ハイネ=グレーマン教授の殺人魔法考
本木蝙蝠
第1話 アンリエッタと落ちこぼれの掃きだめ
前提として、魔法で直接人を殺すことはできない。それは魔法陣に書き込まなければならない記号に由来するが、とりあえずは割愛する。ここでまず述べておかなければならないのは、直接人を殺すという「あり得ない」はずの魔法を研究する、今までの常識を覆しうる学門が「殺人魔法学」というものだということだ。
ざっとまとめるとこのような話で殺人魔法学概論、その初日の授業が終わった。私を含めこの授業を受講している十数名がまばらに席を立ち、昼食に向かう。私は辺りを見渡し自分の知り合いがいないことを確認する。仕方がないので売店でハンバーグ弁当を購入してから研究室へ向かった。
私が所属する研究室は「殺人魔法学研究室」だ。そう、つまり先程の授業「殺人魔法学概論」の先生であるハイネ=グレーマン教授の研究室である。
私は弁当の入ったビニール袋を左手に下げ、研究室の扉を開けた。するとグレーマン教授がひとり机に複数枚の写真を広げ、それとにらめっこをしている。
「お、お疲れ様です」
「ん? ああ、君か」
グレーマン教授は一瞬だけ私の顔に目をやり、すぐに写真へ視線を戻した。相変わらず愛想のかけらもない人だ。教授は綺麗な銀髪で、青色をした目はすべてを見透かされているように錯覚させる。その上身体は引き締まっている。ありていに言って美形の男だ。これで愛想と性格と猫背が治れば、さぞおモテになるだろう。
「何をしてるんですか?」
「見たらわかるだろう。殺人事件の検証作業だ」
教授は時折、警察から依頼を受けて殺人がどのような魔法によって引き起こされたかを調査、と言うか考察する。
魔法は確かに「直接」人を殺すことはできない。例えば炎の魔法を放ったとして、その炎が人を焼き殺すことはない。しかし炎の魔法を家に放ち、燃え移った炎が人を焼き殺すことはできるのだ。つまり魔法は人を直接殺さないが、副次的に殺しうるということである。
「あぁ、またか」
教授はそう呟くと椅子から立ち上がり、魔力通信端末を手にして研究室から退出した。おそらく依頼されていた事件のトリックが解けたのだろう。
教授はあくまで「殺人魔法」の研究者であり、「魔法殺人」の研究者ではない。魔法の副次的効果による殺人には興味がないのだ。教授が警察からの依頼を受けるのは、あくまでその事件の中に、行使するだけで任意の人物の生命を奪う「殺人魔法」によるものがあるかもしれないと期待しているからだ。しかし今回も殺人魔法による事件ではなかったらしい。
私は袋から弁当を取り出し、蓋を開ける。さしておいしそうでもないハンバーグを口に入れる。付け合わせの野菜とハンバーグを交互に食べていると、教授が戻ってきた。
「どうでしたか?」
「つまらない事件だったよ」
「そうですか」
教授は終わった事件のことをあまり話さない。完全に興味が消え失せてしまうのだ。こういった所も彼の天才たる所以なのかもしれない。
私もあまり詳しい話は知らないが、ハイネ=グレーマン教授は幼少の頃から神童と言われていたそうだ。あらゆる分野で優秀な成績を修めていたが、中でも魔法学に関するセンスは一級のものだったらしい。しかし彼が最も興味を抱いたのは殺人魔法だった。それは存在しないはずの絵空事で、お偉い方は頭を抱えたそうだ。そんなことを研究しても無駄だからである。
メジャーな分野に興味を抱かなかったものの、お偉い方はその才能をできる限り利用しようと考えた。そのため教授は大学から迫害されることもなく、二十八という若さで教授の椅子に座っている。教授の研究のどこかを利用できないか、と画策しているのだ。
とは言っても、ほとんど研究成果のない殺人魔法学研究室は大学において、目の上のたんこぶである。故に生徒からの評判も悪く、この研究室に入るのは余程のもの好きか、私のような成績不振の生徒だけだ。
「ところで」教授が弁当を食べ終わった私に声をかける。「君はさっきの授業を受けていたね」
「え、あ、はい」
「どうだった?」
「え?」
「だから、私の授業はどうだった?」
「あー」良かったんじゃないですか? と出てきそうになった言葉を飲み込む。「いつもと変わりませんでしたよ」
「……わかってるじゃないか」
「変にお世辞とか言ったら、教授は最悪単位くれないでしょ」
「違いない」
私は弁当の箱をビニール袋に入れ、席を立った。
「そう言えば、この時間って教授会があるんじゃないですか?」
教授はハッと馬鹿にしたように息を吐く。
「私利私欲にしか興味のない者たちの足の引っ張り合いに何の意味がある?」
そうですね。あなたはそういう人でした。私はしかめた顔を見られないように研究室から出た。
大学は大きく二つの建物からなっており、次の授業は研究室のある建物である一号館とは別の二号館で行われる。ここから二号館へ行くには中庭を通らなければならない。しかし中庭は雑音も、見たくない顔も多い。そのため私は遠回りになるが一号館の裏を通り、駐車場から二号館に行くことにした。
「よっしゃ、一点!」
私が駐車場に入った時、子どもの高らかな声が耳に入った。何事かと思えば、十歳くらいの少年二人が魔法で遊んでいた。
「ちょっと、危ないでしょ」
私は彼らをいさめるために近づいた。
例えば今少年たちが使っている炎を飛ばす魔法は、人間の目の前、正確に言うならば十センチ手前に来ると消滅する。これを利用して子どもはよく魔法を飛ばし合って遊んでいるのだ。しかしこれはなかなか危険だ。まあ危険だからこそやりたいという子供心は理解できなくもないが、ここは年長者として一つ言っておかなければならないだろう。
私が近づくと少年二人は「ゲッ」と失礼な声を口にした。
「なんだよ」
全く生意気な子供である。
「ダメでしょ。もし炎が車に当たったら無事じゃすまないよ?」
「そんなミスしませーん」
「そんなダサいことしませーん」
くそ、聞く耳を持たない。
「でもね」そう口にして、私はあることに気付いた。「ほら! こんなところに焼けた跡があるじゃない!」
子供が遊んでいたところのちょうど五メートル後ろくらいに立っている一本の木。その一部が焼けたように変色していた。
「僕じゃないもん」
「僕でもないよ」
彼らはそう白を切るが、当て損ねた炎が木に当たったのは明白だ。
「もう、ダメじゃない! 下手したら火事になるんだからね!」
「だから違うって」
あくまで白を切るつもりらしい。
「もう良いよ。頭の固い大人はほっといて別のところいこーぜ」
少年の一人がもう一人を引っ張り行ってしまった。全く近頃の子供は危なっかしい。
私は鉄の扉を開け、二号館へ足を踏み入れる。ここからコの字に歩くと広間に着く。コの字の中の空間は庭園のようになっているが誰も入ることはできず、ただ窓から見れるだけだ。
授業までどこで時間をつぶそうかと考えていると、背中に重みを感じた。
「どーん」
そう言って私に乗りかかってきたのは、友人のシルヴィア=シークランドだった。
「ちょっとやめてよ、シルヴィア」
私は笑ってシルヴィアを身体から離す。
「良いじゃない、ちょっとくらい。私とアンリの仲でしょ?」
ウリウリ、とシルヴィアが頬を擦り合わせてくる。シルヴィアのくせ毛かかった毛先がこそばゆい。
「はいはい。確か次の授業は同じのとってたよね? 一緒に行かない?」
「もちろん。でもその前に、ちょっと買い物しても良い?」
シルヴィアが売店の方を指さした。私は頷き、彼女と歩幅を合わせる。彼女の長い髪の毛が揺れるのが眼に入る。改めて見ると、シルヴィアはかなりの美人である。スレンダー体型であることや、毛先だけくせがかかっていることを本人は気にしていたが、むしろ彼女の魅力を引き上げているように感じられた。
売店は目と鼻の先だ。私は外で待つと言い、シルヴィアだけ中に入るよう促した。その瞬間である。
「熱い!」
悲鳴に近い声が、左から聞こえる。私が眼にしたのは、灼熱の炎に焼かれ、もだえるように動き回る人間だった。
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