第78話
ミーアから誓約書の写しと共に、龍の生息地と巣があると思われるポイントを記したこの国──ラグス・ダタルナーグ王国の地図を受け取った。
「随分高そうな地図に書き込んでくれたな」
「少しでもお役に立つのなら幸いですわ。まだまだ足りない分はどうぞ私のから──」
「それはいりません」
心の中の「いるもの」「いらないもの」と書かれた箱の後者にそっと入れておきたい。主に俺の心の平安のために……恐ろしいほどのプレッシャー、鎮まれ、鎮まるんだ俺の股間。
「リュー様はいけずな事ばかりおっしゃります……ところで、魔力操作の方が上達されましたか?」
「そうだな操作はそこそこ上達していると思う。魔力の圧縮なら前回の千分の一、直径二ミリ程度の大きさまで圧縮した状態をリラックスして持続出来るようになったし、自分が認知しうる範囲へなら正確に移動させる事が出来るようになったが、だがそれ以上の精密な操作が行えない上に魔眼が使えないので術の発動が出来ない」
そう言って実際にやって見せる。
以前のように垂れ流すことなく身体の中に留めてあった魔力の一部を切り離して身体の外へと押し出す。すると店内の照明器具が強い光を放つ。
「相変わらずの上質の魔力ですわ」
そう呟く、ミーアの右手の中指の指輪にはめ込まれた黒い石も輝き強い光を放っていた……前回は気付かなかったが、これを使って魔力を見ていたのだろうか?
その魔力の塊を小さく圧縮していく。圧縮空間で魔力は密度を増しながら激しく渦巻いていく。
「まさかこれほどとは……」
圧縮された魔力の塊にミーアは右手を差し出すように伸ばしていく。中指の指輪の石には先ほどの眩いほどの光は無く、光沢すら無く、ただ全ての光を吸い込む物体化した闇の様に見える。
「僅かな魔力の漏れすらないなんて」
石に手を翳して光を遮り覗き込みながら呟く……やはり魔力に反応して光を放つ、この店の照明と同じ──もっとも精度は上げてあるのだろうが──魔道具なのだろう。
豆粒よりもずっと小さな、圧縮した魔力を指先で弾いて圧縮を解除する。しかし開放された魔力は、この部屋の照明と指輪の石をフラッシュライトのような閃光を迸らせただけで、空しく霧散した。
「随分と器用な……ここまで大きな魔力を、ここまで圧縮されるのを見たのは、私は初めてです……」
驚いたというか呆れたような顔をしている。
「そうか、確かに以前よりは上達したとは思うけど、比較対象がいないから分からん」
取りあえずは器用と呼べる程度までは上達しているみたいだなが、後は魔眼さえ使えるようになればな……
「魔眼の方は毎日練習は続けておられるのですよね?」
「毎晩、寝る前に一時間程度は」
ついでに現実世界の方でも……とは言っても、全く上達の気配すら感じられない魔眼の方よりは、魔力操作の方に傾倒してしまっているとも言える。
要するにテスト勉強の息抜きが息抜きでならなくなってしまうパターンだ。
何て言うか、切欠となる何か、もしくはもっと大掛かりなブレイクスルーともモノが無いと魔眼は無理な気がする。
「ここまで魔力操作が上達しているのに、まだ魔眼が使えないというのはおかしいですね……自分の魔力を正確に感じられないならここまでは……」
もしかして俺って才能無いのか? 良くあるファンタジーの登場人物のように、強大な魔力を秘めながら魔法の行使が出来ないって奴か? そうだきっと重大なイベントを乗り越えると魔法が使えるようになってチートになるんだよな……そうだと言ってくれ、頼むから!
「もしかして、いえ、まさか……あのですねリュー様は、魔粒子という言葉をご存知ですか?」
「勿論知っている」
失礼な、この店で買った『基礎魔法入門』にしっかりと記されている魔法用語だ。魔素とも呼ばれる存在で、魔法はこの魔粒子に魔力で干渉することで発動すると説明されていた。
本の中でも詳しい説明は無かったが分子、原子などの事であろう。それらを直接魔力で操作する事で効果的に物理現象を引き起こすと考えている。
特に気体など、例えばある空間内に存在する空気全体を移動させるよりも、分子単位で操作し移動させた方がより少ない力で効果を得られるはずだ。
本で詳しく触れられていないのは所詮ファンタジー世界では分子や原子という目で確認出来ない存在を説明する事が出来ないからだと考えている。
唯一の魔粒子の性質について説明らしきもので『魔力のみで干渉出来る』とあるが、現実世界でも分子ピンセットの開発に成功したとかしないとかレベルなのに、このファンタジー世界では魔力以外の方法で分子や原子を操作する方法がある訳がないので当然だろう。
「もしかして魔粒子について誤解があるかもしれません」
「誤解?」
「はい、元々魔粒子という存在は正確には分かっていないために書物などにそれを記す際は、どの著者も『分からない』とは書かずに曖昧にして誤魔化す傾向があるため、師について習わずに本を読んで独学で学ぶ方には誤解される方が少なくないと聞きます……リュー様も、私が説明する前に得ていた魔力に関する知識などは独学で身に着けたのではないでしょうか?」
「ああ……」
その通りだよ。
「それでは魔粒子の事を目には見えないほど小さな粒のようなものと思われたのではないでしょうか? そして魔眼とは小さな魔粒子を見るための特別な視力を与えるものだと?」
「ああ……」
全くその通りだよ。だけど、そこまで察しがつくほど良くある失敗なら、最初から教えてくれよ!
「本にも書いてあったはずですが、魔粒子とは世界に遍く存在する粒子です。その性質は魔力によって干渉され、魔力、または他の魔粒子以外には干渉されることはありません。そして……これは本には書いてなかったと思いますが、基本的に魔力も魔粒子以外の物体に対して直接的に影響を与えることはありません」
うん?
「待ってくれ。魔粒子は物体なのか? それに基本的ってどういうことだ?」
「何らかの物体だと思われています。そして魔力は物体には影響を与えないといわれていますが、圧縮した場合には星石などの魔石に注ぎ込むと内部から砕くほどの圧を与える事があります。また心に直接的に働きかけることがありますが、これは人体の中の魔粒子に影響を与えているとも言われていますが、正確なことはまだ分かっておりません」
要するには体験的にこうだと判断されているだけで、実際のところはどうかは分かっていないってことか。
「それじゃあ、結局魔眼って奴はどうすれば身につくんだ?」
「簡単です。二つの魔力の塊を作り出して、身体の外に取り出して並べて下さい」
「圧縮する必要は? それに形や大きさはどうする?」
「形は球状で問題ありませんし大きさは拳大ほどで、それに圧縮も必要ありません」
「分かった」
言われるままに拳大の魔力の球を二つ作って目の前に浮かべる。必要ないと言われたのだが自然に圧縮されるのが俺クオリティーだ。
「それでは一方を目の前に浮かべたままにして、もう一方の魔力の塊を遠くに移動させてから、勢い良く一方へと移動させて拳一つ分の間を空けて急停止させてください」
良く意味が分からないが一々聞いても意味が無い。どうせやれば分かることなのでやってみる。
右側の魔力の塊を五メートルほど右手にゆっくりと移動させてから、自分が制御出来るであろう限界の速度で左側の魔力の塊を目掛けて動かす。
拳一つ分──十センチの距離ギリギリにまで接近させて停止させるつもりだったが、停止させた魔力の塊と左側の魔力の塊の間の距離は予想を大きく外した。
何故なら減速に入った次の瞬間、左側の魔力の塊は見えない何かに押された様に左へと動く。
勿論俺は、左の魔力の塊に対していかなる操作も行っていない……これはどういうことだ?
「魔粒子が魔力によって干渉されるように、魔力も魔粒子によって干渉を受けます。今の実験は魔力によって押し出された魔粒子が、もう一方の魔力の塊に衝突して、それを押し退けたという事を確認してもらいました」
「なるほど、だがこれが魔眼の会得にどうやって……いや、そういう事か、つまり魔粒子自体を直接認識する事は不可能だが、自分の魔力を介して魔粒子を認識するという事が魔眼の正体だと」
「はい、その通りです。目に見えないほど小さな粒というよりも、最初から目には見えないのです」
クソッ! クソッ! 魔眼だと言うから、てっきり魔力を眼に集めれば良いと思って必死に、これでもかと高圧縮をかけた魔力を眼に集めてはグリングリンと回転させたり眼球全体を覆ったり、コンタクトをイメージしてレンズ状に変形させたりと色んなことを試した苦労は何だったんだ? ……つうか、今思い返すと凄い間抜けで恥ずかしいんだけど、あぁぁぁっ!
「クス……」
「だから他人の心を勝手に読むな!」
「ですが、あんなに強い感情と共にまざまざと回想されては……ふっふっ……失礼しました。無理でございます」
「結局魔眼とは、一定の範囲を魔力で満たして、その中に存在する魔粒子の位置や形、運動と量などを自分の魔力を通じて把握するということで良いんだな?」
それが俺の導き出した答えだ。
「その通りです。その魔力で満たされた範囲の事を【場】と呼びます」
「最初に説明しろ」
「まさかご存じないとは思わなかったもので、申し訳ありません」
……嘘だな。
「はい、嘘です」
「他人の心を勝手に覗いて悪びれる様子もないのに素直に嘘を認めるな! ……何を言ってるのか自分でも分からん!」
「落ち着いてください」
「誰のせいだ」
「お詫びとしてこれをお納めください」
そう言ってミーアは一冊の本を差し出していた。
「『基礎魔法入門Ⅱ』……二巻目が存在したのか」
受け取ってページをめくってみると、魔粒子操作についてかなり突っ込んで書かれている。
前の本はナンバーが無かったし、ある魔粒子を上下に振動させると熱が発生して近くの可燃物を発火させられるとか、初歩の初歩的な事しか書かれていなかったので、本当に基礎で入門なんだと納得していたよ。
「リュー様には必要かと思い用意しておきました。その本に書かれている魔粒子操作が基本になります。全ての火・水・土・風魔法はそれを基本とした派生に過ぎません。【場】の中の全てを把握し理解する。それが世界を知る事だと言われています。その本はまさに世界の扉への鍵です」
恐ろしいほどの先読み。いや違う、これを用意してあるからこそ、ミーアはこの状況に持ち込んで、ごく自然に渡す口実とする、そのついでに俺をからかって楽しんだ……流石は性悪魔女。
「……そんな照れますわ」
「それで照れるな。そしてしつこい様だが心を読むな」
「ですが、あんなに優しい気持ちで性悪魔女なんて呼ばれたことはありませんから」
紅潮した頬を隠すように両手を当てる様子はまるで少女のようでもあり……こいつ歳は幾つだ?
「それには教えられません」
つまりは答えられないような歳か。
「リュー様?」
一気に部屋の温度が下がった。いかん、これでは寝ている二号とエロフが凍死してしまう。起きろ、起きるんだお前たち。凍死してても良いから起きて俺を助けてくれ。
「ところで、龍は角以外も売れるのか?」
未だ倒れて目を覚まさない二号を収納してから店を出がけに尋ねてみる。
「その皮、骨、肉など全てが高値で、特に血と牙と爪は角ほどではありませんが、とても高値で取引されています……私にお任せいただけますか?」
水龍は角以外はネハヘロの町においてきてしまったし、火龍は……またシステムメニューがうるさそうなで止めておく。
「いや、今日狩る分を売れるなら売ろうと思ってな」
「それは……是非にお願いいたしたいところですが、龍の身体は全てとても貴重な品なので出来るのならば全て回収したいのですが、秘密を守りたいリュー様にとっては無理なことですよね?」
確かに……
「先ほどの誓約に俺個人に関して知りえた全ての情報も秘匿すると加えてくれるなら、龍の全身を回収出来るように便宜をはかっても構わないが?」
「それは構いませんが、回収のために人手を使った場合は、私からではなく、その者達から情報が漏れるのを防ぐのは難しくなります」
なるほどね全員が商人という訳じゃないから制約なんて意味がなくなってしまうわけだ。
「俺としてはお前から情報が漏れないと確約されるだけで十分だ」
「? ……分かりました。では手続きをいたします」
手続きを終えてから一つ問題があることに気付いた。
「ところで、龍の身体を回収して解体や保管する場所はあるのか?」
「それは大丈夫です。この店舗以外にも特別な場所を幾つか持っています。ご心配ありがとうございます」
そうにっこりと笑顔で答える。俺を驚かせようという意図があったのだろうが驚かないよ。
「それなら一度、龍の解体を行える場所に招待して貰えないか?」
「勿論構いませんが……」
俺が全く驚かないので怪訝そうな表情を浮かべながら答えた。
店舗の奥、バックヤードへと続くのだろうアーチ型の出入り口を、仕切るカーテン状の薄く光沢のある布を手で避けながらくぐると一坪にも満たない正方形の薄暗い部屋出た。
部屋の中には何も置かれておらず、ただ店舗へと続く出入り口のある壁を除く三面の壁にはそれぞれ扉があった。
「どうぞこちらへ」
ミーアに導かれて右手の扉をくぐると広い部屋に出る。
学校の体育館ほどはありそうな空間で、床には大理石とおぼしき石畳が敷き詰められ、壁は白く塗られたレンガで造られていて、壁に様々な道具類が置かれた棚が置かれているが、それ以外は何も無い殺風景な部屋だった。
「ここが解体作業に使われる部屋です。最近はほとんど使われることが無かったのですが、二代前のオーナーの頃には龍、時には巨人などが解体されていたと聞きます」
巨人いるのかよ。しかも狩っちゃうのかよ。
「じゃあ、ちょっと試させて貰う」
そう言ってから部屋の中央まで移動し【所持アイテム】内から火龍を選択して取り出した。
「こ、これは……」
「これが俺の能力だ。狩った龍を持って来て、ここで出せばいいんだろ?」
火龍を収納してから答える。
「ああ……は、はい」
混乱しつつも火龍が消えたことへの悲しい声を上げる、こんな風な妖艶な美女というのもギャップがあってとても良いものだった。
「わ~い、いきなりだ!」
【所持アイテム】内から放り出された二号の第一声である。『道具屋 グラストの店』で気絶させられて、気づけば水龍との戦闘準備終了状態と知れば多少ヤケになるのも分からないでもないので許してやろう。
いつも以上に上から目線なのは、ミーアに弄られた事に対する八つ当たりだ……どんどん酷くなっていく気がするが、俺自身のストレスが色々と酷い事になっている。
「良かったな。何もせずに龍と戦えるチャンスなんて早々ないぞ」
「稀な事例だからって誰が喜ぶんだよ!」
世の中には何の価値も無いとしか思えない物でも、希少って二文字がつくだけで有難がる奴もいるんだ……理解しがたいがな。
「良いだろう。死んだって死なないんだから」
「僕を戦わせようって言うのかい? 言っておくけど死ぬよ。すぐに死ぬよ! 時間の無駄だから止めておいた方が良いよ!」
「もうセーブは済ましてある。どうせ巻き戻す時間だから惜しくはない。龍がどの程度のものか身体で覚えておけ、普通こんな貴重で危険な経験をノーリスクで体験出来るなんて事はないんだから、しっかり味わって自らの宝としろ、食べ残ししたら何度でもやり直させるからな」
「逃げ道を全部ふさがれたよ!」
「いい加減、死に慣れろ」
「死に慣れるなんて言葉は無いよ!」
「言葉として存在しない出来事に巡り合わせてくれてありがとうと言っても良いんだぞ」
「誰が礼なんて言うか!」
「何と我儘な。もし俺がお前なら喜んで礼を言うし、謝礼も払うぞ。死ぬまで自分の限界を突き詰める事が出来るだぞ。こんなの大島にだって不可能な修行なんだぞ。そこまで自分を追いつめる事が出来たなら俺は大島をこの手でぇぇぇっ!」
「……大島って人の事は分からないが、どうやら君をそこまでゆがめたのはそいつだね?」
うん、大正解。
「まあ【死に慣れる】が、何時か辞書に載った時はお前の名前が刻まれるかもしれないな。その為には強くなって歴史に名を刻むくらいになっておかないとな。それくらいにならないとお前の目的は果たせないんだし」
「ますます逃げ道が無くなるぅ!」
いい加減諦めて楽になろうぜ、全てを受け入れてしまえば気分だけは少し楽なるんだから。
ロロサート湖。イーリベソックを西の湖畔に抱く湖であり、最初の水龍が生息していたネーリエ湖よりも大きく、形状が左45度から見たひよこ饅頭に似た形で、最大長は琵琶湖に劣るが、最大幅で大きく上回る。ラグス・ダタルナーグ王国の最大級の湖らしい。
現在俺たちがいるのはロロサート湖の東の湖岸というか崖。
岸壁から数メートルも離れると直ぐに国境の付近に連なる山まで続く深い森に包まれるという場所で、周囲には町や村、そして集落も存在しない。
「なあ、こんなに美しい景色の下で、水龍のような化け物が棲んでいると思うと……全部まとめて地獄へと変えてやりたくならないか?」
「何を物騒なことを?」
「いや、ふと思ったんだよ」
「思うなよ!」
いや思ってしまうんだよ。
今回の水龍はかなりデカイ。ミーアの情報では全長が三十メートル程度という……身体の大きさが戦力を決定付ける訳ではないと赤い人も言っていたような、いなかったような気もするが、成長の度合いを示す目安なのは確かだ。
そしてより成長を遂げた個体が強くなるのは必然だ。
水龍の攻撃パターンは憶えているが、前回の水龍以上に成長していることから、より強力な攻撃手段を持っている可能性も高い。
実際、水龍以上に成長していた火龍はブレス攻撃以上に強力な攻撃を角から撃ち出してきたのだから。
心が荒んできても仕方の無いだろう。ミーアには出来るだけ強い龍の居場所を教えろと言ったが、俺だって龍が怖くないわけが無い。
前回の水龍との戦いで腕と脚をまとめて斬り飛ばされているのだ。
戦うという強い意思と、相手を恐れる感情は別物であり、両者の間で折り合いをつけるために必要なのが勇気だが、果たして俺に本当の意味での勇気などあるのだろうか?
「という訳で、俺がおびき寄せるから、お前が突っ込んで水龍の戦力を確認するんだ。基本は無駄に巨大な図体を利した攻撃だろう。控えめに言って一撃で死ぬから動いて避けろ。次に厄介なのがブレス攻撃で、糸の様に細く高圧の水流を放出し刃物以上の切れ味で触れたものを切断する。基本的にその水流は人体では一瞬たりとも遮るのは不可能、一瞬で貫通する。それを首の動きに合わせて自在に放出するから、それを避けて動き続けろ」
「どうやって避けろというんだよ?」
正論だが、それは教えて貰うものでは無い──「その答えが見つかるまで付き合ってやるから安心しろ」
「そう言われると何か感動的ですらある台詞だけど、実際は鬼畜の所業だよね」
早い段階で【精神】関連のパラメーターのレベルアップ時の数値変動を無効にするように勧めたために、二号の肝はまだ、赤ちゃんの首並みに座ってない……単純にレベルアップによる精神面の強化など許さない。指導する立場として自分が通って来た「慣れと諦め」という道を後進達にもたどって欲しいと思うのは我儘だろうか?
「言っただろ『戦う時というやつは勝手に向こうからやってくる』ってな」
「そういうのって普通運命が運んでくるものだよね。他人が勝手に運んでこないよね……そもそも君から聞いた覚えが無い」
俺にも言った憶えはない。だが大島から言われた記憶ならある。
「何を馬鹿のことを、人と人の間で生きている者に訪れる運命って奴の半分は人為以外の何ものでもない。つまりこれからもお前に起こりうる運命の多くは、お前に対して圧倒的かつ一方的な影響力を持つ俺によって引き起こされるんだよ……楽しみだろ?」
うん、これも間違いなく大島に以前言われた……大島の薫陶が勝手に口を突いて出るとは、人として終わりなのかもしれない。
言っている事は人として間違っている気もするが、そもそも大き過ぎる風呂敷を広げたのは二号自身である。自分で広げが風呂敷は自分で畳まなければならない。
そのためには最低でも俺と同じレベルの理不尽な目に遭わなけれどうにもならないと思うのだった。
「何を楽しめば良いんだよ!」
「強くなることを楽しめ。普通はこんな機会なんてないから感謝して良いぞ」
最初の計画ではレベル十程度のレベリングに付き合う予定だったが、次第に二号自身の要求もあり目標レベルは上がり続けている。
訓練内容が厳しくなるのは当然である。
「もっと優しくしてくれよ!」
真剣な表情で訴えてくる二号。それ対して俺は……
「申し訳ありません。当店では優しさは取り扱っておりません。もしよろしければ代わりに岩を砕く波のような父の厳しさはいかがでしょうか?」と答えた。
このままレベル五十くらいまで引っ張ったら身体能力だけでも精霊の加護持ちにも匹敵するだろう。
他にも知能、魔力などのアドバンテージが……何で俺は加護持ちの身体能力を知っている? やはり俺は精霊の加護持ちと……くっ、頭が、意識が…………ふぅ、何かどうでも良くなってきた。
「どうしたんだい?」
俺の様子に気づいた二号が心配そうに尋ねてくる。
「いや、ちょっと考え事が……これからのお前を思うと楽しすぎて」
「心配して損したよ!」
二号に威力偵察という名目の鉄砲玉をさせる前に、空中移動を使えるようにする必要があり結構時間が取られることになった。
まだレベル二十一なので身体能力的には長時間は難しいが、水龍相手に長時間戦えるとも思わないので十分だろうと思ったのだが、意外に適正があったようで、わずか二時間足らずで香籐どころか紫村にも勝る勢いで空中移動をモノにすると自在に空を跳び回りながら、人類が抱く夢の一つを嬉しそうに堪能している。
「意外に結構良い戦いをするかもしれないな」
そんな思いを抱かせるほど二号の空中移動の適正は高く、足場の岩が出現している時間が、空中移動に一番慣れているはずの俺と比べても遜色ないほどに短い。
必要な瞬間以外は極力収納した状態を保つという、空中移動の極意を指摘されるまでもなく身に着けてしまった。
「よしそれくらいで良いだろう。水龍と戦ってもらうぞ」
俺の掛け声に地上に降りてきた二号は、そのまま地面に座り込んで一言「疲れちゃった」と呟いた……イラっ!
『セーブ処理が終了しました』
アナウンスウィンドウ出現時のポーンという効果音が消えぬ間に回し蹴り一閃。二号は声一つ上げることも無く、ただバキバキと肋骨が盛大に砕ける音を置き去りにして崖から二十メートルほど下の水面へと飛び降りると、一拍おいて自分で起こした波立つ水面の下へと消えた……いきなり湖に飛び込むとは変な奴だな。
『ロード処理が終了しました』
「うわっ!」
時間を巻き戻されたが、巻き戻す前の意識が残っている二号はパニックを起こしてその場から飛び退き、その拍子に崖から落ちていった。
「何をしているやら……」
崖っぷちからそっと下を見下ろすと二号が溺れている。パニック状態のまま着衣の状態で水に落ちれば溺れるのは必然だろうが、そのまましばらく観察していると……笑えた。
そんな自分に対して、紫村が言った「大島先生に似てきたと思ってたよ」という言葉が突然自分に対して牙を剥き、胸を突く。
「駄目だ。これ以上、もうこれ以上、人としての心を捨てては駄目だ……戻れなくなる」
シンクロ率四百パーセントを超える訳にはいかんのですよ!
二号を助けるためにロードを実行しようとすると、周辺マップのほぼ直下の位置に湖面の下から上昇してくる──水龍を示すシンボルが表示される。
「おおっ!」
困ったここは、そのまま水龍に二号を襲わせて様子を見るか? それとも二号を助けるか? 悩ましい……いやいや違うだろう。ここは悩むまでも無く助ける。それが人間として当たり前の事だろう……でも二号を囮にして水龍の能力を探らなければ俺の命が危ない。
ここで死ぬ訳にもいかなければ、レベルアップを諦めるわけにもいかない。単に紫村と香籐と一緒に現実世界に戻るのだけが俺の目的ではないんだ。俺には部員全員を無事に連れ帰るという使命がある。そして北條先生に褒められるという下心たっぷりの目的がある!
そう学校に戻って『あんな大変な嵐の中、皆を無事につれて帰ってくれてきてありがとう』なんて言われてハグされたりして、その胸の柔らかな感触に……
「ぅああぁぁぁっ!」
そなん妄想をしている間に、二号は湖面を突き破り現れた水龍のあぎとによって頭からパックリと咥えられていた……うん、良い経験を出来て良かったねという事にしておこう。
だが、どうせならば俺にも良い経験をさせてもらいたい。
崖っぷちを蹴って跳ぶと、水龍の頭上で足場用の岩を投下。こいつはロロサート湖の北岸にある山の岩場から切り出した【大坑】による円柱形の大型サイズだ。
水面を突き破って空中に全身を晒した水龍は、俺が倒した火龍よりに比べても一回り以上は大きかった……しかし全長が三十メートルを超えているかと言うと微妙だった。
その巨体の首の付け根付近から背中にかけて、立て続けに五個を落としていく。
頭上二十メートル以上から落とされた四トンの岩の衝突の衝撃に、流石の水龍も痛みに巨体をのた打ち回らせる。
そのタイミングで俺は【迷彩】で姿を消してから六個目と一緒に自由落下に身を任せる。
だが水龍の角が光ると湖の表面が一枚皮を剥ぎ取られたかのように浮かび上がると、水龍の表面にドーム上の幕を作り上げ、岩は幕に当たると、何の衝撃も無く、ただその表面を滑るように落ちていくのだった。
……この水の障壁が水龍のブレスとは別の特殊能力って奴なのだろうか?
それとも水を自由に操ることで身を守るだけではなく攻撃にも使えるのか?
四トンの質量を持つ岩を受け流す強度を持つなら、武器とすることも可能だろう。
だが、そんな事はどうでも良い。俺は姿を消した状態で岩とともに水の幕の表面を滑り落ちつつ、火龍戦で使用した巨木を【所持アイテム】内から選択し、装備した。
『ロード処理が終了しました』
「うわぁっ! うわぁぁぁぁぁっ!」
先ほどと同様にパニック状態で後ろに飛び退いて、崖から落下コースに乗り掛けた二号の首元を捕まえて森の方へとオーバースローで投げ飛ばす。
まるでギャグ漫画の過剰演出のようだが、実際木に叩きつけられた二号は、受け止めた木が幹ごとへし折れているのに「痛たたた」とぶつけた肩を抑える程度で済んでいるくらいなので、レベルアップによる身体能力の向上自体がギャグなのだろう。
「倒し方が分かったから俺が手本を見せる。それからロードして、お前にやってもらう」
「僕が水龍と?」
「そうだお前がだ。本来、お前に任せている余裕が無いが、ここの水龍は上手くやればお前にも倒せそうだからやらせてやる」
「……マジで?」
「マジだ! 滅多に無いチャンスだぞ。実戦に勝る練習無しと昔の偉い……名前も知らない誰かが言っていたような気がする。自分の手で水龍を倒して実戦の感覚と自信をつける絶好の機会じゃないか?」
「途中で何か台無しな事を口にしたよね?」
「良いから黙れ……俺の笑顔が消える前に! そして俺のお手本を見ておくんだな」
「最初から笑顔なんて何処にもないよ! あんな邪悪なのを僕は笑顔と認めないからならな!」
その言葉に自分の口角がキュッと吊り上がるのが分かる。それと同時に二号は「ひぃえっ!」と鳴いた。
二号に対してはああは言ったが、正直俺は自分一人で水龍を倒す気になっている、何か自分の心の奥底でスイッチが入ったように感じる。数日前にも感じたあの感覚が、水龍を目の前にして強くなって再び俺の中に湧き上がっている。
崖っぷちに立って【所持アイテム】内から岩を目線の高さの位置に取り出すと、そのまま蹴り飛ばす。初期型の足場用の岩なので重さ一トンほど重量不足で空中で蹴ると十分な反発が得られないほど軽いのだが、水平に対して平均四十五度の角度で重力に逆らわせるには、今の俺の身体能力をもってしても股関節に多少は来るものがあった。
続け様に岩を更に力を込めて二つ蹴り飛ばした。一つ目の岩が岸壁から四十メートルほど離れた水面、二つ目もそれほど変わらない位置へと落ちて大きな飛沫を上げた。
「五十メートルは飛ばせるかと思ったんだが、そこまで飛ばすと股関節を傷めることになるのか……まだまだだな」
目指す先はまだ遠かった……今日中に可能な限り強くならないと今回は本気で命がかかってるから。
湖面に出来た、ほぼ同心円の三つの波紋を見てから、再び【所持アイテム】をチェックして中からオークの死体を取り出す。
担ぎ上げると色んな汁が垂れてきそうなのでジャイアントスイングで振り回してから遠心力で湖面へと投げ入れる……背後で飛び散った色んな汁を浴びてしまった二号の悲鳴が聞えたような気もするが気のせいだと自分を納得させる。
オークの死体が狙い通りに、水面に四つ目の同心円の波紋を生み出すと同時に、その直上を目指して跳躍する。
そしてその位置をキープしながら、上に跳んでは自由落下を繰り返しながら待っていると、予想通りに周辺マップに水龍のシンボルが現れて湖底から急浮上してくる。
流石に緊張を覚えるな。相手は何だかんだ言っても化け物だから俺としては、何としても一撃必殺される事だけは避けなければならない。
逆に言えば一撃必殺されなければ何とかなる、レベルアップのお陰でたとえ首を刎ね飛ばされても意識を失うことなくロードを実行する事は出来るだろう。しかし一刀両断で頭を左右に真っ二つにされれば無理だろう……何か強力なヘルメット状の魔法のアイテムを手に入れた方が良さそうだ。
流体の中を移動する物体が表面に纏う膜によって湖面が盛り上がる。その盛り上がった中心部めがけて装備した大木と共に落下する。
天地を逆しまに足場岩を蹴り重力加速度を超えて加速した大木の尖った先端は、湖面に浮かぶオークの死体の胴体部分を貫通し、さらにその下に迫っていた水龍の頭蓋骨を粉砕した。
流石に貫通力が勝ったのか、それとも落下してくる俺の存在に気付かず水の障壁を張らなかったのか、はたまた水の中では障壁を張れ無かったのかは分からないが、身体に対して小さな頭を潰されて水龍は命の終焉を迎える。
水龍は命を失ってもなお、頭部を破壊した後にそのまま胴体にまで深々と突き刺さった大木の質量をものともせずに、その巨体を湖面を突き破り跳ね上がらせた。
「……あれ?」
俺は反動で大木から手が離れて宙に投げ出されながら、あることに気付く。
追い討ちをかけるまでも無く完全に頭部は破壊されているのに、討伐完了のアナウンスウィンドウが現れないのだ。
そう言えば先ほどロード実行前にアナウンスウィンドウは現れなかった。
疑問の答えはすぐに分かった。周辺マップ内に新しい水龍のシンボルが現れたのだ、つまり水龍は一匹だけでは無く戦闘継続中ってわけだ。
水龍が群れを作るかどうかは知らないが、少なくとも繁殖期なら交尾のために雄雌の番がいてもおかしくは無い……群れるというのだけは無しにして欲しいものだ。
一匹目の水龍を収納すると上空へと逃げる。流石に水龍の特殊能力の全てが分かっていない状況で命を張って接近戦で殴り合うほど酔狂ではない。
「でけぇ……」
先ほどの水龍が三十メートル弱ならば、二体目の水龍はその二回り以上は大きい。
圧倒的な巨体に、思わずため息がこぼれる。
番だとするならこちらが雄なのか、それとも蜘蛛の様に大きいこちらの方が雌なのか? しかし、そんなことなどどうでも良いと思えるほど見事な生き物だった。強くそして何よりも美しく俺の心を惹きつける。
それはさておきだ。明らかに予想よりも強いこいつと戦うか、それとも逃げるか、ロードして仕切りなおすのか判断が迫られる。
幸いまだ奴は明らかに周囲を警戒しているが、俺が空中にいる事には気づいていない。
「きゅぅぅぅぅぅぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
水龍が吼える。しかしそれは威嚇というよりも呼びかけるような響きだ。多分一匹目の水龍を呼ぶ声なのだろう。もしかしたら水龍の番は繁殖期のみの伴侶ではなく、狼などのように生涯連れ添うような一夫一婦の生態を持つのかもしれない。
だが罪悪感や同情などを抱く気はない。そんなものは水龍自体が捕食において獲物が夫婦だろうが親子だろうが感じたことは無いだろうと割り切ったからだ。
これが大島ならば、生存競争という純粋なる闘争に余計な感情を持ち込むことこそ失礼だと切って捨てるだろうが、そこまで俺は戦闘民族ではなかった……無かったはずなのだが、こうして強敵を前にして、戦いたいと胸が疼かせる自分が居ることに気づく。
何故だ? 己の命を天秤の片側に乗せて釣り合うほどに、戦って守りたいものも、戦って奪いたいものも無いはずだ。それなのに戦いたいと思ってしまう。
やはり、俺が小者であるが故の思いなのだろうか。所詮レベルアップの恩恵など借り物の力であり、状況が変われば失われて然るべきものだという思いは拭い去れない。だからこそこの力がある内に強者と戦いたい。自分が一生かけて力を蓄え技を磨こうとも、その前に立つ事さえ叶わない様な敵とやり合ってみたい。別に崇高なまでの戦いの意思に目覚めたというわけではない。
借り物の力に溺れてみたいという安っぽい感情であり、もしも美味い飯を食べて心が満たされていれば湧き上がる事もなかったような、泡の如き曖昧な感情に過ぎないのだろう。
……いや違うな。どう説明付けてもしっくりこない。俺の中の焦燥感にも似た何かが戦いへと俺の心を追い立てている。
奴を逃がすこと、奴から逃げることを強く拒否する感情が強く俺を突き動かそうとしている。
その感情を生み出す何かの正体については全く思い当たるものが無い……となれば頭の中に時折よぎるおかしな記憶に関係するとは想像がつくが、すぐにどうでも良く思えてしまうのだった。
「挨拶代わりだ受け取っておけ」
投下した岩が水龍の背に当たって砕ける。流石は俺の知る限り最大の巨体を持つ生き物だけあって小さい一トンサイズの初期型の足場岩では大してダメージを受けた様子は無い。
だが上空に居る俺には気づいたようだ。
こいつには不意打ちで一気にかたをつけるという方法は取らない。この見事な化け物に対して、それが出来るくらいなら哀れな二号を先にぶつけて水龍の手の内を確認している。
水龍はこちらを鋭く睨み付けると、湖面から水の膜を剥ぎ取るとドーム上に自らを守る盾とする。そしてさらに水面から抉り取られたかのように浮かび上がった水の塊が、撃ち出された砲弾のように上空の俺に迫る。
だが所詮は時速五百キロメートル程度の巨大な水の塊であり、今の俺の眼に捉えられない訳も無い。
そして見えるなら十分に避けられるだけの距離はとってある。
しかし高速で移動する水の塊が形を維持しているということは、俺の【水球】系と同じように魔法的な手段で形状を保っているはずで、単に撃ち出された水の塊であるはずが無い。
それに気付いて左へと大きく跳んで避ける。しかし追尾してくる。
「だが、魔力と魔粒子について学んだ俺の敵じゃない!」
確信はないが自分を鼓舞するために口に出しておく。
自分の魔力に比べ他人の魔力は朧気に感じ取ることは出来ても、とてもじゃないが『見る』というレベルで認識することはまだ出来ない。
だが水の塊を動かすという現象が目に見えている以上は関係ない。
足場用の岩を蹴り空中を跳んで逃げつつ、圧縮した魔力をしつこく追尾する水の塊に向けて飛ばして衝突の瞬間に圧縮を解除する。
衝撃波の様に広がる魔力の波に、水の塊は水龍の支配を外れると形を失い細かな水の粒となって重力に引かれて落ちていく。
「……やってみるものだな」
正直、確信を持ってやったわけじゃなかった。
魔力で魔粒子を操作を行うことで魔法の効果が現れるならば、そこに自分の魔力をぶつけてやれば相殺もしくは妨害出来るだろうという思い付きであり、ミーアに教わったものでも本に書いてあった知識でもない。
本来は相手の魔力による魔粒子操作を妨害して効力を完全に消すためには、相手が使用した魔力と同等以上の魔力を行使する必要があるだろうと思う。
しかし、圧縮した魔力を送り込んで開放する事で、均一な魔力ではなく強弱のある強い波として、水龍の魔力の支配下にある魔粒子へとぶつける事で、瞬間的に火龍の魔力による制御を破綻させ魔粒子を無秩序な状態にすることで、【術式】自体を崩壊させたのだった。
「魔力を強く圧縮出来るなら、少ない魔力で相手の魔法自体を妨害することが出来るのか……魔力操作マジチート!」
水龍の魔力は大きく、その魔力を相殺するどころか干渉して魔粒子への操作を止めるのはかなり難しいのだろうが、所詮魔粒子の操作は繊細な魔力の行使に過ぎず、力任せに圧縮した魔力を一輝に開放した魔力の奔流には敵わないという事だろう。
魔力の圧縮、そしてレベルアップによる【魔力】の底上げにより十分に戦えそうだ。
水龍の【魔力】量の底が見えている訳ではないが、少なくても俺と水龍のどちらかの魔力が尽きるまで戦いが続く事はない。
漫画じゃないんだ一対一の殺し合いがズルズルと長引くはずが無い。
水龍の攻撃は全てが俺にとっては致命的な威力を持ち、俺の幾つかの攻撃も水龍の命には何とか届くのだから戦いは僅か数手で決まる……決まらなければ俺が死ぬだけだ。
そして俺が勝つためには、どうしても間合いをつめる必要がある。最低でも一番リーチの長い攻撃手段であり、一匹目の水龍相手を討つのに使った巨木の届く範囲だ。
その間合いに入るまでは俺には水龍に対して有効な攻撃手段は無いが水龍にはある。俺の間合いでも水龍には俺を一撃で死に至らしめる攻撃手段が豊富に揃っている……冷静に考えれば考えるほど何で水龍と正面切って戦ってる自分が馬鹿に思えて仕方なくなってくる。
先ほどまで感じていた水龍と戦いたいという強い思いは、戦闘が始まったと同時に消えている。まるで屋根に上がらされた挙句に、上がった途端にはしごを外されたような感覚だ。
龍と戦うためだけに焚きつけられたようなで実に不愉快だった。
圧縮した魔力の塊を可能な限り多く作り出す。現状では同時に維持出来る魔力球は九個。惜しくも一桁どまりだった。
圧縮した魔力球を維持した状態で、俺は足場岩を蹴って中途半端な宙返り状態から装備を実行し、現れた大木を両腕に抱えると、新たに出した足場岩を蹴り加速して水龍目掛けてダイブを敢行する。
水龍も素早く反応して、再び水の塊を俺に向けて操作するが、近づくと圧縮した魔力球を開放して魔力操作を無効化し、ただの水の塊と化したモノを【操水】でコントロールを奪い自分の前方からどける。
ちなみに自分の魔力球の開放では、自分の魔力操作を阻害したりはしない。
自分が魔力で操作している範囲に達した魔力は、その操作のリソースとして取り込まれるだけなので、既に作り出されている他の魔力球が解放されたり解除されるようなことは無い。
一方、魔術である【操水】の方はどういう理屈で効果を発揮しているのか分からないが、やはり影響は受けないようだ。
次いで水龍はブレスによる攻撃に切り替えるが、水龍がこちらに向けて口を開いた瞬間、魔力球を口元に送り込んで開放すると、ウォーターカッターのように撃ち出されるはずのブレスは、魔力操作を解除された途端に自らの速度で霧のごとく細かい飛沫となる。
そして、次の瞬間には巨木の槍の先端が水龍を間合いに捉えていた。
大木は角の生える頭頂部分を避けるように突き刺さり、水龍の頭と命をまとめて吹っ飛ばした。
『水龍二体を倒しました』
……レベルが七上がってレベル六十二。ちなみに二号は一気に三十レベルアップでレベル四十八になった。
レベルアップのアナウンスが一レベル刻みだったなら、さぞウザイことになっただろう。
更に何故かシステムメニューがバージョンアップした。
何がどうバージョンアップしたのかアナウンスは無いが、Ver1.0.0からVer1.1.0に上がっている。
アナウンスが無いので、一瞬、名前だけかと疑ったが、以前『道具屋 グラストの店』の店内をマップ機能で確認しようとしてアナウンスされていたレベル六十まで上げろいう指示を思い出して、マップ機能をチェックすると確かに強化されていた。
強度三百までの魔法障壁を無視してマッピングできるようになるとの事だが、その「強度」というのがどういう基準なのか分からない。
だがマップ機能自体は強化されていて、周辺マップの表示範囲は半径三百メートル、広域マップは半径九キロメートルまで拡張され、ワールドマップの拡張は無いが、各シンボルの区分が更に詳細化されて、シンボルを指定するとその個体の状況を簡単にだが表示されるようになった。
また【魔術】の各属性のⅣが開放されたが、これはシステムメニューのバージョンアップというよりは普通のレベルアップのお陰だろう。だが今後は使えそうな魔術が……いや期待するのはやめておこう、また辛くなるだけだから。
ついでに、これはバージョンアップのお陰か判断がつかないが、レベルアップ時のパラメーターの上昇率がレベル六十一への上昇時からそれまでの上昇幅に対して五割増し程度に大きくなっていた。
まあ、それ自体はありがたいが、それだけ今後のレベルアップが難しくなるということでもあるのだろうと思うと気が重い。
間違いなく龍を倒してもレベルアップ出来ない状況が近づいてきているのだろう……もう何と戦えば良いのやら?
「ところで、ロードしてやり合ってみる?」
二号に尋ねると、とんでもないと首が千切れんばかりに横に振られた。
正直、俺ももう一度戦えと言われても困る。龍と戦えと焚きつける様な感覚が消えると、今日はもう十分に戦ったとしか思えなくなった。
午前中の、しかもかなり早い段階だが今日のノルマのレベル六十を達成したので街に戻った。
「時間が濃密過ぎて、もう一日が終わってしまってもおかしくない勢いなのに、まだ昼飯時ですらないんだぜ?」
「僕は基本的に見てるだけだったとは思えないほど疲れたよ」
二号も酷い目にあったがロードで、記憶の中以外には存在しないことになってるから精神的な疲れだけが蓄積しているようだ。
「飯時までは時間があるから先に用事を済ませるわ」
現実世界の食べ物屋と違って、こちらでは昼飯時前は店を閉めて準備作業をする店が多いのだ。
「リュー様。お早いお戻りですが、どうかいたしましたか?」
俺がが店のドア押し開ける前に、ミーアが扉を開けて出迎える。
しかし、その顔にはなんとも言えない表情が浮かんでいた。戻ってくるのが早かったので何かあったかという心配と、狩りに失敗したのかという残念さ、そしてそれを表情に出すまいとする努力が交じり合っている。
ついでに言うと二号の存在は彼女の視界に入っていても、視界に入っているという素振りは全くなかった。
「水龍二体を納品に来た」
「……はい?」
驚きに、いつもの完璧に作られた表情が拭い去られ、十代と言われても疑わないだろう素顔が見えた……だけど何百年生きてるかもわからないエルフで魔女だけど。
「だから水龍二体を納品に来た」
「まさか……こんな短時間に?」
ちょっと素の言葉遣いになってますよ。
「指定されたポイントに行くとすぐに水龍が出て来たお陰だ。しかも二体もな。良い情報だったよ」
本当にピンポイントだったからな。本当なら探すのにもっと梃子摺ると思っていたのだがラッキーだった。
だが二匹もいるとは聞いてなかったので、それについては軽く嫌味を言わせてもらった。
「二体も同時に出て来たって、それでどうやって?」
完全に地が出ちゃってますよ……と強く念じる。
「し、失礼しました……ゴホン。ではリュー様こちらへ」
解体作業用部屋に入ると、そのまま部屋の中央まで進むと、右よりの位置に立って小さい方の水龍を取り出す。
「これは随分と立派な水龍ですね」
「さあ? 俺は水龍についてそんなに詳しく知らないからな」
「先ほど頂いた角の主である水龍は十歳にも満たない若いというか幼い個体でしたが、この水龍は三百年以上の齢を重ねているでしょう。水龍としてはかなり長生きの部類だと思います」
「なるほど、それならこれはどうなるんだ?」
そう言いながら左側に同じ方向に頭を向けて並ぶように、大きい方の水龍を取り出した。
「…………」
驚きのあまりに声が出ないで口がパクパクとしてるよ。
余りに素晴らしい表情なので、ここは俺の胸の内に秘めるのはもったいないので、絵に残して妹のエロフにプレゼントしてやろうと決めた。
「……大変申し訳ありませんが、これは買い取れません」
ミーアが深々と頭を下げる。
「無理か……」
「この店の回転資金ではとてもこれほどの龍の角を買い取ることは不可能です」
大きい方の水龍は千歳近い超大物であってミーアには手が出せないそうだ。
「商人としてこれほどの品を目の前にして指をくわえる事しか出来ないのは、情けなく残念なことですが」
うん、はっきり言って仕方が無い。だって彼女が購入した小さい方の水龍の角だが、彼女が口にした値段を聞いて今度は俺が無言で口をパクパクさせてしまったほどだ……俺が想定していた数字とは二桁違っていた。
そして大きい方の水龍の角の値段は更に一桁違っていた一桁と言っても二ケタに近い数字だ。
むしろ小さい方の角を買えるほどの資金を、普通と呼ぶには物凄く抵抗があるが基本的には個人商店の経営者に過ぎないミーアが、プールしていたことこそ驚きだ。
「とはいえ、この角も使用する目的が無ければ、別に今すぐ金が必要という訳でもない……」
「いや、それを金に換えれば僕がミガヤ領を継げるように王都の重臣達に根回しする資金になるんだけ──」
二号にボディーブロー。全力の半分ほどで殴ったが、流石にレベル四十三にもなると死なないものだ。
もっとも二号にとっては、いっそ死んだ方がマシと思えるほどの地獄のはずだ。
現に自分の嘔吐物の上に倒れ込んでゲロの海で溺れ死にそうになっている。
「他人の金で何とかしようなんてふざけた事を今度口にしたら、例え冗談であろうとも容赦なく殺すからな」
「…………」
二号は無言で壊れたロボットの様な不器用な動きで頷く。
「そんな真似して夢を叶えて、それで良いと思っているのか? そんなので納得出来るのか? 嬉しいのか? 何より俺が面白と思えると思ってるのか?」
本音が漏れてしまった。だって何の縁も無い他人に過ぎなかった二号に手を貸したのは、はっきり言って面白そうだったからだ。
それ以外には大した理由は無い。王都でのこいつの伝を利用させて貰おうという弱い動機と、思わず実験台として収納してしまったという縁だけだ。
「ビドビィィィ!」
ゲロに顔を漬けたまま抗議の声を上げるが何を言ってるのかさっぱりだ。
「俺は小さい子供に不思議に夢を叶えてあげる神様か? お前は幸福はきっと誰かが運んでくれると信じている少女なのか? そんな奴はいおらん! 俺はお前が苦しみ流した血と涙に応じて欲望を叶えてくれる可愛い妖精さんだと思え」
俺の言葉に二号は身体を起こして、キッと俺を睨み付ける。 流石はレベル四十三だな、もう回復したか……人間離れしすぎてキモイと自分を棚に上げて思った。
「あ、悪魔だよ。それは悪魔だ! ……君がそんなのだから、例のドMに絡まれるんだよ!」
「その話はするな! 出たらどうする?」
次の瞬間、店舗へとつながる扉がバーンと音を立てて開け放たれる。
「出た?!」
俺と二号の声に、扉の向こうに映る逆光のシルエットが答えた。
「呼ばれて参上!」
「呼んでない!」
俺と二号の声を一つにして胸の無い方のエロフに突っ込む。
「アエラ。扉は静かに開けなさいと言ったはずよね……何度も」
「姉さん……ごめんなさい。ごめんなさい」
一瞬で顔色を変えるとペコペコと頭を下げながら、丁寧過ぎるほどにそっと扉を閉める。
この姉妹の力関係はとても分かりやすい。
「ところでミーア。お前の妹はどうすればいいんだ?」
部屋の中央に転がる二体の水龍に興奮しながら「おぉぉぉっ!」とハイテンションに声を上げながら食いついているアエラの処遇を、その姉に問いかける。
「困りましたわ。流石に私の店の中で身内に知られて、情報が流出という事になれば私が情報を漏らしたのではないなんて言い訳は出来ませんし……要らぬ事を口にしたらヒキガエルになる呪いでも掛けようかしら?」
怖っ! この人、自分の妹に対する凄い怖い仕打ちを、何気なく自然に呟いたぞ。
大体人間を──いやエルフをヒキガエルに変える呪いって何だよ?
「勿論、肉体をヒキガエルに変えるのは無理ですわ。単に誰から見ても顔がヒキガエルに見えるというだけの効果です……一生涯」
一生涯有効なのは生命保険だけにしておいて欲しい。この人はホラー方面でも怖いよ。あと勝手に他人の心を読むな!
「私は姉さんにとって迷惑になるような事は一切申しません!」
ミーアの物騒な発言を聞いていたのだろうドMは慌てて駆け寄ってくると、土下座でそう宣言した。
「それじゃあ水龍は両方とも引き渡す。代金は一体を現金で受領し、もう一体は『道具屋 グラストの店』の責任で売却し、その売却益から諸費用を除いた純益を俺と『道具屋 グラストの店』の間で折半にする。というので良いな?」
俺が抱え込んでいても現金化する方法が無いので、現品を先に引き渡すという手段を取った。もちろん誓約という形で契約は済ませるのが前提だ。
これにより俺は、現金が手に入るだけではなく、今後も狩るであろう龍の利益でミーアを縛り、こちらを裏切れないようにすることが出来る。
そして何より彼女に対して多少無理な注文もしやすくなる。
「でもよろしいのですか? これでは私にとって余りにも都合の良いと思えますが? 私の身体で払えとおっしゃるのですね?」
「おっしゃらねえよ!」
この胸のある方のエロフは、どっからでもエロをぶち込んできやる。
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