#4 『御厨しずくの日常 後編』

「うん、いいんじゃないか」


 泰堂たいどう大輔だいすけは記事から顔を上げる。


「色々とまだまだな点はあるが、編集長も及第点を出すだ――、」

「まだまだな点って、どこですか!?」


 御厨みくりやしずくの顔が数センチ近付く。

 安堵の様子など微塵もない。目は学ぼうとする意志に溢れている。

 ――朝日と同じくらい、起きたばかりの大輔には毒だった。


 ただ、教育を担当している相手――それもやる気のある後輩を邪険に扱うのも、気分が悪くなりそうだ。

 大輔は頭をかき、考えるフリの中に溜め息をまぎれ込ませ、吐き出す。


「そうだなぁ……まず一つ言えるのは、この記事にはお前の意思が入ってない」

「意思、ですか?」


(無自覚……いや、わかってないのか)


 少しだけヒントをやる事にした。


「お前の視点というかな……この記事はあるがままを書いているだけで、お前がどう思っているのかが見えてこない」

「あるがままを書いてはいけないのですか?」

「いや、あるがままを書くべきだ」


 そう言うと、しずくは露骨に首を捻った。


「まあ、すぐには難しいのかもしれないな。今のとこは文章をちゃんと書けるだけでもイイだろ。その内わかってくる」


(ヒントは出してやったんだ。これでイイだろう)


 そう思い、話をまとめようとする。

 だが、しずくはその場から動こうとしなかった。

 大輔の前で「うーん」と唸るばかり。


 これでは二度寝がしづらくてたまらない。

 仕方なく、もう少しサービスする事にした。


「あーそうだな……じゃあ例えば、お前はどう思ったんだ? この救出された早瀬さんが、危険な目に遭ったにも関わらず、事故からたった二週間で作業を再開した事について」


 しずくはまた唸り出した。

 ただ、今度は先程よりも幾分高い音。

 ――どうやら、深く悩んでいる様子ではなさそうだ。


 言いたい事はある。そのため適切な言葉を探してる

 ――といった感じだ。


(まあ、そらそうか)


 しずくは、いわゆる『できる後輩』だ。

 何も考えないで事故の話に向き合っているわけではない。彼女は彼女なりの意思に基づいて動いている。

 ただ、その意識の使い方が、まだ解っていないだけなのだ。


 しずくは言葉にしづらそうに口を開く。


「あのぉ、なんと言いますか……、」

「言葉を選ばなくていいぞ。どうせ記事にするわけじゃない。思ったままに言ってみろ」


 そう言ってやると、「はい」と頷いたしずくは、少し申し訳なさそうに口にした。


「懲りない人だな、と思いました」


 言葉を失ってしまった。


 そんな大輔の様子に、しずくは慌て出した。


「あ、いえっ、その! こんな感想はダメだと、自分でも解っているのですが、先輩が思ったままに言えと言うので!」

「……ふっ」


 大輔は笑い出した。

 なるべく声を出さないようしたため、肩が大きく揺れ動き続けた。


 しずくは、大輔の急変に戸惑っているようだ。


「え? あの……先輩?」

「いや、すまん」


 なんとか笑いを抑える大輔。

 しかし、口元には笑みの欠片が残ったままだった。


「お前の事だから、もっとお堅くお利口な感想が来ると思ったんだが、案外そういう素朴で素直な感想を抱くんだな、と思ってな」

「え? ……それは、褒められているのですか? それともけなされているのですか?」


 マズったか? と、一瞬思った。

 しかし、しずくの表情には不機嫌な様子は一切見られない。

 ただ、疑問に思っている様子だ。


「どっちのつもりもない――が、強いて言うなら『褒めている』だな。『素朴』や『素直』ってのは、重要な感覚だ。俺たち記者は、市民感覚を常に忘れてはいけない」

「市民感覚……」


 しずくは真剣な表情で呟きながら、じっくりと頷く。


「ああ、そうだ。『〝N〟出身者の視点から異能界の事を伝えたい』――と志すお前にとっては、特にな」


 何かを掴んだのかもしれない。

 しずくは瞳を一層輝かせ、頭を下げた。


「はい。ありがとうございます!」


 清らかな声が響き渡る。淀んだ空気の室内を浄化せんとばかりだ。

「寝てる奴もいるんだから」と、注意するパフォーマンスを周り見せなければ、起きてしまった同僚たちに示しがつかない。


「まあこれからは、ただ記事にまとめるだけじゃなく、その事件を通して自分がどう思ったのか、きちんと考えてみろ。なんだったら、誰かと意見を交すのもいい」

「でしたら、今回の様に今後とも――、」

「俺が寝てなくて、手が空いてたらな」


 大輔は先手を横取りする。

 その上で、正論を添えてやった。

 

「それに、一人とばかり意見を交わすのも良くない。色んな奴と話して、心の視野を広げろ。お前が想像する二兆倍くらい、世界は広いんだからな」

「はい! がんばります!」


 どうやら、納得したみたいだ。

 しずくはメモを取ると、ようやく自分のデスクに戻っていき、作業に入った。


(これでやっと寝れるか……)


 大輔は再び横になる。

 だが――。


(……あー、くそぉ)


 頭しずくの輝く様な返事が、頭の中にリフレインする。

 そのせいで、日の光を浴びてしまったかのように、全く寝つけなくなってしまっていた。


 結局その日、大輔はいつもよりも早く仕事を始める事となった。

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