もう、これで。
あおい みなと。
001
⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘
もう、終わりなんだ。
⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘
「でさー」
汗をかいたグラスの淵を伝うように水滴が流れ落ちていく。最初は指を這わせるようにゆっくりと、そして、周りのものを巻き込みながら加速して。最後はプレートの部分を囲うように半円状に拡がった。
「聞いてる?」
「いいえ」
「聞けよ」
コツンと小さな衝撃。どうやらテーブルの下で奇襲を仕掛けられたらしい。脛は地味に痛んだ。
「でさー」
「何?」
「…あれ? 何だっけ?」
めでたく迷宮入りである。
「ちょっともう、ちゃんと聞いてよ」
「ごめん、水滴が綺麗で」
「うわ、サイコパス」
「何でだよ」
返事は溜め息だった。
昼下がりのカフェはそれでもまだまだ盛況で。眩しい日差しにさらされるテラス席でさえも席が空くことはない。ランチセットと飲み物を絶え間なく運ぶ店員さんの笑顔には脱帽するしかない。
「あ、まだチーズ伸びるー」
呑気な声に視線を前へ向ければ、そこには間抜けな顔をしてピザを頬張る姿があった。モッツァレラチーズが伸びるだけでテンションが上がるのだからお得だと思う。どちらかと言えば、その小さな口に細く線のように伸びたチーズが吸い込まれていく様の方が興味を惹かれた。
「リップ、変えた?」
「うわ、視線どこだよって思ってたら」
「季節だねー、桜色」
「おーい、戻ってこーい」
特段、どこかに飛んでいた訳ではないが瞬きをしてリセットする。フォークが日光を反射させて眩しい。
「でも、よく気付いたね」
「そうね、綺麗だったから。好き」
その色。
「そういうとこやぞ」
「何がだよ」
「うちの彼氏にも見習って欲しいですわ」
「何をだよ」
「そういうとこやぞ」
「あれ? デジャヴ?」
次の返事は、また小さな衝撃だった。
「そろそろ痣になるからやめようね」
「はいはい」
「一応、年上だからね俺」
「へいへい。あ、すみませーん。白ワイン追加で」
「あ、俺も」
はーいと元気な返事と煌めく笑顔。前世でどんな行いをすればこんな聖人君子のような振る舞いが身につくのだろうか。イケメンが眩しい。
⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘
「でさー」
相変わらずの口癖が耳を擽る。
「うん」
「え、珍しいねちゃんと聞いてるの」
これ以上、痣を増やすわけにはいくまい。
「うるさいよ。で?」
「うん」
「「………」」
二人分の沈黙が重なる。
何となぁく察しはついていた。急ぐ必要はない。あと、普通に陽だまりが気持ち良いから買ってきたタピオカドリンクを口にする。甘い。
「…。なんかねー」
「おう」
「うまくいかない」
「そっか」
「うん」
「「………」」
今度は隣で氷のぶつかる音がする。視線の端で緑色の液体が揺れていた。ついでに、茶色の前髪も一緒に。
「あー、消えたい」
「そう?」
「うん、スパッと」
「跡形もなく」
「それはやだな、寂しい」
「わがままか」
でも、分かる気もする。
「寧ろ、消えないかなー職場」
「それからそれから」
「人間関係」
「うん」
「あと、彼氏。ウザい」
「そっか」
「うん」
テキトーだった。適当ではなく。
「ほんとウザい。煩い。煩わしい」
「やけに攻撃的ですね」
「うん。別れよっかな」
「好きにしろよ」
「ほんっとテキトーだよね」
「でしょ?」
「腹たつわぁ」
と言って、嬉しそうに笑っていた。思考回路でも飛んでんじゃなかろうか。
誰と誰が付き合おうが知ったことじゃない。
幸せで、嬉しいなら笑えばいい。辛くて、悲しいなら別れればいい。何も男女関係に限らず。そこに自分の入り込む余地などない。面倒だし。
「スッキリした?」
「うん。でも、足りない」
「酒?」
「いいね、今夜泊めてよ」
「やだよ、仕事だもん」
「だからいいんじゃん。ゲームしたいし」
「酔っ払いのいる家に帰る俺の気持ちね」
「嬉しいくせに」
「それだけはない」
ずずず…と黒い塊が何個も口の中で踊っている。むにむに、もにょもにょ。本当に奇妙な感触だ。そして、甘い。シナモンの風味もくどかった。
「抹茶、くれ」
我慢できなくなって、容器を奪おうと手を伸ばすが、
「やだ。間接的な接吻も拒むレベル」
拒まれた。それはもう綺麗さっぱりと。
「なんでよ」
「生理的に、こう…ね?」
「ね?じゃねぇよ気持ち悪い。そういうの彼氏の前だけにしてくんない?」
「いきなり辛辣かよ、大人気ない…」
「あーもうマジ厄日だわ」
「こっちのセリフだわ!」
目の前をスワンボートが通り過ぎる。キラキラしているのは何も水面だけではない。きゃっきゃうふふなその雰囲気ごと沈めばいいのに。
次は肩に痣ができそうだ。
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