第26話

 朝、目覚めると隣にルーセが寝ていたが、予想はしていたので驚きはしなかった。

 ルーセの小さな手はしっかりと俺の右腕を掴み、顔を寄せている俺の肩は彼女の涙に濡れていた……鼻水や涎もだ。

 濡れた肩の冷たさに顔を顰めながら反対側の手でルーセの頬を摘むと、引っ張られて開いた唇の端から大量の涎が俺の肩へと零れ落ちた……藪蛇だった。

「おはよう。ルーセ」

 流石に声を掛けて起こしにかかる。

「んっ……おはよぅ」

 昨日は隣にいる俺に気づいてうろたえていたのだが、2日目ともなると実に堂々としていて、そのまま俺の肩に顔を摺り寄せた。

「……冷たいよぅ」

 むずがるように抗議の声を上げる。

「それはルーセの涎だよ」

「うぅ……ぃやぁ~」

 涎と聞いて俺の腕を押し退けるようにして顔を肩から遠ざける……嫌なのは俺の方だと思ったが我慢した。


 右腕を解放された俺はベッドから身体を起こす。

「寒い」

 めくれ上がった布団の隙間から入り込む朝の空気から逃げるように、布団の足元の方へと逃げ込んで行く。

「こら! ちょっとそこは駄目だから」

 止めろ! そこはデリケートなんだ。いい加減にしないと俺のビッグマグナム黒岩先生が火を噴くぜ! …………見栄くらい張らせてくれ。

 何とか下半身にしがみつくルーセの捕獲に成功する。

「もう少し……ちょっとだけ」

 まるで子供のように駄々をこねる。いや子供なんだよな……こうして甘えてくれるようになったから気づいただけでさ。


 こんな小さい子が、この家でたった一人で寝起きし、自分で狩りをして生計をたてる毎日。駄々をこねる相手も甘える相手もいない生活。

 そう考えた途端に湧き上がった強い感情のままに、俺はルーセを抱きしめた。

「ルーセは頑張ってきたんだ。少しくらい甘えても良いさ」

「うん。ルーセ甘える」

 膝の上で俺の胸に顔を寄せる彼女の背中を赤子をあやすように優しく叩き続けた。



 狩りに出かける前にステータスメニューで現状を確認する。

 ルーセはレベル十五まで上がったが、魔術に関しては彼女は未だにどんな属性の魔術も身に着けていない。だがそれは何の問題も無い。とはいえ余り問題は無い。彼女より魔術に関しては適正のある俺でさえ戦闘に使うには微妙な魔術しか身につけていないのだから。

 特筆すべきは筋力をはじめとする身体能力の上昇。今の彼女ならオーガと腕相撲しても勝てるのではないかと思う。

 俺も昨日はレベルを三上げてレベル二十七になり身体能力も上昇した。以前なら上昇した数値を見て心強さと共に恐れさえ覚えたが、ルーセの数値を見て以来心許なく感じている。


 もちろん弓で戦えといわれなければ、実際に戦ってルーセに負けるとは思わないが、そもそも相手は火龍であり、攻撃力は装備による急所への打撃力や貫通力を無視した攻撃があるので問題を感じないが、ブレス攻撃を回避するための速度に不安を覚える。

「火龍のブレス攻撃って知ってる」

 俺の質問にルーセは頷く。

「ブレス攻撃? ……火龍は火を吐く」

 一瞬の間は、どうやら『ブレス攻撃』が上手くこちらの言葉に変換されなかったのかもしれない。

「どんな風に吐くの?」

「火の玉。自分の口よりも大きな火の玉を吐く」

「自分の口よりも大きな火の玉を吐く?」

 どういう理屈だ? いや待て、またファンタジーだ。しかもどうせ大した意味も無いのに過剰な演出の都合なんだろう?

 可燃性の液体を分泌する器官と喉の辺りに噴出用の器官があって、そこで送り込まれた液体を噴出と同時に魔術で発火のような、生物学的にはともかく物理的にありえる方法ならば、今使える魔術のみでとれる対応手段も無い事は無いが、どうせ火の精霊が云々というファンタジーなんだろう。

「そう、それがぶつかると爆発して、周囲の物が燃え上がる」

 うん、よく分からん。現実の兵器で例えるなら油脂焼夷弾に近い攻撃手段だが……

「火の玉が飛んでくる速度はどれくらい?」

「かなり速い。でも今のルーセやリューなら攻撃されてからでも、安全な距離をとって逃げられる……けど」

「けど?」

「火龍の巣の傍には避ける場所が無い」

「そうか……ところでルーセ」

「何?」

「俺に嘘を吐いてたよね」

 俺の言葉にルーセの顔が一瞬にして強張る。

「な、何の事か、分からない」

「へぇ~何の嘘の事を言われてるのか分からないんだ。そんなに沢山の嘘を吐いてたんだね」

「違う。嘘は一つ……あぅ」

「おとなしく白状する?」

 俺の言葉にルーセは何度も首を振ってうなずいた……お仕置きが堪えている様だ。


 俺はルーセが火龍について、空を飛んでいるところしか見たことが無いと言ったのを憶えていた。

「ごめんなさい。ルーセ火龍と戦ったことがある……お父さん、お母さんと一緒に居たところを襲われて……」

 なるほど、その話に触れたくなかったから言わなかったのか。

「悪かった。でも火龍を倒すためにはどんな些細なことでも知っておきたいんだ」

「うぅ……分かった。二年前、ルーセはお父さん、お母さんと一緒に狩りに出た……と言うのは嘘で、こっそり後をつけた」

 二年前のルーセなら現実では幼稚園児程度の年齢だろう。幾らなんでも親も狩りには連れて行かないだろうと思い、じっとルーセの目を見つめたら白状した。

「加護のあるルーセならお父さん達も気づかなくてもしかたないか」

「違う、その時は未だ加護を受けてなかった……ルーセは天才!」

 確かに天才なのかもしれない。しかしこの子は時々調子に乗るな。


「はいはい。天才、天才」

「むう」

 軽く流された事に対して、怒ったルーセは俺の膝の上に乗ってしがみつくと脇腹を掴んで揉んでくる。彼女としてはお仕置きの積もりなのかも知れないが、俺は空手部の連中から不感症と呼ばれるほどくすぐったがらない体質で、脇の下をくすぐられても気持ち悪さを感じるだけだ。

「?」

 何の反応も示さない俺に驚きの表情を浮かべると、手を脇腹から脇下へと移動させてくすぐりを開始する。

「うう……何故?」

 一向にくすぐったがらない俺に、悔しそうに上目遣いで睨み付けてくる。


「それはルーセがテクニシャンじゃないからだよ」

「テクニシャン? ……それ何?」

「知りたい?」

「うん」

 言質を取った俺は、マルを相手に鍛え上げたくすぐりのテクニックというものをルーセの容赦なく身体に教えてやったのだった。

「……変態」

 一分後、紅潮した顔に汗を浮かべ、息を乱したルーセに変態呼ばわりされる。特殊な趣味を持った人間には大変なご褒美なのかもしれないが、あいにく俺は変態では……少なくとも俺は認めてない。


 ともかくだ。俺は力尽きて大人しくなったルーセから火龍についての情報を聞き出した。

 森の奥深くまで分け入ったところでルーセの尾行がばれて、両親に村へと連れて行かれることになる……無論、説教された挙句にだ。

 だが、ルーセを連れての帰り道だけに出来るだけ魔物に遭遇しないように、魔物の生息地帯を避けて、普段は通らない魔物が少ないルートを進んだことが命取りになった。


 魔物が少ないルート。それは火龍の縄張り故に他の魔物が立ち入ることを避けていたのであった。気づかずに火龍の縄張りに足を踏み入れてしまったルーセ達だが、そこは縄張りの外周にあたる場所であり、たまに他の狩人が入り込んでも火龍に襲われることは無かった。いや火龍がその周辺を根城にしている事さえ誰にも知られていなかったのだ。


 運が悪かった。そうとしか言い様が無い。ルーセ達は火龍に襲われてしまう。

 突如、上空から叩きつけられるような咆哮が三人を襲い。見上げた先には全身を覆う赤い鱗を陽光に輝かせて浮かぶ火龍の姿があった……ルーセは恐怖よりもその美しさに圧倒されたそうだ。

 母がルーセの手を引いて走り出すと、父が弓に矢を番えて構えて「逃げろ!」と叫ぶ。そしてそれがルーセが耳にした最後の父の言葉になった。

 ルーセの手を引き必死に走る母の様子に、やっと只ならぬ状況に立たされていることに気づいた瞬間、背後から衝撃と共に爆発音が響き、更に熱風が2人を追い越していく。

 振り返ろうとするルーセに母は「振り返らず走りなさい」と叱り付けると、手を離して立ち止まる。思わずルーセが振り返ると自分達が走ってきた道の向こうから火龍の紅き双眸がこちらをじっと見つめている。「走りなさいルーセ!」母の叫びと共にルーセの背は押し出され、走り始める彼女の背中に「生きて、ルーセ」と母の最期の言葉が発せられた。

 ルーセは涙をこらえて必死に走る。だが再び衝撃と爆音、熱風。そしてそして死がルーセの背中に追いついた。

 背中を襲った衝撃にルーセの身体は跳ね飛ばされて木に叩きつけられて気を失った。


 ルーセが気づくと周囲に火龍の姿は無く、見上げると頭上に光り輝く球状の何かが浮かんでいた。

 光の玉は大地の精霊を名乗り、ルーセに加護を与えたと告げ消える……何故か大地の精霊に関しては、ルーセも記憶がはっきりしないらしく詳しい話は聞けなかった。

 大怪我を負ったはずのルーセの身体は傷一つ無く、それどころか今までとは比較にもならない強い力が身体中にみなぎっていた。

 両親を探さなければとルーセが思った瞬間、森の中生き物の気配が感じられるようにもなった。しかし両親の気配だけは決して感じることが出来なかった。

 俺の膝の上で、胸に顔を埋めてルーセは語った。


「火龍の気配が無かったから、道を引き返してお父さんとお母さんを探した……」

 ルーセが見つけたのは黒焦げになった二人の姿。

 火龍は捕食のためにルーセ達に襲い掛かったのではなかった。自分の縄張りに踏み込んだ不届き者に制裁を加えたのか、単に楽しみのために狩ったのかのどちらかだった。

 ルーセは力はともかく小さな身体では、二人の遺体を村まで運んで帰ることは出来なかったので、近くの丘の上に穴を掘るとそこに二人を埋め墓を作った。


 それからルーセは毎日のように森に入り、狩人としての腕を磨きながら復讐を果たすべく火龍の巣を探し始めた。

 火龍の気配を探り、居ないのを確認しながら奴の縄張りを捜索すること半年をかけて、ついにルーセは火龍の巣を見つけ出した。


 その巣は、岩肌がむき出しになった崖に、一度融けて固まったチーズの様に滑らかな表面をした穴が六十メートル以上も続いた先に開けた空間の広がる洞窟で、更に上へと伸びて火龍が出入りが出来る縦穴があるそうだ。

 融けて固まったチーズの様って、岩を火龍が溶かしたってことだろう。ルーセの知っているブレス攻撃とは別の何かを用いたとしか思えない。というよりもルーセが知っている火龍の攻撃手段が氷山の一角に過ぎなかったと考えるべきだろう。

 それにしても岩をも融かす攻撃か、食らったらロードを実行する前に死ねるな……一撃食らって確認という訳にはいかないな。

 水龍以上の厄介さに頭が痛かった。

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