条さんはわたしと違って「一年の」などとは言わなかった。なんとなく負けた気がする。

 それはともかくわたしも名乗った。

 まだわからないが彼女も入部すれば、新入部員がわたし一人だけという事態は避けられる。やはり同級生の部活仲間というのは欲しい。

 そこで自分が文芸部に入部する決心をかなり固めていることに気がついた。

 パイプ椅子に腰を下ろした北条さんに鈴木先輩が話しかけようとした時、再びドアが開いた。

 入ってきたのは背の高い男子生徒だった。


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