第39話 愛する人を想って演奏します
「第2部はクラシカルステージ! はじめにお届けするのは、昨年のコンクールで演奏した課題曲と、カットなしの自由曲の2曲です。ではどうぞ! 」
コンクールでは課題曲と自由曲合わせて12分以内と制限があるため、自由曲は一部をカットして演奏されることが一般的だ。 今日は演奏会だからフルバージョンで演奏できる。
先生が15分ほど指揮台の上で踊り、顧問からの挨拶の時間となった。
挨拶は、演奏会への来場のお礼に始まり、関係者への感謝、それに来年度への決意で締めくくられた。
4月になれば新しく1年生が入ってくる。 吹奏楽部が目当ての生徒もいるだろう。 またコンクールメンバーの選出から始まることになるわけだ。 バスクラももう1人欲しいな、個人的には。
先生からバトンを受け取った佐藤先輩の曲紹介に続き、マーチの演奏に入る。 この曲が終われば、次がメインだ。
マーチの簡単な譜面を追いながら、司会のセリフを必死で思い出す。何度も喋る練習をした。 ディテールはこの際捨てて、本筋を踏み外さないようにすれば大丈夫だ。
マーチは最後のフレーズに入って盛り上がりをみせる。
(――よし、いける)
先生の指揮棒がピタッと止まり、ゆっくりと降ろされる。 そして、指揮台から降りて深々と頭を下げ、下手へと引き上げていった。
台本が手元にないことで腹を括ったせいか、客席がよく見える。 第1部までは、何かを喋らなければならない、といった気持ちが強かった。
でも、今は違う。 伝えるべきことは何か、それを自分の言葉でどうやって伝えるか、ということを考えられている。
――大きく深呼吸をして、最後の曲紹介を始めた。
「さぁ、定期演奏会もいよいよあと1曲を残すのみとなりました。 私ももう少し演奏していたいところですが、仕方ありません。
最後の曲は、バレエ音楽『山羊飼いの少年と愛の物語』です。 もともとバレエの音楽として生まれたこの曲は、3部構成になっています。
元となった物語は、山羊飼いの少年と羊飼いの少女の恋のおはなしです。 第一部は、二人が楽しく暮らしている場面を、第二部は海賊にさらわれた少女を少年が助けに行く場面を表現しています。 第三部で、少女は神様のおかげで助けられ、少年が少女にプロポーズをして幸せに暮らすことになりました、というストーリーです」
――と、ここまで説明した時に観客の一人と目が合った。
目が合ったその人は、ピンクゴールドのフレームで縁取られた眼鏡をかけていて、わずかに微笑みを湛えてこちらを見ていた。 ずっと探していた姿をようやく見つけられて、目が離せなかった。
(――次、なんだっけ)
美咲を見つけて、頭がそれいっぱいになってしまって、セリフが飛んだ。 そして今は、頼りになる台本もない。
(どれだ! 思い出せ! )
よく似た姉と母とホールの中程に3人並んで座っていた彼女が、わずかに首を傾げた。
(そうだ! プロポーズ! )
なんとか思い出したキーワード。 バスクラのソロは、そう『プロポーズの言葉』。
「――失礼しました。 第一部は軽やかなメロディ、第二部は重厚なハーモニー、そして第三部は全員が踊って祝う賑やかなサウンドをお楽しみください。 特に第三部のオープニングでは『プロポーズの言葉』となるバスクラリネットのソロから始まります。
ロマンチックな音楽をみなさんにお届けできるように、――私も愛する人を想って演奏します! 」
(焦ったー! ギリギリ繋げたか? 大丈夫だったか!? )
ペコリと頭を下げてピアノ椅子に引き下がる。 部員たちは皆こちらを向いて、なんとも言えない表情をしている。 セリフが飛んで空白作ったから咎められるのかと思った。
しかし微妙な表情は咎めるためのものではなかったようで、隣に座るバリトンサックスの森里さんに小さな声で尋ねられた。
「愛する人、いるんだ? 」
「へ? 」
そう言われて自分のセリフを思い返す。 『想うように』と比喩表現にし忘れて、まるで愛する人がいるかのようなセリフになっていたことに赤面する。――まぁ、いるんだけど。
下手から歩いてきた先生が指揮台に立つ。 先生はこちらを一瞥してニヤっと笑うと、ゆっくりと指揮棒を踊らせ始めた。
ゆったりとしたクラリネットの旋律から、木管楽器が追いかけるようにハーモニーを重ねていく。
2人の男女が愛し合って暮らしている幸せなハーモニーが奏でられる。 互いに愛を囁くようにクラリネットとトランペットが追いかけ合う。
しかしその幸せも続かない。 不快な旋律が辺りを支配し、低音楽器たちが不穏な足音を知らせる。 少女は海岸線から押し寄せた不穏な気配は包み込まれ、ティンパニがかき鳴らす荒々しい足音と共に連れ去られてしまう。
そんな時に起こった奇跡。 トランペットとトロンボーンが掻き鳴らす神の嵐により少女を連れ去った海賊の船は大破。 浜辺に打ち上げられた少女を照らす優しい光のようにフルート、オーボエが柔らかなハーモニーを奏でた。
少年は、少女と運命的な再会を果たした。
――そして、バスクラリネットが愛を告げる。
(高校生でプロポーズなんてとてもじゃないけど、本気で美咲のことが好きだって伝えたい)
客席にいる美咲へ、ありったけの想い込めてソロのフレーズを吹き鳴らす。 この想いが伝わることを願って。
最後のロングトーンは、もう息が続かないくらい伸ばし続けた。
――実はその後のことはあまり覚えていない。 クライマックスに向けて、先生の指揮を見ながら一生懸命吹き鳴らしたんだと思う。
少年と少女の結婚を祝福するように、すべての楽器が最高の音を奏でて、フィナーレとなった。
曲を終えた時、いくつか席からブラボーの声が聞こえ、客席も最高潮を迎えていた。
先生は部員全員を立たせて拍手に応え、自らも頭を下げてステージを引き上げていった。
どのくらい経っただろうか。 拍手はいまだ止まなかった。
そして、先生が再びステージに姿を現してもまだ続いている。
先生は指揮台まで来ると、俺を手招きした。 おずおずとそばまで行くと、先生は俺に向かって見せびらかすように拍手をする。 客席からも多くの拍手が浴びせられた。
美咲も、手を叩きながらにっこりと笑っていた。
拍手に応えるように深くお辞儀をしたあと、先生に促されて席に戻る。
先生は再び指揮台に立って全員を座らせ、アンコールに応えるべく指揮棒を振るった。
吹奏楽部のテーマ曲とでもいうべきマーチと序曲の2曲を披露して、予定されていたすべての楽曲の演奏を終えた。 演奏会の終わりを告げるアナウンスが流れても、しばらくの間拍手は鳴り止まなかった。
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