第32話 プロポーズの言葉
冬休みがはさまっていたから、今日は久しぶりの合奏になる。 部員がそれぞれ合奏の準備をして待っていると、先生が扉を開けて入ってきた。 各々が好き勝手吹いていた音がピタっと止み、空気が一瞬で張り詰める。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「はい、よろしく。 それじゃ、定演の曲一回通すぞ。 準備」
部長の挨拶に続いて皆が挨拶したあと、先生は号令をかけた。
初めて合奏するとき、先生は指揮棒ではなく、スネアドラムに使うスティックを持つ。 振るのではなく打点を打って鳴らすのだ。
初見に近い譜面だと、流石に指揮者ばかりを見るわけにもいかない。 スティックを叩く先生を視界の端に入れつつ、譜面のオタマジャクシを追う。
とはいえ、バスクラはほとんどリズムラインを吹くから、譜面自体は簡単な曲が多い。
最初の曲はマーチだったから、ほとんど『ドソドソレラレラ』の四分音符続きだった。
最初のマーチに続いてゆったり目なテンポのコラールをやった後、最後に定演のメインで使う曲になった。 流石に四分音符ばっかりというわけにはいかない。 テンポの変わり目もあるし、変調もある。
曲は華やかなオープニングから始まり、オーボエやフルートのメロディが輝く展開になった。 バスクラの譜面はというと、中盤で16小節もの長い休符があり、木管楽器の奏でる軽やかなメロディを楽しんでいた。
第2部に移ると猛々しい金管楽器の見せ場に移る。 かなり重々しい低音楽器のメロディにはバスクラも参加する。 嵐のような獰猛さを大音量で表現したあとは、一転して水を打ったように静かなハーモニーで第2部は締めくくられた。 そして、先生は手を止めた。
譜面をめくり第3部のオープニングには『Solo』の文字がある。『Solo』だから奏者が自由に吹けということなんだろう。
譜面を見ながら、丁寧に譜面通りにバスクラを震わせる。 最後のロングトーンを終えたところで、先生はスティックを再開した。
ソロのあとは場面が移り変わるように徐々にテンポを上げ、すべての楽器がフォルテシモで終わる迫力のあるフィナーレで締めくくった。
3部構成になっているこの曲は、バレエ音楽を吹奏楽向けにアレンジしたものだそうだ。
バレエのストーリーは、こうだ。
恋仲の男女がいて、楽しく暮らしていた。 男は、他の熟女からちょっかいをかけられつつも彼女を一途に愛していた。
しかしそんな幸せな日は長く続かず、彼女は海賊に攫われてしまう。 男は失意に打ちひしがれるが、神様の奇跡によって海賊は退散する。
助かった彼女に男はプロポーズし、全員が神様への感謝と二人への祝福の踊りを踊って大団円、となる。
つまり、第3部のオープニングにあったバスクラのソロは『プロポーズの言葉』というわけだ。 そんなロマンチックな場面を、さっきのように譜面を追いかけていたのでは台無しだ。
初見の合奏を終えると、先生は定演の流れを説明し始めた。
全体は2部構成で、1部はダンスや歌も交えたポップスステージ。 休憩を挟んだ2部は先ほど演奏したような曲を演奏するクラシカルステージ。 司会を決めて曲紹介をしつつ進めるとのこと。
2年生は昨年の経験があるから落ち着いているが、1年生はまだ勝手がわからず戸惑っているような雰囲気だ。
「司会やる人、立候補いないか。 2年と1年それぞれ一人ずつ」
すると、2本の手が挙がった。 トロンボーンの佐藤先輩とパーカッションの鈴木先輩だ。
「よし、2年はお前たち二人で話し合って来い。 1年はいないのか? 」
先生はそう尋ねたが、手は挙がらなかった。
「まぁ、例年こうだわな。 それで俺が指名することになる。 というわけで、菊野お前やれ」
「俺ですか!? 」
「そうだ。 バスクラのソロもあるし、曲紹介も自分でやるといい」
「――わかりました」
若干声が沈んでしまったのは、ソロの重荷もあるというのに加えて、司会という重責を担うことに対するプレッシャーからだった。
しかし、先生に指名された以上拒否権はないし、下手を打つわけにはいかない。 ならば期待に応えるべく練習するしかない、と腹を括った。
――
あとがき
モデルにしたバレエ音楽は、吹奏楽の経験者なら多くの方が知っている有名な曲で、その昔コンクールで演奏した思い出深い曲です。
ちなみに原曲に第三楽章のバスクラソロはありません。
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