第三章 魔界と人間界の行方

第42話 王都の異変

 魔王城の一角では、物見の塔でいつもの三人が集まっていた。


 魔王の息子グレイフィールはいつものように読書をしており、吸血鬼メイドのジーンはその近くでお茶の支度をしている。

 その様子を、鏡の精ヴァイオレットはのどかな気持ちで眺めていた。



「はあ~。平和ねえ。って、こんなこと言ってると、またあのワーウルフの商人が妙な儲け話を持ち込んできそうだけど……」


「噂をすればなんとやらですよ」



 ジーンがそう言うと、鏡の奥からイエリーの声がしてきた。



「……フィール様~、グレイフィール様~!」


「なんだ、騒々しい。鏡よ、早く通してやれ」


「は~~い」



 ヴァイオレットは陽気に返事をすると、人間界にいるイエリーをこの部屋へと転移させる。

 鏡を通り抜けてやってきたのは、深緑色のマントと帽子をかぶった大男だった。



「どうもお招きありがとうございますっス。比類なき才能をお持ちの発明家、グレイフィール様!」


「招いた、というよりは招かせた……という方が正しいのではないか? イエリー。で、今日はいったいどんな用だ」


「えっと、特に商売に関するお話は無いっス」


「無い?」


「はいっス。ただ――」



 グレイフィールは含みのある言い方をするイエリーに小首をかしげた。



「ただ、なんだ?」


「人間界で妙な噂を耳にいたしまして」


「妙な噂?」


「ええ。てかこの間、その王都に仕入れに行ったんスけど、そのときの街の様子がなんだかおかしかったんスよね~。役人たちがあわただしく走り回ってたり……街の人々も、近々大規模な戦争が起こるんじゃないかーって噂してたんス」


「戦争……だと?」



 グレイフィールは怪訝な顔をして黙り込んだ。

 人間界でそんな動きがあるとは、嫌な予感がする。が、まだそうと決まったわけではない。


 グレイフィールの言葉を引き取るように、ジーンが代わりに尋ねた。



「戦争って、人間の国同士の……ですか?」


「いやあ、それがよくわからないんスよ。そういや他の国の商人たちも、王都に集まってたっスね~。まさか、魔界との戦に決着でもつけるつもりっスかね?」


「そ、そんな……」 



 もし、それが本当なら大変なことだ。

 人間界側にそういう動きが出たとなれば、当然魔界側もそれに対抗する。そうなったらまた百年ぶりに大きな戦争が起きてしまうかもしれない。



「まずいな。なぜ急にそんな流れになったんだ……」



 現在、魔界と人間界との間の戦争は、両領土の境目にある「クラーベ峡谷」付近で集中的に行われている。


 クラーべ峡谷とは、幅が狭く、かつ深い谷が延々と続いている地帯だ。

 その周辺には魔族も人間も誰も住んでいないので、絶好の戦場となっている。


 そこ以外でもたまに戦は行われているが、互いの大きな動きを詳細に監視し合える場所というのはそこくらいしかなかった。

 クラーべ峡谷には現在、一個大隊相当の兵がそれぞれ詰めかけている。


 互いの領地に大きく進軍するのは、ここ数十年以内には起こっていないことだった。

 人間側には、「極度に鍛えた者以外は魔素の濃い土地には入れない」という理由があり、魔族側には、「いまだ魔王の息子が戦争に参加していないから」という理由があった。


 魔王は自分の息子――グレイフィールを進軍の礎にしようとしていた。

 グレイフィールが総大将となって人間界に打って出れば、人間界を滅ぼした後も多くの魔族に支持されると思ったからだ。



「だからこそ、私はずっとここにひきこもっているのだがな……」



 しかしそれも、いつまでも引き延ばしはできない。

 魔族側の被害は人間側ほど出てないが、それでも戦争犠牲者は出続けている。

 あまりこの膠着状態が続いていると、内からいろいろと不満が出かねない。



(ゆえに父上は……ジーンという説得係をここに遣わしたのだろうな)



 グレイフィールは、この塔にずっとひきこもりつづけている限り大きな戦争を魔界側からしかけることはない、と踏んでいた。それが自分のできる唯一の抵抗だと。


 しかし、父親はいい加減しびれを切らしはじめている。

 しかもその上で、人間界側からその均衡が崩されようとしている……。



「さて、どうしたものか」



 苦い顔で思案していると、突然ヴァイオレットが声を上げた。



「ねえ、冷血王子様!」


「なんだ? 鏡よ」


「アタシ、人間界側の動きの理由、わかっちゃったかもしれない」


「何?」



 深刻そうな顔をした鏡の精が、声を潜めて言う。



「王妃様、よ……」


「母上だと? どういうことだ」


「転生後の王妃様が……現在の聖女様が消えちゃったからよ! 女神教は魔族から人々を守る組織でしょ? その組織の象徴ともいえる人物がいなくなってしまったら……きっといろんなパワーバランスが変わってしまうわ。もしかしたら、そのバランスが大きく崩れる前に、あっちから仕掛けようとしてるのかも……」


「ふむ。鏡の精にしてはずいぶんまともな推測だな」


「感心された!? う、嬉しい……けど、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないわ! これから大規模な侵攻があるかもしれないのよ!」



 だがグレイフィールは努めて冷静に返す。



「まあ、お前の言うことも一理ある。だが……私の予想は少し違うな」


「え、グレイフィール様はどうお考えなんですか?」



 ジーンが興味深そうに聞いてくる。



「母上は……いまだ誰にも見つかっていないはずだ。だが死んでいるとも思われていないだろう。死ねば次の聖女が出現するからな。ということは……生きてどこかに潜伏しているということになる」


「そ、それがどうかしたんですか?」


「どこにいるか。それが問題だ」


「え? そ、それは……イエリーさんのお店ですけど……」



 ジーンが戸惑いながらイエリーを見る。

 イエリーはとくに異変は無いっスよ、とでも言わんばかりにきょとんとしていた。



「それが問題って……?」


「聖女が、人間界にいるならいい。だがもし……こちら側に、魔界側に連れ去られた、と判断されたら……」


「「「えっ、えええええっ!」」」



 ジーン、イエリー、そしてヴァイオレットが口をそろえて驚きの声をあげる。



「え、えっ、待ってください。王妃様がどうして魔界に連れ去られた、なんてことに?」


「以前の聖女は、魔王に寝返った。とすれば、此度の聖女もなんらかの勧誘を受けて寝返ったか、寝返らせるために連れ去られた、と考える者がいてもおかしくなかろう」


「そうか、そういうこと……ですか」



 グレイフィールの説明に、首をかしげていたジーンは深く納得する。

 しかし、イエリーがそれに口をはさむ。



「でも、どっちみち聖女様がいなくなったからって、すぐに全面戦争を仕掛けるって……ちょっとおかしくないっスか? なんか……他の理由も、あるんじゃないっスかね」


「そうだな。一度、詳しい理由を突き止めておいたほうがいいかもしれん。できれば……この流れを阻止したい」



 イエリーの発案に、グレイフィールも同意する。

 ヴァイオレットはみんなを見渡し、最初に名乗りをあげた。



「はいはーい! じゃあまずは王都のいろんな場所をのぞいてみなーい? なにか有益な情報が転がってるかもよ~」


「そうだな。聖女の街とは違って、王都は俺たちが直接聞き込みをして回るのは難しいだろう。頼んだぞ、鏡」


「了解~!」



 王国の中心部は、おそらく郊外とはくらべものにならないほどの厳格な警備がなされているだろう。

 それにこの非常時だ。

 きっとイエリーが訪れていた頃よりも、さらに警戒度が上がっているに違いない。少しでも怪しまれたら、おそらく牢に入れられてしまう。


 グレイフィールはそう判断した。


 ヴァイオレットの姿が消え、大鏡に王都の様子が浮かび上がってくる。


 そこにあったのは――。

 おびただしい数の兵士の姿だった。

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