第六話 治癒の暴力
時は初日の訓練を終えて、登っていた日もそろそろ落ち始めたという頃。
アイラは疲れた身体を癒すため、ジークが作ったと言うある場所に来ていた。
「わあ……っ! 凄い! ホントに作っちゃったんだ!」
アイラの目の前には、正真正銘のお風呂があった。どうやって作ったのかは分からないが、それもかなり大きいサイズだ。アイラの身体だったら、仮に十人が浸かろうと皆がくつろげるだろう。
「お風呂なんてどれくらいぶりだろう。ああでも、村が焼けてからまだそんなに時間も経ってないのか……」
粗雑なアイラも一応は女の子の端くれだ。村が焼ける前は毎日お風呂に入っていたため、今目の前にある楽園が涙が出るほど嬉しかった。正直アイラ自身、身体のべたつきや臭いが気になっていたのだ。
「一応ジークも男の子だし……いや、あの人はそういうの全然気にしてなさそうだったけど」
なんとなくだが、ジークはアイラの性別にたいして興味を抱いていないように思えた。
今日一日一緒に居て、彼のアイラへの接し方はフレンドリーとは違う距離感のように感じたからだ。
「なんというか……家族のような……違うな。保護対象? ああ、これが一番しっくりくるね」
自分の行きついた答えの無情さに辟易しつつ、アイラはせっせと服を脱ぎ、それを脇の岩場へ置いてゆっくりと湯船に浸かった。
「ふう……疲れたなあ……」
湯船は少し熱い気もするが、その熱さが身体中の疲労を取ってくれている気がした。
当たり前だが、ジークのトレーニングはこれまでの農作業とは比べ物にならない程の疲労感をアイラに与えた。
彼がアイラに貸した内容は筋トレや素振り等、どれも基礎的なモノばかりだった。だがそれはアイラが知る基礎トレーニングとは一線を画す、地獄のような内容だったのだ。
やることは彼女が普段からしていた筋力トレーニングと大差ない。しかしその練度が段違いだった。
具体的に言うと、それは姿勢だ。
ジークが指示するのを真似て行ったそれらは、同年代の女子よりは鍛えてあったであろうアイラの肉体にものの数分で悲鳴を上げさせた。
では何故、早朝から始めた訓練が日没まで及んだのか。それはあの大精霊。ウルの手によるものだった。
数種ある種目を全てこなし、たった数十分で肩で息をし始めたアイラに、ジークは即座に治癒を施した。それもただの治癒魔法ではない、ウンディーネの治癒魔法である。
彼女の施す魔法は、ただ癒すだけではない。ブチブチに千切れた筋繊維を
つまりアイラの身になにが起こるかというと、普段数日かけて行われる筋肉の超回復がモノの数分で完了してしまうという、少々奇天烈な現象が起こるということだった。
このトレーニングは肉体的な疲労は一切なく、疲れた筈の身体を酷使してただひたすらに同じ内容を反復する。
疲弊していくばかりの精神を奮わせて何時間反復練習を行うというのは、常人にとっては最早拷問に等しい行いだった。
「ああ……思い出したら吐き気がしてきた……」
もうもうと湯気の立ち上る大浴槽の真ん中で、アイラは打ち上げられた雑魚のように漂っていた。
確かに疲れている筈なのに、肉体には一切の疲労がない。その違和感が着実にアイラの感覚を狂わせていた。治り過ぎるというのも、中々曲者なのかもしれない。
あの時ウルが必死で止めようとしたのも今なら存分に頷ける。こんな半端な覚悟で挑むものではなかったのだ。
初日でこの
「でも……諦めないもん」
「何故だ?」
「なぜってそれは……って、えぇ!? あ、あなたは……というか」
──どこから?
周囲を見回すが、周りは背の高い野草に覆われており、誰かが近づけばすぐに察知することが出来る。
そうでなくてもアイラが来るまでここには誰も居なかったはずなのだ。
更に言うと、ここら一帯にはウルが結界を施している。その結界の効果というのがまた驚きのものだった。
彼女の結界には大きく二つの特徴がある。
一つは水の性質を利用して周囲からの景色を取り込み、このキャンプ地を外から発見不可能にする効果。
もう一つは中で発生した音を吸収し、外に漏らさないという効果だ。
と、ウルから説明されてたのだが。
残念なことにアイラの魔法への知識量ではそれがどういうことかサッパリ分からなかった。
無知を晒すアイラに、『水に映った景色を外に見せている』とウルは付け加えてくれたが、それでも彼女はいまいちピンと来ていなかった。
(って、私の頭の出来の話はいいんだよ。話しても悲しくなるだけだし……)
まあ、というわけなのだ。
だからこの結界へ侵入するならば超が付くほどの実力を持つ魔術師でもない限り、この場所に外から入ることは叶わないのだそう。
だがしかしこの見知らぬ少女はアイラの気付かないうちに隣にいた。
侵入経路についてはこれ以上アイラの頭で考えても埒が明かないので、彼女はこの少女の外見だけでも分析しようと少女を見つめた。
アイラの視線に不思議そうに首を傾げる少女の年齢は、外見から推測するに十歳前後だろうか。淡い緑の髪の毛の上に真っ白なタオルを乗せて、気持ちよさそうにお湯に浸かっている。
タオルがどこから現れたかは考えないことにしよう。
アイラを見つめる瞳は黄金色に輝いており、吸い込まれるような強い輝きを放っていた。
一体彼女はいつ、ここに現れたのだろうか。
「その顔……やはり覚えておらぬか。良いことなのだが、やはり寂しいものよな……」
ゆらゆらと髪を揺らしながら、小さく呟いた。
それにしても随分と古風というか、尊大な喋り方である。こんな特徴的な子どもが居たら早々忘れるとは思えなが、しかしアイラの記憶にそのような人物は見当たらなかった。
「私と会ったことがあるの? ……ごめんね。ちょっと思い出せないや。私といつ会ったか覚えてる?」
「うーむ。確か最後に会ったのは八年くらい前だったはずだ。まあ気にすることもない。受け入れ難い現実を忘れられることも、人間の特権故な」
「人間の……?」
自分は人間でないとでも言うのだろうか?
目の前にいる少女は、どう目を凝らしてもアイラと同じ人間に思える。ウルの様に上位の精霊だったりするのだろうかと考え、アイラはその思考を途中で止めた。
この辺りに精霊が棲んでいるなんて話は聞いたことも無いし、この周辺はただただ森が広がるだけで特別神聖な場所があるわけでもない。
よって、仮に棲んでいたとしても下級の精霊になるが、下級の精霊は実態を持つことが出来ないとウルが言っていたのでその可能性もないだろう。
それを子供の虚言と片づけることも出来るが、少女から嘘の気配はしない。
第一、そんな嘘をアイラに吐く理由だって皆無だろう。
そう結論に至り、アイラは少女についてこれ以上考えることを諦めることにした。
ここ二日でもう何度目にもなる思考の放棄である。
「それにしてもアイラ、大きくなったな! それなりに立派に育ったな! 特に……このあたりとかっ!」
「え? ちょ、ちょっと……ゴフッ!」
突如少女が黄金の瞳を怪しく輝かせかたと思うと、次の瞬間には勢い良いくアイラに飛びかかってきた。
その速度は尋常ではなく、アイラは抵抗することも出来ず少女の突進を正面から喰らった。
あまりの衝撃に視界が激しく点滅する。
それは昨日のジークの拳に勝るとも劣らない威力を誇っていた。
「お、おお……ぷにぷにする! これは凄い! 非常に柔らかいぞ! ……って、あれ? アイラ……? アイラ!?」
アイラを心配して叫ぶ声に、大丈夫だよと声をかけたい。そして、ホンモノはこんな程度ではないということも。
しかしその意思に反して、アイラの意識は次第に薄れていった。
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