第39話 母子の再会

 ワーウルフの商人、イエリー・エリエはひどく困惑していた。

 目の前の聖女は、自分の商売相手である魔王の息子の、母親が転生した人物だという。



「えっと……ちょーっと待ってもらっていいっスかね? あっちにいる連れ合いを呼んでくるんで。あ、大丈夫っス、こういう問題を絶対なんとかしてくださる方なんで……。だから少しだけ、ここで待っててくださいっス~~~!」


「あっ、イエリーさん!」



 セレーネが呼び止めるのも構わず、イエリーはグレイフィールたちが待機している場所まで駆け戻っていった。



「はあ、はあ……」


「首尾はどうだった、イエリー」


「そっ、それが……た、大変っスよ、グレイフィール様!」



 息を切らしたイエリーは、教会にいた人物のことを手短に説明する。



「……というわけなんス。びっくりしたっスよ!」


「なんと……」


「ええっ! グレイフィール様のお母様が転生していた!? そしてその前世の記憶が戻ったことで、この街がこんなふうになっちゃった、ってことですか?」



 グレイフィールとその横にいた吸血鬼メイドのジーンは、思わず目を丸くした。

 にわかには信じられなかったが、イエリーが嘘をついているとは思えない。すぐに教会へ行って確認するということになった。

 だが、はたと足を止めるグレイフィール。



「どうしたんですかグレイフィール様? まさか……その方とお会いするの、今更緊張してきたんですか?」


「そ、そんなわけがないだろう!」



 グレイフィールは否定するが、挙動不審な動きのままだ。

 ジーンはそれをいぶかしむように見上げた。



「そんなキョロキョロ、そわそわなさってたら、はいそうですと言ってるようなものですよ」


「何?」


「でも久しぶりに、しかも転生後のお母様にお会いすることになったら……きっとそうなるんでしょうね。って、わたしに親はいないのですが」


「……お前の事情などどうでもいい。とにかく、この街の問題を解決するためにも、行くぞ」


「はい。頑張って行きましょう!」



 グレイフィールは、ジーンのやや引っかかる言い方に眉根を寄せたが、あまり気にしないことにした。


 遠くに、白い修道服を着た女性が佇んでいる。

 その顔だちは近づくほどにはっきりとしてきた。グレイフィールの母親とはあまり似ていないが、青い瞳や雰囲気などは、かつての面影があるような気がする。



「あれが、転生した母上か……」


「本当にそうなのかは、話を詳しく聞いてからにしてくださいっス、グレイフィール様」


「……ああ、そうだな」


「セレーネさん、お待たせしましたっス~!」



 イエリーはそう叫ぶと一早くセレーネの元へ駆けつけた。

 そして、グレイフィールたちを手招きしつつ紹介する。



「えー、あちらが……。あっ、そういえばもう偽名とかいらないっスよね。本名というか、正直に正体を明かしたほうが……」



 こそっと耳打ちすると、グレイフィールもうなづいた。



「ああ。そうしよう。もし偽物であっても、記憶を消せばいいだけだ」


「!? りょ、了解っス」


「?」



 何を言っているのだろうとセレーネは首を傾げたが、イエリーは構わず続けた。



「えー、コホン。セレーネさん、こちらの方はなんと! あなたのご子息様であられる……グレイフィール・アンダー様なんス」


「ええっ!? ぐ、グレイフィール、ですか? あなたが!?」



 人間の姿に変装していたのでわからなかったのだろう。

 セレーネは驚いたように、四方八方からグレイフィールの姿を見まわした。



「あなたは……仮にも魔族でしょう? どうしてそのような人間の姿に……」


「魔道具で、変装しているだけです」


「魔道具で変装……? たしかにあなたは昔から物作りが得意でしたが……それにしてもどうしてそんな恰好をしてまでこの人間界へ……」



 どこか困惑気味のセレーネだったが、イエリーは気にせず続けた。



「まあ話せば長~くなるんスよ……。とにかく、グレイフィール様は今、お忍びで人助けをして回ってるんス! で、そちらにいる女性がお付きのメイドさん、ジーンさんっス」



 紹介があったので、ジーンは変装を解き、丁寧に挨拶をした。

 お腹のあたりで手を重ね、深くお辞儀をする。



「初めまして、王妃様。吸血鬼のジーン・カレルと申します。魔王様からのご命令で、つい先日からグレイフィール様専属のメイドとしてお仕えしております」


「メイド……? あの人がグレイフィールに専属のメイドをつけるなんて……わたしが亡くなってからいったい何があったの?」



 セレーネはいぶかしげにグレイフィールを見つめた。

 前世ではセレーネたち母子に特定のメイドはついていなかった。入れ代わり立ち代わり、違うメイドたちがお世話をしていたのである。気になる変化に、セレーネは説明を求めた。


 その様子に、グレイフィールはようやく確信を深めた。


「母上……では一度、場所を変えましょうか」


「場所を?」


「はい。母上の記憶が戻ったことで、この街に『眠り病』が発生してしまったとのこと。つまり、母上がこの地を去れば、その脅威もなくなるというわけです。ゆっくり話をするためにも、一時この場を離れましょう」


「それは、いい案かもしれませんが……でもどこへ?」


「私の棲み処となっている塔へです」



 セレーネはぽかんとした後、まばたきを繰り返した。



「棲み処と……なっている塔? 魔王城に住んでいるのではないのですか?」


「いいえ。いや、半分は正解ですが……。いま現在、私は魔王城の一角、『物見の塔』を占拠し、自身の魔力で改造して父上に一切干渉されないようにしております。そこならば、誰にも邪魔をされることはないでしょう」


「え……。ちょっと、待って? 城の一角で引きこもっている、ということですか? そ……それは、より詳しく話を聞かなくてはならないようですね」



 呆れ果てたような表情を浮かべられたが、グレイフィールは母の反応にどこか喜びを感じていた。

 ずっとひとりでいた理由を、一番話したい人に話せるときが来たのだと。

 グレイフィールはかすかに口元に笑みを浮かべると、魔法の鏡を呼んだ。



「おい、鏡。聞こえているか。いるなら返事をしろ」


「はいはーい! 何かしら~~~って、あらまあ、ずいぶん面白いことになってるじゃな~い!?」



 こちらの様子をずっと見ていたであろう鏡の精、ヴァイオレットはにやにやと笑いながらグレイフィールとセレーネの前に現れた。



「ヴァ、ヴァイオレットちゃん!?」


「王妃様……! ああ、その呼び名、懐かしいわ~~~! ああ、でも積もる話はあとよっ! まずはここから一時離脱しないと、ね?」



 そう言って、ヴァイオレットはこの場にいる四人を速やかに魔界へと移動させたのだった。




 ※ ※ ※ ※ ※




「なるほど……。そういうことだったのですか」



 グレイフィールの住まう塔の二階。

 そこでは、大きなテーブルを囲んで魔草茶が全員にふるまわれていた。

 そのお茶を一口飲んだセレーネは、カップを置いて納得するようにうなづく。

 グレイフィールが人間界に来ていた理由、そしてその野望についての説明が、あらかた終わったところだった。



「あなたはわたしの死後、人間たちとの和睦を望んだのですね……」


「はい。父上には理解していただけませんでしたが。父上は、母上をぞんざいに扱った人間をただただ憎んでおりました。魔族が人間たちから迫害されてきたという歴史も、滅ぼすことを決意した理由の一つのようでした。でも、私は……」



 変装を解いたグレイフィールは、その父親ゆずりの大きな黒い巻き角に触れながら苦い顔をする。



「私は、半魔ゆえか、自分のルーツのひとつである『人間』を失うのは辛いと思ったのです。母上は純粋な人間でした。人間からひどい仕打ちを受けた、人間でした。人間は……そうしたひどい性格の者もいる。でも、母上のような良い人間もいるのです」



 グレイフィールは、自分の母親、そして鏡の精ヴァイオレット、ワーウルフのイエリーを次々に視界に収めた。ちなみにイエリーの向こうには、イエリーを受け入れた道具屋の主人や、その孫の姿が重なっている。



「また、人間なくしては存在できない魔物もいます」



 次にグレイフィールはジーンを見た。

 吸血鬼は他の生物の血も飲めるが、それでも『人間の』血を摂取しつづけなければ、その存在を維持するのは難しくなる。



「ジーン、お前は不死の吸血鬼だ。だが、研究を重ねた結果、お前だけが異様に『人間の生命エネルギー』を魔力に変換する能力が高いことがわかった。もしこの世界から人間が一人もいなくなった場合、お前は私やイエリーのような半魔からしか純粋な生命エネルギーを摂取することができなくなる」


「ええ……そ、そうなんですか? ていうかいつの間にそんな研究を?」



 実はジーンに自分の血珠を与える際、どの程度吸収回復するのかを、グレイフィールは片眼鏡モノクルを通して測定していたのだった。それは文献に乗っていた通常の吸血鬼とは明らかに数値が違っていたので、グレイフィールはそのような仮説を立てていた。



「まあ、お前のことは今はいい。とにかく、この吸血鬼だけではなく、人間と共生している魔族・半魔は総じて不便をこうむることになるのです。それをいかに解決するか……。真に魔界のことを考えるならば、人間を絶滅させるべきではない」


「グレイフィール……あなた、そこまで考えて……」



 セレーネだけではなく、ジーンもイエリーもヴァイオレットも同じ思いだった。

 本人の口から直接その思いを聞くと、なかなかに感慨深いものがある。



「父上にそう訴えたこともありましたが、いつも聞き入れてはくださいませんでした。挙句、私を戦の前線に立たせようとする始末。今も、人間界へは定期的に侵攻を図られているようです」


「そのようですね……」



 戦況は、現聖女の耳にも当然入ってきているのだろう。

 女神教は、そもそも魔族から人間を守る組織である。魔族と戦えるレベルの志願兵を募り、その資金を各国に要請し、戦が起こっている地域に派遣する。

 グレイフィールは一度もその戦場を見たことがないが、毎回それなりの死者が出るのだという。

 セレーネもそれを思い出したのか、辛そうな顔をした。

 どちらにも被害は出てほしくない。それは二人とも同じ思いだった。



「母上、私はそのような争いは不毛と考えます。憎しみは、また別の憎しみを生むだけ……。ゆえに、私は父上からの要請を拒否すべく、ここに引きこもることにしました。でも、引きこもって数十年経つうちに、自分が戦以外にできることが徐々にわかってきたのです」


「それが、人助けをする、ということなのですね」


「はい」



 セレーネはそれを聞いて、にっこりと笑った。



「そうですか。あなたはあなたのできることをしようと、変わろうと、してきたのですね。母は……とても嬉しいです。でも……わたし自身は、転生してもたいして変われませんでした。どころか、前の記憶に引きずられて、周りの人間たちを傷つけてしまった」



 額を押さえ、うなだれるセレーネに、横に座っていたジーンがそっと寄り添う。



「王妃様、大丈夫ですか?」

「ええ……ありがとう……」



 ジーンが自分の肩に触れているのに、セレーネは驚く。

 なんともなさそうだが、一応やんわりとその手を外しておいた。



「ふふっ。やはり、わたしの力は変化してしまっているようですね。普通なら、わたしはその場にいるだけで周囲の魔素を浄化し、魔族もはねのけてしまうはず……。これではあの人と契った後の状態と一緒です。まだこの体は、処女ですのに」


「母上、それは……?」


「聖女の力が失われている、ということです。この体で、前世の記憶を取り戻した日……あの日、教会にいる者はみな突然眠ってしまいました。おそるおそる外に出てみると、近所の人々も同様の状態になっていた。わたしは必死で彼らに回復魔法をかけはじめました……」



 恐ろしいことを思い出すように、セレーネは語りはじめる。

 その場にいる者たちはみな、固唾をのんで見守った。



「魔法はきちんと効力を発揮していました。ですが、体力は戻っても目はいっこうに覚めません。まるで悪夢を見ているようでした。そのうち、わたし自身の体力も尽きてきて……ああ、一刻も早くあの場を離れるべきでした。ですが、いまさらどこへ行っていいかわからなくて……あのまま……」


「そうだったのですか」


「あの時、あなたたちが来てくれて本当に助かりました。でも、これからどうしましょう。あの街に戻っても……別の街に行っても、きっとまた同じ災いを起こすだけです」



 肩を落とし、ため息をつくセレーネに、グレイフィールは優しくささやいた。



「母上……あなたの今の状態は、人間の生命エネルギーを無意識のうちに吸収してしまっている状態です」


「えっ?」


「この片眼鏡で鑑定すると、そのような魔力の流れが見えていました」



 そう言って、グレイフィールは指先で片眼鏡の縁をなぞる。



「ドレイン……」


「え?」


「たしかに、体力は減っても魔力は……減りませんでした。わたしは、以前そのような魔法があると聞いたことがあります。それは魔法の修練を積んだ者のみが使える魔法だと……。ですが、前世でわたしはそのような境地には一度も至れませんでした。しかも、おそらく今回のこれは力の制御ができていないだけです、暴走している状態です。これではとても……」


「そうよね~、それじゃちょっと困っちゃうわよね~~」


「ヴァ、ヴァイオレットちゃん!?」



 何かを思い出したようなセレーネに、鏡の精ヴァイオレットが話しかけてくる。

 彼は明らかに訳知り顔をしていた。



「ど、どういうこと? 何か知っているのですか?」


「ええ。知ってるも何も! アタシだってドレインが使えるのよー? ほら、アタシ、物体の転移魔法がめちゃくちゃ上手いじゃな~い? だから魔素とか生命エネルギーの移動も得意なのよ」


「「ええええええっ!!」」



 今度こそ大声をあげて驚いたのはジーンとイエリーだった。

 この男はどれだけすごい魔法使いだったんだと目が点になっている。

 しかし、それに冷静に突っ込んだのはグレイフィールだけだった。



「で? 貴様がその魔法を使えるのはわかった。だが、それが暴走した場合、どうすればいい。どうすればそうまく扱えるようになる。何か方法を知っているか? 知っているのなら教えろ」


「それはまあ、気合よ!」


「気合……? ふざけてるのか」



 グレイフィールの目に殺意が篭ったかと思うと、もうヴァイオレットの目の前に真っ黒な魔槍が出現していた。



「おー怖ッ! 気合でどうにかできないなら……そうね、それこそここは冷血王子様の出番じゃないかしら?」



 意味深な目線を送ると、黒光りした魔槍はたちどころに消え失せた。

 グレイフィールがなにかひらめいたらしい。

 ヴァイオレットは、その様子を見るとにっこりとほほ笑んだ。

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