ディープフォレスト ~人魚は深い森の夢を見る~ (あやかし神社の探偵事務所:序章)
永遠こころ
ディープフォレスト
第1章『深い森』
001『目覚め:記憶喪失』
〝果たして、私はいつ目覚めたのだろう……。〟
コツコツと規則正しい音が聞こえてくる……。
目を開けて音の方を向いてみる。
見知らぬ部屋の反対側の柱に、古臭い大きな振り子時計がゆっくりと時を刻んでいる……三時半……朝だろうか……。
シトシトと乱れたリズムの音がする。
擦りガラスの窓の向こう側、時折吹き付ける風に雨が打ち付けられている。
私はゆっくりと身を起こし思わずつぶやいた。「ここは……?」
飴色にすすけた天井。六畳ほどの畳の間。腰の高さの擦りガラスの嵌った木枠の窓。その下の布団に自分は寝かされている。
部屋の向こう側の襖が出口のようだ。その横の柱に掛った振り子時計。脇に避けてある卓袱台。部屋の中央には傘を被った裸電球が暖かい光を放ちながらぶら下がっている。
レトロ感と言うよりは、どれも実際に使用され年季が入っているように見える。
――どう言う事だ? ここは一体どこだろう……。
畳に敷いてある布団から這い出した。
「ぐっ……」――頭が痛い! いや、身体のあちこちが軋む様に悲鳴を上げている……。一体何だこれは!
私は思わず大きな音を立ててそのまま床に転がった。
「おお、気付かれたと」
その時、襖が開き和装の小柄な初老の男性が部屋に入ってきた。「まだ、寝とりんしゃい」と言って男は私を布団の方へと押しやった。
私は布団へ寝転がりながら訊ねる。「あの、ここはどこですか……」
「西ん沢村たい。あんさん何処から来たと」
「あの、私は…………実家は鎌倉なんですけど……あの、どうしてここに居るかはわかりません」家はしっかりと思い出すことが出来たのだが、この場所に来た経緯はまったく記憶にない。
「あんさんしこたま頭打っとるとよ、その所為かもしれん」男は心配そうにそう答えた。
私は頭に手を当て初めて包帯が巻かれていることに気が付いた。
身体の方を向いてみる。
浴衣からはだけた手足の至る所に痣がある。――何故?
「あの、これは……どういった状況でしょう」
「あんさん、村の端の崖下に転がっとったげな。畑ん見回っとった栄作が見つけてな運んできたたい」
「はあ……」――まずい、まったく記憶にない話だ……。
「軍人さんにも見えんし、もしかんすると、山向こうの蓮池んとこのトンネル工事の作業員が道間違うて、来たんかもしれんて話になって介抱したと」
「そうですか……」軍人? 蓮池? 全く身に覚えのない話なのだが……しかし、大学生の頃よくパチンコで掏って、日雇いの現場に入った経験はあるので何とも言えない。いや、そう言えばついこの前に失業したばかりだった。今回ももしかするとそんな話だったのだろうか……。
「ところであんさん、お名前は」
「あ、私は
「わいは
――西沢渓谷温泉? 聞いた事の無い場所だ。それに主人の口調は九州の北の方のだろうか。訛りがある様に聞こえる。私はバイトでこっちの方へ来ていたのだろうか……。
「まあ、朝までもうちょい寝とりんしゃい」
「はい……」
主人は電気を消して部屋を出ていき私は布団に横になった。
一体どう言う事だろう。確かに仕事を失いバイトを探していた記憶はあるのだが……こんな名も知らぬ場所にまでほんとに来てしまったのだろうか? これではまるで何かに騙されているみたいだ……。そして、何だか……途轍もなく……いやな予感が……する……。
……それから、しばらくして目が覚めた。
振り子時計の時刻は既に八時を指している。外は明るいがまだ雨が降っている様子だ。
いつの間にか布団の脇に丁寧に畳まれた衣服が置いてある。――どうにも浴衣は着慣れないな……。
軋む体に鞭を打ち、布団から這い出して置いてある服にそでを通した。
――まだ少し湿り気がある……。
ズボンは紺色のごつい綿のニッカボッカだろうか……。ウエストのひもを結んだ。いつもはLeeのジーンズを愛用しているので自分のズボンではないはずだが妙にしっくり馴染んでいる……。下着は木綿のシャツ。上着はごつごつした綿の作業服で所々に破れがある。――崖から落ちたときに破れたのだろうか? 確かにこの服ではどこかの作業員に見える。
しかし、どの服も見た事の無いものだが着てみると妙にしっくりとして、これが間違いなく自分の服であるとわかってしまう……。
――これは、一体どう言う事だ?
「ん?」
作業服の胸ポケットに何かある……。
取り出してみると千切れたメモの一ページ。
〝セイラを探せ〟
「え?」――セイラ? 人の名前か? 誰? だがこの文字は間違いなく自分の字……。一体どう言う事だろう……。
何一つ思い出せない。一体どこから記憶を失っているのだろう。確かワリの良いバイトを探していて面接を受けたのは覚えている……。あの人の名前は、確か石堂……やけに大柄で筋肉質のインパクトのある人物だった。
それに、持ち物はこれだけなのだろうか。いつも持ち歩く財布やスマホはどこ行った?
服を着替えた俺は脱いだ浴衣と布団を丁寧に畳み、ゆっくりと襖を開けた。そこは板張りの玄関口になっていてくたびれた長靴の様な革靴が置いてある。この靴もみたことは無いが自分の物だと判ってしまう……。――どう言う事だ……。
乾かす為だろうか、新聞紙が詰め込まれている。私はそれを引っ張り出した。
「…………」
――横書きの文字の広告が右書きにになっている……。確か左書きに統一されたのは第二次世界大戦後の昭和二十年あたりだったと思う……。
新聞の日付は昭和十年五月と六月になっている。――八十年以上前の新聞? なぜこんな古い新聞を使ったのだろう……。
私は靴を履き引き戸を開き外へ出た。
板張りの長い廊下。所々にぶら下がる裸電球。目の前に下へと降りる階段。廊下の左右にはここと同じような引き戸が四つずつ並んでいる。
「これは、まずいな……まずい」
私は、大学生時代にバイクに乗ってよく旅をした。休みがあるごとに日本中を駆け回っていたのだ。そして、いつも貧乏だった私は頻繁に民宿や温泉の湯治場などに宿を取ったのだが……。
ここの造りは確かにそれらによく似ている。だが、決定的に足りない物がいくつかある。
消火器・避難誘導灯・非常口……。消防法に定められたそれらの無い宿は見たことが無い!
軋む床板を踏んで廊下を突き当りまで歩いてみる。
客の居ない事を示す引き戸の開きっぱなしの部屋を覗く。自分のほかに客はいない様子だ。
どうやら広さの違いはあるようだが、造り自体はあの部屋と大差ない。
普通置いてあるだろうテレビやコンセントの類も見当たらない……。
廊下の突き当りの窓に来た。壁に箒と塵取りが掛けてある。
外は木枠の窓を揺らし、激しく雨が降っている。そして目の前に広がる鬱蒼と茂る森。時折吹き付ける強い風に木々が揺れている。
私は呆然とそれを眺めた。
「目え覚ましましたと」
「!」突然、背後から声を掛けられ驚いた。
「お早うございます」私は慌てて返事した。
「食事できとうけ食べんしゃい」
「はい」
私は主人の後に着いて行き自分の部屋へと戻った。卓袱台を開きお盆を乗せる。ご飯に味噌汁、野沢菜の漬物に醤油の掛かった寄席豆腐。実にシンプルな日本の朝食。
そこで私は意を決し主人に尋ねてみた。
「あの、すみません、今日は一体いつですか」
「七月十日たい」
「……」――七月十日……。雨が降っているので涼しく感じるがもう夏と言ってよい季節。「……それで、あの、今は何年ですか?」
主人が一瞬心配そうに眉を顰める。
そして、訝しみながらもゆっくりと慎重に答えた。
「今年は昭和十年たい」
※地域的には九州の唐津周辺を想定しております。ただし主人の訛りは客商売なので緩めて比較的共通語混に設定してありますが、間違い等ありましたら指摘ください。
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