ATW
侑李
降伏編
銃後はなくなった
昭和19年10月 東京
神楽坂のとある料亭の奥座敷に、陸海の隔てなく数名程の高級軍人達が集まった。
彼等は酒や料理を運んできてくれた女中を退室させると、何かを確認するように部屋を隅々まで調べ、声を抑えめに会話を始める。
「もう、無理だ」
「絶対国防圏に設定したマリアナ、パラオまでですからな・・・」
「このままでは如何にしても、フィリピン、果ては沖縄、九州、最悪真っ直ぐ小笠原から帝都へと敵はやってこよう」
「そうなれば海軍、GF(連合艦隊の略)は防げますか?」
「無理だ。艦があっても燃料がない。燃料や空母があっても飛行機が・・・パイロットも地面から飛ぶのがやっとのジャクばかりだ・・・・・・フィリピンが落ちれば、日本のシーレーンは完全に寸断され、南方からの輸送船が危険に晒され、内地近海の制海権すら・・・・・・」
「陸軍さんの方はどんな状況ですか?」
「ええ、ある程度自活できている大陸戦線はともかく、南方ではジリ貧なのはこちらも同じです。我々の前の料理はこんなにも豪勢なものですが、近所の奥方に話を聞くと、最近はかなり配給も減ってきて闇で食いつなぐ者も多いようです」
「3年前のあの時、どうにか対米開戦を避けられていたら・・・・・・」
「いえ、それにしても日本国民はしばし苦境に立たされたと思いますが、今思えばそれに耐え忍ぶべきだったか・・・」
「永野総長言うところの戦わずしての亡国の道か・・・」
「始めてしまったものは仕方ありません。後はどうやって一日も早くこの戦を終わらせるかです」
「そうだな。で、下士官や兵で我々に協力してくれる者は今や十数万にも達している」
「やはり現場の彼等は戦争の現実を一番よく知っていますからな」
「戦争神経症にかかる兵士もいると聞きます」
「戦争、しかも国家の総力戦というシステムの上、鬼畜米英と言われてきたとはいえ、同じ人間に銃を向けるのはやはり怖いだろう。私だって、腰に拳銃なんかを差して歩く自分に身震いしてしまう」
「・・・・・・」
「・・・・・・何れにせよ、日本本土が、帝都が、敵の新型超重爆の空襲可能範囲に入った今!もはや銃後もクソもない。これから俺達は俺達の新たな戦いに身を投じる事となる」
「しかし、本当に成功しますか?下手すれば五・一五事件や二・二六事件の二の舞になるような気もしますが」
「大丈夫だ。何せ今回の計画の首謀者は・・・・・・」
ここにいる軍人達の中で一番階級の高いリーダー格の彼が、万一、いや億が一でも外に聞こえぬようか細い声で今回のクーデター計画の真の首謀者、黒幕を告げると皆、目をあんぐりとさせていた。
「・・・・・・それは誠ですか?」
「誠も誠だ。諸君らには今まで黙っていて悪かったが、これもご意向というやつでな」
「しかし、一体何故・・・・・・」
「それは俺にもよく分からん、ただそれを望んでおられるのが事実である」
「・・・・・・して、決行日は?」
「明後日未明、戦艦長門が東京湾に忍び込んで錨を下ろし、空砲を打つ。それを合図に兵を要所に突入させる」
「我々の要求は?」
「勿論、支那も含む連合国軍への降伏の受け入れ、現小磯内閣の総辞職、学徒兵の帰還、学校生活復帰等だ。あくまでこれは日本政府への要求だからな」
「話し合いが受け入れられぬならば?」
「戦うしかない。同じ日本人同士争うのはもうやめにしたいが、そううまくもいかんだろう。必ずどこかでおかしいと思うはずだがな」
「でしょうな。かつての政変とはわけが違いますからな」
「そういう事だ。今日は決行前、最後の晩餐会という事で付き合わせてしまったが、皆家族の元へ帰ろう。明日は全員休暇にしておいた」
「ありがとうございます!」
一同敬礼をして、バラバラに店を出る。
だが、リーダー格の彼は家とは反対方向に足を向かわせる。
防諜に於ける偽装かとも思われたが、どうやらそうではないようだ。
彼は全員が帰ったのを見届けると、ある場所へ一目散に歩き出す。
そこは・・・・・・
「いよいよです・・・・・・」
彼が立ち止まったのは、日本人なら誰もが知るあの場所であった。
今回の計画はそこにいる人物の意向によってのものだ。だから、失敗は許されない。
もし、失敗したら自分の腹を切るだけで済むかどうか・・・しかし、そんな事を考えていても仕方がない。
あとは、成功させるだけだ。一層決意を固くして、彼は帰路に着いた。
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