第三章 嘘の幸せと真実の絶望と
第23話 胸躍らせ足軽やかに
テストが終わり後は夏休みを待つだけの幸せな日々が続いていくのだが受験生には夏休みも淡々と過ごす日もなかった。
テスト期間中の濃密な勉強の余韻があるのかテスト後も家庭教師として見る限り勉強は捗っていた。
ぼちぼちと返ってくるテストの点数に自信が溢れてくるのだろう。
一生懸命やった結果が報われるような点数を取って帰ってくるからだ。
全てのテストが帰ってきた時には八十点代が一教科だけでそれ以外の教科は九十点を上回っていたので俺も驚いた。
これはひょっとしたらクラス一桁の目標もまんざらではないような気がしてきたのは本人も思っているだろう。
旅行という夢を叶える為に努力したのか、元々やれば出来る素材にスイッチを入れるだけだったのかは愚問だろう。
学生にとって点数というのは一番明白に評価できる代物なのだから。
子供の頃は一生懸命することが美徳とされていた。
今でも一生懸命取り組む事は決して悪いことではない。
しかし社会というのは必ずしも一生懸命やった者が報われる場所ではないということだ。
これは子供の頃には教えてくれないこと、大人になるにつれ経験していくことだ。
良い成績を上げたものを上から順に評価していく。
同じ点数ならより効率的にできたもの。
一生懸命したかどうかは過程を見てきた者でしかわからないからだ。
今は一生懸命やってきた自信と伴う結果を素直に喜ぼう。
金曜日、今日がテスト順位の発表がされるはずの日だったので、俺は『昭和堂』と看板に書かれたケーキ屋さんに立ち寄った。
店頭のブラックボードに手書きでおすすめの商品が書かれている。その中で俺は二度見をしたがまだ目が疑っている。
『きまぐれパティシエのこだわりチーズケーキ』
なにがきまぐれなのか?出勤しないのか?気が向いたら出てくるのだろうか?出勤しても「今日は俺、大工するわ」とか言ってケーキ作らないとか?
「壁の感じがクリーム塗りににてるから今日は左官するわ」とか?いやいやいや、いくらきまぐれでもケーキ作りの道は外れないだろう。
「店長ー!あいつまたシュークリームを大量に作ってます!」「誰かあいつを止めろー!」とか言われてるのだろうか?
量がきまぐれか?ならば、今日はこれを作ってくれって毎日指定されていたら大丈夫か。
「バター少々?今日は全部いっちゃうことにこだわりました」「チョコ?今日はイカ墨にこだわりました」とかきまぐれなのだろうか?これじゃ殆ど無法者パティシエだな。
これなら『こだわりパティシエのきまぐれチーズケーキ』の方がマシだろうか?
「おい!あいつはまだ出勤してないのか?」
「はい、卵にこだわりたいと言って昨夜から養鶏場で働いてます。その前はバターにこだわりたいと言って北海道に行ってたのを連れ戻したばかりですが」
普通に首だわな。いや、そこまでこだわったのなら最高品質のケーキができるのではないだろうか?
「納得のケーキができん!」と言って捨てては作り直す職人気質か?いや、昭和の名残がそこにあってこその昭和堂かも!?
「なんじゃこりゃ!?このチーズケーキの試食、スッカスカやないかい!」
「最高の材料でチーズケーキ作ってたんですけど、途中でシフォンケーキが作りたくなって」
きまぐれかーい!そこはこだわって!お願いだから。
おっと、店頭のブラックボードの前で十分も妄想してたら、俺がこだわりの客に見られてしまうな。奴のケーキを見極める眼力は只ならぬ!って店員にマークされては今後の買い物に支障がでるやもしれん。ここは空気のように気配を消して入店せねばなるまい。
「ご注文はお決まりですか?」
待て待て、俺はケーキを買うのに店内に入ってあれこれと悩むタイプではない。ズバッと決めて店員さんに「コイツ、デキる」と思わせること風の如し。
俺はシュークリームを注文することにした。個数はもちろん二個。いやちょっと待てよ?曜子に二個とも食べられる可能性も無きにしも非ず。俺はイチゴのショートケーキとチョコレートケーキを追加注文した。
これでよしんばシュークリームを二個食べられたとしてもショートケーキはどちらか余るだろう。これが策士ウタルのケーキ殺法じゃい!おっと、思わずニヤッとしてしまった。ショーケース越しにいる女性店員さんに俺の心を覗かれそうだぜ。まるで女性店員さんが可愛いからニヤッとしたと期待持たせてしまっていたら失敬失敬。俺の事は忘れて良い人を見つけるんだな。
だがちょっと待てよ?四個という数字はあまりよくないな。それにご両親がおられたら「つまらないものですが喉には詰まらせないでください」と渡さなければなるまい。だとするともう少し買い足していくのが大人のたしなみというものだ。
プリン。そうだプリンにしよう。おっと、JRのキャッチフレーズ並の意識に残る有能な言葉を自然と発してしまう自分のエンターテイメントが怖ろしい。気を取り直してプリンを二個買うこと山の如し。
「ご注文はお決まりですか?」
俺は慌てて注文をした。なかなか注文しなかった静かなること林の如くな俺に嫌な顔一つせず、ニコニコと対応するこの店員、デキる!
注文したケーキ達を待ちながら店内を見渡すとある張り紙に目が行った。
『近日、気持ち的にリニューアル』
一体、どういう意味なんだ!気持ち的ってなに?何が変わったか近日、確認せねばなるまい。は!?もしやこれがこの店の罠か!?意味深な張り紙でリピーターを増やす作戦か?まんまと俺はその罠にドハマリするところ火の如くだったぜ。だが敢えて言おう。ケーキが美味しかったらそんな罠を気にせずとも再び来るであろうと。そしてこの店の発展を願いこの店の為に何度も来る。そう我こそは、リピーターパンである!
「お待たせしました」
張り紙のことなど聞けるはずもなく俺は商品を受け取り店を出た。
「また会おう」
夕日のガンマンで言いそうな気がする適当なセリフを残して立ち去った。もちろん頭の中でだ。
道中、俺はどれを食べるべきか曜子の家に着くまで真剣に悩んでしまった。
スキップする程若くはないが足取りは軽かった。
この感情が胸踊る気持ちと表現してもあながち間違いではないだろうと初めて思ったのは、中学生の時のキャンプファイアーの頃だった気がするが忘れた。
※
家に着き、玄関を開けると曜子の靴が並べられているのを確認することで帰宅していることが認識できる。
俺が訪ねるのを分かっている日はインターホンを押してわざわざ玄関まで降りてくるのが
曜子の部屋に入る時にノックをして了承を経て入るので、まさかの着替え中に入るという所長が喜びそうなハプニングに遭遇することはなかった。
今日は仮に機嫌を損なう出来事があったとしても一発で解消できる
いつも淹れてくれる紅茶が今日は特に待ち遠しく感じながら階段を上がったのだが、残念ながら紅茶どころか持参した
曜子は左腕で顔を覆ったままベッドに横たわっていた。
いくら気心知れた中でも誰もいない家で二人っきりになる時にベッドに上がることは今までなかったのは意識してのことだろう。
気分でも悪いのかと思ったが、どうやら違う理由で横たわっているのが分かったのはテーブルの上に置かれてた順位表が教えてくれた。
「最悪だよぉ」
やっと開いた小さな口から出たか細い声は順位表の内容に納得せざるを得ない。
「あんなに頑張って勉強したのに……」
必死に泣くことを堪えているようだった。
やはり一教科が八十点代以外は全て九十点代だった。
素晴らしい点数なのは間違いないのだがクラスでの順位は最下位だった。
進学クラスでレベルが高いとは聞いていたがここまでとは想像していなかった。
普通科クラスなら間違いなくトップの点数だろう。
しかし同率順位でも一位は一位だが同率順位で複数居たとしても最下位は最下位なのが悲しいかな現実なのだ。
約束の一桁が無理だったとしても十番代なら後は家庭教師である俺の教え方の問題と理由を付けてでも旅行に踏み切る程の点数を取っている。
本人も点数に伴った順位に自信あったはずで約束の旅行も確信を経ていたのではないか。
その確信が足元から崩れていったのだから相当なショックだと言うのはわかる。
現に順位を家庭教師である俺の責任だと一言も言わないのが物語っている。
「やっぱり私はお兄ちゃんみたいに出来ないし、お父さんに見切られても仕方ないんだよ」
目標が高く少しでも近づいたと思っていたのが蓋を開ければ距離が更に広がっていたといことか。
「ごめん、今日は勉強無理だわ」
帰ってとストレートに言わないのが悲しさを押し殺した曜子の優しさだろうか。
俺に八つ当たりもできない程参っているのだろう。
こんな時に勉強しても頭には入らないなら切り替えが出来るまで待つのが正解だろう。
受験生にとって一日一日が大切なのではあるので早めに立ち直るのを期待するが。
俺は意気揚々に連れてこられた
どんな状況であっても特に女性には登場すれば歓喜を浴びるはずが袋から出されることもなかったからだ。
置いて帰ることも考えたが、折角のお菓子に八つ当たりされてもいけないので今日の所は持ち帰って明日所長達と三人で美味しく頂くことにした。
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