龍使いの巫女

天海 桔梗

第1話

北陸加賀の国にあるこの白山ひめ神社は、古くから縁結び神社として親しまれ、男女のいさかいに悩む老若男女が数多く復縁祈願に訪れます。


縁結びの云われは歴史古く、日本の国土を生み出した男女の神・イザナギ様とイザナミ様の引き裂かれた仲を取り持ったことで、いさかいを仲裁し男女の仲をとりもつ縁結びの神として民に崇め奉られている菊理媛神くくりひめ様が祀られているからであります。


わたしは、この白山神社に代々仕えてきた巫女の末裔の浜島うずめと申します。

巫女の血筋と言いますか、わたしは生まれ持って神様とお話をする能力を授かっておりました。

ですから、菊理媛神くくりひめ様とも日常的にお話し、人の願いと神様との架け橋をさせて頂いております。


実はわたし……神社で生まれ育った娘であるのに、中学卒業後に正式に巫女として奉職するまで、神様の教えやお作法のことはもちろん、菊理媛神くくりひめ様がどれだけ偉大な神様であるかなど何一つ知りませんでした。

これは俗世間で皆と同じように交わるための当家の方針でありました。

ですから、菊理媛神くくりひめ様と初めて対話をした頃のことを懐かしく思います。


それは今から8年前の2011年。わたしが15歳の春のお話です。

わたしは、これから25歳になるまでの10年間を巫女として神社に奉仕をしていかなければなりませんでした。

それを考えると、じめじめとした憂鬱な気分からなかなか抜けることができなかったのです。

巫女とは神に仕える者ですから、

〇恋愛禁止

〇派手な身なりや化粧は厳禁


であるのはもちろんのこと、奉仕するにあたっての作法や祭や結婚式などの作法を覚えたり、奉納する巫女舞の練習、それにこの広い境内の毎日の清掃と事務処理に電話対応もお仕事で、正月に至っては、寝る間を惜しんで奉仕します。


神社に生まれた宿命……なんでしょうけれど、これから恋をしたり広い世界に飛び出していきたい15歳の少女だったわたしには、この先の10年をまるで牢獄のようだと思っていたのでありました。


奉職に就く前日、そんなたまらない憂鬱感を抱えながら、長い表参道を抜けて手水舎で手を清めようと柄杓を持つと、水が流れてくる龍の口から


「お前は何を悩んでいるのだ?」


と、聞こえました。

この程度のことは、慣れておりましたので驚きもせず会話を致しました。

八百万の神の国、日本では自然万物のあらゆるもの、現象にすべて何かの役割を持った神様がいることは教わっていましたから。

わたしの中ではこういった現象を『小さな神様とのおしゃべり』と命名して幼少の頃からしてきたことなのです。


「巫女になるのが憂鬱なの……。」


小さな神様には、まるで人間のお友達のように何でも話しました。

すると龍は言いました。


「そうか。でもこれから楽しいことが起こるに違いない。お前がここに来る日を、菊理媛神くくりひめ様はずっと待ちわびていたぞ。もうそこまで出迎えに来られている。」


そう言って、わたしの右斜め後方に当たる、注連縄が掛けられた樹齢約800年の巨木……白山ひめ神社のご神木に視線を送った。


菊理媛神くくりひめ様が?でもわたしまだ大きな神様とはお話したことが一度もないんだけど……。」


と龍に言うと、


「お前は今日から対話ができるようになる。それが宿命だ。」


と言って、龍からシューッと生気が消えてただの石像に戻った。

わたしの中の『大きな神様』とは 古事記に出てくる、イザナギ様・イザナミ様・アマテラス様などのことで、この神社に祀られている菊理媛神くくりひめ様も、『大きな神様』であり、まだお声を聞いたことがなかったのです。


そして、龍が指したご神木を振り返って近づいていくと、わたしの頬を撫でるような優しい風が吹いてきて、空高くから気高い女性の声がしました。


「うずめよ。うずめ巫女よ。今日の日を待っていましたよ。」


龍が教えてくれたから、その声は菊理媛神くくりひめ様に違いないと確信して、尋ねました。


菊理媛神くくりひめ様ですね?お声が聞けれてうれしいです。わたしを待っていたとはどういうことでしょうか?」


しかし、その答えを待っても、森は静まり帰ったままで、一向に帰ってこなかったので、

わたしが聞いた声は空耳か……と思い直して、本殿に向かいました。


本殿の前に立ち、手を合わせると胸の中に光が差し込んでくるようなパワーを感じました。

そして心の中ではなく、口に出してご挨拶をしました。


「明日より、巫女として10年間精いっぱい務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。」


すると、先ほどの菊理媛神くくりひめ様の声がして、


「うずめよ。今後そなたを依代よりしろとする。よしなに頼む。」


と、聞こえました。

……が……意味がわからない…。

よりしろって……何?


大きな神様との対話って、質問には答えてくれなくてなんだか一方的なんだな……という印象でした。

小さな神様達は聞けば何でも答えてくれるのに……。


神社の代表である宮司の父の言いつけで、挨拶が終わったら社務所に戻るよう言われていましたので、父にこのことを聞いてみようと思いました。


父であっても奉職中は宮司様とお呼びします。

社務所兼住居には父である宮司様と、先輩巫女の美紗緒さんが、翌日に控えた「ついたち参り」の参拝者を迎える準備をしておりました。


「宮司様、『よりしろ』とは何でしょうか?」


と尋ねると、宮司様は思い出したように


「あー、徐々に覚えていかないとな。依代よりしろとは、神様の霊が寄りつくもののことを言う。樹木とか石や人形、人間などが依代よりしろとして考えられている。手水舎の近くにある大木も依代よりしろだよ。」


と、わたしにわかるようにかみ砕いて教えてくれました。

それを菊理媛神くくりひめ様の声に当てはめると……?

え?もしかして……と思って、


「わたしも、依代よりしろになるのですか?」


と驚いたように尋ねると、宮司様はクスリと笑って、


「ずいぶん昔の巫女は確かに、そうやって自分の身に神様を降臨させて信託を告げるってことをやっていたけれど、現代いまの巫女さんはあくまで神職の補助的な存在だ。そんなに気負わなくていいから今日から美紗緒さんに少しづつ教えてもらいないさい。明日はのんびりしていられないからな。」


と、興奮したわたしをなだめるようにおっしゃいました。


「なんだ……びっくりした……。」


と胸をなでおろすように言うと、近くで聞いていた先輩巫女の美紗緒さんが、


「わたしは、そういうの憧れるけどなー。特別な能力を持っていないとできないことですね。」


とおっしゃいました。

わたしは日ごろ小さな神様達とお話をしていましたが、それを人にはお話ししないようにしていました。

なぜかと言うと、幼少の頃に宮司様にお話したら『それは人には話さないように』と口止めをされたからです。

ですので、本殿で聞いた言葉は宮司様にも美紗緒さんにも本当は言いたいけれども、言わないように飲み込みました。


翌日、4月1日。

毎月1日に神社に参拝することを「おついたちまいり」と呼び、無事に過ごせた1か月への感謝と、新しい月の無病息災・家内安全・生業繁栄・商売繁盛などを祈念し、益々の御加護を頂けるようにお参りする古式ゆかしい習わしです。

白山ひめ神社でも毎月1日は「おついたちまいり」の特別祈祷を奉仕していますので、多くの方がご参拝に訪れます。


この日は、ぽかぽかと暖かい日差しの中にいたずらに風が吹き、桜の花びらが美しく舞っておりました。


白衣に赤い袴の巫女装束を着ると、気が引き締まりまり、昨日までの憂鬱な気分は、大きな神様である菊理媛神くくりひめ様と初めて対話をしたことで、どこかへ消えてなくなっていることに気づきました。


午前9時前から参拝の行列ができ、母と美紗緒さんと共に受付に追われました。

受付用紙に住所や名前、祈願内容などのご記入、ご祈祷料を頂戴して、待合場所までご案内する……


さすが縁結び神社として古くから親しまれているだけあって第1部にご案内した20名の方……全員女性で8割が良縁祈願で、あとは夫婦円満と子孫繁栄でした


息つく間もなく、参拝者様を拝殿…つまり、お祈りを捧げる場所までご案内すると、始まりの合図の太鼓が鳴り響きました。


宮司様がご祈願に先立ちケガレを払うための所作を行うと、参拝の皆様は正座して軽く頭を下げておじぎをしたままお祓いを受けられます。


その後、宮司様は神様へのご挨拶をした後にお供物をたむけると、お願い事の趣旨を神様に申し上げる【祝詞奏上のりとそうじょう】が始まりました。


「たかあまはらにかむづまります。

すめらがむつかむろぎかむろみのみこともちて

やほよろづのかみたちを。

かむつどにつどいたまへ……」


祝詞のりとは霊力を持った古来から受け継がれた特別な言葉で構成されております。

傍らでその神秘的な祝詞のりとに聞き入っていたわたしの意識は次第にもうろうとしていきました。

そして足のしびれが背筋に伝わったような感じがした後、わたしの中に何か温かいものが頭頂から入ってきた感覚がしたのです。

そして、わたしの中からはっきりと昨日聞いた菊理媛神くくりひめ様の声が、


「今日もたくさん来ておるな。だがわたしはすべての者の願いを叶えることはしない。」


とおっしゃいました。

その時、

『わたしの中に菊理媛神くくりひめ様が入った!』

とすぐにわかりました。

これは、わたしが菊理媛神くくりひめ様の依代よりしろとなっているのだと受け入れたのです。

この場合は……口に出してそのお言葉を返さなくても、心で思うことで会話ができるのだとすぐに悟り、


「……そうなんですね。菊理媛神くくりひめ様が選んだ人しか叶えてもらえないということですか?」


と心の中で返事をすると、


「そうではない。その者の成長に役立つ縁しか結ばないということだ。しかしそこに気づけぬ者が多すぎて嘆かわしい……。」


と、おっしゃいました。

わたしの中に入った状態の菊理媛神くくりひめ様の言っていることは、小さな神様と話しているのと同じ感覚で、理解しやすく親しみのあるものだな……と思っていますと、


「あの者を見よ」


と言って、菊理媛神くくりひめ様はわたしの首を左斜め前方に動かして、ピンク色のワンピースにピンクのショルダーバック、お化粧もピンクのルージュとチークをした透き通るような白い肌の女性にわたしの視線を合わせた後に、


「あの者は、夫がいる身だが付き合っていた男に一方的に捨てられたようだ。また外に男が欲しくて良縁祈願にここに来たのだ。」


そうおっしゃる菊理媛神くくりひめ様に、


「不倫……ということですか?」


と質問すると、


「そうだ。だがわたしが問題にしているのは不倫ではなく、夫に愛されていないことに気づいていないということだ。」


とおっしゃいました。


「そうなんですね……さすが神様だから何でもご存じなんですね……。」


と感心して心の中でつぶやくと、


「だが、神が人間に遠巻きに伝えても、伝わりづらく、気づきもされないことがある。よってお前の口から伝えてくれぬか?」


「え?今日巫女になったばかりの未熟なわたしの話なんて聞いてくれますかね?」


「大丈夫だ。すべてお見通しだとわからせれば、どんな相手であっても安心して委ねる。わたしが言うとおりに声をかけなさい。」


菊理媛神くくりひめ様がそうおっしゃるなら、従います……。」


わたしは戸惑いよりも好奇心の方が大きかったです。

わたしの中に菊理媛神くくりひめ様が入っている。

すべてを見通している神様がどのようにこの女性を導かれるのか、ワクワクして儀式が終わって話しかけるタイミングを待ちました。

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