灰色

「人生もう恥ばっかりで疲れちゃって」

「そうでしたか」

「それで生きてるのも恥ずかしくなって」

「なるほど」

「それで今朝方、死のうかなって思ったんです」

「良い決断だと思います」


 所詮は感情労働だ。

 自分の感情も相手の感情もコントロールしなくてはならない。

 そんな芸当、誰にだってできるもんじゃない。

 だからこの研究所にいる人間は頻繁に顔が変わる。人が変わる。外見も中身も。

 そしてゆくゆくは燃え尽きるバーンアウト


「最後の晩餐も用意してるんですよ、ほら。聞こえますか? この音」

「キュウリ……ですかね」

「前世は河童だったのかも」

「来世はまた河童になるかもしれませんね」

「そう思うかい?」

「時々私もそう思うことがあるのでわかるんです」


 嘘っぱちだ。

 そんなことは微塵も思っちゃいない。

 有耶無耶な流れになったせいか、電話口の男も笑っている。笑ってる場合じゃないんだが、これから死ぬって人間には好きにさせてあげればいい。

 俺が何に対してそう思うと答えたのか、どうせわかっちゃいない。

 これから死ぬってときに、そんなことはどうだっていいからだ。

 有耶無耶でもいいから、とにかく相手に共感してやればそれだけでいい。その上やんわりとアドバイスでもしてやれば、ますます気分を良くしてますます上手い具合に死んでくれる。


「でも、一つだけ気がかりがあって」

「なんでしょう」

「自殺って、自分を殺すってことでしょ。仮に自分自身であっても、殺すってのはなんだか響きが悪いなぁって思っちゃって」

「なるほど」

「自分自身を殺すってなんか他人を殺すよりも悪いことをしてるような気がしてしまって」

「よくいますよ、そういう方も……自分は悪いことをしようとしてるんじゃないかって心配になって電話をしてきたりするんです」

「そんな時は、どんな風に答えるんですか?」

「人それぞれですけどね……そうですね、例えば、そもそもなぜ悪いことなのかってところから考えてみるといいかも。自分を殺すんです。他人を殺すのとは全然違うんです。傷つくのは貴方だけで、その他には誰も傷つかない。まぁ例外はありますけど、そんなのは考えていたらキリがありません」

「うーん」

「例えば、自殺を罪に問うことはできません」

「まあそうですけど」

「もしくは、「殺す」と考えないようにする。あくまでも、「消えて、楽になる」。こう考えるんです。命を奪うわけじゃない。命をもっと楽な状態にしてあげると考えるんです。これは効果的ですよ」


 デタラメだ。

 根拠はない。

 根拠がなくても、自殺をしようとする人間はそんなもの気にしない。寧ろ極端にそのあたりを考える人間ほど、自殺を思いとどまって電話を切ったりする。

 そんなものはまっぴらごめんだ。

 こっちは死んでほしいだけだ。

 何も難しいことは言っちゃいない。


「じゃあ、死のうかな。なんだか決心がつきました」

「心置きなく。いってらっしゃいませ」

「ありがとうございました」


 通話はそこで途切れた。

 あとは彼次第だ。どの道こちらから何を言おうと、決めるのは当人だ。私達が殺すわけじゃない。彼らが勝手に死ぬだけだ。

 ただ死ぬ前に、二、三ほど会話をするだけ。

 それだけでいいんだ。

 本来、それだけのことなんだ。

 とはいえ……研究員の誰も彼もが鉄の心を持っているわけではないし、ロボットでもない。彼らは人間であって、一部を除く全員が人間の心を持っている。

 日々寄せられる自殺への執念や怨嗟や呪詛に充てられて、心を痛めてしまい精神病を発症させる研究員は多々いる。

 常に誰かがいなくなり、死んでしまい、去ってしまう。そして新たに人がやってきては同じようにいなくなる。不思議なことに代わりはいくらでも湧いてくるものだから人員不足もなんのその。

 だから手記も沢山ある。

 私の分が公開されるのはいつになるのやら。比較的長期間、私はこの研究所で自殺願望と接している。多分に漏れず、私も瘴気に充てられて変な体調になる。

 それでも私がここからいなくならないのは理由がある。

 去ることができないからだ。

 私は彼らの様々な感情が籠もった言葉の一つ一つを味わっていた。私が「灰色の感情」と独自に呼んでいるそれは、さっきも書いたような執念、怨嗟、呪詛みたいな「意味」達をたっぷりと含んでいる。いわば総称だ。

 そういう灰色の声を聞くことを、無意識に楽しんでいる。いや、ほんと。こんなブッ壊れた人間なんて他にいるのかってくらい。自分でもびっくりした。でもある時「楽しい」だなんて感情を認めた途端、もっと楽しくなった。

 電話越しに頭の割れる音がする時がある。

 悲鳴がする。嗚咽がする。破裂音がする。

 大きな物音がする。何かが弾ける。燃える。焼ける。途絶える。息絶える。

 生命線が断たれ、生が絶たれる瞬間の音。

 時折電話口の人間は、突然そんな音を立てる。そんな音がするような何かをおっ始める。

 私はそれを聞きたくてたまらなくなっていた。

 だから電話を切らずにそのまま自殺してもいいですよだなんて言ってしまう。できることなら電話は切らせてほしいと研究所は言うが、それでは本当に自殺をしたのか判明しないではないか。そういうふうに研究所に対し異議申し立てをしたこともあるが、却下された。

 理由?

 曰く「自分で考えろ」ってさ。

 まぁ、死ぬ間際に電話していた最後の相手が自殺願望研究所だとすぐにわかってしまっては、研究所としても都合が悪いのだろう。世間の目もある。政府の目もある。公安は……どうだろう。その辺は詳しくないが、とにかく研究所の面目を少しでもよくするための対策らしい。

 知ったことかと思っている。だから電話を切らせずに自殺をしてもいいだなんて言ってしまうのだ。


 それじゃあさよならと別れを言ったっきり、いつまで経っても物音がしないので「どうですか」と訊ねてみたら、「まだ生きてます」と返ってきたなんてこともある。

 その時はつい「自殺はしないのですか」と追い打ちをかけてしまった。

「やっぱりやめます」

「そりゃまたどうして」

「なんか馬鹿馬鹿しくなっちゃって」

「そうでしたか」

「辛いから死ぬって考えちゃったら、なんだか安直だなぁって。急に客観的に見ちゃったと言いますか」

「なるほど」

「すいません、わざわざ死にますだなんて報告しておきながら」

「いいんですよ。自分を殺すという考えを客観視できて、しかもその上で生きるか死ぬかの大きなご決断をしてのけたのですから、素晴らしいことです」

「ありがとうございます。なんかそう言われると自信が湧いてきました」

 で、極めつけは俺が言い放ったこれだった。


「人間なんて、そういうもんですよ」


 これが嘘かどうかって?

 そんなのこっちが知りたいね。

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