第7話
「つ、疲れた……死ぬ」
流石に全力疾走は拙かった。
幾らレベルアップにより超人的ともいえるほどの身体能力の向上があるにしても、馬じゃないんだから百メートルを九秒を切りそうな勢い十分間も走れば死ねる。
肉体の限界が精神の絶頂を打ち破った結果である。
「……に、人間は、孤独で居ると……だめだ……お、おかしくなる……」
人と人の間に居ると書いて人間。そうですよね金八先生? 自分の行動を反省しつつ、そう心の中で呟くと力尽きて地面にへたり込んだ。
やっと乾いたはずの服も、汗でじっとりと重たくなってしまった。まあ日も高くなり気温も上がってきたのですぐに乾くだろう。
残り少なくなってきた水筒を煽ると、大きく深呼吸し立ち上がり今度は普通に歩き始める。
「長閑だねぇ~」
人が居る痕跡である橋と道を見つけた事で、景色を眺めながら歩く心の余裕が出来た。
左手には対岸が薄く立ち込めた靄によって見えないくらいスケールの大きな湖が広がっている。広域マップで確認しても範囲の三キロメートルよりも先に対岸の形も分からなかった。
ちなみに広域マップに表示される範囲は周辺マップの百メートル範囲に表示されてアクティブになった範囲だけかと思っていたが、それは森の中のような見通しの利かない場所だけで、先日の崖から見渡した範囲。勿論全てではなく半径十キロメートル程度である程度はっきりと目視出来た範囲がアクティブで詳細情報が表示されている。
また今見ている湖なども見通しが利くので広域マップの範囲の先にも表示可能範囲が広がっているようだ。そのことに今更ながらに気付いたのは、広域マップは使い勝手の悪さから使ってなかったためである。
それにしても綺麗な景色だ。穏やかに揺れる水面に揺らぐ光、その上を滑るように優雅に飛ぶ水鳥の影。そしてそれを襲う首長竜に似た──額には1本の長くて鋭い角があり、首から背中にかけては鮫の背びれの様な三角の突起物が幾つも縦に並んでいる──巨大なモンスター。
「……い、いや~さすがファンタジーさん、本当に良い仕事してるな~アハッハッハッハッハッハッハァ~」
乾いた笑いが口を突いて出る。
水面下から勢い良く飛び出した首長竜はその巨躯を宙に泳がせて、飛んでいた水鳥をその牙にかける。そして着水前に暴れる水鳥を咥えたまま自分の首ごと水面に叩きつけ、止めを刺すと水面下に消えていった。その様子を呆然と見送りながら、異世界→水辺→超コエェェ!と心に刻み付けるのであった。
そういえばこの世界はドラゴンも出るのだ。油断なら無い異世界で浮かれている場合などではなかったのである。
それにしてもデカかった。現在位置から湖岸の距離を広域マップで確認すると約二百メートル弱。それから湖面に残された波紋の中心の位置は目測で三百メートル程度。学校の敷地の長い方の一辺と同じなので首の長さだけでも、部活のランニング中に嫌というほど良く見る二階建ての民家の屋根の高さと同じくらいあったことが分かる。
しばらく進むと道は森へと入っていく。
昨日の森の事もあるので周辺マップを注視しながらゆっくりと中に入って行く。だが森の中に多くの動物か魔物の存在は確認出来るが、いきなり敵対を意味する赤シンボルに変わる個体は居ない。
それでも注意深く辺りに気を配りながら森の中を更に進むと、道の真ん中に一頭の鹿、昨日森で襲ってきたのと同じ、額の中央から一本の角が生え、その根元から十センチメートル先から左右二本に分かれ、更に先の方で何度か枝分かれして現実の鹿と同じような角にも見えない事も無い鹿モドキが、既に二十メートル位の距離になっているにも関わらず襲ってくる様子は無くこっちをじっと見つめていて、システムメニューも敵との遭遇アナウンスをしない。
しばし見つめ合うが、やがて鹿モドキはすっと視線を外すと森の中に消えていった。
「……種として凶暴という訳ではなく、昨日の森の個体が特別に凶暴だった……もしくはあの森に動物を凶暴にさせる何かがあったのか?」
そういえば、木々が異常に大きかっただけでなく、昨日見た鹿モドキはもっとずっと大きかった。もしかして今見たのが小鹿だったのか? いや、あの角は立派な大人のものだし……
俺は答えを出せぬまま、再び先へと進み始める。
周辺マップの表示範囲ギリギリに赤いシンボルが現れた。
位置は前方で俺が前に進むほどに次々と赤いシンボルが現れる。その数はおよそ、およそ、動くなよ……システムメニューを開いて、時間を止めた状況で確認すると6体。
一度遭遇した事のある動物や魔物と同種ならば、そのシンボルが何の種なのか分かるのだが、今回の赤シンボルは未知の敵なのだろう全て不確定と表示されている。
だが、赤シンボルなのにこちらに向かってくる様子は無い。それどころか道なりに俺が進むのと同じ方向へと進んでいる。
「俺以外の何者かに対して戦闘態勢に……」
俺に対する敵対者だけではなく、マップ内の闘争状態……一定の興奮状態にある生き物が赤で表示されるのか。
身軽になるためにマントを収納する。そしてセーブを実行すると敵の集団を目指して走り出した。別に無謀な勇敢さに駆られての行動ではない。とりあえず突撃して赤シンボルの正体と目的を確認。その後ロードして戻り今後について考えるための判断材料とするという我が身を大事にが基本方針に沿った行動だ。
一歩一歩地面を蹴るごとにどんどん赤シンボルの数は増えていく、そしてその姿をついに目視する。
「豚人間……オーク?」
食用豚を誰得か知らんがリアル志向で擬人化したとしか言い様が無い姿。
納得がいかん。オークは豚人間じゃなく猪人間だろ。もしオークが豚人間なら、猪を人間が家畜化して豚になったように、オークの進化には人間の手が関わっているとでも言うのか?
そんなことを考えつつも一気に距離を詰めていく。そして俺の接近に気付いたオークが腰から曲刀を引き抜きながら振り返ろうとした首元へ「美味そうじゃねぇかブタァァァァァァァッ!」と剣の切っ先を突き入れる。
そして剣を収納すると、次の瞬間首から吹き上がる大量の血液をかわして前へと踏み込むと、次の標的の首を目掛けて剣を構えるように右手を差し伸べ、システムメニューから剣を装備し直す。
その瞬間身体のバランスが崩れた。自分の腕の中に現れた剣の重さに引っ張られたのだ、それは剣が静止状態で現れたような……というかその通りなのだろう。ゴブリンの時は俺は足を止めた状態で突っ込んでくるゴブリンに対して槍を出現させてから突いていた。だが、今は動きながら出現させたから静止状態の剣に身体が引っ張られた。
咄嗟に剣を収納しながらオーク横殴りの一撃を身を屈めて潜り抜ける。
「拙いな」
そう呟いた時、俺の頭の中で「自分の手で突かなくても、剣を持たずに剣を装備したら刺さるであろう位置で構えて、システムメニューで剣を装備すれば、刺さるという過程をぶっ飛ばし、刺さったという結果だけが残る!」と誰かが囁いた……まあ誰って自分なんだけどね。
試してみると考えた通りの結果が出た。
今までの刺さった得物を引き抜くという動作に加えて、突き刺すと言う動作も省略が出来るようになった。
戦いにおいてこの2つの動作を省く事が出来るという事で反則としか言い様の無いアドバンテージを得る。まさにチート。戦闘系チートの誕生である。
しかし多勢に無勢。数の暴力にはチートですら抗うのは難しい。一歩一歩前へと踏み込むごとに嵐の中で向かい風に立ち向かうかの様に圧力が増してゆく。
システムメニューによる時間停止の状態で行う敵の位置把握と状況整理。そしてシステムメニューのON/OFFによるコマ送りが俺の闘争の継続を支える。
背後からの斬撃を上体を前に倒してかわしつつの後ろ蹴りで往なす。それと同時に目の前のオークの心臓に右手の剣の剣先を送り込む。
同時に複数の敵に対応するアクロバティックな動きで既に十数体のオークを屠り、このままいけるのでは? と希望を抱いた時。絶望が目の前に現れた。
オーク達の向こうから現れる巨大な人影。
「あれはオ──『オーガが現れました』……本当にご親切にありがとう」
身長は俺の倍以上。四メートルはあろうかという巨体の頭部では左右二本生えた角がねじれながら天を突いている。その姿に金玉が身体の中に入り込もうとしてキュッとするほどの恐怖感を覚える。
瞬間的に逃げるという選択肢が頭に浮かぶが、それはすれに俺の周囲を取り囲んでいるオークどもを排除しなければ不可能であり、俺はオークとの戦いを続行せざるを得ない。
オーガは巨大な……巨大過ぎて棍棒と呼んで良いのかすら分からない代物を振りかぶる。
「遠い」
思わずそう口にした様に、幾らオーガの腕が長くても、棍棒が長くても、踏み込みが大きくとも、その位置からは俺には届かないと判断すると、オーガを無視して手薄な右側のオークを剣で刺し殺した。そして出来た包囲の隙間から逃げ出そうと踏み出しながらオーガの方を振り返った──次の瞬間、周囲の空気が、いや空間が震えた。
その巨体からは、その巨大な棍棒からは想像も出来ない速さの一撃が放たれると「ゴッ」という音が身体の中に飛び込み臓腑を震わせると、俺とオーガの間に立っていたオーク達がまるで軽い卓球の球のように弾き飛ばされる。
弾き飛ばされた一体が真っ直ぐ俺を目掛けて飛んでくる。オークの体長は百六十センチメートルと程度と俺よりも十五センチメートルは低いが、その骨太の骨格と分厚い筋肉で形作られる樽のような胴体で、体重は俺を大きく上回るはずだ。しかし重たいその身体を乱回転させながら地面とほぼ平行に飛んでくるという出鱈目な光景。
俺はオークの包囲から逃げ出すために既に一歩大きく踏み出していて、そのオークを避ける方向へと身体を逃がす事が出来ない。何とか身体を捻ってオークの樽の様な胴体部分は避ける事が出来たが、次の瞬間、乱回転する胴体の向こうから現れたオークの脚が俺の胸を捉えた。
肋骨がまとめて数本へし折られる音が響き、一瞬遅れて激痛が襲う。その痛みに意識が刈り取られる直前「ロード」と念じる事が出来たのは奇跡だったのかも知れない。
「なんだありゃ!」
本当に何なんだろう?
「出鱈目過ぎる!」
常識が信じられなくなりそうだ。
「理不尽だ!」
我ながら尤もだ。
正直勝てる気が全くしない。何か色々と次元が違っている。単に身体のサイズの違いだけではなくパワーウェイトレシオがオーガの方が、レベルアップの恩恵を受けて人外レベルに達しつつある俺よりも遥かに上と考えるべきだ。
「だけど、戦闘態勢の奴等が向かう先は多分、村か町」
あの数で襲うのだ、規模の大きな町の可能性もある。町か……宿もあるのだろう。保存食じゃなくちゃんとした飯も食べられる。そう考えるだけで堪らない。
「いや待て。だがオーガと戦うのは……」
オーガとの戦いは避けたいが、もう保存食のすぐに腹が膨れるだけの食事はうんざりだった。今までそんなに「美味しくない」と自分で自分を騙してきたが、保存食ははっきり言って不味い。食感は固くて堅くて硬く、噛み砕いた後はボッソボソ。味もうっすい塩味のみで、中の具は小麦粉と混ぜる前に既に乾しているのだろう。カラッカラに乾いていてちょっとやそっと噛み締めただけでは何の旨味お出してくれない。その上に匂いも良くないのだ。正直なところ好きでなかったカロリーメイト系のブロック食品が今では滅茶苦茶美味そうに思える。
ただ栄養を摂取するためだけ食う事ではなくきちんとした食事への欲望。似ているようでこの差はとても大きい。
「も、もう一度だけ……そうだ、もう一度だけ挑戦して、駄目なら諦める……」
オーガへの恐怖は異世界のまだ見ぬ食事の誘惑に屈した。簡単に屈した。犬ならお腹見せて「く~ん、く~ん」と鳴くぐらい屈した。
だが、先ほどと同じように何も考えずに突っ込んでも同じ目に遭うだけだ。オーガと戦う前にオークを排除する必要がある。
それにはオークを少数ずつ群れから切り離して始末していくしかない。その方法は……
「まあ、出たとこ勝負か、失敗したらロードすれば良いし」
ぶっちゃけてしまった。
気付かれないように慎重に奴らに接近していく。
最後尾に居るオークとの距離は十五メートルほど、俺は手頃な大きさの石を探して道端に目をやるが見つからない。こんなことなら川原で石を拾って収納して置けばよかったと思うが、こんなことになるとは想像もしていなかったので後の祭りである。
「仕方ない」
手頃というか手に余るというべき大きさの石を拾うと、木の陰から最後尾のオーク目掛けて投げつける。
当たって振り返ったオークに俺の姿を晒して見せてから逃げ、追ってきた数匹を始末する……予定だったが、石はオークの後頭部を見事に捉えると、声を上げさせる事無くその意識を刈り取った。いや周辺マップから赤いシンボルが消え『奇襲でオーク1匹をたおしました』とアナウンスが流れる……当たり所以前に石が大きすぎた。
突然倒れた仲間に周囲のオーク5匹が駆け寄り集まる。
俺は木の陰から出て身体を晒し道の真ん中に立つ……お~い、気づけよ。手を振ってみるがオークは「フゴフゴ」と話していて俺には一向に気付かない。
仕方が無いので再び石を手にするとオーク目掛けて投げつける。その石は先ほどのに比べても大きい。自分の拳よりも大きく本来ならそのサイズになると砲丸投げのような投げ方をするべきなのだろうが、レベルアップの効果で何の問題も無くオーバースローで投げる事が出来た。
石は放物線を描くこともなく一直線に飛んで1匹のオーガの額を捉えると、またもやその命を奪う。
「すげーな」
オーク討伐のアナウンスを聞き流しながら、投石最強伝説。思わずそんな言葉が頭に過ぎる。
「プギィィッ!」
流石にオークどもも俺に気付くと、甲高い鳴き声を上げながらこちらへと走ってくる。顔に、いや身体に似合わず滅茶苦茶速い。 短距離・中距離・長距離全てにおいて陸上部の代表選手より遅い者がいないといわれる空手部。その主将たる俺でも振り切るのは難しい程の俊足だ……ただしレベルアップする前ならという条件が付く。
今なら、スキップをしながら「捕まえてごらんなさ~い」と走るくらいがちょうど良い感じだ。そして百メートルほど走って十分にオーガから引き離した後で逆襲に転じる。
奴等が抵抗する間も与えず、すれ違い様に首や胸を剣で貫き命を奪う。単なるレベルアップによる身体能力向上だけでは不可能な、システムメニューを用いたチートが為しえる所業だ。
そして『オーク四体を倒しました』のアナウンスの後にレベルアップした。
「あれ?」
ロード前に、オークを十体以上倒した時にはレベルアップしなかったのに、奇襲で倒した2体を含めて6体を倒しただけで何故レベルアップしたのだろう?
疑問に思い、システムメニューの【オプション】-【HELP】-【良くある質問】を選択して調べる。『レベルアップのタイミングは?』という項目があったので確認すると、戦闘終了後に討伐のアナウンスが行われた後にレベルアップ処理は行われるとあった……どこまでゲームなんだよ?
システムメニューを解除するとすぐに『オークが五体現れました』とアナウンスされる。周辺マップを確認すると、それとは別に七体ほどの集団が追ってきているが全てオークであり、この場合オーガを示す不確定──マップ機能で一度遭遇した敵と同じ種族は、シンボルに種族名が表示されるが、ロード後にはその情報も巻き戻されるので、ロード後にも戦っているオークの種族名は表示されるがオーガは不確定としか表示されない──のシンボルはなかった。
その後、立て続けの二度の戦闘で十二体のオークを倒した俺は、レベルを更に一つ上げてレベル七に達していた。
短時間でのレベルアップで身体に力が漲るのが実感できる。
それにしてもこれほどレベルアップが早いということは、本来オークはこのレベル帯では戦って勝てる相手ではないのかもしれない。
そんな事を考えていると、ついに周辺マップに不確定と記された赤いシンボルが現れた。
「まだ早い」
不意に口を突いて出た言葉に、何が早いのだろうかと自分で問う。
まだオークの数を十分に減らしきっていないのか? それともまだオーガと戦うレベルに達していないのか?
どちらにしてもロードを実行するべきなのだろう。だが接近してくるオーガをマップで捉えながらも俺はロードを実行しない。いや、したくなかった。
レベルアップで手にした力を失いたくない。それもあるだろう。
しかし、俺を戦いに突き動かさんとするのは「戦いたい」という想いだった。
ここで引き下がれるような性格なら、二年間も空手部なんて続けていない。
いくら学校の規則で退部が認められないとしても、弁護士を立てて教育委員会や学校を訴える方法だってあるはずだ、はっきりいって大島という存在自体教師を続けている事が謎なのだし、もし大島を排除できなかったとしても、俺が転校するという方法もある。
空手部の実態を知れば暢気な両親だって認めてくれるだろう。
だが俺は二年間空手部に所属し続け、部員の誰よりも強くなった。
それは全て強くなって大島をぶっ飛ばす。それだけのために地獄のようなしごきに耐え続けてきたのだ。
恩は倍返し、仇は五倍返し、裏切りは十倍返し。それが俺の信条であり座右の銘なのだ。
「セーブ!」
俺は自らを背水の陣へと追い込んだ。
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