二人だけの時間(とき)

橘/たちばな

出会い

雲一つない青空による快晴が続く。

都内にある北王高等学校の校門からは無数の生徒達が他愛のない話をしながら下校していく。その中に混じった水無月詩帆は周りの誰にも付いていこうとせず、ただ一人で鞄を肩に下げながら歩いていた。詩帆は北王高校の三年生になる。進学を選ぶか就職を選ぶかの進路相談等で忙しい時期の真っ只中でありながら、進路が全く決まらない上に将来はこれといってやりたい事がないという状況であった。学校では持ち前の容姿端麗さで男子からは注目の的にされ、一部の女子からは容姿を理由にした僻みの目や態度や振る舞いが気に入らない等と白い目を向けられたりと周囲の存在がうざったく感じている上に親しい友人もいない虚無的な学校生活を送っており、休日には時々幼馴染かつ彼氏である文月達也と会って遊んだりしていた。下校中、詩帆の鞄から着信音が鳴る。スマートフォンのコミュニケーションアプリ『LAIN』上での対話相手からの返信の知らせであった。対話の相手は達也である。今度の週末に会えるかどうかのメッセージを送っていたのだ。メッセージの返信内容は「すまん、今週もバイトがあるから無理」だった。

「はぁ……今週も会えないわけ……」

達也は詩帆とは別の学校に通っており、現在は週末を中心としたアルバイトに励んでいた。達也もまた進路が全く決まらない状況であり、バイト生活で将来を見つけようとしているのだ。詩帆も先日はホールキッチンスタッフのバイトをしていたが、待遇の悪さと人間関係が上手くいかないせいですぐに辞めてしまい、自分にとって有益そうな新しいバイトを探している状態でもあった。溜息を付いてスマートフォンを鞄の中にしまうと、詩帆は不意に足を止める。三人の女子高生が寄ってたかって一人の女子高生に絡んでいるのだ。絡まれている女子高生は、地味で大人しそうな印象を受ける黒髪の少女だった。制服は、全員北王高校のものである。

「あの子って確かクラスメートの……」

三人の女子高生に絡まれている黒髪の少女は、詩帆のクラスメートである鷹塚円佳であった。

「で、ちゃんと持ってきたの?」

「は、はい……」

円佳が万札を何枚か差し出すと、女子高生の一人が乱暴に万札を受け取る。

「へ~、あんたって案外金持ってるんだ。あんたでもバイトしてるわけ?」

円佳はオドオドした様子を見せながら俯く。その様子を、女子高生の一人がスマートフォンのカメラ機能で撮影し始めた。

「ははは!こいつのオドオドしたところ、面白いから写真撮っといたよ!」

撮影された円佳の画像を見ながら、馬鹿にするように面白がって笑い始める女子高生達。これはどう見ても苛めだ。そう感じた詩帆が円佳にたかっている女子高生達に接触を試みた。

「何やってんのよあんた達。いつまでもいい気になってんじゃないわよ」

「は?何なのよあんた」

「あ、こいつ知ってる!3年2組の水無月詩帆だよ」

三人の女子高生は一斉に詩帆に近づき始める。詩帆は軽く溜息を付き、その場に鞄を置く。

「こっそり見てたけどさっきその子から金取ったでしょ。返してやりなさいよ」

「うっせぇな。あんたには関係ねぇだろ」

「そうだよ、こいつの代わりに金払うってんなら返してやってもいいけど?一人一万円だから合計で三万円かなぁ」

詩帆は怯えた様子の円佳を見ながら、女子高生達に鋭い目を向ける。

「バッカみたい。あんた達みたいな奴らを見ていると胸糞悪いわ」

「はっ、何その態度。ムカつくんだけど」

女子高生の一人が詩帆を小突き始める。

「汚い手で触るんじゃないわよ。制服が汚れるわ」

「何だとこの野郎!」

詩帆の挑発を込めた一言に頭に血を登らせた女子高生の一人が殴りかかる。詩帆は地面に置いた鞄を思いっきり女子高生に投げつけ、鳩尾目掛けて思いっきり蹴りを入れた。

「ぐっ……げほっ!がはっ……」

詩帆の蹴りを受けた女子高生は鳩尾を抑えながら唾液を吐き出し、悶絶する。円佳から奪った万札が地面に散らばり、即座に拾っていく詩帆。その様子を見た取り巻きの女子高生達は思わず怯み、逃げ出してしまった。詩帆は鞄を拾い、円佳の傍に寄る。

「さあ、行くわよ!」

「あ、あの……」

「いいから早く!」

円佳は手を引っ張られる形で詩帆に連れて行かれる。五分後、二人は商店街の路地裏に辿り着いた。

「ここまで来たらもう大丈夫よ。ほら、お金も取り返したから」

詩帆は円佳に三枚の万札を返す。

「助けてくれてありがとう」

「礼には及ばないわ。奴らのやり方が色々気に入らないと思ったから助けただけよ」

詩帆は円佳にハンカチを差し出す。

「これは?」

「使っていいよ。涙目だったから」

円佳は詩帆のハンカチを受け取ると、そっと目元を拭う。

「あなた、このまま真っ直ぐ帰るの?せっかくだから途中まで送ってやるわよ」

「え……いいの?」

「さっきの奴らが性懲りもなくまた来るかもしれないし、一人よりか二人でいる方が安心じゃない?」

笑顔でそっと手を差し伸べる詩帆。円佳は詩帆の厚意を受け、共に帰路に就く事にした。帰り道で詩帆と円佳が共にいれるのは、学校の最寄り駅までであった。

「あたしとは逆の方面の路線だったのね。それじゃあまた」

「うん……ありがとう」

詩帆と円佳は軽く別れの挨拶をして別々のホームへ向かう。お互い逆の路線を利用しているのだ。詩帆と別れた後、円佳はふと詩帆の後ろ姿を見て胸が熱くなるのを感じていた。


電車の中、詩帆のスマートフォンの着信音が鳴り始める。画面を見ると、達也からのメッセージであった。お互い会えない日は暇を見つけて『LAIN』を通じた会話をしていた。メッセージ内容は、「お前、何かバイト始めた?」との事。まだバイト探し中の詩帆は即座に「まだ探し中」と返信する。すると「ちょうど良さそうなやつをバイトの先輩から教えられたんだが」という返信が来た。

「ん?ちょうど良さそうなバイト?」

興味津々の詩帆はバイトの詳細を聞こうとする。達也からの返信は「着ぐるみバイトで時給1200円。先輩曰く、そこに乗り換えようと考え中」であった。

「着ぐるみバイトって……暑い時期にはキツすぎるバイトじゃないの」

詩帆は期待外れと言わんばかりにスマートフォンの画面を消した。



―――翌日。見事に寝坊してしまった詩帆は大急ぎで学校に向かっていた。結果、遅刻してしまい、教室に入った時は既に授業が始まっていた。教師からの一言注意を受けつつも、授業に取り組む詩帆。昨日助けた円佳は詩帆とは席が離れている。一限目の終了のチャイムが鳴ると、円佳が声を掛けてきた。

「水無月さん……昨日はどうも」

「ん、どうも」

「実はね、水無月さんの事……」

「え?」

「あ、いや。えっと……ここだと言いにくいから、昼休みにちょっと付き合ってくれていいかな?」

「は?いいけど」

詩帆は何だろうと思いつつ、鞄の中を探る。

「あーー!やっば。数学のノート忘れてたし!」

あちゃーと額に手を当てる詩帆。寝坊で急いでいたせいでうっかり数学のノートを忘れていたのだ。

「だったら私のノート貸してあげるよ」

円佳がノートを取り出し、2ページ分を切り離す。

「お、ありがと!それくらいあれば十分よ」

「へへ、どういたしまして」

役に立てたのが嬉しかったのか、円佳は笑顔を見せていた。二限目、三限目、四限目が終わり、昼休みになる。詩帆は屋上へ向かう。円佳が誰もいないところで話がしたいという事で屋上に行くつもりなのだ。屋上には、円佳がいる。円佳はペットボトルの水とサンドイッチといった簡易な昼食の最中だった。

「来てくれたのね」

「こんなところに呼び出して何だっていうの?」

「うん……二人きりの方が落ち着けるかなって思って」

詩帆は円佳の不思議な雰囲気に何とも言えない気持ちになっていた。

「私が貸したノート、数学で役に立った?」

「ん?立ったわよ。おかげで助かったわ」

「それならよかった」

「まさかそれが言いたくてここに呼んだわけ?」

「いいえ。本題はここから……私、水無月さんの事、密かに憧れてたの」

「は?あたしに?」

詩帆は驚きの表情を浮かべる。

「水無月さんって、私と違って綺麗だし、アイドルでもおかしくない程の容姿端麗って雰囲気だから羨ましいなーって思ってたんだ。おまけに飾らないし、昨日私を助けてくれたから……」

円佳は俯きながら少し顔を赤くしている。

「な、なに言ってるのよ。あたしなんて全然大した奴じゃないわよ。いきなり持ち上げたりして何考えてるわけ!?」

「えっと……あの。もしよかったら、私と……友達になってくれたらなって……」

「友達?ま、まあいいけど……あなたは付き合う分としてはマトモそうだし」

詩帆は円佳の挙動に少し戸惑いながらも、円佳に笑顔で手を差し伸べる。

「あ、ありがとう。あ、詩帆って呼んでいいかな?」

「いいよ。だったらあたしはマドカって呼ばせてもらうわ」

「うん!よろしくね、詩帆」

円佳は詩帆の手を握る。


やわらかくて温かい手……これが、詩帆の手なのね……。

詩帆の手を握っていると、何だか胸がドキドキしてくる……この感覚、どう表したらいいのかな……。


「ね、ねえ……あたしの手、そんなに気に入ったの?」

円佳はずっと詩帆の手を握っていた。



放課後―――。


「詩帆、今日も途中まで一緒に帰っていい?」

声を掛けてきたのは円佳だった。詩帆はいいよ、と快く承諾すると円佳は喜びの表情になる。

「ねえ詩帆……SNSとかやってる?」

「LAINくらいしかやってないわよ」

「ちょうどよかった!アドレス交換していいかな?」

「いいよ」

詩帆はLAINのアドレスリストに円佳のアドレスを追加する。詩帆のアドレスリストに登録されているのは達也と円佳のみであった。

「詩帆が登録してるアドレスって他に誰かいるの?」

「いるわよ。一人しかいないけど」

「え、誰?」

「休日たまーに会う幼馴染の男子よ」

「え……」

円佳の表情が一瞬固まる。

「ん?どうかしたの?」

「あ!いえいえ!そ、その男子も詩帆のお友達だよね!」

「ま、まあそんなところね」

すぐ笑顔に切り替える円佳だが、その目はどこか笑っていない様子だった。



帰りの電車の中―――詩帆は、LAINを通じて達也と会話していた。


『何だか妙な子とお友達になっちゃったわ』

『妙な子?誰だよ』

『クラスメートの女子よ。マドカっていう地味な感じの子なんだけど』

『へえ……まあ、男じゃなければ別にいいけど』

『何だか密かにあたしに憧れてたとか、昨日クソ女どもから助けてもらった恩もあるとかで、それであたしに近づいてきてって感じでね』

『お前に憧れてた?ははは、まさか』

『本当だっての。ま、いろんな人がいるってところかしら』


そんな会話を繰り返しているうちに、電車は既に自宅への最寄り駅に到着していた。



一方、詩帆とは反対の路線の電車に乗る円佳は座席に座り、鞄の中から何かを取り出す。病院から処方された薬だった。円佳は処方された薬をぼんやりと眺めていた。

「ゴチャゴチャうるせぇんだよ!」

「何だとてめえ!」

突然聞こえてくる怒鳴り声。不良のような雰囲気をした若い男性と強面の年配男性が激しくいがみ合っているのだ。騒然とする車内。円佳は二人の男性の怒鳴り声を聞くと、身を震わせながら耳を塞いでいた。



次の日―――詩帆は学校のトイレでリップクリームを唇に塗り、マウススプレーを口に吹きかけていた。そこに円佳がやって来る。

「うわ!釣られてトイレに来る!?」

「え?普通にトイレに行きたくなったから来たんだけど、来ちゃまずかった?」

「んな事ないわよ」

「あ。何かオシャレでもしてたんだ?」

詩帆のリップクリームとマウススプレーを見て円佳が悪戯っぽく笑う。

「ま、まあそんなところよ。それに、女子はエチケットも大事だからね」

「そのリップクリーム、私に貸してくれない?」

「え?別にいいけど」

「マウススプレーは何味?」

「クールミントよ」

「チョコ味とかはないの?」

「ないわよ」

そんな他愛のない会話を交わす二人。それから、詩帆と円佳は学校生活のみならずLAIN上で積極的に話したり、昼休みでは共に昼食を取ったりとお互い友達関係だと打ち解けるようになっていた。小学生の頃から同性との関係に恵まれなかった詩帆にとっては初めての同性の友達が出来た事もあって、今までにない喜びを感じていた。



週末の放課後―――詩帆は円佳と下校していた。

「ねえ詩帆、今週の日曜日って暇?」

「うん、バイトとかしてないから思いっきり暇だけど」

「だったら遊びに行かない?初デート……じゃなくて!女同士のお出かけってところで」

「ああ、いいよ。できれば家の中で過ごしたくないし」

「やった!それじゃ、待ち合わせ場所はバチ公前で!」

「はーい」

約束を交わした後、詩帆と円佳は駅のホームで別れ、それぞれの路線に向かっていった。



詩帆が自宅に帰ると、母の浩子が夕飯の支度をしていた。詩帆の家族は父親と母親との三人家族であり、父は帰宅時間が遅い関係で平日は詩帆と浩子の二人で夕飯の時間を過ごしているのだ。

「詩帆、あんた将来はどう考えてるわけ?ちゃんと進路相談受けてる?」

浩子が不機嫌そうに聞いてくる。

「受けてるわよ。どっちかというと就職で考えてるけど」

「どんなところで働きたいか考えてるの?」

「そこまではまだよ」

「まだ?あんた、さっさと考えたらどうなの?一年なんてあっという間よ」

「言われなくても考えとくわよ!もう、食事中にそんな事聞くのやめてよ」

「それこの前も言ってたよね。大体あんた、将来何かやりたい事あるの?」

「さ……さあね?」

「さあって何よ」

「……まあ新しいバイト見つけてそれで何とかやりたい事を見つけるからさ」

「ああそう。大した成果出なかったら承知しないよ」

浩子の尋問に詩帆はウンザリしていた。パート勤めの身である浩子は勤め先での事情でストレスを溜め込む事が多く、事あるごとに何かと詩帆に小言を言うのは日常茶飯事であった。



円佳の自宅は、スナックバーを経営していた。商店街の片隅にあるこじんまりとした店であり、客足は今一つで経営難に陥っていた。店内では酒に酔った中年の男によるカラオケの歌声が響き渡る。円佳は自室に籠り、制服を脱いで私服に着替えようとした瞬間、不意に体の中から混み上がるものを感じて部屋を飛び出し、洗面所へ向かう。

「うっ……げほっ!ぐっ……」

口を手で押さえ、激しく咳込む円佳。口から離した掌には、血が広がっていた。円佳は吐いた血を見て呆然としていた。


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