泡沫候補たち

 世の中には努力の方向性を間違える奴がいる。

 ここは……いわば始末書に書くのも憚られるような些末なことだとか、私事だとか私見だとか。そういったものを書く場所だ。

 書いた奴がいなくならない限りは、誰にも見られることがない。代わりに、もしいなくなれば卒業文集みたいに見ることができるようになる。

 この場所に書かれた文章が人生最後の文章や日記になることもままあるし、そもそも遺言の体を成した文章さえある。どちらにせよ、研究所を去った人間のことなんか関知しないので知りようがない。

 そして、敢えてデジタル化していない。なぜならそれほど重要な文書でもないからだ。研究員の個人的な見解や愚痴などがあるだけで、機密という機密は無いに等しい。もしあっても、それらの類の情報はとっくに別の場所でデジタル化されているのだ。

 研究員一人一人に小さなメモ帳が配られる。何かあればそこにでも書いてろ、と。いわば「チラシの裏」ってやつだ。

 で、何を思ったか、そのメモ帳一頁目に、こいつはアドレスを書いた。その後の頁もずっとそうだ。

 唯一、一頁目だけ、アドレスの横に小さく『遺書』と書いてある。

 動画ファイルのURLだ。彼の独白を録画した動画がそこにはある。研究所や本人が言うところの「実験」だ。

 動画投稿サイトにあるわけでもなく、彼個人が所有している何らかのサーバー上で保存されていた動画らしい。手書きでアドレスを記し、mp4だとか、時には音声だけでmp3形式のものもある。

 このアドレスだけの頁というものが何十もある。

 ピクチャーロジックでもハマっていたのか知らないが、凝ったことにQRコードすらある。スキャンすると、そこには短い文章が出てくる。

 動画、音声、文章。絵は無いが……とにかく、様々な形で、こいつは自分の頭の中を曝け出して、そのまま死んだ。

 こうやっていろんな形にしたのも、実験の一環なのだろうかと疑問に思った俺は、このメモ帳に書かれているすべてのアドレスへアクセスし、すべてのQRコードを読み取っては、音声を聞き、動画を見て、文章を読んだ。

 全部徒労に終わったが。

 彼は特に何かを考えているわけでもなく、ただ奇抜な方法で言葉を残していっただけだった。だから彼が例の遺書動画のアドレスをよりにもよって一頁目に書いた意味もわからない。

 ただ……直感だが、一頁目にある遺書動画における彼の言葉だけが本物であり本心であるということだけはなんとなくわかった。

 以下、文章を抜粋する。


『自分が闇の中に沈んでると自覚しているのか?』

『家に帰ればアスレチックみたいに積み上がった洗い物が待っている』

『ヤツは飛んだ。飛べると思ったから飛んだ。実際、飛んだ』


 彼らは宙を舞っている。

 誰に向けられたわけでもない様々な言葉たちがそこにはあって、彼らはみんな何かを装っている。その上、行き場を失ったまま淡々とそこに存在している。飛べると思って飛び、実際飛べたはいいものの行き先がない。仕方なく天高く上ろうとしたら、羽の蝋が溶けて真っ逆さまへ落ちていく。

 底なしの空間をずっと。

 彼らはそんな存在だ。

 いわば何かを伝えるべく書こうとして、結果何も伝わらないような文章に成り果てたものたち。名分になろうとしてなれなかった泡沫候補の駄文たち。一見詩的ではあるが、この閉鎖的なアーカイブでしか日の目を浴びることのない彼らが、なんだか哀れにさえ思えくる。

 よくあるだろう、詩的なことを考えようとするときに限って、中身の空っぽなものばかりが次々生まれる様を。まあこの手記に限った話ではないが。

 彼が何を思い、実験と思考して死んだかは全くわからない。

 ただ、研究員の自殺ということもあり、研究所側としては格好の研究材料になることは間違いない。

 皆一様に彼の死を悼むような、そんな都合のいい話はないのだ。

 すべての頁に書かれたアドレス及びQRコードは、後日アクセスが遮断される予定だ。すべての文章、音声、動画はアーカイブ化され、許可制での閲覧となる。一頁目のアドレスにある動画のみ、後日書き起こしとしてもアーカイブ化される予定だ。

 閲覧可能な人間が限られているとはいえ、研究員も人間だ。自殺願望や希死念慮を発生させる研究員も増えている。これまでよりも一層慎重にならなくては。

 

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