信じあえるということ

「わかった」

 神は理解した。己になくて、人間にあるものを、自分に課せられた存在意義が身体の裡から消えていく感覚とともに、痛いほど理解した。

 神には意思の流れが見える。夜空にまたがる星群の帯のように、キラキラと光る“なにか替えがたい、いとおしさをかきたてられるもの”が多方に伸びていき、空間に満ち満ちていくのを感じた。それは信頼の光。彼らの住む世界を壊そうとしている自分に向けられる、とげのように鋭く炎のように刹那的な意思ではないそれは、世界に安寧をもたらしうるものであると神は知っていた。

 その“光”が布のように隠している、地上に目をこらす。安っぽい感傷とは裏腹に、そこにはまさに神に見捨てられた世界が広がっていた。

 空襲により焼け焦げた遺体、押し潰された最早人間の形を成していない肉片、喉をかきむしり目をひんむいて動かなくなった老若男女。それは人間がもたらした罪に対する罰のようでいて、そうではない。

「そもそも我は彼らの何を知っている?」

 五百年もの間、神である自分が行ったことといえば、自分が必要とならない世界の実現を祈りながら眠りこけていただけではないか。その間、人間たちは幾代にも渡り命を繋いできたのだ。自我を持て余し、目覚めのときが来るまで祈ることしかできなかった自分と違い、彼らは彼らなりに試行錯誤の末にこの現在にたどり着いたのだろう。

 真にヒトを導く神ならば、と破壊神は考える。

 真に世界を想う神ならば、ヒトの過ちにより世界が取り返しのつかない状態になる前に、破壊によるリセットをしなければならなくなる前に、ヒトを教え、導ち、あるべき姿に是正しようとするのではなかろうか、と。

 自分は、果たして本当に、世界のためになる神なのだろうか?

 世界を創成した神がいることは知っている。その神世界のことわりそのものであって、人格を持たず、行うすべての行為が正しいとされる。代わって救世主メシアと名付けられ、人々の願いにより生まれた神は、創成神に比べてあまりに幼く、そして我が儘だ。

 神は自虐した。己とて、生まれてはすぐ死に、幾代も血を繋ぐことでしか文明を維持できないような、短命種「人間」とさして変わりない。己とて、間違うことはあるのだと。

 創成神はなぜヒトの暴虐を許したか。矯正せず、滅ぼしもせず、ただ世界を見守り続けたのか。

「信じていたから……非力で短命なこの種族を」

 彼にはそれがなぜかわからなかった。ヒトが変わらず愚かならば世界を滅ぼせという、五百年前の人類の願いで生まれた彼には、ヒトと世界の現状には深い失望しか抱けなかった。

 ――創成神の判断が正しいとして、ヒトを信じこれからも世界を存続させるとして、自分の存在価値というものは、いよいよ薄くなるばかりだ。

 ふ、とメシアは笑った。

「わかった……我はこの世界に不要なる存在」

 かつて自身をその身に宿した、タエが撃つ防弾が皮膚にめり込んだ。急所を避けていたメシアの動きが、止まったのだ。

「…………?」

 タエは戸惑う、攻撃の予備動作かと身構えるも、メシアは動かない。

 神は、小さな泡粒となって世界に溶けていった。

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