花咲奇病

ぜろ

花咲奇病

「診断された」


 友人知人家族の中からも出ている流行の奇病を、『花咲き病』と言う。

 そして今日俺は。

 恋人すらも、その病に侵されてることを知らされた。


 花咲き病は名の通り、身体から花が生える病だ。その花は奇妙に美しく、だが同じものは万人に決してない。だから医療現場でも対応しづらく、診断以外の何も出来ないと言うのが実際の所だった。除草剤を呑んで死んだ例もあるが、彼からはただ大量の花が咲き乱れただけだったと言う。中が駄目なら外からと薄めた薬品を塗布した例もあるが、こちらは何の反応もなかったそうだ。人々は春先だと言うのに身体を隠す冬物の衣類に身を包み、自分の病状を隠そうと、或いは守ろうとしている。

 俺の恋人であるところの篠月雨しのつく・あめが発症しているのは、足だった。目立たないようにブーツを履いているが、淡い青色のその花は綺麗で、まるで奇病なんて言葉で表すのが失礼なほどだった。だが、花咲き病は致死率が一年以内五十パーセントと言われている。それはそれは綺麗な花を一輪咲かせて死ぬのだと言う病は、ロマンチックでメルヘンチックで反吐が出るほどだった。

 季節外れの流星群の辺りから流行り始めた事からトリフィド病とも呼ばれ――昔の小説に準えたものであるらしいが、俺は未読だった――各国の政府が突き上げを食っているが、依然原因は不明のまま。俺は妹と父がこの病を発症し、すでにホスピス治療に入っている。この上雨までとなったら、どうしたら良いのか訳が分からなかった。その内誰もいなくなってしまうんじゃないか。世界中から人がいなくなってしまうんじゃないか。それはそれで良いが、最後の一人になるのだけは絶対に御免だった。孤独なまま死ぬぐらいなら花になって死ぬ方がよっぽど良い。思った俺は父の趣味だったキャンプ用リュックにキャッシュカードと当面の着替えを詰め込み、雨にもそうするよう連絡を取った。仮免のスクーターで二人乗りの逃避行。町は荒廃していて、学校なんか行ってる奴は一人もいない。当てつけに倒された街路樹なんかが道を塞いていたけれど、回り道をして人のいない方へと向かえばそれも少なくなった。


 そして俺達が辿り着いたのは海だった。


 雨は寒いのかスプリングコートの前を閉じて、ぶるっと一つ震えた。それから呟く。いたい。

「雨?」

「なんか、風が痛い。……早く離れようよ、喜世盛きせもり

 喜世盛敦士きせもり・あつしは俺の名前だ。

 花咲き病は皮膚が硬化して樹の幹のようになっていく病だ。花はそこから咲くが、花が咲く段階になると身体は何も感じないらしく、段々関節が動かなくなっていくのだと言う。雨はもうその段階のはずだから痛みなんて感じないはずなのに――俺はハッと、あらすじだけ読んだ『トリフィドの日』を思い出す。そして雨の手を取って、砂浜に走った。痛い、痛い、と言う雨の言葉も聞かずに真っ直ぐと。

 そして雨の袖をまくり上げ、潮水に浸す。

「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!」

 シーズンでもない海にひと気はない。だから雨の叫びも俺の歓喜もどこへも届かない。

 雨の肌が一皮剥けるようにどろどろと取れて、そこには去年の今と同じ白い肌が見えていた。

 トリフィドは植物だから潮水に弱かった。俺は手を放し、砂浜をごろごろと悶え転がる雨の足からもブーツを引っこ抜いて靴下も脱がせて、花の部分をまず潮水に漬ける。痛みはないらしく雨は暴れなかったが、怯えてはいるようだった。そして花は溶けていく。水の中に、すうっと。

 次は樹木化した雨の足を漬けたが、雨は今度こそ痛いらしくじたばたと暴れた。俺はそれを押さえつけて、硬化した肌が柔くなっていくのを手で感じながら眺める。

「雨、俺の手の感じ解るか?」

「痛い、痛いよ喜世盛。離してよ」

「解るのか?」

「痛い、痛い!」

 痛みを感じると言う事は効果があると言う事だ。俺は膝で雨の片足を押さえつけ、自由になった両手でもう片脚の花の咲いた部分を露わにさせる。そして容赦なくそっちも潮水に漬けると、雨は歯ぎしりしてそれから逃げようとした。俺はばしゃばしゃと跳ねる潮水も気にせず、雨の両足をひたすら潮水に漬ける。やがて諦めたように抵抗を止めた雨を見ると、白目をむいて気絶しているようだった。よっぽどの苦痛なのだろうが、これが薬になるなら仕方がない。俺はどこか末期がん患者にモルヒネを打たない医者のような気分で、雨の脚を海水に漬け続けた。


 次の日には幾分硬さが戻ってしまっていたものの、雨の脚は柔らかくなり花の蕾もなくなっていた。しかし雨は一貫して海に入るのを拒否し続ける。

「痛いのは嫌だよ。喜世盛は自分じゃないから解らないんだ」

「でも、足がこんなに治って、腕なんて殆ど完治してるんだぜ。もしかしたら致死率だって下げられるかもしれない」

「死にたくはないけど痛いのも嫌だよ。どっちも嫌だ。病気になったのなんて運の問題みたいなもんだし、諦めは診断出た時から付いてる。痛いのは嫌だ」

「駄目だ。今日もやるぞ」

「やだってば」

「駄目だってば」

 問答はしばらく続き、結局はタオルを海水に浸しそれで足をくるむことで妥協案となった。だが雨はやはり痛そうで、うう、と俺が水を足すたび口唇を噛んでいる。気絶はしないようだがかなりの苦痛ではあるようだ。でも続ければ、きっと治る。そうしたら父さんだって妹だって同じ治療法が効くはずだ。もしかしたら世界中に。そうしたら俺は一人にならない。願うように海の家に残されていた手桶で汲んできた潮水をゆっくりと雨の脚に掛ける。自分は残酷な実験者だろうか、それとも。

「痛い」

「ごめん」

「痛いよ喜世盛」

「ごめん、雨」

「いたい」

 何度も続けると雨はそれすらも飽きて来たのか、黙って潮水を受けるようになる。痛みが無くなって来たのか、訊くとむしろ増してきているという。だがタオルの下の肌は柔らかくなっていくばかりだった。なら痛みはどこから来るのだろう。最後の悪あがきか何かなのだろうか。花から種になれなかった事への。

 寄生植物と言うなら昔のB級映画にマタンゴとか言う奴があった気がする。人に寄生するキノコの化け物。今そんな話をするのは不謹慎だから、雨の脚が完全に治ったら話してみよう。何それ、と興味を持ってくれるかもしれない。そうしたら名画座かどこかを巡るのも良いかもしれない。潮水で完治するのが解ったら、街だって元通りになるはずだ。そうしたら映画館だって行けるだろう。ブーツだって脱いで。学校帰りのローファーか、デートの時のスニーカーで。

 俺は無心に水を掛ける。雨はぼんやり空を眺める。視点が合わない事に、俺はもう少し早く気付くべきだったかもしれない。


 次の日の朝は海の家の中だった。腹にタオルを掛けてせめて寒さを凌いでいたのだが、それが無くて初めて隣に寝ていた雨がいないのに気付く。そしてテーブルに置いていたスクーターの鍵がない事にも。

 案の定スクーターはなく、大きな石の下に雨の物らしきメモが挟んで置かれていた。

『ごめん、もうついていけない』

 付いていけないってなんだ。俺は雨の傷を治してたんだぞ。病を治していたんだぞ。なのにそんなのってないだろう。呆然としながら俺は街の方に向かう。もしかしたら雨がいるかもしれないと思って。もっともそれはただの願いで、祈りで、我儘だけれど。我儘で言うなら最初から俺のこの逃避行は我儘でしかなかったのだろうか。ふらふら街に向かって歩く。潮風がべたべたして気持ち悪いな、と思った。俺もべたべたして気持ち悪かったのかな、と思うと、茫然とした気分になった。


 ――昨日。多分俺はいつの段階かで、失恋していたんだろう。

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花咲奇病 ぜろ @illness24

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