第34話 バレンタインの呪い
給食で出されるレバーがどうしても食べられなかった。どんなに頑張っても飲み込めなかった。
口に入れることすらできなかったレバーの竜田揚げは、いらないプリントにくるんで机の引き出しに隠した。 そして家に持ち帰ってはゴミ箱に捨てていた。
うっかり持ち帰るのを忘れたある日、クラスの8人ほどの女子グループは、俺を取り囲んで彼女たちの正義を振りかざした。 あんたコレ何よ、と。
ほとんどの女子は自分よりも背が高く、囲まれたのは恐怖でしかなかった。 これは、敵意を持った女性に取り囲まれた経験を持つものにしかわかるまい。
――わずか9歳、小学校4年生のバレンタインデーの日のことだった。
あの日以来、大声を出す女子や、勝ち気な女子グループといった存在が怖くなった。
『菊野さんのところにバレンタインデーに女の子が大挙して押し寄せた』という近所のおばちゃんの噂話も、トラウマの醸成に一役買った。 嬉々として語るため余計にタチが悪い。
そして俺は、バレンタインデーになると決まって原因不明の腹痛を起こすようになった。
あれから6年後の今日、恐怖のバレンタインデーを迎えていた。 例年通り朝からお腹の調子が悪く、トイレに篭っても治らない。 どうにかこうにか遅刻寸前に教室にたどり着いたのだった。
「おはよう、って大地、大丈夫!? 顔真っ青だよ」
「おう。絶不調だわ」
「保健室行ったら? 」
「いや、毎年のことだから」
「?」
目下俺の癒しランキングナンバーワンに君臨する美咲でも、俺の腹痛は治めることはできなかった。
今日は男女ともに浮き足立っていて、心なしか甘ったるい匂いが立ち込めているような気がした。 この雰囲気が余計にお腹を刺激する。
俺だって、美咲からならもらえるかもしれない、と思わなくもないのだが、正直な話、あまりに調子が悪くそれどころではなかった。
結局今日一日、授業の内容は頭に入ってこなかった。 放課後になって腹痛はようやく落ち着きを見せ、お昼ご飯に食べようと思っていた菓子パンをかじってから部室に向かった。
部室に着くと、同級生の女の子が2年生の先輩にチョコレートらしき包みを渡していた。 多分中身はレバーじゃないだろう。 腹痛をぶり返しそうだったので早々に退散し、楽器を出そうと倉庫に向かう。 その時、バスクラのケースの上に一つの紙包みに気がついた。
手のひらにちょうどおさまるくらいのサイズの箱には『ハッピーバレンタイン クラリネットパート女子一同』とあった。 有名なチョコレート屋さんの包み紙だから、レバーではなさそうだ。
取り囲まずにプレゼントしてくれたクラリネットパートのみんなありがとう。 楽器を出して部室に戻ると、内山先輩がニヤニヤしながらやってきた。
「モテない菊野くんへのチョコレートあった? 」
「余計なお世話です。 でも、みなさんありがとうございました」
「お返しは期待してるよ! 」
クラリネットパートのみんながどっと笑う。 敵意はないものの、やはり囲まれるのは苦手なままだった。
「ほんで菊野っち、本命はもらったの? 」
「なに菊野君、そんなお相手いたの!? 」
「そんな人いないですよ」
「またまたー、クリスマスのとき腕組んで歩いてた子は? 」
「えっ、なんで知ってるんですか」
「駅ビルで連れ立って歩いてれば、ねぇ」
クラリネットパートの2年生の一人、通称サエ先輩にあの時のことを見られていたようだ。 もっとも、あの後から少しギクシャクしてしまっているのだが。
「みんなが思うような関係じゃ、ないですよ。 本命どころか義理ですらもらってないですし」
「なーんだー、つまんないの。 モテモテ菊野くんを期待してたのに」
「イケメンなわけでもないし、背も小さいんだからしょうがないじゃないですか。 自分で言っててちょっと悲しいですけど」
「えー? でも、菊野君少し背伸びたよね? 前、私より小さかったけど、最近は追いつかれた感じするし」
「ホントですか? それはちょっと嬉しいかも」
意外な報告に思わず顔が綻んでしまった。 2年になってすぐの身体測定が楽しみだ。165cmくらいにはなっただろうか。
『部活終わったら、帰りに駅で会えないかな。 お姉ちゃんからCD預かってるの』
部活を終えて駅に向かう途中にスマホを見ると、美咲からのメッセージが届いていた。 オーケストラのレアものCDを、なんと春山先輩が持っているという情報を得て、借りたいとお願いしていたのだ。
『わかった! 改札のとこでいい? 多分15分発の急行に乗れる』
『うん、改札出たとこで待ってるね』
電車に揺られて地元の駅に到着する。 定期のICカードを改札にかざして外に出ると、そこには私服姿の美咲が待っていた。
「おかえり、大地」
「ただいま、ってなんか変だな」
「地元なんだからいいんじゃない? 」
「それもそうか。 寒くなかったか? 」
「うん、平気。 大地こそ疲れたところにごめんね」
むしろ疲れが吹っ飛んだ、とは恥ずかしくて言えなかった。 二人っきりになるとどうも緊張してしまって、軽口もたたけなくなっている。
「あの、大地。 はい、これ」
「お、ありがとう! 」
「おうち着いてから開けてね」
「おう、わかった。 先輩にお礼言っといてくれる? 」
「うん、言っておくね」
「でもなんでわざわざ駅だったんだ? 明日の学校でも良かったのに」
「えっ? えーっと、早い方がいいかと思って」
「あっはっは! 美咲は律儀だなぁ」
「ちゃんと渡したからね。 おうち着いたら早めに確かめてね」
「わかったよ。 んでも、腐るもんでもあるまいし」
「いいの! また明日ね! 」
「お、おう、じゃーな」
受け取った紙袋を持って家路につく。 せっかく美咲が早く聴けるようにと持ってきてくれたわけだし、意を汲んで早々に聞くのが礼儀というものだろう。
ウチに帰ると、おきょんがご飯を作り終えて待っていてくれた。 ただいま、と声をかけつつ、2つの紙袋をソファに置く。
ジャージに着替えてリビングに戻ってくると、紙袋が3つに増えていた。
「ん? なにこれ」
「おきょん様からのバレンタインだよ。 きっと誰からももらえないと思ったから用意してあげたのよ」
「サンキューな」
「なのに2個ももらってきて。 兄貴のくせに生意気ね」
「やかましいわ。 1つは違うし」
「誰にもらったの? 」
「クラリネットパートの人たち」
「なんだ義理か」
夕飯のBGMにしようと、借りてきたCDの入った紙袋を覗く。 そこには、CDとは違うリボンがかかった厚みのある箱が入っていた。
(なんだこれ?)
手に取ると、少し重さがある。 紙袋から出した時に、何かハラハラとカードのようなものがこぼれ落ちた。
おきょんが手元に落ちてきたカードを拾い上げて、書かれている内容を読み上げる。
「『ハッピーバレンタイン あのチョコレートケーキには敵いませんがお口に合うと嬉しいです 美咲』だって。 やるじゃん兄貴」
「おまっ、ちょっと返せ」
おきょんの手からカードを引ったくってそれを見てみると、音読された内容が丁寧な字で書かれていた。
(そうか! それで、今日わざわざ持ってきてくれたのか)
自分の察しの悪さに苦笑いが漏れる。 それでも、美咲が用意してくれていたことがこの上なく嬉しかった。
「なにニヤニヤしてんの、気持ち悪い」
妹から浴びせられた言葉は辛辣だった。
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