第5話

「確かに、身体能力だけでなく知能関係の項目もレベルアップで上がっていた……でも……」

 混乱から回復した俺は、冷静になって考える、そして考えれば考えるほど頭は混乱し、また時間を置いて冷静になるというのを繰り返していた。

 システムメニューの中で体感時間にして何時間悩み続けただろうか、やっと色々と頭の中で折り合いをつける。

 良く分からない現象ではあるが、この状況はある一点を除き俺にとっては問題どころか、プラスになるということだけははっきりした。

 レベルアップのシステムにより、自分の能力を高める事ができるなら、今後の俺の人生に大きな福音をもたらすだろう……まずは空手部顧問を退治して、この学校に平和をもたらし学校中から感謝されて、あわよくば彼女を作る! そんな夢のような事が実現するかもしれない。


 問題である一点とは、俺が異世界というか夢の中で死んだ場合。やはり現実世界の俺も死んでしまうかもしれないということ。

 そして深刻なことに俺は夢の中で意識を失う直前、断崖を崩落に巻き込まれて落ち、命の危険にあるということだ。

 現実世界で眠る→夢の世界→墜落死→現実世界の俺も終了。


「まずいなんてもんじゃないけど……これはどうしようもない」

 こればっかりは折り合いのつけようが無く、諦めるしか無いというのも事実だった。家に帰ったら寝るまでに遺書を書いて机の中にでも入れておく。それしか俺に出来る事はないのだから、これ以上悩むのも考えるのも無駄である……ああ、どうしよう。


 授業を受けていると、授業が面白くて仕方ない……今日で終わりかもしれないけど。

 スポンジが水を吸うように知識を身につけられるというのは快感といえた。

 三時間目の社会科の授業が自習になったので、暇潰しに教科書──今日は四月十六日でまだ使い始めたばかりの新しい教科書──に目を通していく、見開きの二頁につき十秒ほどのペースの斜め読みだが内容がどんどん頭に入ってくる。

 レベル四でこれなら、もっとレベルアップしたらどうなるんだ? と自分でも末恐ろしく思う。


 試しに内容を思い出してみると、一字一句正確にとかページを写真のように思い出すとかは『まだ』出来ないが、合法的カンニングのようなもので教科書の中から出題されるなら、何処から問題を出されても凡ミスさえ無ければ満点を取れるような気がする。

 そして最後まで読み終わると『中学三年生用 社会科教科書をファイリングしました』とアナウンスされる。

 システムメニューを確認すると【ログデータ】の下の階層に【文書ファイル閲覧】と言う項目が新たに追加されていて【中学三年生用 社会科教科書】が存在した。

 某有名ゾンビゲームシリーズにも、読んだ文書をファイリングする機能があったなと思い出す。思わずそのシリーズで使われるBGMが頭の中で再生され……『音楽情報を取得しました BGMリストから再生してください』……もう何でもありの状況に眩暈を覚える。


 その後、【中学三年生用 社会科教科書】をチェックすると文字列検索からページ指定のジャンプ機能など便利機能満載で、しかも自分の記憶の中と違い、一字一句正確に、しかも口絵の写真なども全て表示されていた……もう驚かない。

「待てよ、実際に読んで頭に入れなくても、手当たり次第に本を所持アイテムの中に放り込んでおいて、それを必要に応じてシステムメニュー内で読めれば……」

 そう気付き、システムメニューを開いて手に持っている教科書を見ながら『収納』と念じると、教科書は手から消える。

 そして【所持アイテム】を確認すると、確かに教科書があった。そして教科書しかなかった。【装備品】を確認しても装備可能な物は一切存在しない。夢の世界で所持していたアイテムや装備は全て消えていることに驚くと同時に凄く納得する。

 【所持アイテム】から教科書をチェックすると、思った通りに収納した状態のままで内容を読む事が出来てしまった。

 そしてまだ凄い事があった。システムメニューを開いた状態で、試しに自分が触れていない机の上にある筆箱に対して『収納』を試してみるとすると問題なく収納できた。どうやら俺を中心とした半径一メートルのシステムメニューの範囲内に存在するものは、触れずとも全て収納可能……ヤバイ。ヤバ過ぎる。自重しないと犯罪者一直線だよ。でも待てよ、これなら手品師としても食っていけるんじゃない?


 全ての授業を終えた放課後、俺は部活に出るため格技場へと向かう。今日は格技場で新入部員の歓迎会……今年も手荒い歓迎会になるだろう。二年前の自分を思い出して「逃げて!」と言いたくなる。

 今年の新入部員は六人。彼等は元々この空手部の事を知っている空手経験者の物好き達で、俺のように知らないで入ってしまった憐れな奴は一人もいない。


 どちらにしても彼等に訪れるのは等しく無残な運命。地獄の底で自らの思い上がりと愚かさを呪うことになるのだった。

 彼等が今まで体験入部などで見てきた、空手部の練習風景などは全て偽り。入学式以来、わが空手部は新入部員という名の犠牲者を一人でも多く獲得するために、まるで獲物をじっと待つ捕食者の様に普通の部であるかのごとく擬態していたのだ。


 彼等が部活の様子を見学しながら「噂ほど厳しい練習じゃない」とか漏らしていたのを心から憐れに思った。騙してごめんねと心が痛んだ。

 当然、この十日間ほどは朝練も中止していた。そして明日からは毎日朝錬だ。土日の朝練は自由参加だが、そんなのはただの建前。完全に朝練がないのは盆とその後の一週間──顧問の都合でその間は部活自体が無い──と正月。そして校則で明確に部活動が禁じられている試験前の一週間と試験期間だけだ。厳密言うと夏休みなどの土日も長期休暇中も朝練はないが、いつも通りに朝の六時から練習が始まり夕方までみっちりと一日しごかれるので、もはや朝練とは呼べないだけの話だ。


 部室で空手着に着替えて格技場に出る。

 二年と三年は既にストレッチなどを始めているが、新入部員達は所在無さ気に格技場の隅でかたまって突っ立っていた。

「主将! おはようございます」

 俺に気付いた二年生の七人が一斉に立ち上がり一礼する。空手部では午後だろうが夜中だろうが挨拶は「おはよう」だと決まっている。

「おはよう。今日からは部活もいつも通りだ気を引き締めていくぞ」

「オッス!」

 二年生達は一拍の乱れも無い返事と共に頭を下げた。


 そう。俺は空手部の主将になっていた。俺が入学した年の新入部員の中で未経験者の所謂『憐れ者』は俺だけで、他の四人全ては『物好き』だった。

 さらに俺には卒業したばかりの兄が居ると知った顧問は、何を誤解したのか俺を熱心に可愛がってくれた……相撲部屋的意味で徹底的に。

 俺には強くなるしかなかった。そして気付けば部員の中で一番強くなっていたのだった。


 新入部員達は俺と二年生達の様子に呆気に取られている。

 昨日までの上級生も下級生も関係ない和やかでフレンドリーな空手部の空気は何処にも無く、絶対的な鉄の上下関係を肌で感じて「おいおい聞いてないよ」とでも思っているのだろう。

「新入部員! お前等もぼさっとしてないで準備運動をして身体をほぐしておけ」

 そう。お前等が今日を生き残りたいなら念入りに準備運動をしておくんだ……頼むから。


「集合!」

 格技場に入ってきた空手部顧問こと大島(三十七歳 男 空手かもしれない何か五段 技術科教師)は竹刀を片手に、ドスの利いた声を張り上げる。その様は教師ではなくヤクザそのものである。

 二生と三年生は素早く立ち上がると、大島の前に直立不動で整列するが、まだ良く状況が分かっていない新入生は取り合えず立ち上がると、大島の前に集まるが自分達の立ち位置がわからずおろおろとしている。

「何だその様は!」

 パーンと床を叩く竹刀の音と共に響く大島の怒声に新入部員達は萎縮しその場に立ちすくむ。

「高城ぃぃぃっ!」

「はい!」

 自分の名前を呼ばれて俺は即座に返事を返す。ちょっとでもタイミングが遅いと殴られるのだ。

「貴様。主将として新入部員の指導がなってない。説諭っ!」

 いや、そもそもアンタが昨日までは「練習は穏便に、新入生には優しくな」と言ってたから「ヤクザみたいな顧問に怒鳴られてもびびるんじゃないぞ」なんて指導なんてしてないわ。と思いつつ首を右に傾けると耳の傍で『バシーン!』と音がはじけ左肩に痛みが走る。大島が鋭く振り抜いた竹刀で打たれたのだった。


 説諭という言葉には竹刀で打つという意味は何処の辞書にも書いてない。だが空手部においてはこれが説諭なのだ。しかし、そんなことを知らない新入部員達からは「ひっ!」と言う悲鳴が漏れる。

 驚いておきなさい。これからはこれが君達の日常なんだから、だから今の内に驚いておきなさい。これからは驚くとか、泣くとか、笑うとか人間らしい感情の発露が余り得意じゃなくなってしまうんだからと、肩の痛みよりも新入部員たちへの同情で涙が出そうになるのを堪えた。


「まずは体力だな。体力が無いと何も出来ない。お前ら外に出て校門に集合」

 そう言い残すと、さっさと格技場を出て行く。せっかく空手部で放課後に格技場を使える日──格技場は柔道部、剣道部、そして空手部の三つの部で共有して使用しているが、比較的練習場所を問わない空手部は平日の五日間の中で一日しか割り当てられてない。ただし朝練をやっているのは基本的に空手部だけなので、朝は空手部専用状態──なのに勝手すぎる、流石フリーダム大島。

 とはいえ新入部員を迎えての最初の練習というか暫くは毎年ランニングをやらされるのだ。

「新入部員。早く玄関に言って靴を履いて校門に行け」

 追い立てる俺の声に新入部員達は慌てて格技場を出て行く。あいつ等がぐずぐずしていたらまた俺が打たれる。


「大丈夫ですか?」

 二年の香藤が声を掛けてきた。

「ああ大丈夫だ」と言いながら右肩を回して見せる。

「打たれたのは左肩ですよ」

「ばれたか」

 などと冗談半分に答えているが、真面目で二年生のまとめ役でもある香藤は俺の次の主将にほぼ決定で、来年には俺と同じ目に遭うのだから深刻な素振りは見せたくない。


「よ~し、これからランニングに出る。死ぬ気でついて来い」

 集まった空手部部員にそれだけを告げると走り出す。

「あ、あの先生。どれだけ走るんですか?」

 新入部員の一人が、俺達にとっては聞くまでもない事を質問する。

 そうこれは彼等が大島という人間を理解していくための大事なプロセス。通過儀礼なのだ。


「どれだけ? 俺が良いって言うまではお前等は死ぬまで走り続けるんだよ!」

 新入生は大島の竹刀の洗礼を浴びる。だが一発ではすまないのが大島流。奴は相手が痛がったり悲鳴を上げる内は絶対に『笑顔』で竹刀を振るうのを止めないドSなのだ。


 奴が、どれくらいドSかと言うと、普段の奴は仮の姿である技術科教師として授業を受け持っているのだが、俺一年になって初めての授業の時に大島は「次から忘れ物をしたら椅子の上に正座して授業を受けて貰う」と説明した。

 技術教室の椅子は、背もたれも無い無骨な四角い木製の作業椅子であり、その座面もまっ平らな四角い合板が取り付けられているだけなので、二時間続きの技術科の授業でそんな酷い事はさせないだろうと、生徒の多くは冗談だと受け止めてしまった。全くもって救いがたい馬鹿どもだ。大島の顔を見て冗談を言う人間かどうか分からないなんてハムスター並みに生存本能が無い。

 結果的に次の授業では馬鹿な奴ら数名が忘れ物をした。


 当然大島が冗談など言うはずも無く、奴は忘れ物をした生徒に椅子の上に正座するように命令する。当然、抵抗する馬鹿がいて「ふざけんな」などと騒ぎ出すが、その瞬間大島は生徒六人で使う大きな作業机が反動で浮き上がるほどの勢いで天板を拳で殴りつける。そして驚きに固まる生徒達をゆっくり見渡すと、その凶相に笑みを浮かばせながら優しく「座りなさい」と命じる。

 馬鹿者達にも少しは大島という生き物のことが理解出来たようで逆らう者は一人もいなかった。


 だが椅子の座面の上に正座すると、どうしても高くなりすぎてノートへ黒板の板書を書き写すのにも背中を丸めなければならない上に、他の生徒もそいつ等が邪魔で黒板が見づらい。

 すると大島は教壇を離れ正座している生徒の元に行く。奴に怯え顔面を蒼白にし脂汗を浮かべて震える生徒の肩に手を乗せると「ノートが取りづらそうだな。立て」と声を掛ける。

 それまで張り詰めていた教室の空気は「やっぱりちょっとした脅しだったんだ」という思いで解れていく。次の大島の所業を目にするまでは……


 大島は立ち上がった生徒の椅子を横に倒すと、心底嬉しそうな笑顔に気持ち悪いほど優しい口調で「さあ低くなったから、ここにお座りなさい」と気持ち悪いほど優しく告げた……怖かった。今まで感じたことの無い。これが本当に怖いという事なんだと、その時俺は初めて思い知った。


 椅子の横には当然座面などあるはずもなく、四角い木製の脚が2本平行に渡されているだけで、江戸時代の牢獄での拷問に比べれば石地蔵を抱かされないだけマシだが、マシならば救いがあるのかといえばNOとしか言い様が無い。


 そんなドSな大島の取扱説明書など持たない新入部員には滅多打ちに遭う以外の道は無かった。

 新入生が十発ほどなぐられたのを見計らい、大島と新入部員の間に入り俺が竹刀を身体で受ける。痛いがこれが主将の役目だった。

「まだ初日です、これくらいで勘弁してやってください」

「……ああ、そうだな」

 幸い今日の大島は機嫌が良いのか、あっさりと竹刀を引くと再び走り出す。

 泣きながら、俺に「ありがとうございます。ありがとうございます」と礼を繰り返す新入生へ「黙って早く走れ」と命令する。

 彼に続いて新入生達は「こんなはずじゃなかったのに」「何でこんなことが許されるんだ?」「ひどすぎる」「ここは本当に現代の日本なのか?」「違うここは地獄だ……」などと泣き言を漏らしながら走り始める。

 確かに空手部は地獄かもしれない。だがお前達が今いるのはまだ地獄の一丁目ですらない。精々、地獄の近隣市町村くらいなんだよ。

 そう思いながら俺は彼等を見守るように最後尾を走る。脱落者を出さないように遅れた奴の尻を蹴り飛ばすために、座り込んでもう走れないと泣き言を抜かす奴の胸倉を掴み上げて立たせ、引きずってでも走らせるために……だって、こいつ等にリタイヤされたら俺たち三年生が背中に背負って走る事になるのだから……


 だが結局、新入生六名は八キロメートルを過ぎた辺りまでに全員リタイヤしてしまった……ふざけんな一年坊主どもっ! たった八キロぽっちの距離を三十分近くも掛けてゆっくり走った程度で何倒れてるの? 君達、四十二度くらいの熱でも出ててたの? 体力無さ過ぎるだろう。虚弱ちゃんなのか?


 そんな心の叫びはさておき、地面に横たわり死んだ魚のような目で虚空の一点を見つめ続ける最後の新入部員に、もう蹴ろうが殴ろうが立ち上がる力も気力も残されてないのは、悲しい事だが経験者として理解出来てしまった。


 だが俺たち三年生は五人しかいないため、既に俺たちの背中は先に倒れた新入部員達でふさがってしまっている。

 そこで俺は、この惨状の原因であり、世に蔓延る諸悪の根源たる大島に、お前が一番無駄に体力余してるんだからなんなら三人位まとめて背負えよという思いを込めて「先生も一人どうですか?」と冗談めいた風に振ってみる。すると大島は「あぁ?」と振り返り凄む。

 俺は生まれて初めて「あぁ?」という発音に「殺すぞ」と言う意味がある事を知り、慌てて心の中の大島取扱説明書の注意事項に目立つ赤い文字で追記する。

 そんな嫌な緊迫感溢れる状況で空気を読んだ二年の香藤が、何も言わずに余った新入生を負ぶってくれた。やっぱり香藤は良い奴だ。こんな地獄で人間らしい心遣いに触れて思わず目頭が熱くなる。部活の帰りにアイスでも奢ってやろうぜと、俺を含めた三年生達は目で合図しあうのであった。


 こんな風に新入部員達は洗礼を受けて、正式に空手部の一員となったのだ……それが彼等にとって幸せかといえばNOと断言出来るけど、もう彼等には後戻りする道は無いのだ。無ければ進むしかないのだ。この地獄道をな。



 帰宅後。普通に家族と会話しながら晩飯を食べて、風呂に入った後、両親と兄への遺書を書き机の引き出しの中にしまうと、新しいトランクスを卸して履くとベッドに入る……昔の侍も、腹を切るときは新しいまっさらの褌を締めたと言うのだから。

 眠ったら二度と目覚められないかもしれないという恐怖はあるが、寝ずにいられる人間はいない。結局は夢の中に活路を見出す以外に方法は無いならば、俺が今するべきことは寝る事だけだ。

 ゆっくりと瞼を閉じ心を落ち着ける。部活の疲労もあり心地好い眠気が訪れてくる……俺はふと思い出して、【時計機能】の【アラーム】を五時に十分にセットする。

「アブネェェ、朝練に寝坊して遅れたら殺される」

 ……生き残る気は満々だった。

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