第7話


 驚いて振り向く男に、僕は紙コップを差し出した。


「はい」


 微笑む僕と湯気の昇る紙コップとを交互に見つめた彼は、半ば引き気味に声を洩らした。


「なんですか、これは」


「ココアです」


 彼に強引に紙コップを押し付け、もう一つのそれを口に運ぶ。平日で閉園時間も迫っているから、もうお客は殆どいない。


 既に止まっている観覧車の柵に寄りかかった僕に、男の怪訝な視線が向けられた。


「じゃなくて。どうしてこれを俺に渡すんですか?」


「さっき声かけてくれたから、ですけど」


「は?」


 静かな沈黙。更に眉間に皺を寄せた男に、僕はハッとして言った。


「もしかして、甘いの苦手ですか?」


 シマッタ、と思う。これ位の年の人なら、ココアじゃなくコーヒーか。




 だって僕は、恩返しがしたかったんだ。




 この人は、あの時の天使様ではないけれど。違うと判っているけれど。あの時と同じ、僕に声をかけてくれた唯一の人だったから。


 あの時の天使様の言葉を、心に鮮明に甦らせてくれた人だったから……。




「ええ、まぁ――って。いえ、問題はそこじゃないです。それに俺、まだ仕事中ですし」


「あ、ごめ……」


 謝りかけた僕を制して、彼はフワリと微笑んだ。


「でもこれくらいでクビになったりはしないので、ありがたく戴きます」


 眼鏡の奥のやさしげな目を伏せた彼は、紙コップに口をつけた。




「それで……」


 白い息と共に、静かな声がその口から吐き出される。


「どうしてまた、あんなトコで泣いてたんです? 迷子でもないのに」


 視線は下げられたまま、紙コップのココアに注がれている。その声は独り言のように微かで、「どうして」と問いかけておきながら、答えを求めてはいなかった。




 その響きは軽く僕の体をすり抜け、風にさらわれる。だから僕も、風に乗せて吐息と共に言葉を吐き出した。


「大好きな人と、別れたから……」


 自分の台詞に、今更ながら落ち込む。




 ――一弥、つらそうだった、僕といる時。




 とてもイラついて。でも必死にそれを隠そうとしてて……。無理矢理に笑ったりしてた。




 きっともう、それに疲れてしまったんだ。




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