夢で異世界、現は地獄 ~システムメニューの使い方~

TKZ

第1話

 気がついたら森の中に立っていた。

 確か俺はベッドに入り、寝転がって……ベッド脇のスタンドライトの明かりで小説を読んでいて、そのまま眠気に襲われて瞼が閉じていき、体感的にはその直後に森の中に居る自分に気付いた。

 辺りは見た事も無い深い森の中。

 見たことも無い森。普通の人は自宅から最寄の森の中の景色にさえ見覚えを感じないだろう。いつもなら自分でも、何を当たり前の事を言っているんだと突っ込みを入れるだろうが、だが俺が見ている森の景色を見れば誰でもそう思うはずだ。


「す、凄く大きいです……」

 ごく自然に感嘆の言葉が口を突いて出る。

 風の強い日本海側の海岸沿いに時折見かける発電用の巨大な風車。

 あれは回転するブレードの先端が一番高くなる場所では百二十メートルくらいになるのだが、今見上げている木々の高さはそれにも負けているように見える。

 百メートルを優に超える木々が立ち並ぶ森である。地球上では絶対にありえない景色であり、見覚えがあると言う奴は悪い事は言わないから病院に行け……というか誰か俺を今すぐに病院へ連れて行ってください! 正気じゃないみたいなんです!



「もしかして異世界? これが異世界転生? いや異世界トリップと言う奴なのか? いやいや、そんなことより……あれ? えっ? 死んだの俺? 何でぇぇぇっ!?」

 俺はまだ十四歳の中学三年生で、勉強もスポーツも人並み以上に出来る。女の子には全くもてない。むしろ全校の女子から避けられている事以外は現実や社会に絶望したつもりもない……泣いても良いよね?

 むしろ現実世界には色々と未練がたっぷりあるし、それ以前にファンタジーな異世界なんてNo thank you!な人なのだ。何故なら……

「俺は枕が変わっただけで寝られないんだよ! 毎日風呂に入らないと駄目駄目になるんだよ!!」

 本当にどうしようもない魂の叫びだった。



「落ち着け。冷静になれ俺。そうだ夢だ。これは夢に違いない。異世界トリップなんて非現実的な事が起きるよりも、ちょっと見た目が総天然色で草木の匂いして、降り注ぐ日差しの温かさに、そよぐ風の肌触りも感じられる夢と考える方が……」

 いかん。全感覚器官を通じて押し寄せる圧倒的な現実感の前に本気で泣けてきた。自分の頬を張ってみるとやはり痛い。


 流れ落ちる涙を拭った指先を口に運ぶと舌に塩辛さを覚えて、味覚よお前まで裏切るのかとますます泣ける。

 やはり此処は異世界なんだろうか? そして異世界だというならば来る前に、神様に会うのが基本じゃないのか? そして挨拶ついでにチートの一つも貰うのが筋というものじゃないだろうか?

 いや待て違うぞ。基本も糞も異世界モノの小説は数多あるが所詮は全て創作だ。

 現実的に考えてみろ、異世界トリップなんて空前絶後、多分……きっと人類の歴史上俺が初めてだろう。つまり俺が異世界トリップのパイオニアでありグローバル・スタンダード。だから神様にも会わなければ、チートが貰えなくても当然という訳だ……あれ? でも神様はともかく、本当にチートは無いのか? いや試してもみずにそう結論付けるのは早いだろ。


 その場で両足を肩幅の広さに開き軽く腰を落として構えを取ると、左右の正拳突きを繰り出す。腰の入った鋭い突きは風を切り「フォン、フォン」と音を立てる。

 それから空手の型を一通り流し終えると、興が乗り自分の前に身長一八五センチメートルの敵が居るとイメージして、相手の首元を貫くように正面からほぼ予備動作無しの右蹴りを放ち、蹴り終えた右足が地面を突くと同時に相手のガードごとこめかみを打つイメージで左回し蹴りを放つ。

 空振り──当然イメージなのだから当たるはずが無い──になった左脚の勢いで生まれた体のねじりを利用して、そのまま右の後ろ回し蹴りを相手の胸元を狙って放ち、続いて振り返りながらの左ハイの回し蹴りは相手のガードの上を抜けて頭頂部を越える直前でベクトルを変えて左鎖骨を襲う踵落としへと変化させる。

 最後に、仮想敵のイメージを身長一八五センチメートルから一体誰だよこの大男は? と突っ込みたくなる二三○センチメートルに変更し、もはや空手の技でもなんでもない旋風脚を繰り出す。高く跳躍した俺の左足が仮想敵のこめかみの辺り、高さ二二○センチメートルの空間を真横から鞭のようにしなやかに切り裂いた。


「ふぅ……いつもと変わらん」

 一連の動きを精査した結論として身体的チートは全く無かった。

 しかしチートまでとは言わなくても、空手部の顧問(三十七歳 男 空手ッぽい何か五段 身長一八五センチメートル)のように、空気をはらみ易い空手着をあえて脱いで上半身裸の状態で繰り出された正拳突きが空気の壁を貫き「ボッ、ボッ」という音を体育館中に響き渡らせたり、何十年も前の卒業生が植樹した高さ十五メートル以上で幹の付け根の直径が四十センチメートルはあるだろう大きな樹を回し蹴り一発で震わせ、春先の青々とした若葉を落とさせたり、旋風脚ではないが三メートルの高さに吊るした水入りのペットボトルを飛び蹴りで爆散させるような、辛うじて人類と呼んでも、もしかしたら許されるかもしれない位の身体能力が、せっかくの異世界なんだし与えられても良かったんじゃないだろうかと思う。


「つか異世界なら、あいつを行かせろよ」

 あいつとは勿論、空手部の顧問の教師である。仮にも師に向かってあいつ呼ばわりは酷いのかも知れないが、練習と言うより特訓。特訓と言うよりしごき。しごきと言うより相撲部屋的な可愛がりという部活風景を思い出すと、あいつ呼ばわりさえも生温い。奴には感謝どころか恨みの気持ちしか湧いてこない。


「ちくしょう! どう考えても奴の方が俺よりも異世界向きだろ!」

 そう叫ぶと、空手部の顧問がドラゴンを蹴り殺し、その死体の上で高笑いする姿を想像したがまるで違和感を感じない……やはりあいつは異世界向きだ。


 ちなみに何故、想像の中にドラゴンが出てきたかというと、叫んだ直後に遙か上空から何かの鳴き声らしき音が響き渡り、鳥のモノとは思えない重低音に慌てて頭上を見上げると、そびえ立つ木々の切れ間から覗く蒼い空に、イモリの干物に羽根が生えたような生き物の姿が、逆光のシルエットとして映っていたからである。


「……ウン十メ~トルはあるよな」

 衝撃的光景にメートルの伸びるところでヤギの鳴き声のように声が震えてしまった。

 どれほど上空を飛んでいるか距離感が掴めないが、周囲に立ち並ぶ木々の高さが百メートルを超えるのだから、見た感じでは二百メートル以上の高さは飛んでいるように思える。其処から推定するドラゴンの体長は十メートルやそこらとは思えない。最低でもその倍はあるだろう。俺は文字通り空いた口がふさがらないので、ぼーっと口を空けたままドラゴンが飛び去るのを眺めるしか出来なかった。


「………………うん、よし受け入れた。確かに異世界だ。異世界としか言い様が無いほど異世界だ」

 ドラゴンが飛び去ってから暫くして思考能力を取り戻した俺はあえてそう声に出す。声に出して自分に言い聞かせないと目の前の状況が辛すぎて現実を受け入れられそうに無い。


 そんな現実の悲しさを噛み締めつつ、とりあえず現状確認を始める。

 服装。ベッドにはTシャツとトランクス姿で入ったはずだが、現在の俺は、足先を金属の板で補強してある無骨な編み上げの皮のブーツに、分厚い麻の様な余り肌触りの良くない生地作られた生成りのパンツと言うよりズボンを履き、上半身はズボンと同じ素材の服。その上に何の皮か分からないが革鎧らしきモノを着込んでいた。革鎧は兄貴が高一の夏休みのバイト代をつぎ込んで買った自慢の牛皮の革ジャンの倍以上は厚く、そしてずっと硬かったが、それでいて意外に軽く間接などの体の動きを妨げない作りになっていた。

 腕には手首の下から肘の上までを覆うような革製の篭手に革製の手袋。篭手は鎧と同じ材質のようだが手袋は、ホームセンターで売ってる作業用の分厚い革手袋といった感じだ。

 そして濃紺色に染色されたウール系の分厚い素材で作られたマント。素材の毛は脱脂されておらず独特の臭いを放っているが、その代わりに脂による防水効果があり頭から被れば雨具にもなるのだろう。


 どう見てもファンタジー系のRPGに登場する冒険者みたいな出で立ちだが、何故か武器は持っていない。ついでに元の世界の物も何一つ持っていなかった。

「どうせ空手部の俺には武器なんて使いこなせないよ! はっはっはっはっはっ……ゲホッゲホッ」

 ヤケクソで大声を出して笑ってみたが、思いっきり咽た。


 格技の授業で剣道はやってるけど、所詮は週二時間の授業程度。それに剣道は日本刀で人間同士が戦う事を想定にしたスポーツだから、ファンタジー風な西洋剣で魔物──ドラゴンが居る位だから、当然その手の魔物は居るのだろう──と戦う場合には、やってないよりはやっていた方がマシ程度にしか期待出来ない。


 だからといって素手で何とかなるとは全く思わない。野生動物の強靭さ頑丈さは人間──ただし空手部顧問は除く、奴は自分と体重が同じであるなら地球上のどんな野生動物が相手でも素手で勝つだろう──とは比較にならない。ましてや異世界の魔物が相手だ。魔物が現実世界の野生動物より弱いなんて楽観的な希望を持つほどはおめでたくない。

 そういう訳で、死にたくないなら早急に武器になりそうな物を調達する必要があるのだった。


 しかし半ば予想通り、そんなに簡単に武器なりそうなものが都合よく森の中に転がっているわけも無い。

 森の中なら棒として使えそうな、折れた木の枝とかありそうなものだが、何せ現実世界とは樹のスケールが違う、地面に落ちている枯れ枝が俺の感覚的には丸太と呼べるサイズであり、幹から直接生えていただろう枝から更に別れた枝でも、武器にする以前に、持ち歩くと言うより引きずって運ぶサイズだった。

 しかも、そこから更に別れた枝は若すぎて、弾力に富むが硬さが足りず、棒というより鞭みたいなものだ。もっとも先端速度が音速を突破するような本格的な鞭ならともかく……いや、どのみちそんなのは使いこなせない。

 とにかく魔物相手に良く撓る木の枝を振り回すくらいなら、徒手空拳の方がずっとマシだろう。



「異世界生活終了のお知らせ。いや~異世界生活さん短い命だったな」

 結局、武器になりそうな物が見つからないまま時間は過ぎ、探し始めて三十分後には俺はすっかり投げ遣りになっていた。

 チートは無いし武器も無い。愛用の枕も無ければ風呂も無い。異世界は俺に厳しすぎた。

 勇者と持ち上げられ、僅かな金とみすぼらしい装備で世界を救う旅へと追いやられる昔の名作RPGの主役達に比べると情けない限りだが、俺は空手部で地獄を見てちょっと色々と逞しく育ってしまっただけの現代っ子にすぎない。


「もっと俺を甘やかせてくれ~。ベリーイジーモードで再スタートぷり~ず」

 その場にひっくり返ると泣き言を漏らす。

「リセットだリセット!」

 駄々っ子の様な現実逃避は続く。

「リセットが無いなら、スタートボタンでシステムメニューひら……えっ?」

 俺が「システムメニュー」と口にした途端、目の前にゲームなどで良く見るウィンドウ画面が現れた。

「異世界生活再起動…… やれば出来る子だな異世界生活!」

 一瞬呆然としたが、次いで込み上げて来る喜びに声を出して叫ぶ。画面を見ると書かれている言語は紛れも無く日本語だった。

 視界全体はサングラスでもかけたように黒に覆われていて、目を凝らせば本来視界に映る景色も透かして見えるが、黒地に浮かぶ文字なども問題なく視認できる透過率で、目の前の白い大枠で囲まれたメニュー画面は首を振っても常に視界の正面に固定されて見える。


 大枠の中の左側には各種メニュー項目が縦に並び、左側には現在の俺の姿と思われるものが映っている。

 俺が真っ先にチェックしたのは【装備品】や【所持アイテム】【パラメーター】でもはなく、【オプションメニュー】だった。そう、難易度変更が可能か真っ先に確認したのである。

 【オプションメニュー】の項目に視線を向けて「開け」と念じると下の階層の項目が現れた。多分、システムメニューを開くのも声に出さなくても念じるだけで可能なのだろう。


「ベリーイージーモードは無しか……」

 真っ先に探したのは難易度の切り替えだったが、ベリーイージーどころかイージーもノーマルも無い。そもそも難易度設定なんて項目は存在しなかった。期待が大きかっただけに落ち込む。


 モード変更の次に探したゲーム終了の項目も存在しない。

 だが落ち込みながら適当にメニューの項目を眺めていると【セーブ&ロード】を見つけることが出来た。この世界に来て初めてテンションが上がっていくのが自分でも分かる。

「死んでもセーブした状況から始められるのか……いや、そもそもタイトル画面に戻るとかも無いし、タイトル画面にアクセスできないとするなら死んでからどうやってロードするんだ?」

 とりあえず試しに死んでみてロードして再スタートが……出来るか!

 だがセーブとロードは使い方次第、そして使える範囲によっては、そんじゅそこらのチートを超える凄い力になる。


 まず試しにセーブしてみる事にした。

 【セーブ&ロード】を選択して、其処から【セーブ】を選択すると、セーブ箇所が複数ある訳では無い様で、そのままセーブが実行される。

『セーブ処理が終了しました』

 ポーンという効果音の後に、女性の声と文字でアナウンスされたので、一旦システムメニューを終了させて、今の自分の立っている場所と周りの木々との位置関係を確認すると、三十メートルほど移動してから再びシステムメニューを開く。

 そして【セーブ&ロード】を選択して、【ロード】を選ぶとロード箇所の選択など無くロードが実行され、セーブ時と同じくポーンという効果音と共にロードの処理終了がアナウンスされる。


 システムメニューを抜けると、俺の目にはセーブを行った場所の風景が映った。

 これは使えると呟くと同時に、堪えきれず笑みが浮かぶ。

 何せセーブポイントに戻ってもロード実行時の記憶が残っているのだからある未来を知る力を得たに等しい。


 試しに、木に登って上から飛び降りる。地面に着地する寸前でシステムメニューを開きロードし、システムメニューを抜けて周囲を確認すると、やはりセーブした場所に戻っていた。


「……今はロードするタイミングが遅すぎて着地してからのロード実行だったはず」

 着地した感覚は全く無かった。

 地面に着地寸前でシステムメニューを開いたのだが、システムメニューを開いてからロード開始する間に着地しなかった。

 これはつまり、システムメニューを開いている間は時間が経過しないということである。

「オフゲー仕様なのか」

 今時主流となりつつあるオンラインゲームはシステムメニューを開いていてもリアルタイムで時間が進行するが、このシステムメニューは時間が経過しない。これは強力な武器になる。

 戦闘などの一瞬の判断が求められる状況でシステムメニューを開けば無限の時間が与えられる。さらに【セーブ&ロード】と組み合わせれば……

「チートきたーーーーっ!!!」

 俺は胸底から湧き上がる熱い想いに任せて、人生最大の大音声で叫んだ。

 ……まあ、これが良くなかったんだ。

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