008船上の交渉劇

 次の島へ渡ったルシルは、一つ目と代わり映えのしない環境を確認するなり、要所の把握だけに切り替えた。

 一つ目の島をじっくり調べたために日が傾き始めていたから仕方ない。


 要所というのは、生活する上で必須である水源や、船を寄せられるかどうかの海岸の確認が主になる。

 加えて生存者・先住民などの痕跡もあれば良いな、と開けた場所に赴いたが見つからない。

 座礁したなら上陸くらいしたはずだが、疑問は膨らむ一方だった。


 そうして手早く本島以外の確認を終えたルシルは、遠くに見える船影に向けて海面をパパパと蹴って戻る。

 最後にバチンと大き目の音を立てて海面を蹴りつけ船上へ着地を決めた。


「たっだいまー」


「お帰りなさいませ。いきなり走って出て行くからびっくりしましたよ」


「そりゃすまん。でも船で行かなくて正解だったよ。座礁を繰り返すって聞いてたのに一艘も見当たらない」


「遠浅に加えて海流が複雑なんでしょうかね? 損傷した場所から磨り潰されるような……」


「だとするとえげつないな。水面はきれいなもんだったけどなぁ」


 船員から渡されたワインで口を湿らせながら今日回った島々の状況を思い出す。

 良くも悪くも木々が生い茂り、歩くとなっても獣道くらいしか存在しない。

 人の手が入った形跡が一切なく、まさに時代に置き去りにされた自然のままの島だった。


「そういやこの辺の航路が無くなってどれくらい経つんだ?」


「さぁ……この仕事を始める随分前から無かったみたいですよ」


「それって最低でも十年以上前ってことか?」


「そうですね。そもそもこの辺に船を停めるなんてこと事態、数十年単位でやってないんじゃないですかね」


「人の手が入ってないってのは、逆に言って一攫千金なんじゃないのか?」


 がちゃがちゃと船上にテーブルを出して食事が並べられていく。

 船室でも食べられるが、昨日の時点でルシルが『景色を見て食べたい』とワガママを言ったのだ。

 ついでに『俺と一緒に外でメシを食おうぜ。もちろんおごりだ』なんて言葉まで添えられれば船員に否はない。

 むしろ客と船員で複数回に分けて用意と片付けをしていたことを考えれば楽になる。

 テーブルに乗せられたばかりのパンを手に取るルシルに、船員の説明が始まった。


「この海域に進むにはベルンの許可が必要なんですが出さないんですよね」


「出さない?」


「えぇ。言い分としては『危険を承知で向かった遭難者の捜索などできない』で一貫しています」


「なるほどね。でもそれってどの海域でも自己責任じゃ?」


「確立した航路はちゃんと利益を出ますからね。優遇策は色々あるんです。

 たとえば海賊討伐に軍を派遣したり、難破船の牽引だったり……いずれも近海が主ですけれど」


「へぇ、なるほどね。それでも勝手に来るヤツいないの?」


「居るとは思いますよ。

 ですが船なんて安いものではありませんし、航路も無いからせいぜいお客さんみたいに遊覧で来るくらいですよ」


「あー……そっか、海出るだけで結構なハードルがあるんだな。って、このやろう。こっそり俺を煽ってやがるな?」


 責める風もなく、ルシルはにやりと笑って焼かれた魚を口に放り込む。

 椅子など用意しない立ったままの粗野な食事を仲間のように一緒に食べる船員の話を促す。


「そんなことありませんって。

 でもお客さんみたいに霧なんて消せないでしょ? こんなところまで霧を見に来る物好きはそうそう居ませんって」


「冒険心で死んだら目も当てられないしなぁ」


「もしもここまで案内したら、お客さんに『もっと寄れ』って文句言われるんですよ。

 金と時間使ってまで来たんですから当たり前ですが、それを俺らは『これ以上近付くのは無理ですよ』って言わにゃならんのですよ。ご勘弁願いたいものです」


「だからお前俺を煽ってるだろ?!」


「あっはっは。船乗りの俺たちは、霧に閉ざされた幻の島を見たってネタで一生自慢できるんですぜ? 見せてくれたダンナ相手にそんなことしませんよ」


 上機嫌に笑ってパンに食らい付く船員は、ルシルと同じように薄めたワインを飲んでいた。

 羽目を外しすぎじゃないかね、とルシルの頭に少し不安がよぎるが彼らもプロだ。

 やるときにはきっとやってくれるだろう。

 無理なら船と心中してもらえば良い。


「あ、そうそう。今夜はここに泊まるが、明日からはしばらく島で過ごすつもりなんだよ」


「なるほど、住み着くんでs――『住み着く?!』」


「何だその反応は。元々現地調査に来たんだぜ? 降りて大丈夫そうなら本腰入れて探索するっての」


「ダンナを置いていけって?」


「おぅ。あ、でも復路分のメシは恵んでくれよ? それくらいは構わんだろ」


「旅費に含まれてる分なら良い……じゃなくて! 駄目ですって! こんな上客を置き去りにしたら俺たちが殺されちまう!!」


「本音駄々漏れじゃねぇか……大丈夫か? ちょっと深呼吸してみ?」


「俺の息なんてどうでも良いんですよ! 誰も戻らない海に置いていくなんて、殺しと変かわんないでしょうに!」


「うーむ。でもなぁ。見てみ? 俺は海じゃなくて島に行くんだけど」


「どっちも一緒ですよ! というより、ここに居るやつら以外、この辺は『何も無いことになっている・・・・・』んですから!

 あんた陸でも海でも金払いが良すぎなんだよ! 部外者からしたら俺たち全員強盗にされかねない! そんなことゴメンですからね!?」


「おぉ、そりゃまずいな」


「ふぅ……分かってもらえましたか」


 ルシルの同意を得たことで船員も一気にクールダウンする。

 船舶が巨大な密室であることを熟知している船乗りにとって、海は感謝すべき恵みであり、職場であり、死に場所だ。

 ストレスから揉め事が起き易く、口論で収まらずに殴り、殺し合ってすら、捨て場所・・・・には困らない。

 もちろん、全員が口を噤んで『波に飲まれた』なんて言ってしまえば調査さえ不可能だ。


 嫌われてしまえばいつでも殺されるような場所で船員たちは生活していると同時に、そうしたことが起こると誰もが知っていれば、真実であっても疑われる。

 特に金をばら撒いてメルヴィ海域まで来たルシルに何かあれば、それこそ船員たちに嫌疑の目が向く。

 証明する者は遥か海の先にある、しかも霧に隠れた誰も確認したことのない幻の島に置いて来たなんて誰が信じるだろうか。

 まだ海に落ちたと言った方が真実味がある。


「落ち着いたとこ悪いが、これは決定事項なのさ。無茶言ってすまんね」


「お客さーんっ?!」「俺たちを罪人にする気か!」「いい客だと思ってたのに!!」


「それともう一つ頼みがあるんだよ」


「無視!? 俺たちも無理なことは飲めませんよ?!」


「大丈夫だって。判まで押して一筆書いてやるし、そもそも俺は二週間後にお前らに予約するからな」


「よ、予約……?」


「そ、予約。これから俺を置いて帰航するわけだが……ここに次の予約の金を積む」


 どちゃ、と何処から取り出したのか袋詰めされた金貨がテーブルに乗せられる。

 その余りの質量に、ごくりと誰の喉が鳴ったのだろうか……船員たちはワインではなく息を呑んでいた。


「な、何をお求めで? 内容如何いかんによっては受けられませんぜ」


「良いね、金に素直なやつは好きだぜ。あぁ、これは褒め言葉だよ。『意地汚い』んじゃなくて『プロ意識が高い』って意味だからな」


「褒められても罪人になるつもりはありませんぜ」


「そりゃ、こんな優秀な船員を牢屋にぶち込む趣味はねぇよ?」


 もしも金に目がくらんで襲い掛かってくれば、勇者たるルシルは武力交渉するつもりだった。

 この死地うみの上では、生き残った方が正義を語れる。

 だからこそ交渉を受け入れてくれる船員に、ルシルは上機嫌で笑って話せる。


「次の航海も同じくだ。ここ、『メルヴィ海域への一週間の遊覧』だ。

 これから俺が一筆書いて託すが、それが信じられるとは限らない。だって『書かせた』と思われたら終わりだからな」


「ですね。それだけじゃぁ……」


「だからテーブルに乗せた金は、お前たちが所属する商会に予約金として支払うものだ。

 誰が受け取るかだけで、俺の手元からは離れる金でもあるが……使い道に見当をつけている」


「というと?」


「渡した金をお前たちはそっくりそのまま『真実の証拠たんぽ』として商会に提出するんだ。

 帰航してから二週間後に監査官でも連れて来い。

 そこで俺が生きて顔を出せば積み増しこの金はお前たちが受け取り、野垂れ死んでれば商会が持っていく。

 それだけの代価を賭けてまで死人を隠す馬鹿は居ないだろう? お前たちにはリスクも損もさせる気は無いよ」


「持ち逃げされませんかね……?」


「え、お前のとこ、そんなに悪徳なのか?」


「いやぁ……どうでしょうかね。これだけの金はなかなか見る機会もありませんしね」


「それなら三つ目の選択肢だ。お前たちが帰ってから一ヶ月経っても来なかったら、俺が何とかしてやる」


「……ここからどうやって?」


「ばっかっ! お前見てただろ? 俺は海を走れるんだよ。ちょっと本気出せばこんな距離、半日もかかんねぇよ」


『何で船に乗ってきた!?』


 メルヴィ海域に船員たちの声がこだました。

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