花咲くめおと道② しみる薬草とおなごの心

◇◇


 千姫の一撃で意識を失った俺、豊臣秀頼は医務室に運ばれたらしい。

 鼻をつく薬のにおいで意識を取り戻した俺はゆっくりと目をあけた。

 すると視界へ飛び込んできたのは純朴な顔をした美女だった。

 彼女は俺と目を合わせるなり豪快に笑いだした。


「あはは! 秀頼様! もっと『おなごの心』を学ばねばならんのう! あはは!」


 彼女の名は『あざみ』。

 俺と同い年の二十二歳だ。

 幼い頃から農民として薬草を育ててきた彼女は、俺の医者であり側室でもある。

 彼女は慣れた手つきで俺の体を起こすと、まだ熱を帯びている頬に薬草を塗った。


「いてっ! もう少し丁寧に治療しておくれ」

「あざみ殿! 容赦はいらぬ! 秀頼さまには、しっかりと反省してもらわねばならぬゆえ!」


 俺の隣に座っていた千姫がすぐさま口を尖らせる。

 彼女の機嫌はまだ直っていないようだな。

 

 それもそうか……。

 

 『子作り』の件は、けっきょく何も解決していないのだから……。


 どうしたものかと、頭を悩ましていると、彼女の口から意外な名前が出てきた。

 

「どうせ秀頼さまは、千よりも江戸にいる『伊茶』が好きなのじゃ! だから千とは子作りをしとうないのじゃ!」

「伊茶? ああ、伊茶か」


 千姫の口から出た『伊茶』という人物もまた俺の側室で、もとは千姫の侍女だった人だ。

 しかし今は側室というよりは、俺が江戸にいる間の侍女として俺のそばにいる。

 つまり俺は伊茶に対して、一線を引いて接しているわけだ。

 その理由は単純で、今と以前では同じ伊茶でも『中身』が違うからだ。

 かつての彼女は、俺が現代にいた頃の幼馴染の『八木麻里子』がだったが、麻里子は現代に戻ったのである。

 

「元気かな……」


 彼女が去ってから四年の歳月が流れている。ふと彼女のことが思い出されると、変わりなく過ごしているのか気になってしまう。


「そ、そ、そんなに気になっておられるのなら、今すぐ江戸へたったらいかがですか? 千を置き去りにして江戸に行ってしまえばいいのです!! そ、そ、それから伊茶と子作りをなさったらいいではありませんか!」


 ぷいっとそっぽを向いた千姫の目尻に光るものが浮かんでいる。

 彼女の心配の種は、はじめから伊茶だったみたいだな。

 

――秀頼さまのお心は、千から伊茶に移ってしまったのじゃ! だから千をおいて江戸にばかり行ってしまうのじゃ!


 そう思っているに違いない。

 ひとりでに笑みが漏れてしまった。

 

「なにがそんなにおかしいのじゃ!」


 ぷくっと頬を膨らませる千姫。

 そんな彼女の頭に、俺は優しく手を置いた。

 

「お千や、安心してくれ。われが子を作るなら、お千以外はありえぬ」


 もちろん上っ面な慰めの言葉ではない。

 これは俺の本心だ。

 俺は千姫以外の女性と子を作ることなど、まったく考えてない。

 きっとそれはこれからも変わらないだろう。

 だから彼女にかける言葉は自然と熱が帯びていた。


「え……。秀頼さま本当?」

「ああ、本当さ。誓ってもいい」


 千姫がくるっと振り返って俺と目を合わせる。

 リンゴのように真っ赤に頬を染めて、嬉しそうにもじもじしはじめた。


「秀頼さまぁ」


 甘えた声とふっくらした小さな唇。

 幼い頃から変わらない彼女の魅力に自然と胸が高鳴り、吸い寄せられていく。


「お千……」


 この世界にやってきたのは、十五年前のことだ。

 その時初めて人を見たのが千姫だった。

 俺の顔を不思議そうに覗き込できたくりっとした瞳を、今でもはっきりと覚えている。

 あの頃から彼女は甘えん坊で、わがままだった。

 ちょっとでも嫌なことがあるとすねて、ぷくりと頬を膨らませていた。

 でも嬉しいことがあると、すぐに機嫌を取り戻してこう言うんだ。


「秀頼さまぁ、だいっすきじゃ!」


 その時に見せる笑顔は、今も昔も愛おしくてたまらなくて、つい俺も笑顔を返してしまう。


「われもお千が大好きだ」

「にゃふふ! 千は嬉しい!」


 だから俺と千姫は今でも、幼い頃と同じように喧嘩と仲直りを繰り返している。

 

 はたしてこのままでよいのだろうか……。


 そんな疑問は事あるごとに浮かぶが、目の前の彼女を見ればすぐに霧散してしまうから不思議なものだ。


 しばらく笑顔で見つめ合っていた俺たちは、どちらからともなく徐々に顔を近づけていった。


 彼女が目をそっと閉じる。

 

 

 そうして二人の唇が重なる直前――。

 

 

――ビチャッ!



 という音とともに、俺の左頬に激痛が走った。

 

「いってええええ!!」


 なんとあざみがしみる薬草をこれでもかと塗りたくっているではないか。

 俺は涙目になって、彼女を睨みつけた。

 

「な、なにするんだよ! ほっぺが焼けおちるかと思っただろ!」

「あはは……。『おなごの心』が分からぬ秀頼様には、ちょうどいい治療じゃ」


 引きつった笑みで仁王立ちする彼女の背後から、紫色した炎が見える……。

 あまりの恐怖に「ひゃっ」と情けない声をあげた俺は千姫から離れた。


「あざみにも、たまには甘い言葉をかけて欲しいものじゃのう」


 あざみはそうつぶやいた後、バシっと俺の背中をたたいた。

 

「はい、おしまい! あとは千姫様にやさぁしくなでてもらえばよかろう」


 言葉の節々がとげとげしい。

 やはり俺には『おなごの心』なるものが分からん……。

 俺が眉をひそめているうちに、彼女はひらひらと手を振りだした。

 

「今日は別のお客様がおみえでな。申し訳ねえが、ここらで御退出くだされ」

「あざみ殿にお客さま? 珍しいのう」


 千姫が目を丸くした。

 ……と、その時。

 


高台院こうだいいん様と見性院けんしょういん様がお見えでございます」



 部屋の外から侍女の高い声が響いてきたかと思うと、静かに襖が開けられた。

 そしてその奥から、穏やかな笑みを浮かべた二人の老女の姿が見えたのだった。

 

 


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