第70話

「用意周到じゃないか?」

「今回は装備品の制限とか言われてませんからね。嵐の中でビバークするんですから当然です」

「ほう、気がついていたか」

「ええ、流石に三日目と四日目のスケジュールは怪しすぎました」

「渡したスケジュール表の内容以外の事はさせないと約束させられたからな」

 しかし大島の顔にはまだ笑顔が張り付いている。どうせ俺達が持ち込んだ荷物に細工する機会はまだあると高を括っているのだろう。

「随分余裕ですね? 二日目の夜まで持ち込んだ荷物には手を出せないように、部員達で先生と早乙女さんは見張らせて貰いますよ」

「勝手にしろよ」

 まだニヤついてる。

「もしも何かがあったら。このバスには乗っていない誰かが嵐明けの伊豆半島、相模湾・東京湾沿岸の辺りに打ちあがる事になるかもしれませんから気をつけてください」

「テメェ!」

 大島は怒らせると反応が素直になるようだ。今までは怖くてわざと怒らせるなんて不可能だったが、レベルアップで【精神】のパラメータ上も気が大きくなっているので出来る芸当だ。

 とりあえず新たに見つけた大島の弱点を、心の中の大島取扱説明書にメモメモと。


「先生の知り合いの間抜けな探偵なんか真っ先に命を落としそうですね……ホラー映画とかでは」

「……本気で言ってやがるのか?」

 何時もの顔芸でプレッシャーをかけて来ても一歩も引かない。これは負けられない戦いだ。


「いやだな映画の話ですよ。映画の……ね」

「そうだな。映画の話だったな……」

 ふん、分かってるくせに何を言ってやがる。

「そうですよ。無人島なんだから我々以外に人間はいないんだから、居ない人間をどうこうするなんて事は出来ませんよ。本当に居なければ」

 居たら殺る。言外にそういう含みを持たせる。


 勿論、実際に殺しはしない。ただし全員収納して一ヶ月位は失踪させてから、町のあちらこちらに捨てて来てやる。目が覚めた時には全員仕事は解雇だろうが俺の知った事ではない。馬鹿な己と大島を恨むが良いさ。


 出来るなら大島なんかは、隙を見つけたら五十年ほど収納しておいて浦島太郎状態にしてやりたいくらいだが、【昏倒】は効かなければ、寝ていても近づいただけで目を覚ます野生動物のような鋭い感覚を持っていやがるので難しい。

 何とか大島と早乙女さんを戦わせて共倒れになったところを二人まとめて収納する機会が無いものだろうか?


「無人島に俺達以外の人間が居るわけないだろうが」

「そうですよね。居ない人間が居なくなるはずないんですから気にする必要もありませんね」

 運転席の後ろの列で繰り広げられる、俺と大島の白々しくも禍々しい言葉のキャッチボールに、後ろの列に座る一年生達の心が凍死しかけていた。


 高速を降りて、間もなく目的地の港へと辿り着いた。

 それほど大きくない。いや素人目にもかなり小さい漁港だった。その港の端に他の漁船に比べてかなり大きい全長20m誓い漁船が停泊している。

 マイクロバスはその船の傍で停車する。

「荷物を持って降りろ……忘れ物をしても取りには戻れないから、しっかりと確認はしておけ」



「よく来たな大島!」

 大島の海男版と言った背格好の良く似た、暗い夜にも分かるほど真っ黒に日に焼けた男が船から降りて来て、マイクロバスを降りた俺達を迎える。

 単に背格好だけではない、骨格から筋肉の乗り、全てが大島にも引けはとらない。鬼剋流は化け物だらけか? 下はともかくいわゆる熊殺し以上のレベルの人間には大島クラスがゴロゴロいるのか……いや、そんなはずは無い。大島クラスがゴロゴロいたら、とっくに日本は世界を征服している、こいつらによって滅ぼされるかの二択だ。


「急な頼みで悪かったな古瀬。今日はよろしく頼むぞ」

「任せておけ、こいつなら百海里くらいは二時間で楽勝だ」

 そう良いながら自分の船に目をやる……ちょっと待てよ。百海里っていったな百八十五キロメートルだぞ? 予想される台風通過コースよりも東の沖じゃないか?

「紫村?」

「ああ。台風の暴風圏の右側がぶつかる事になりそうだね……これは参ったよ。そんな高速船を用意するとは……」


「どうした高城? 何か拙い事でもあったのか?」

 やられた! ……そんな俺の顔を見て大島は、心底嬉しそうに尋ねてくる……顔を近づけるんじゃない。

「いえ予想の範囲を超えていましたが、全く対応する手段が無い訳ではありませんから」

「そうか、余裕だな」

 お前もな。こいつは絶対仕掛けてくる気だ。ならばこっちも徹底的にやってやる。今晩中にお前の手下は全て収納してやるから覚悟しておけ。


 乗船前に、用意しておいたポリタンクに水を詰める。

「ほう、水を持っていくのか感心だな」

 俺達が用意した水は容量十六リットルのポリタンクつ分で九十六リットルであり、とてもじゃないが俺達十八人の部員の四日間分の飲料水としては少ない。

 一人が必要とする飲料水は二から三リットルであり、普通の人間に比べて基礎代謝の高い俺達ならば多めに考えて五リットルを用意しておくべきと結論付けたが、十八人の四日分は三百六十リットルも必要になり、荷物が多すぎると削られる可能性があったのでポリタンクに詰めて運ぶ水は百リットル以下に制限して、代わりに災害用の携帯浄水器を用意した。


 数十万もするような高級品じゃないが、フィルターの目の細かさは二百ナノメートルと価格帯的には良い方に属して、目安だがフィルター交換無しで五百リットル以上の性能を持つので、台風の雨を集めた水を濾過するのが目的なら十分だと思われる。


 中にはフィルターの目の細かさが百ナノメートル以下で、百ナノメートル以上の製品では除去出来ない小さなのウィルスのほとんどを除去出来ると謳っている商品があるが、フィルターの機能とは細かい目に異物が通らないことで除去するのではなく、フィルターの中を通すことにより水の中の異物をフィルターの繊維などに吸着させるものであり、除去する対象よりもフィルターの目が小さくなければならないというものではない。

 ……ともかくポリタンクはあくまでも雨が降るまでの繋ぎに過ぎず、大島は俺達が確保しておく水の量を間違えたとでも思っているのならば大成功である。



「船って随分早いんですね」

 不安そうに香籐が話しかけてくる。

 波をかき分ける、滑る様になど色んな船の進む様子を例える言葉があるが、この船の場合水面を蹴るようにして走ると呼ぶべきだろう。

 マップ機能と時計機能を使って計算すると船の速さは時速百キロメートルを優に超えていた。百海里を二時間と言ったのは全く誇張じゃなかったようだ。

「普通の船はもっとゆっくり進むさ」

 高速艇といわれる船の速さだ……漁船の癖に。どれだけエンジンを弄っているか知らないが、漁船なら経済性を優先して貰いたい。

 おかげで、デッキの上は死屍累々。俺と紫村、それに香籐と一年生の東田を除く部員達は船尾に鈴なりになって胃の中の夕飯を海の魚達にプレゼントしている。


 ちなみに船尾に鈴なりなのは、この速さで左右の船舷から吐けば、風に煽られて舞い上がり物凄い事になるからで、流石にその事態を想定していた船長の古瀬さんから吐く時は船尾でと厳重に注意を受けていたため、そのような事態は起きていない。

「あいつらには悪いが、香籐と東田は寝られるなら今の内に少しでも寝ておけ」


「紫村どうおもう?」

 明らかに言葉が足りないが紫村はこれで通じる。とてもありがたい事だ。

「船に乗って直ぐにエンジンルーム付近に行ってみたけど、かなり熱を持っていたよ」

「先に手下どもを送り込んで帰ってきたって事だな」

「そうだろうね」

「流木の類はある程度片付けられてると考えた方が良いかな?」

「分からないよ。まず彼らが僕達がどうやって風を凌ぐつもりなのか知らないだろうし、それに無人島が大きい島なら数人では、一日や二日じゃ、浜辺に打ち上げられた流木を処理するのは無理だと思うんだ」

「そうか……いっそのこと連中が集めて隠した流木を頂くのも有りだと思っていたんだけどな」

 海に流しても多くは海流の関係で再び浜辺に漂着してしまうはずだ。そうでなければ浜辺に大量に打ち上げられる事はない。だから連中が流木を処分する方法はまとめてどこかに隠すしかない。


「もし隠していたとして、見つかれば良いけど、そうでなければ余計な手間になるかもしれないから、僕は反対だよ」

「いや、探すのは流木じゃなく大島の手下だよ。そいつを捕まえて締め上げる」

「出来ると思うのかい?」

「大島の手下のレベルは、大島本人に比べたら遥かに下だ。三年生なら二人掛りでいけば確実に勝てる」

「だけど──」

「清水先輩がエアマットの中にトランシーバーを入れておいたと言っていた。連携さえ取れれば十分にやれると思う」

「……そうだね。それに今の君なら一人でも十分い出来ると思うよ」

 参ったな。やはり紫村は俺の身体能力の向上に気づいていたか……油断ならないというか困ったものだ。


「それじゃあ、俺一人でやらせて貰う。俺の居ない間、上手く誤魔化してもらえるか?」

「分かったやってみるよ」

 信頼してそう話すと、紫村は笑顔でそう答えた。


 船が港を出てから一時間半が過ぎた。そろそろ目的の島が近づいているはずだ。。

 その時、船の前方を照らすサーチライトが船の揺れとは異なる動きで数回振られた。

 俺は振り返り確認したいという思いを抑えて、周辺マップで大島の位置を確認すると大島はサーチライトの位置に立っていた。


 そしてライトが振られた方向へと目を凝らす。すると海上に2つの小さな赤い光を捉えた……タバコの火だ。

 タバコを煙を吸い込む時の火の明かりはかなり明るく、こんな海の上で対象物の周囲に全く明かりの無い深い闇の中でなら八百メートル離れていても見えるという話もある。

 ましてや今の俺の視力ならば一キロメートル以上先からでも余裕で視認する事が出来る。


 つまり、大島は島に先に乗り込んだ手下達にサーチライトの明かりで到着を知らせていたということだ。

「どうしたんだい?」

 紫村が俺の様子に気づいて声をかけてくる。本当に出来た女房役だ……修辞的表現以外何ものでもないからな。

「船の進む方向を真っ直ぐ……見えるか?」

「……見えたよ。居るとは思っていたけど、実際に確認すると……イラっとするものだね」


「そろそろ到着だ! 船を降りる準備をしろ……いつまでもゲーゲーと吐いてたら海に叩き込むぞ!」

 人としての思いやりや配慮に欠ける言葉と共に、船尾のデッキ上の連中はゾンビのようにフラフラと立ち上がり、荷物がおいてある前方へと集まり荷物の確認を行う。

 本当にゾンビみたいに気持ちの悪い顔色で、目も空ろだ。


「……どうしてお前らは……そんな平気な顔をしてられるんだ?」

 櫛木田ゾンビが話しかけてきた。ちなみに吐く息がゲロ臭くて、ゾンビにも負けない悪臭を放っている……実際にゾンビにあったことは異世界ですらないが。


「さあな。俺は生まれてから一度も乗り物で酔ったことがないから」

「お、俺だって無いわ。だけどこれは、この船は駄目だ……乗り物というよりジェットコースターとか遊園地にあるべき物だ……よ」

 俺は漁船というよりも少し大きめのボートで朝から夕方までずっと海釣りをしていても、丸半日自動車移動で、その間ずっと小説を読んでいても酔った事が無い。

 唯一乗り物に乗って吐いた経験は、小学校の宿泊研修で長時間バスに乗っていて、まず一人が吐き、そして周囲の奴らも順に貰いゲロをしていき、最後に圧倒的物量による包囲網の前に屈した時だけだが、それは乗り物は関係なく閉鎖空間にゲロの臭いがあればいつでも起こり得る現象だ。



 船は減速してゆっくりと島に近づいて行く……手下共に隠れる時間を与えるためだろう。小賢しい。

 次第に島の輪郭が確認出来るようになってきた。

 今の俺の視力でもさすがに闇が濃すぎて普通に見えるわけではない。町では決して見ることの出来ない満天を飾る星のきらめきをさえぎる島影として確認する事が出来るだけだ。


 残念ながら広域マップにより島を確認することは出来ない。さすがにシルエットだけが確認出来る様な状況では表示可能エリアと認識しないのだろう。

 だが北西から南東へと伸びるシルエットは五百メートルを優に超えており意外に大きいことが分かった。もし奥行きがもっとあるなら昔は人が住んでいた可能性もありそうだ。


 サーチライトが照らす視界の中に桟橋が見えてくるが何かおかしい。

 船が桟橋に近づくと、桟橋といっても海底から伸びる柱と横木だけの構造体だけで、足場となる踏み板が存在しない。

「高城。こいつを持って行って足場を掛けろ」

 そう言って大島が足元に転がっている幅四十センチメートル、長さ二百五十センチメートルで厚さが三センチメートルの木材の一つを持ち上げて示す。なるほど波などで壊れて流されないように使う時以外は踏み板は外しておく訳だ。


 船が桟橋の先端部分に横付けしたので、船の減りから桟橋の反対側の柱の上へと跳び、船の方へ手を伸ばす。

「踏み板をください」

「ほらよ」

 明らかに俺の胸の辺りを狙って強すぎる勢いで踏み板を差し出す大島。

 俺は柱の上に右足一本で立ちながら、右手で下から跳ね上げるように先を上へと逸らしながら踏み板を掴む。


「船に酔ったんですか? ちゃんとしてくださいよ」

「すまんな。船が揺れたものでな」

 悪びれる様子も無くそう返してきた。ちなみに船はほとんど揺れていなかった。

 大島と俺は睨み合う。

「主将。早く一年生達を上陸させてあげましょう。そうしましょう!」

 空手部において一番空気を読める男。香籐が良いタイミングで割って入ってくれたので、大島との直接対決になだれ込む事にはならなかった。



「生き返る!」

 櫛木田がそう叫ぶ。

 俺には分からないが、乗り物酔いとは乗り物を降りて、地面に足が着くとすぐに治るそうだが、その切り替わりが余りにも早いので騙されているような気になってしまう。


 この島の位置をワールドマップで確認すると八丈島北西数十キロメートルといったところだろう。日本の本州、北海道、九州、四国と大きな四つの島は海岸線はワールドマップに表示されているのだが、それ以外は表示されていないのでおおよそだが、大きく外れていることは無いだろう。


「よし全員、船に忘れ物は無いか荷物を確認しろ!」

 大島の声に、全員荷物の確認を行う。各自の荷物とは別に、個々に管理を任せてあるダンボールに入ったサバイバル道具を確認した。

「確認しました。船に忘れ物は無いようです」

「そうか──」

「船に忘れ物は無いようですが、船への乗せるべき忘れ物があるのではないですか?」

「何だと?」

 大島の顔が歪む……歪むとただでも怖い顔がすげぇ怖い。まだ慣れていない一年生達が恐怖に顔を強張らせている。

「船が島に着く前に、島のある場所から赤い光が二つ見えました。しかも明るくなったり暗くなったりを繰り返して。察するところあれはタバコの火のだったと思います。つまりこの島には我々以外の人物が最低でも二人います。確かこの島は古瀬さんが所有する無人島でしたよね? 我々以外に一体誰がいるのか確認しなければなりません」


 俺の言葉に、大島は忌々しげに舌打ちをし、空手部員達は「やはり……いや、もしかして殺人鬼?」「バックアップか殺人鬼か?」「ミステリー? サスペンス? それともサバイバル・リアリティーショー?」とざわめき立つ……何かお前らやけくそで、いっそのこと楽しんでしまえと思ってない?


「待て、その光がこの島から見えたとは限らないだろう。遠くの船の明かりを見たのかもしれん。勝手に決め付けるな」

「先生こそ、何を勝手に決め付けているんですか? 私は確認する必要があると言っているのです。責任者である先生が、合宿の場である無人島に不審者がいることを生徒が目撃しているのに、かもしれないで否定して確認しようとしないのは余りに無責任です」

「口が過ぎるんじゃねぇか、高城?」

 全米が、お前が言うなするわ! 事実を指摘されて過ぎると思うなら生き方を変えるか死ね……つうか死ね。


「そんなことはどうでも良いですから、確認のために見回りに行きましょう。先生一人でなんて事は言いません。主将として僕も責任を持ってお供させて貰います……新居。不審者を縛り上げるのにザイルを二本くれ!」

「……てめぇ。何を言ってるのか分かった上で言ってるんだろうな?」

 耳元で聞かされる大島の囁きは、囁き声とは思えないほどの破壊的な威力を秘めている。


「手下に我々の妨害をさせて、そちらの手助け無しには立ち行かないようにして、助ける代わりに冬合宿を認めさせるのが目的ですよね?」

「くっ!」

 清水先輩。伊達に中学の三年間みっちり大島と付き合う羽目に陥った訳じゃない。読みは完璧だった。


「どうせ、この島は昔は人が暮らしていたんで、今でも使える家か何かがあって、そこに避難させるつもりだったんでしょう?」

 これは俺の推測だ。俺達が用意したテントなどを使えなくしてから、家か洞窟へ台風が通過するまでの間、避難させないと流石に危険があり必要な安全マージンを稼ぐことが出来ない。


「大人しくこれから船で戻って、いつもの早乙女さんの山で合宿にした方が良いですよ」

 そうすれば台風が通過する二日間も何らかの無茶を俺達にさせる事が出来るはずだ。


「クックック……断る」

 既に切る札も無いのに強気なものだ。苦しい時こそ笑ってみせろとでも言うつもりか?

 確かに悪い言葉じゃないな。実際に相手にそうされる立場に立つとかなりイラっとさせられるので、苦しい立場に追い込まれたなら、相手の冷静さを奪うためにやってみるべきだろう。


「そうですか、こちらは構いませんよ……さあ、見回りに行きましょう。そして白黒はっきりつけましょう」

「断る!」

 何を言っているんだ?

「じゃあ、僕が一人で行って来ましょう。結果は同じ……いえ、ずっと酷い事になるでしょうが、それは先生が選んだ結果ということで」

「勝手な行動は認めない! 言っただろうスケジュールに無い事はさせないってな。策士、策に溺れたな、これはお前が決めたルールだ」

 そう来たか、だがこのことに関しては残念ながら完全に想定内だ。


「現在の時刻は二十二時四十分で、就寝予定時刻は二十三時三十分です。その間の予定はスケジュール表には一切ありません。つまり二十三時三十分までに僕の行動を妨げる理由はありません……先生の雑なスケジュールが幸いしました。ありがとうございます」

 わざとらしく深々と頭を下げてやる。


「全員。二十三時三十分までに就寝準備を終わらせろ。準備が終わった者は二十三時三十分までは自由行動だ。ただし荷物からは絶対に目を離すな……という訳です」

「待て!」

 立ち去ろうとする俺を大島が制止する。


「何ですか? 時間が無いんですが?」

「……俺も行く! こんな時間に生徒一人で島の中を歩かせる訳にはいかないからな」

 大島以外の教師が言ったら、ミステリーでは死亡フラグ並みの見せ場なんだが、こいつに言われても何の感銘も受けない。

「……分かりました」

 そう答えると、俺は島を反時計回りで海沿いを回るために南東へと向かって歩き始める。


 俺が進む後を大島が着いてくる。正直こいつを自分の後ろに立たせるのはひどいストレスで、一秒たりとも気は休まらない。

「!」

 桟橋の付近から二百メートルほど南東に進むと、前方の海岸線から三十メートルほど陸に上がった茂みに何者かが隠れているのを周辺マップで捉えた。


 だが言葉に出さずに黙って進む。

 そして相手の位置との距離が十五メートルほどに縮まった段階で「おや、早速不審者の気配がしますね」と告げた。

「何だと?」

 大島を声を無視して一気に駆け出す。茂みに潜んでいた相手は突然の俺の行動に対応出来ず、更にはどう対応するべきか迷いもあったのだろう一歩も動けぬまま俺に補足される。

 致命的だ。その身を低くして地面に伏せた体勢では例え大島であっても俺には勝てない。


 接近する俺へと相手に出来る事は、その低い大勢のまま俺の足元を腕で刈ることだけだ。だがそれが分かっていれば脅威でもなんでもない。

 両足で地面を蹴り、地を這うような低さで滑り込んでくる相手の前で、地面を踏み込もうとする左足のタイミングを、全力で下半身の間接の動きを止めることで一瞬遅らせる。

 そして左足を掴もうと伸ばした相手の右手を泳がせた。

 次の瞬間、その右腕を左足で踏みつけると、右足で肩を、そして再び左足で腰、右足で脹脛を踏みつけて走り抜けた。

 もちろん相手を気遣い走り抜けるような気遣いは無く、むしろダメージを増大するために踵で着地したので、短く四度悲鳴を上げた男は走り抜けた俺背後でのた打ち回る。


 仕上げに背後から馬乗りになって頚動脈を締め上げて気絶させると、ザイルで後ろ手に縛り上げる……その時、エロフの事を思い出して緊張したのは内緒だ。


「この男が何者か分かりますか? ……勿論分かる筈がありませんね。愚問でした」

「そうだな……しらねぇな!」

 顔を皮膚の下の表情筋をピクピクと蠢かしながら、不気味な笑顔を作りながら答えた。

「おや、先生にそんな事を言われて、こいつは驚いたような情けない顔をしていますよ……可哀想に」

「知らんな!」

 全く感情を感じさせない声……切り捨てた。大島のことだ「中学生にやられるような情けない奴に掛ける情はない」と判断したのかもしれない。

 こんな短時間でそう決断を下せるのが恐ろしい。俺ならば同じ結論を下すことが出来たとしても、逡巡する事になる……ちなみに逡巡は普通に決断する事をグズグズと躊躇う意味の他に、百兆分の一を意味する言葉でもあり、またごく短い時間を表す言葉としても使われる。さて、どちらの意味だろう?


「ねえオジサン。これからどうするつもり? 古瀬さんの船で本土まで送り届けられて、『本人も反省していたみたいで実害もなかったから開放した』って事になるから大丈夫と思ってるんでしょう? ……でも、そうはならない。俺がさせないから」

 システムメニューを開いて時間停止状態にして、身体の隅々まで所持品をチェックする。

 流石に財布や免許証などは持っていないが、スマホは持っていた……なるほど指紋認証機能つきだから安心して持ってたのかもしれないが、捕まってしまえば何の意味も無い事に気づかなかったのは愚かとしか言いようがない。

 時間停止状態で抵抗することも出来ずに認証画面に指を押し付けられて、スマホのロックを解除されるのだが、別にシステムメニュー関係なく、拘束されて縛り上げられたら否応なく同じ結果になるのでスマホも持ち歩くべきではなかったのだ。


 システムメニューを解除してスマホを操作しながら一言吐き捨てる。

「一秒たりともスマホを手放せない女子高生かよ……素人が」

 男と大島が同時に呻いた。



【所持アイテム】の中からミニノートパソコンを取り出す。

 昨日、部活の後に一年生達の買い物に行ったついでに駅前の家電ショップで買った型落ちのASUSのミニノートパソコンで、選択の基準は店頭にある商品の中で一番バッテリー駆動時間が長かったからだ。

 代金は自分財布ではなく、例の件でヤクザの財布から頂いた金だ……ハートはクールに痛痒すら感じない。むしろ使ってやるから感謝しろといったところだ。

 使用目的は、サバイバルに関するデータを片っ端から流し込んでおく事。全て俺の頭の中に入っているという説明では、データの信頼性が失われてしまうからだ。

 流石に他人のスマホからデータを抜くために用意したのではないので、USBケーブルは買っていなかったが、鈴中の家から回収した荷物の中に入っていたのでそれを使わせて貰い、スマホの中のデータをコピーし終えた……後はこのパソコンを紫村に渡せば良い。

 パソコンを収納してから、スマホを元あった場所へと戻してシステムメニューを解除した。


「とりあえず、顔写真を撮って後でネットにアップしておくよ」

 そう言いながら携帯を取り出して、男の顔に向けて数回シャッターを切る。

「やめろ!」

 男は自分の額を地面にこすり付けんばかりにして顔を隠す。

「止める理由がない」

 さらにシャッターを切り続けてやる。


「高城、分かった俺の負けだ……こいつは俺の後輩だ」

 意外だった。別にこの場で大島を追い込む心算などは無かった。そもそも、この程度の心を動かすような地球上の生き物だとは思っていないから。

 むしろ、捕まえたこの男の方を追い込む心算だったのだが、まさか大島が負けを認めるとは……おかしい。何かが決定的におかしい。

 大島にも人間らしい心があったんだ……なんて感動するほど馬鹿なら、とっくに俺は心を病んで登校拒否になっている。

「認めるんですか?」

 ちなみに見回りに出る前から、教頭を盗聴した時に使ったMP3プレイヤーで録音しているので、先ほどの大島の言葉も拾っている。

「ああ、今回ばかりは俺の負けだ。冬休みの合宿は諦めてやる」

 間違いなく嘘だ。こんな無謀な合宿を企ててまで往生際悪く冬の合宿を遂行しようと考える奴が、こんなに潔く判断出来るはずが無い。


 何が狙いだ? 間違いなく俺を油断させることだろう。ならば俺を油断させてどうする? 男の顔を撮影した携帯電話だろう。

 男のスマホのデータを抜き取られた事を知らない大島にとっては、携帯の画像を始末出来るなら、後は知らぬ存ぜぬで乗り切るのは簡単だと思ったのだろう。


 つまり、大島は俺の携帯を奪いにくるはずだ。

 最低限、この見回りが終わる前に奪う必要がある。更に言えば、他の手下が発見される前に立場を逆転させるのが望ましい。

 そして、これが一番重要なことだが、俺に主導権を握られている状況に大島が耐えられるはずが無いという事だ。


 俺は大島の視線を引き付けるように、ゆっくりと大きな動きで携帯を学校指定ジャージの右ポケットに入れる。

 大島の目が携帯の動きに惹きつけられる事は無かったが、逆に一瞬も視線を向けてこなかったのは不自然だ。


「じゃあ、次に行きましょう。どうせ自発的に止めさせる気は無いんでしょうし」

 そう言いながら、わざと背中を見せる。

 ……本当に恐ろしい奴だ。次の瞬間には俺の背後に立っている。百八十五センチメートルを超える図体で、周辺マップが無ければ俺に気づかせないほど音も立てずに背後を取るなんて化け物としか言いようが無い。

 システムメニューで時間を止める。そしてポケットの携帯を収納し、上体を捻って振り返ると──時間停止中は俺自身一歩もその場から足を動かすことが出来ないのが面倒だ──大島の懐に手を伸ばして奴の随分と丈夫そうなスマホを奪い取り、液晶画面をデコピンで割ってからポケットに入れてから、システムメニューを解除する。


 大島は素早く右手を伸ばすと、俺のポケットの中から自分のスマホを抜き取る。

「ふん、これさえ手に入れれば──」

「それは落し物ですよ。誰かのね」

「──何? これは……俺の? 何で俺のスマホが……壊れてる!?」

 どうだと言わんばかりの大島の顔つきが凍りつき、そして驚き、更には絶望へと変わった……そんな表情を見せるとは、よほど大事なデータが入っていたみたいだな。

「おや、拾い物は大島先生のスマホでしたか? 乱暴に扱うから壊れてしまったみたいですね」

 大島君。ドヤ顔ってのは、今君が見ている俺の顔の事を言うんだよ。


「てめぇ何て事をしやがる!」

「さて? 俺は拾ったスマホをポケットに入れていただけで、壊したのは先生だと思っているんですが? それより、どうして勝手に人のポケットからものを盗み取ってるんですか?」

「違う、お前のポケットの中に俺のスマホが見えたから──」

「その割には、これさえ手に入ればとか、何で俺のスマホが? とか言ってましたね」

「あーっ聞えねぇな!」

 餓鬼かこいつは? しかも何て昭和臭の漂う餓鬼だ。俺は呆れて「もう良いです。戻りましょう」と言って、来た道を戻った。


 大島は上手く煙に巻いた心算かもしれないが俺は違う。一度負けを認めておきながら証拠を奪い取った上で反故にしようとした事を絶対に許さない。

 自分の手下達に襲い掛かる悲劇。その責任の全てはお前にあると思い知らせてやるさ。

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