空翔ける鷹に想いをのせて⑤ 目的
………
……
――竹千代様にもっと多くの人に触れていただきたいのです。老若男女や身分にとらわれずに広く『人』を知ることで、きっとおなごにも興味をもつようになるはずです。しかし江城(江戸城のこと)では老中たちの目も厳しいうえ、乳母である私の提案など受け入れてもらえるはずもなく、なかなか外に出られませぬ。そこで監視の目が緩い駿府で、しかも豊臣家の当主である秀頼様とご一緒ならば誰もとがめることはないでしょう。どうかお願いいたします。
理路整然と理屈を並べられては「うん」とうなずくしかできないだろう。
そして女装を解いた松平三十郎がちょこんと於福のとなりに座った。
どうやら彼も俺たちに同行してくれるらしく、非常に心強い。
それでも『予防線』は張っておかねばならないな。
「われは駿府の街のことをよく分かっておらぬ。ついてはどこを巡るのがいいのか教えてもらえぬか?」
俺が好き勝手連れ出した先で何か悪いことが起こったら、俺に責任をなすりつけかねないからな。
だが、それも織り込み済みとばかりに於福は即座に口を開いた。
「ふふ。ご心配にはおよびませぬ。すでに『伏見屋』の主人に話を通してあります」
「伏見屋?」
「ええ、平たく言えば、大きな茶屋のようなところです。秀頼様と三十郎は竹千代様をお連れして伏見屋へ行っていただければと存じます」
「……まるでわれが始めから於福殿の話に乗ると決まっていたようだ」
「ふふふ。もし秀頼様に断られれば私が連れ出すつもりでしたので」
絶対に嘘だ。
彼女が連れ出すつもりなら、最初から俺に相談などしてこなかったはずだ。
……まあ、いずれにしても行き先の確保がされているのはありがたいことだ。
となると、あと一つだけ条件が必要だ。
俺自身の『安全』の確保である。
「これでも豊臣家の当主なのだ。さすがにお供なしに出歩くわけにはいかぬ。ついては木村重成なる者を同行させることを許していただきたい」
「ふふ。もちろんでございます。そうおっしゃると思って、伏見屋には四人分の『おもてなし』を用意させております」
「ほう……。ずいぶんと手際がよいな」
「おほめいただき、ありがとうございます」
別にほめてない。むしろ皮肉をこめたつもりだ。そのことに彼女は気付いているに違いない。
それでも感謝を口にするのだから、たいした肝っ玉だ。
「うむ。では竹千代様の稽古が終わり次第、伏見屋に連れ出すとしよう」
一通り話がまとまったところで、あらためて彼女の顔をじっくりと眺める。
冷たい微笑に漆黒を携えた瞳。
ふと思い出されたのは一人の知将……。
その名は、本田正純……。
しかし彼と決定的に違うのは『才知』の使い方だ。
すなわち正純が『相手を叩き潰すこと』に傾けていたのに対し、於福はその逆……。つまり『相手の懐に入り込むこと』に利用しているように見受けられる。
そうやって家康や秀忠も懐柔しているに違いない。
そして『敵』となりそうな俺を手中に収めれば、もはや彼女の進む道をふさぐものはなくなるということか。
では、その道の先で彼女はいったい何を求めているのだろうか。
本田正純の場合は『徳川の天下』だった。
しかし俺には於福が彼と同じものを求めているとはどうにも思えないのだ。
ただし今はそのことを彼女に問う時ではない。不用意に飛び込めば、とたんに牙をむき出しにしてくることも大いに考えられるからだ。
「では、そろそろ剣の稽古が終わるころになります。竹千代様をお迎えにまいりましょう」
一方的に話を切り上げた於福は三十郎を引き連れて部屋を出ていった。
けっきょく最後まで彼女の目的は分からずじまいだったな。
だが表向きだけでとらえれば、第三代将軍になるはずの竹千代と、側近の三十郎の二人と懇意になる大きなチャンスだ。
そのように気持ちを切り替えた俺は、刀を腰に差して二人の後を追いかけたのだった――。
………
……
「よろ、よろ、よろし、く頼む!」
剣の稽古を終えた竹千代は於福から事情を聞くなり、俺にペコリと頭を下げてきた。
相変わらず言葉はうまく言えていないが、ほんのり頬が赤くなり瞳はきらきらと輝いている。
興奮で胸がはちきれんばかりに膨らんでいるのは、一目でよくわかる。
それだけ見ればどこにでもいる普通の少年なのだが……。
「饗応までには戻ってまいります」
三十郎がはきはきとした口調で於福に告げた。
すると於福は小さく頭を下げた。
「いってらっしゃいませ」
こうして俺たちは城を後にした。
『伏見屋』がどんな所なのかも知らずに……。
◇◇
秀頼と竹千代がお忍びで城から出ていった後。
於福のもとに天海がやってきた。
「カカカ! ずいぶんと強引にやってくれたのう。おかげで城内のあちこちを駆け回るはめになったわい」
「ふふ。ご老体に鞭をうつような真似をしてしまい、まことに失礼しました」
「あまり失礼とは思っていないような顔じゃな?」
「どうも私は思っていることを顔に出すのが苦手でございまして……」
「まあ、よいわ」
「ふふふ。……して、いかがでしたか?」
「なにがじゃ?」
「まあ! こういう時だけとぼけるなんて。天海殿はたちが悪いわ」
口調こそ軽いが、眼光は鋭さを増している。
もはやごまかせぬとふんだ天海は、ぴたりと笑いを止めてじっと彼女を見つめた。
於福もまた微動だにせずに彼の視線を受け止めている。
にわかに張り詰めた空気はまるで戦場を思わせるものだ。
そして静寂を破ったのは天海の方だった。
「……一人だけ動いたのう」
「名は?」
天海は唾を飲み込んだ。
しかし於福の冷酷な視線が彼の口をこじあけた。
「崇伝殿じゃ」
言葉の終わりとともに重い空気がただよう。
しかしそれもつかの間だった。
「……ふふっ。ふはははは」
於福の高笑いが部屋を震わせたのだ。
天海は顔をしかめた。
「……於福。お主はなにを考えておる?」
「なにを、ですって? 決まっているではありませんか」
悪魔の口が大きく裂けた。
天海の背に一筋の冷や汗が流れる。
「排除です」
これこそが於福の目的。
すなわち『敵』のあぶり出しであった――。
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