昼休みが嫌いな私と、部室棟の幽霊

鳶タ は、や。

一章(1) 昼休みが嫌いな私と、部室棟の幽霊

――葵山あおいやま高校部室棟四階東側一番奥の空き教室には、昔そこで首つり自殺をした生徒の幽霊がいて、今でも机をける音や誰かが苦しそうに喘ぐ声が聞こえてくるらしい。もしも空き教室に入って、その幽霊の目を見上げてしまうと――



 前の席の三木島みきしま君はこの数分の間にもう三回も黒板の上の掛け時計を見上げている。それを数えている私も含めて、教室にはちらほらと授業への集中力を失っている生徒が現れだした四時間目。現国の授業が終わる頃。

 生徒たちの昼休みを待ち望む気持ちを汲んでくれたのか、先生は教科書を閉じて早めに今日のまとめに入る。

 現国の浮橋うきはし先生、優しくて美人で生徒たちに大人気でうちのクラスの担任の先生。チャイムが鳴ってもちっともテストに出そうな重要なところの話をやめようとしない人ならざる魂を持った先生もいる中で、いつも浮橋先生はきっちりチャイムを守ってくれる。

 ただ誰が相手でも関係なく結局こんな風に授業の終わりを待ち望んでいる私たちはまさに高校生って感じ、純粋っぽい、欲望に。お腹すいてるし、別にそこまで好きじゃないし勉強、仕方ないよね、ほら成長期とか真只中だし。

 数人の男子が、もちろん三木島君も、ついに時計の針の動きから目を離さなくなったあたりでチャイムが鳴る。

 

で、昼休み。


 礼が終わる前から騒がしくなり始める教室は、やってきた数人の生徒と一緒に先生が教室を出ていく間に、お弁当のにおいと楽しげなおしゃべりに埋め尽くされる。

 私はいつものように出来ているいくつかの島の間を抜け、二年三組の教室から抜け出す。お弁当を持って。

 別に教室でお昼ご飯を食べない生徒なんて珍しくないし、こそこそする必要もないんだけど何となくいつも息をひそめてしまう。

 廊下に出て、一つ大きく息を吸って吐く。これも、すっかり習慣みたいになってしまった。そして、今からすることも、いつの間にか習慣に――

「あら、明日さん」

 不意に名前を呼ばれ、またその必要もないのに驚いて上ずった声の返事をする。明日朱夏あけひしゅか、というのは私の名前。

話しかけてきたのは浮橋先生で、廊下で何人かの女の子と話し込んでいたらしい、やっぱりその人気は確からしい、生徒への声掛けもまた、先生のやさしさからの行為なんだろう。

「お弁当、中庭かどこかで食べるのかしら、いいわね。今日は本当にいい天気だし」

 まるで自分に何か良いことでもあったみたいな笑顔で笑いながら、先生は窓の外を指さす。

「……はい、ええと。まあそんなとこ、です」

 そんな先生の優しさに0点の解答をして会話を切り上げ、周りをきょろきょろしながらゆったりと歩いて職員室に向かう先生を振り切ってしまう。

 申し訳ない、とは思うけれど、どうしても苦手なんだよな、先生。生徒思いで優しくて、欠点なんかなさそうなのに嫌味が無くて、私なんかよりよっぽど、ちゃんと純粋だ。

 簡単に人と人との間にある境界を踏み越えてしまえて、何もかも包み込むような優しさを向けてくる。そして、こちらが同じように心を開くのを待っている、笑顔で、いつまでも。

苦手だ、そういうの、悪気がないことはわかっているから余計に気に病む。先生は何にも悪くないのに。これは若さのせいなんかではなく、私のせいだ。

せめて、せめて顔くらいはあんな風に笑えればな。人間は中身も笑顔も重要らしいから大変だ。不愛想が服を着て歩いているとか、実の親にまで言われてしまう私は致命的だ。

 どうでもいいことをうだうだ考えながら私の足は、部室棟のほうに向かっている。葵山高校には、向かい合う二つの教室棟と渡り廊下でつながった実習棟があり、部室棟はさらにその向こう側、学校の一番北側にある。


 そしてこんなふうに、昼休みになると人を避けて、お弁当を食べる場所を探して学校を歩き回るというのが私の日課。できるだけ静かで、寒いときは日向で暑いときは日陰で、そして何より、誰とも関わらないで済むような場所を探して。

 毎日たくさんの生徒の場所取り合戦が昼休みと同時に繰り広げられている中庭なんかではない。

 別に、ウソをつく必要なんてなかったんだけれど、ああいう場面で答えをさらりと濁したり、とりとめのない会話を続けたりできる人と私は、そもそも脳の構造が違うような気がしてしまう。人間なんて山ほどいて顔だって全然違うのに、頭の中はほとんど一緒だなんてそっちのほうが信じられない、似た顔の人すら世界に三人しかいないのに。

 まあ、構造が同じでも、同じでなくても、考え方も感じ方も同じなわけがなくて、だから人と人が分かり合うことなんて不可能だって思うのは、さすがに思春期拗らせすぎだろうか。

 自業自得で重苦しくなった気分のまま、一番教室から遠い部室棟に来てみたはいいものの、どうやら当てが外れたみたいだ。

 部室は当然その部に所属している部員が使っているか、そもそも鍵が開いていないかで、倉庫もきちんと施錠済みだ。

ていうか、さすがに倉庫はないよな、かび臭そう、こんなところにいるのなんて幽霊くらい……。

 あ、幽霊。

 葵山高校七不思議、かどうかは知らないけれど、この学校には幽霊の怪談話がある、らしい。

 クラスの噂好きの子たちが話しているのを前に聞いた。確か、部室棟の四階だったはず。

昔に首つり自殺した幽霊が出るとか、見ると死ぬとか、不幸になるとか、はたまた願いが叶うとか。なんかいろいろ。

 何人もぶら下がっているのかな。それは引く。

 まあ、噂なんてあてにならないね、さすがに高校生で本気で信じている人なんていないだろうし。現代っこだし。というか、他人の話なんてみんなそう、というのはさすがに乱暴か。

 ただ怪談の舞台になるようなところなら、あまり人も寄り付かないのかもしれない。だったら好都合だ、私には。

 部室棟は今の教室棟ができるまで教室として使われていて、それが空き教室になったまま使われずに放置されている。

 とはいえ、さすがに生徒に自由解放されているわけでもなく、当然しっかり施錠済みだろうけれど、けれどまあ階段で食べるくらいならできるかな。人が来ないなら最悪廊下でもいい。

 昼休みはもう半分も残っていない。

 一段飛ばしで階段を上がっていくと、期待通り、四階には人の気配はなかった。

 賑やかな笑い声も、校内放送もここには届かないようで、窓の外は青空も太陽も色濃いのに、ひっそりとした廊下には音と同じように色も少ない。

 使う人間がそこにいないだけで、それだけで完結しているはずの人工物はひどく存在として不安定になる気がする。生徒がいないと、学校の施設はどこも少しずつ、現実味を失って不気味になる。廃墟みたいに。

 温度が無くなっていく、人に使われていたころの記憶だけ残したまま。たぶん、死ぬことと似ている、確かにそこに存在したままで。

 人間だって同じだ、そう、思うようになった。学校の中で、一人きりになれる場所を探して歩きまわるうちに。

 記憶だけ消えないまま、人との交流をなくせば、嫌が応にも心は、その形は保ったまま、冷えていく気がする。している。

 がらり、と、私は廊下の突き当り、東側一番奥の空き教室の引き戸に手をかけ、開け放った。



 別に階段でお弁当を食べてしまってもよかった、本当に。昼休みも残り少ないし。

 人の寄り付かない空き教室と、人に寄り付かない自分を重ねたのだとしたら、いくら何でも焦燥に浸りすぎだ。

 可哀そうだと、思ったのか。人間じゃなく物相手になら、私はまだこんな風に関心を、心を寄せることができるのか。

 わからないけれど、理由なんて何もわからないけれど、何の音もしない廊下を突っ切って、吸い寄せられるようにその戸を開けたのだった。

 もしかしてこれが呪いかな、幽霊の。

 予想に反して、空き教室の戸には鍵などかかっていなかった。そしてしかし予想通り、そこには誰もいなかった。

 使われなくなった古い型の机といすがいくつか教室の後方に寄せられたまま、がらんと開けている。カーテンは閉まっているけれどその向こうから外の光が差し込もうとしていて薄明るい。

 もちろん、天上にも縄があったりしない、ていうか電灯しかない。本当に首をつるとして、いったいどこに結び付けたんだろう。

 信じていない、と言いつつもこう拍子抜けするほど何もない教室の有様を見せられると、なんだか脱力する。

 うちの高校は校則も先生も緩いけれど、鍵開けっぱなしだなんて、不用心すぎやしないだろうか。

 やっぱり誰か忍び込んで使っているのかもしれない、かび臭さどころか、埃っぽさもほとんど感じられない。

 うん、お弁当を食べる場所としては悪くない、むしろ良いかも。人が来るかもしれないという不安は残るけれど。

 葵山高校は丘の上にある学校で、生徒の大多数は毎朝上り坂を恨みながら登校している。下り坂にもたいして恩恵を感じない。

 ただ校舎からから街を一望できるのは悪くない、部室棟からなら、教室からとは違う景色が見えるかもしれない。そう思ってカーテンを開くと、

 そこにはおどろおどろしい首つり死体が。


 なんてオチはなく、街の向こうに広がる海まで見渡すことができた。

窓を開けると吹き込んできた風が額に当たる、さすがに距離がありすぎるけれど、潮のにおいまでしてきそうなほど、大きく、広く見えた。

 まだそう日は長くなっていない、最高点から傾き始めた太陽に照らされ、青色だけでどこまでも澄んでいる空と対比されるようにキラキラと白く輝いている。

 綺麗だ、とても。

 良かった、ここにきて。浮橋先生との一件もまあ結果オーライということにしてしまおう。机と椅子を一組拝借してそこに広げたお弁当を食べながら考える。

 一人でお弁当を食べる場所を探して校内を歩き回っている、というのは我ながら結構虚しい習慣だと思うけれど、寂しいヤツだと思うけれど、でも時々こんな風にお気に入りの場所が増えるのは楽しかった。

 世界が広がる感じがした。

 普通はそういうとき、旅行とか、一人旅をするんだろうけれど、私の世界はそんなに遠くまで足を伸ばさなくても、確かに広がったり色づいたりする。

 教室からここまで歩くだけでも十分に、コスパ良すぎ。

 最後にとっておいたトマトを頬張ったところで、ふと思い至る。空き教室の幽霊とやらは、単にこんな風にここに忍び込んできた生徒たちの痕跡が集まって生まれたものなんじゃないだろうか。ごくん。

 もしそうなら、私も幽霊の仲間に入れてもらうことにしようか、何だか少し、ワクワクするなこういうの。

 小学生のとき、男の子たちに交じって秘密基地なる残骸を空き地に生み出したときに似ている。

 お弁当を食べ終わってそのままそこからまだ景色を眺めていると遠くでチャイムが鳴っているのが聞こえて、校内放送が聞こえないのはそういうことかと納得しながら急いで後片付けに取り掛かる。

 天気、良くてよかった、晴れたらまたここに来よう。

 鍵をかけることは出来ないので、きちんと戸だけしめて、私は空き教室を後にした。まるで宝物でも見つけたように足取りは弾む。

 人間と触れ合わなければ心が温度を失うだなんて、撤回だな、間違えることが若者の権利だとかどこかのお偉いさんも言っていた気がする。



 馬鹿だった。何が若者の権利だ、書いたことや出したものが簡単に消せないのがインターネットの恐ろしさだろ現代っ子。

少なくともあのとき考えるべきはそんな飛躍しすぎた謎の人生哲学ではなく、もっと現実的な問題だった。

 空き教室にしのびこんだ生徒の痕跡が集まったのが、幽霊誕生の原因だとしたら、私と同時期にこの空き教室を利用している生徒がいても何の不思議もない。

 人が辺りにやってくるかもしれないどころではなく、いつか、まさしく空き教室の中で似たような目的を持った誰かと鉢合わせになる危険性にまでは、私の考えは全く及んでいなった。


 いつかっていうか、次の日だった。


 晴れた、やった、あの空き教室また行こ。くらいの思考で昨日に続けて忍び込み、人目を気にせず、あたかも自分の部屋のようにくつろいでいた時だった。

 空き教室に出る幽霊の怪談を勝手に看破した気になっていたはずなのに、まさか真昼から幽霊が出たのかと死ぬほど驚いた。

 突然がらっと開けられた引き戸の向こうから、男の生首がぬっとあらわれた。ように見えたけれどもちろんそれは錯覚で、気が動転していただけで、結局、心のどこかでは怪談話にビビっていたせいだった。

 同年代くらいの男の顔は教室の中を見渡すまでもなく、開け放った窓の前でお弁当を広げ、橋だけ握りしめている私を発見する。

「幽霊……弁当食べるのか」

 と私を見つめたまま真顔でつぶやくその人を、そのまま幽霊のふりで誤魔化せるはずもない。

 先生ではないから怒られたりはしない、とは思うけれど観念してわけを話そうと慌てる私を見て、今度はその人は吹き出すように笑いだす。

「悪い、冗談。幽霊じゃないだろ、その名札。二年生か。まあ二年の時に弁当のどに詰まらせて窒息死した、とかいうことなら話は別だけど」

 真顔の時に比べてずいぶん子どもっぽい笑顔のままその人は教室に入ってきて、戸を閉める。良かった、ちゃんと足はある。

 落ち着いてよく見ると三年生の色の名札には「喜来」とある。背が低いわけではないけど全体的に線が細い、何だか色素も薄くて少し頼りなさ気だ。

 何も言葉を返さずじろじろと眺めるだけの私に気を悪くすることもなく、そのまま近くの机によりかかって喜来さんは話し出す。

「とりあえず自己紹介か、俺の名前は喜来善乃きらいよしの。呼ぶ時はぜひ下の名前にして欲しい。ちょっと聞こえ悪いから。誰かに聞いたのか、この教室の鍵の秘密」

「私は、明日です、明日朱夏。鍵の秘密って、開けっ放しになっているってことですか。ええと、善乃、先輩」

 何とかそう答えると、それまでにこやかだった善乃先輩は驚いたような顔になる。

「開いていた、そこの鍵がか?」

 さっき入ってきた戸を指さす。私がそうだと答えると今度は、ふうん、と何かを考えるように顎に手を当てる。

「だったら、鍵の秘密については知らないのか。偶然ここへ来て、たまたま鍵の開いていることに気づいた……」

 善乃先輩はそのまま、ぶつぶつと独り言のように呟きだす。このままお弁当を食べだすわけにもいかないし、話しかけるのも悪いし、とどうすることもできずに固まっていると、そんな私の様子に気づいたのか、

「鍵が開いていた、というのはまあ置いておくとして、何も知らないままこんなところまでやって来て、一人で弁当を広げているなんて、変わったやつだ」

 と言いながら私へ向き直る。あ、まずい。

「答えたくなければ、別にそれでもかまわないけど、なんでこんなところに――」

「あーっと、すいません。私ったらうっかり、どっきり。急用、じゃないや用事!用事があったんだ忘れてた失礼します!」

 それを聞かれるとまずい、いや、別にまずくはないけど、ただ面倒くさい。逃げよう。

 お弁当を片付けて机と椅子を元あった場所に戻しながら、向こうがはじめにそう言ってくれたように、答えたくないオーラ全開にして教室から出ようとする私の前へ、さっきまで机の上に座っていた善乃先輩はいつの間にか立ちふさがる。

「嘘が下手だな、絶望的に。まあ待てよ、わかった、それについての詮索はしない。代わりに俺の話を聞いてくれ、いや聞いてもらう」

 笑顔とも真顔とも、もちろん驚いた顔とも違う、初めて見る真剣な顔をする。

「決まりなんだ」

 まあ、守っているのなんてもう俺一人だろうけど、そう冷ややかに笑って、私が半ば無理やり了承するのを待ってから、善乃先輩は語りだす。窓の向こうで、海面に反射した光が眩しいのか、少し目を細めるようにして。





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