セットピース ~魔法探偵と怪盗と殺人~
静嶺 伊寿実
前編:怪盗からの予告状と魔法使い
湖を
着いたところの廊下の中央の扉の前に、ダブルスーツを着た一人の男性が待っていた。
探偵、
「『本日宵の口、貴殿が持つ【水の石】を頂戴しに参ります』だと。なんだ、この怪盗セラビという奴は」
英語で怒鳴る男性の声をさえぎるように、
「いかにも、魔法石ばかりを狙うタチの悪い泥棒です」
スイートルームにいた三人の人間が手を止めたままこちらを見る。一人はソファに座り、他二人の女性は立ったままきょとんとしていた。
「はじめまして、大臣。水の石は魔法探偵の私が必ず守ります」
「なんだね君は」
一人掛けソファに座ったままこちらを下から見上げた大臣は、生え際は頭頂部まで後退しており残った髪は眉と同じ銀色で、常に下がった口角は他を威圧する迫力を持つ。立っている
もしかして服の気合いが足りなかったかな、と部屋に備えつけられた鏡を見て後悔した。
今回は
「ふん、魔法探偵か。そんなものいらんと儂は言っただろう。帰りたまえ」
大臣は丸い鼻をならして、
なぜ自分がここに呼ばれたのかを言おうとしたら、先程ドアを開けてくれた男性が先に口を開いた。
「しかし大臣、魔法探偵には実績があります」
と、フォローしてくれる。細身の身体をグレーのダブルスーツで包んだ四十歳くらいの男性は黒髪を七三にぴっしりと分け、柔和な笑顔で大臣に話しかける。
「先月、土の国の者から魔法具が盗まれたことがか?」
くだらんと言わんばかりに、大臣はどっぷりとした頬を右手に乗せて窓の外に広がる湖と雪山を見る。
先月狙われたのは土の国が保有していた「土の石」だ。だが
「いいえ、その時は土の石が狙われたのですが、魔法探偵によって土の石が守られたのです。魔法探偵は怪盗にとって効果的であると言えます」
黒地に花の刺繍が施されたワンピースを着たポニーテールの若い女性が、さらに大臣に訴えかける。
「大臣、私達だけで怪盗に対する防御方法が完全にできると思えません。ここは専門家に任せるべきだと存じますわ」
肩まである金髪を手で払いながら、眉間にしわの入った五十歳前後の女性が静かに言う。
「それにここで魔法探偵を帰すと責任問題は……」
金髪女性の言葉が終わらない内に大臣が口を三角に開けた。
「ならば仕方ない。君、名前は」
「
「ではミサキ君、ここに居たまえ。しかし儂らの邪魔はしないようにな。まあ座りなさい」
大臣は茶色のチェックスーツを正すと、手で部下たちらしき三人に合図した。
スイートルームは広さ五〇〇平米の客室を三つに間仕切り、応接室となる真ん中の部屋がいま
「紹介が遅れたな、ミサキ君。儂はデリックと言う。知っていると思うが水の大臣だ。隣に座っているのがスラスト、水の国の事務次官を務めておる」
金髪の女性が「どうも」と大きな灰色の瞳で凝視しながら握手を求めてくる。眉間だけではなく口元にもしわが見え、薄い唇と細い眉からは強い意思を感じさせる。敵にしない方が良さそうだなと思いながら、
「次にそこに立っているのがサフィス、儂の秘書をしておる」
七三のグレースーツの男性が胸に手を当てながらお辞儀をしてくれた。四十歳ほどのサフィスはくしゃっと笑った顔が茶色い目と相まって、犬のオールド・イングリッシュ・シープドッグのようだ。
「それからメイドのミアシャムだ」
「ぜひミアと呼んで下さい、ミサキさん」
一瞬なんのことだか分からなかったが、愛称で呼んでくれとのことに気付き、一拍遅れて返事をした。
「はい、私のことも
優雅に大臣の元へと帰るミアの後ろ姿を見て、
「それで水の石はどちらに」
「これのことかね」
大臣は大きな左手に
銀でできた太い指輪に、紫色をまとったような深い青の宝石が
これが水の石か、
魔法石、魔法使い達は遥か昔より、魔法石と呼ぶ宝石と共に生きてきた。魔法石は魔法族だけが使える魔力のある宝石のことで、魔法使いが魔法を使用する際に必ず持つものだ。非魔法使いが魔法石を持っていても魔法は使えず、逆に魔法使いも魔法石が無ければ魔法は使えない。魔法使いが魔法石を持って、初めて効力を発揮するのである。通常の一般的な魔法石は、一つの魔法石につき一種類の魔法しか使えないが、かつては幾人もの魔法使いが協力し合って魔法界を支えていた。
しかし世界中を巻き込んだ戦争で、多くの有力魔法使いが亡くなり、また魔力を持った魔法石が非魔法族へと転売流出したことも重なり、現代で魔法を使える人間は激減した。それまで非魔法族と積極的に交流するのを拒んでいた魔法使い達も、現在は非魔法族と同じ社会でひっそりと生きている。
魔法石には二種類あり、一種類しか魔法が使えない一般的な魔法石と、最上級魔法石と崇められる特別なものがある。その最上級魔法石を「
火の石ルビー、水の石サファイア、風の石エメラルド、土の石ダイアモンド、雷の石オパール、これら
五つの
「君は魔法探偵だそうだが、今回も以前と同じように阻止してくれるんだろうな」
大臣の威圧するようなゆっくりした太い声が、
実は前回の怪盗セラビを追い詰め、計画を阻止したのは
「もちろんです。全力を尽くします」
「ところで怪盗というのはどんな奴なのかね」
「魔法石ばかりを狙う泥棒で、変装が得意なので
魔法界にも警察組織はあるが、何か事が起きてからの後処理を専門にしているため、事前に防ぐためには自力でどうにかするか、魔法探偵の助力を得るかしかない。(ちなみに魔法警察は人数が多いわりになにかと忙しいので、普段成りすましている非魔法族の仕事を切り上げて早く帰ったり、非魔法使い特有の飲み会というものをキャンセルしがちだったりする)
魔法使いや魔法石の存在は、非魔法族には混乱や扇動を避けるため内密にせねばならず、そのため魔法石を、ましてや「
「非魔法族であるにも関わらず魔法石を狙うと言うのか」
「話にならん。非魔法族が魔法使いに挑むなど、そんなのに魔法具を奪われた土の国の者は一体なにをしているんだ。せっかく来てもらったが、君にできることは無いだろう。儂は部屋に下がらせてもらう。儂の部屋はそのドア以外に出入り口は無いからな。一般人には何もできないだろう」
大臣は
大臣の言う通り、一般人には何もできない。現代の魔法ではどんな魔力や高等技術を持っている魔法使いでも、人そのものを別の場所から現したり、移動させたりすることはできない。それそこ
大臣が立ち上がると、二メートル近くあろうか
「最後に一つだけお願いがあります」
「大臣がお持ちの水の石は、一体どんなことができるのかお教え下さい」
「君は魔法探偵のくせにそんなことも知らないのか」
「申し訳ございません、私は風の国なので勉強不足です……」
「まあ良い。儂もそんなに見せびらかしている訳ではないからな。ほら、見ておれ」
大臣は熱々の紅茶が入ったカップを左手で持ち上げると、
「これが水の石の力だ。他にも天候を変えたり氷を出したりできるが、まあ使いこなすには時間もかかるし、他人には教えられない呪文もあるからな。これが一番簡単で分かりやすい魔法だろう。これでいいか」
大臣は凍ったままのカップをそのまま秘書のサフィスに投げ渡すと「今は何時だ」と秘書に尋ねた。サフィスはカップを持ったまま左の袖をまくって腕時計を覗く。
「日本時間で午後四時三十五分です」
「日の入りの時間は」
「午後五時三分です」
大臣は「夕食は六時だったな」と続けざまに確認すると、ずんずんと自室へ進む。
「ありがとうございます!」
「すみませんね。決して悪い方ではないのですが、大臣はどうにも人見知りする傾向がありまして」
秘書のサフィスは凍ったカップをローテーブルに置きながら
「さて、探偵さん。僕達に何か手伝えることはありませんか。ここに居る者達は水の石が盗まれることを良しとはしていません。できる限りのことがしたいのです」
「私も同感です」
コーヒーを運んで来たミアもサフィスの言葉に賛同した。
「分かりました。まずは皆さんが持つ魔法石と魔法を教えて下さい。組み合わせによっては怪盗に太刀打ちできるかもしれません」
「では僕から」
サフィスは
「これはソーダライト。僕の魔法は、まあ少しならいいか、霧を発生させるものです。こんな風に」
パチンとサフィスが指を鳴らすと、部屋の照明がぼやけていき、テレビも鏡も外の青空もだんだん薄くなっていった。まるで雲の中にいるようだ。パタンと懐中時計の蓋が閉まると、霧はあっという間に晴れた。
「これが僕の魔法です。半径五メートルくらいなら濃い霧が出せます」
「もう、急にやらないで下さいよ。手元が見えなくてコーヒーこぼすところだったじゃないですか」
ミアがぷんぷんとサフィスに詰め寄る。天使のようなのに幼児のように可愛い。サフィスは「ごめんごめん」と言いながらそそくさとソファから離れて、「ちょっと様子見て来ます」と言いながら、大臣の部屋へと逃げた。
「じゃあせっかくなので、次は私ですね」
ミアがカチューシャの
「はい!」
とミアが白いリボンをほどいた瞬間、リボンが六十センチ以上ある細い剣になった。
「びっくりしました? 私のカチューシャについているカイヤナイトは武器を身近な物に
ミアは剣をリボンに戻して髪に
「わたくしの魔法はすでにかけてあります。この鏡がそうですが、わたくしはこのブローチのセレスタイトでどんな鏡も『真実の鏡』にするのです」
「真実の鏡ですか。具体的にはどういった効果なのでしょう」
「真実の鏡とはその名の通り、どんな変装や変身をしていてもその者の真の姿を現してくれる鏡です。あなたがこの部屋で見た鏡も、すでに真実の鏡にしてあります。あなたが奇抜な恰好で入って来た時にわたくしは鏡を見ましたが、あなたはそのままの姿で鏡に映っておりましたので、わたくし達を騙そうと入ってきた輩ではないと分かっておりました」
言葉に若干のトゲを感じたが、信じてくれていることなのかなと
「スラストさん以外が見ても、真実の姿は映されるものですか?」
「もちろんです」
「非魔法使いが変装していても、この鏡では正体がバレますか?」
「当然です。相手が誰であろうと関係ありません」
「効果時間は?」
魔法石が同じでも魔法を使う者の魔力によって、魔法の威力や持続する時間は異なる。
「わたくしの場合は一ヶ月もちます」
それはすごい魔力だと
「それで、怪盗への対策は思いつきましたか?」
事務次官のスラストはコーヒーをすすりながら、細い眉をさらに寄せて鋭くこちらを見る。正直なところ、大臣を取り巻く三人はさすがあの大臣が選んだだけあって隙が無い。事務次官が見破り、秘書が霧で撹乱し、メイドが剣で攻撃する。大臣自身も防衛や攻撃の手段を持っているのだから、
「ここは十階、怪盗は非魔法使い。ならばこの応接間を必ず通るはずです。なので私はここで待つことにします」
「そうですか。サフィス、大臣の様子はどう?」
「大臣は、非魔法使いなら心配はない、夕食の前に風呂に入ると言って、お風呂へ入ってしまいました」
サフィスはそのまま窓辺へ立った。日本の雄大な景色を目に焼き付けているのか癒やされているのか、大自然に向けて大きく伸びをしている。耳をすませばかすかに水の音が聞こえたが、壁に耳でも当てない限りはっきりとは聞こえないほどに防音されているようだ。
「まあ、お風呂に入ってしまったのね。書類の確認をしてほしかったのに。仕方ないわ、わたくしもお風呂にしましょう」
事務次官はコーヒーを持ったまま執務机に座り、時たまコーヒーをすすりながら羽ペンをさらさらと動かし始めた。
「お風呂が二つもあるんですか?」
茉空は事務次官スラストの邪魔にならないように、小声でミアに聞いた。
「そうなんですよ」
茉空が飲み干した紅茶のカップを下げながらミアが答える。作業を終えたらしい事務次官は大臣の部屋へと書類のたばを持って入って行った。
「大臣のお部屋にあるお風呂は日本のヒノキでできたもので、私達のベッドルームにあるのはジャグジーです。ああ見えて大臣も事務次官もお風呂好きなんですよ。ここのホテルは外の景色が見える開放的な二つのお風呂に、それぞれシャンパンまでついていて、なかなか見ないサービスぶりです」
ミアはすかさずクッキーやロイヤルミルクティーを茉空の前に出してくれた。置いたところで高い声を出す。
「いけない、大臣がお風呂に入ったのなら、いつもの飲み物を用意しなきゃ」
と言い終えるか否やで、大臣の部屋とは反対にあるベッドルームへ走って行く。なんだろうと茉空が思っていると、手持ち無沙汰なのか秘書が答えてくれた。
「ゴッドファーザーですよ」
茉空の相手をしてくれる秘書の隣を事務次官が横目で見ながら通り過ぎたが、サフィスはその視線に全く気付かず茉空と同じソファに座った。スラストはそのままベッドルームへと引っ込んで行く。おそらくバスタイムを有言実行するのだろう。
「映画の?」
茉空はサフィスとの会話を続けた。
「いいえ、カクテルのことですよ」
「カクテルも作るんですか」
茉空が驚いたところで、部屋にノックが響いた。廊下に通じるドアからだ。一瞬茉空とサフィスの間に緊張が走る。互いに目くばせをして、サフィスが廊下へと出た。
一分くらいでサフィスが戻って来た。両手にはいっぱいの洋服。
「今朝頼んでいたクリーニングですよ。どうやらベルトが間違えて入っていたようです」
サフィスは茶色に乳白色のバックルがついたベルトを見せながら苦笑していた。こぼれる歯はバックルよりも白く、こんな人と一緒に働けたら充実しそうだなと茉空は思った。サフィスはそのまま自分達のベッドルームへと進み、アルミケースを持ったミアとすれ違った。
その後は、まるで重要品のように扱われているウィスキーボトルやカクテル用品を手際よく扱うメイドの姿に惚れ惚れしたり、日本が初めてというサフィスとミアの二人の外国人と何が美味しかったかで盛り上がったり(サフィスは蟹やホタテ、ミアはソフトクリームとの回答だった)、年齢の話になって意気投合したり(サフィスは三十八歳、ミアは二十五歳、茉空は十九歳だと打ち明けた)まるで茶会のように会話を楽しんだ。
「そういえば水の大臣はなぜ北海道へ?」
もう五杯目になる紅茶をすすりながら茉空は尋ねた。ミアの淹れてくれる紅茶は毎回お茶っ葉が異なるようで、何回飲んでもその度に香りと味が違い、いくらでも飲める気がする。
「大臣はああ見えて、いえ失言でした、大臣は自然をこよなく愛しております。特に冬の季節がお好みで、北海道はどこへ行っても雪や山、そして動物達がおります。都市部を少し離れただけで澄んだ空気の中に舞うパウダースノーが見られますし、なによりこのような美しい夕日も見ることができます」
サフィスはまるで晩餐会で紹介するような口調で、身振りを混じえて話した。
茉空もつられて全面窓に目をやると、雲も湖面も
そんな思いが伝染したのか、ミアが小声で言った。
「宵の口……もう日暮れの時間だわ」
三人は部屋にかけられた壁時計に目を移した。午後五時二分。そろそろ予告の時間だ。
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