002無理難題

 栗色の髪は動きやすい、手入れしやすいように短く刈られている。

 愛嬌のある赤茶の目と戦人らしい頑強な身体も相まって、知性ある美しい獣のような印象を抱かせる。

 そしてひとたび戦場に立てば存在感を増して敵対することごとくを雄々しく打ち払う。

 安心感を抱かせ頼もしさを物語る背で人々の心を奪う勇者、ルシル=フィーレは一方的な通達を受けて考える。


 力を付け、技を磨き、勇者の選定を受け、数多の戦場を駆け抜けた。

 そして戦線を維持している間に『単独での魔王討伐』というありえない難易度の命令でさえ達成した結果がこの仕打ちである。


 多くの貴族が出席した謁見までは、すべてが順調だったはずだ。

 それが今では国を追われる叛逆者の様相を呈している。

 しかも理由が『顔が気に食わない』などと言われて納得できるわけが無い。


 というか自分の顔の何がダメなのだろうか。

 自画自賛になるのであまり口にしないが、これでも女性受けはいい方だ。

 いや、もしかすると単に権力とか金に群がっているだけで、容姿的には絶望的なのかもしれない。

 今更になって美的センスを問われたルシルが黙っていると、ケルヴィンは間を持たせるためか口を開いた。


「もっと言うなら……あぁ、君たちは耳を塞いでいたまえ」


 ――はっ!


 整然と並ぶ近衛兵は一様に耳をふさぐ格好をするが、魔法兵以外はどう見ても兜越しのポーズだけ。

 間違いなく聞こえるはずだが、ここでの話は『記憶に残すな』とのお達しに従うはずである。

 何か重要なことなのだろうかと、ルシルが耳を傾ければ


「王が恋心を寄せた女性の伴侶に君の顔が酷似しているそうだ」


「それは仕方がな――いわけあるか!?」


 好きな女性がルシルに片思いしていた、ですらない。完全にただの他人である。

 八つ当たりにもほどがあるくだらない理由が追加され、ルシルは机に突っ伏した。

 最早怒りよりも呆れの方が先に立ち、あまりに馬鹿げた話に「聞きたくなかった」と恨み節が漏れ出てしまう。


「えーっと、王の個人的な感情でわたしは国外退去になると?」


「もちろん先ほどの理由もあるが、その通りだ」


「わたしの顔はそう酷いものではない?」


「世辞抜きでむしろ整っていると私は思っている。男女問わず憧れる者も多いはずだ」


「ははっ、それはさすがに盛りすぎでしょう。しかしつまりはたった一人に嫌われるだけで国に居られない、と。それはさすがに想定外でしたね」


「……制止はした。代案も出した。しかし王が認めたのは『人の居ない何処かへ』だけだった」


「ケルヴィン様は悪くない、みたいなお言葉ですね?」


「王の暴挙を諫めるのも宰相の仕事だ。務められなかった以上、良し悪しなど語れはしない」


「なるほど。それで彼らはわたしへの生贄・・ですか? ケルヴィン様も人が悪い」


 人外魔境の魔族領を踏破した勇者の武勇は伊達ではない。

 風景は変わらないし、室温も湿度も、ましてや空気に重さなんて存在しないはずだ・・・

 しかしそれでも、彼が少し力を込めて話すだけで部屋は無色の重みに潰され、誰もが口を開けなくなる。


 たった一人で敵陣に突っ込み、敗戦濃厚な戦況をひっくり返してくる化け物が目の前に――

 陣や壁や塀や堀や罠よりも遥かに内側の王城内に佇んでいる。

 彼の歩みをただの人如きがどれだけ集まろうとも止められないのに、弱点はすぐそこに存在しているのだ。


「勇者が無抵抗な者を斬れないとでも?」


 返事ができないのは分かっているが、それでもルシルは問うてしまう。

 動機の違いはともかく、行為も結果も同じであれば、確かにルシルは殺人を厭わない大英雄に違いない。

 まさかここまで馬鹿にして殺されないなどとは思っていまい。

 一人殺せば殺人犯、十人殺せば殺人鬼、百人殺せば英雄とはよく言ったものだ。


 だから・・・ケルヴィンは『自身を含むこの場の四十一人の命で王の助命を願っている』のだ。

 要は八つ当たりの気晴らし要員である。


「いいや、これは私の不始末だ。君の怒りを鎮めるのに必要ならば、どれだけでも用意する」


「人数の問題ではありません」


「わかっている。しかし勇者を馬鹿にして怒らせた愚王にも、国王を弑逆した元勇者にもなってほしくはないのだ」


「それでケルヴィン様たちが死ねば丸く収まるわけでは無いでしょう?」


「この場で行われたことは、すべて『宰相わたしの責任』で処理されることになっている。何が起きようとも君に汚名を着せることにはならない」


 ケルヴィンなら、ルシルにすべてを語らず追い出すことも可能だっただろう。

 しかし、もしも後で、フォローの入れられない状況下で発覚してしまえば、勇者がいかに温厚でも激怒は必至。

 大国オーランドといえど、大軍に匹敵する個人である勇者ルシルを簡単に止められるなどと思い上がることはない。

 魔王を討伐あんさつしたように……いや、勇者の肩書きを残したまま放逐する以上、遥かに簡単に王の殺害コトを成せるだろう。


 ただ、ルシルもせっかく守り通した国を割るのも居たたまれないし、勇者が他国に渡れば火種になりかねないのも理解できる。

 そして人が完全に失望すると路傍の石のように興味を失くすのだと教えてくれた王を討っても、自身の経歴に泥を塗ることにしかならない。

 手を汚すほどの価値もないとはルシルも逆に驚きである。


 ルシルが王の暴挙を許すことはありえないが、ケルヴィンの案に乗るのが最善なのも事実でもある。

 長い長い息を吐いたルシルは一応の留飲を下げ、威圧で重くなった部屋の空気を極力軽くするように話し始める。


「そのお話、お受けしましょう」


「……そうか。改めて貴君に感謝を。そして心からの繁栄を願っている」


「ただし。交渉カードに『勇者』を使うのは勝手ですが、そちらから縁を切る以上は二度と関わらないでいただきたい」


「当然だ。貴君にこれ以上重荷を背負わせる気は無い」


「それは良かった。では一つお願いを。城内の兵士を最低限の警備が回る程度だけ残してすべて練兵場へ移動させてください」


「……何をする気だね?」


「この国への最後の奉公ですよ」


 勇者の笑顔に、無理難題を飲ませた宰相は従うしかなかった。

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