第38話 女神教の教会へ

 ホーリーメイデンの北部には、女神教の本部である巨大な協会が建っている。

 屋根の上からは真白い布がいくつも垂れ下がっており、それが風になびいている様は圧巻だ。

 

 しかし、到着したグレイフィールたちはすぐに違和感を覚えた。周辺が妙に静かすぎるのだ。



「誰も通りを歩いていませんねえ……どうしたんでしょうか」



 メイドのジーンが辺りを見回しながら不安そうにつぶやく。

 真昼間に、しかもこれだけ住宅が立ち並んでいる地域で、誰も家から出てきていないというのはおかしかった。グレイフィールも怪訝そうに眉をしかめる。



「そうだな、おそらく……」


「ちょっとちょっと、大変っすよ~!」


「どうしたんです、イエリーさん」



 近くの民家に偵察に行っていたイエリーが戻ってきた。

 小走りで駆けてきたため、落ちそうになった帽子をあわててかぶり直している。



「こ、ここらの人たちにも『眠り病』に関する聞き込みをしてたんスけど、ちょっと……いや、かなりやばいっスよ~! ノックしても誰も出てこないんス! 嫌な予感がしてそーっと家の中を見てみたら……人がめっちゃ倒れてて! 居間や寝室、いろんな場所で衰弱してたっス~~! これは想像以上の被害っスよ」


「たしか、この辺りが特にひどいのだったな……どれ」



 グレイフィールは左目のモノクルに触れると『鑑定』スキルを使った。

 その状態のまま周囲の町並みを眺めると、多くの人間が建物内で倒れているのが見えた。しかも、その一部はすでに瀕死となっている。



「……マズイな」


「え?」


「あの病院に来ていた者たちは、まだ『軽症』の部類だったようだ……。ここらの者たちは家を出る暇もなく昏睡してしまったのだろう。おそらく今から病院に連れて行っても……」


「ちょ! グレイフィール様! そのモノクルで鑑定、ってのができるんなら、はじめっからそれやってほしかったっス! それがあるなら自分が歩き回ってくる必要、なかったじゃないっスか?」



 街の惨状よりも、そんな文句を言いだすイエリーに、グレイフィールは呆れた。



「これはあくまで『視る』だけだ。貴重な『証言』を集めるためには人に直接会わねば成り立たんだろう」


「そ、それはそうっスけど~」



 グレイフィールは『鑑定』スキルを使用したまま、教会の方へも目を向けてみた。

 すると、意外な光景が目に入る。グレイフィールはその紫の眼を大きく見開いた。



「イエリー……」


「は、はいっス」


「聞き込みの件だが、あの教会にも行ってみてくれるか?」


「え……まあ、行ってもいいっスけど……。きっと自分みたいな半魔は歓迎されないっスよ? 教会ってのは、一応魔族から人間たちを守る組織っスからね。巧妙に変装してても神官相手なら即バレでしょうし……てか、聖なる結界が張られてるんで、近づくだけで猛烈に居心地が悪くなるっス! それでも行けと!?」



 イエリーは及び腰になっている。


 たしかに魔族にとって、教会は神官という天敵がいる場所だった。人間界に長く住みつくようになった半魔も、魔族の端くれではあるので気が進まないのだろう。

 だが、グレイフィールは押し切った。



「ああ。頼む」


「えええええ~~~~っ!?」



 イエリーは天を仰ぎながら絶叫する。

 よほど嫌らしい。

 グレイフィールは冷静に諭した。



「イエリー、落ち着け。いくらあの建物に退魔の結界が張られていたとしても、お前は半魔だ、即死することはない」


「ええ~~~~っ、いや、即……そんなのわかんないじゃないっスか!」


「いいか? あの教会内でもたくさんの人間が倒れている」


「えっ、マジっスか……」



 ひときわ声を落としてイエリーが顔をのぞきこんでくる。それにグレイフィールはうなづいた。



「ああ。そして先ほどの鑑定の結果、『あの教会に近い家ほど』人が多く倒れていた。つまり……これらが意味するものはなんだ?」


「え? そ、それは……あの教会が原因、ってことっスか?」


「おそらくな。私が同行してもいいのだが、何かあったときに替えが効かなくなると困るからな。だから最初は単独で行ってくれるか、イエリー」



 イエリーはぐっと唇を引き結ぶと、しばらく迷った末に言った。



「まあ、自分がこの件をもちかけたんで、その分の責任は果たすっスよ。けど……もし万が一、自分も眠り病になっちまったら……そっちはグレイフィール様が責任とってくださいよ? ちゃんと自分を治してくださいっス。そうじゃなきゃ……いくら金儲けのためとはいえ、イブを遺して死ねないっスよ!」


「ああ。任せておけ。骨ぐらいは拾ってやる」


「だ~か~ら!! 骨になる前になんとかしてくださいって言ってるんス!! いいっスか? 絶対、絶対、頼むっスよ! グレイフィール様ッ!」



 顔を近づけてわめいてくるイエリーに、グレイフィールは淡々と応えた。



「ああ分かった、きっと治す。そしてこの街も救って、人望を集める……。そうでなければ人間界と魔界の友好など、夢のまた夢だからな」


「ぐ、グレイフィール様……」


「グレイフィール様~~~!!」



 イエリーと声をかぶせるように、メイドのジーンもまたひどく感銘を受けたように主の名をつぶやいた。さすが次期魔王の器、などと言いながら両手を胸の前で組んでいる。

 イエリーは、そんなジーンを死人のような目で見下ろした。



「ま、でもそのグレイフィール様の野望は……自分という尊い犠牲の上に成り立つんスけどね。じゃ、行ってくるっス」


「ああ、待てイエリー、その前にひとつ言い忘れていた」


「ん? なんスか?」



 歩き出したイエリーをグレイフィールはあわてて呼びとめる。



「いいか、あの中には……一人だけ眠ってもおらず、倒れてもおらず、起きている人間が一人いる。そして……そいつは異常なほどの魔力を有している。だから、十分に気を付けろよ」


「は!? はあああ? な、なんで今そんな大事なこと……!」


「というわけで頼んだぞ、イエリー」


「~~~~~~ッ!!」



 イエリーは顔を真っ赤にしながら教会へと走っていった。見間違いでないのなら、涙を流していたような気もする。

 そんなイエリーの後姿を眺めていると、ふとジーンが訊ねてきた。



「あのう、異常なほどの魔力を有している人、って……?」


「ああ、教会でそんな力を持った者など……あの者しかおるまい」




 ※ ※ ※ ※ ※




「すいませ~~~んっス! どなたかいらっしゃらないっスか~~~?」



 おそるおそるイエリーが教会の戸を叩くと、しばらくして小柄な女性が出てきた。女性は白い修道女服を着ており、真っ青な瞳をぱちくりとさせている。



「ど、どちら様……でしょうか」


「自分はイエリー・エリエというワーウルフの商人っス。半魔の自分がここを訪れるのは場違いだとはわかってるんスけど、少々お聞きしたいことがありまして……」


「な、なんでしょうか」



 女性は頭からすっぽりとかぶったベールの端をつまみながら、おどおどとイエリーを見上げていた。年の頃は二十歳前後だろうか。はかなげで線の細い女性だった。



「この街が今、『眠り病』という流行り病に侵されているのはご存知っスか?」


「眠り病……?」


「ええ。急に眠ったまま起きてこなくなる病気なんス。自分はその原因を調べて、それを治療する手立てがないものか探りに来たんスよ。それで、調べているうちにこの教会付近が特におかしいっていうのがわかって……何か心当たりはないっスか?」


「…………」



 女性はしばらく黙った後、急に涙を流しはじめた。



「ちょ、ちょっとちょっと、どうしたんスか!?」


「わ、わたしの……せいなんですっ! わたしのせいで、みんなが……おかしくなってしまったんです!」


「ええ? あ、あなたはいったい――」


「わたしはセレーネ・ガーデン。今の聖女を、務めさせていただいてます」


「せ、聖女様!?」



 イエリーは目の前の女性が聖女と聞いて目を丸くする。

 そして同時に、グレイフィールに言われたことを思いだした。



「そうか。異常なほどの魔力を有している人間……それは聖女様だった、ってことっスか」


「え……?」


「ああ、ちょっとあっちで待機してる連れ合いがね、この教会で無事なのはその人間だけだって言ってたんスよ。それより、なんで聖女様は自分のせいだって思ってるんスか?」


「それは……わたしが、前世の記憶を思い出してしまったからです。そのせいで……魔力が暴走しはじめてしまって……」


「前世?」



 切実な表情で訴える聖女に、イエリーは首をかしげた。



「前世って、生まれ変わる前の記憶があるってことっスか?」


「はい、わたしは……以前も聖女を務めておりました。そして……人間を裏切り、魔王の伴侶となったのです。ああ、それを思い出してから力をうまく扱えなくなって……みんな、みんな……!」



 セレーネはそう言って膝から崩れ落ちる。

 イエリーはざあっと血の気が引いていくのがわかった。



「そ、それって……それって……」



 恐る恐る背後を振り返る。そこには離れたところに待機するグレイフィールと、ジーンがいた。

 彼らはこちらを不思議そうに見つめている。

 イエリーは自分の耳を疑った。


 ――人間を裏切り、魔王の伴侶となったのです――


 その言葉が本当なら、この目の前の女性は……。



「前世の名はセレス・アンダー。わたしは……ここにいるべき人間じゃありません」 

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