娘を婚約破棄された最強軍人、国を見限り辺境へ

謙虚なサークル

第1話 軍人、見限る

「レギオス。私、婚約破棄されちゃった」


 少女の言葉に、男は持っていたペンを落としそうになる。

 短い黒髪に動きやすそうな軍人服、腰には使い込まれた剣が下げられている。

 胸の勲章に刻まれた彼の名は、レギオス=リーンドラド。ガリア帝国の軍人であった。


 そして少女の名はシエラ=リーンドラド。レギオスの娘である。

 娘と言っても血の繋がりはなく、レギオスが10年前に戦場で拾った子供だ。

 歳は12。まだ子供と言っていい年齢だが、レギオスに作法や武術を叩きこまれたこともあり、同年代の子らよりも数段大人びている。

 白銀の髪と人形のような無表情は当時の心の傷が原因だと医者に言われていたが、けして感情が欠落しているわけではない。

 淡々とした口調のシエラだが、その瞳には悲しみを讃えているのにレギオスはすぐ気付いた。


「……どういう事だ?」


 故に、尋ねる。

 受けたショックは相当であろう。親としてそれは聞く必要がある。

 シエラは無表情のまま答える。


「言葉の通り。ミザイ皇子との婚約が破棄された。先日のパーティで突然言われた」

「馬鹿な! もう結婚の日取りも決まっていたじゃないか。理由は一体なんだ?」


 猛るレギオスに、シエラは少し考えた後、答える。


「……私のようなどこの出自ともわからぬ者とは一緒になれない、だって」


 確かに、シエラはどこの生まれともしれぬ戦災孤児だ。

 記憶も家族も失い、身寄りもないシエラをレギオスは男手一つで育て上げたのである。

 いろいろ苦労もしたし、苦労もかけた。だがそれでも何とか立派に育ってくれたのだ。

 年頃になり美しく育ったシエラは国中の領主や貴族にアプローチを受け、最終的には帝国の第一皇子であるミザイの熱烈な求婚を受け婚約することになったのである。


「だが、それは皇子も承知の上の話だったはずだ」

「うん。だけどよく考えたらやはり……って」

「よく考えたら……だと……!」


 レギオスの顔がみるみるうちに歪んでいく。

 ミザイに限らず、レギオスは求婚して来た者たちにシエラの事情を説明をしていた。

 戦災孤児で出自も不明、記憶も身寄りもない哀れな娘なのだと。

 それでも、どうしてもというなら、どうか娘を幸せにしてやって欲しいと。

 そう言って送り出したのだ。

 あっさり反故にされていいはずがなかった。


「……レギオス?」


 突如立ち上がるレギオスの背中に、シエラは声をかける。

 立ち上る殺意と怒りで、レギオスの周りの空気が揺らいで見えた。

 その迫力にシエラは思わず息を飲む。


「少し、皇子と話をしてくる」

「レギオス、私は別に……」


 シエラの言葉を遮るように、バタンと扉が閉まった。

 速足で去っていく足音を聞きながら、シエラはずっと扉を見つめていた。


 ■■■


「ミザイ皇子! ミザイ皇子はおられるか!」


 大きな声を上げながら、レギオスはミザイの部屋に足を踏み入れる。

 扉の向こうには諸肌をはだけさせたミザイとカーテンの向こうにもう一人、女性の影が見えた。

 確かお付きのメイドだったか。泣いているのだろうか、その肩は震えていた。

 ミザイの乱れた衣服、シーツの皺から今まさに情事の最中だったのは明らかだった。

 シエラに婚約破棄を申し付けてすぐさま他の女と行為に至るとは……レギオスは腰の剣を抜きそうになるのを何とか堪える。


「なんだレギオス! いきなり入ってくるなど失礼ではないか!」


 だがミザイはレギオスの殺意に気づく事もなく、抗議の声を上げた。

 レギオスは平頭する事もなく、ミザイをまっすぐに睨みつけ、問う。


「シエラの件で話をお聞きしたい」


 その言葉ですぐに用件を察したのか、ミザイはふんと鼻を鳴らす。


「シエラ……あぁ、婚約破棄の話か。本人から聞いていないか? 所詮あの女は何処の馬の骨とも知らぬ戦災孤児。僕のような高貴な身分とは釣り合うはずもあるまい……とそう申したはずだが」


 ミザイの言い回しは、シエラから聞いた言葉より数段酷いものだった。

 こんな男でも元婚約者。シエラなりに気を使ったのだろう

 そう思うと、腹が煮えくり返るような思いだった。

 それでも平静を装い、レギオスは問う。


「……それを承知で婚約したのではないのですか」

「まぁ見た目だけは美しかったからな。だが何度も抱かせろと言ったが取りつく島がなかったのだよ。無理に手籠めにしてやろうかと思ったが……仮にも臣下である貴様の娘だからな。仕方なく求婚というていを取ってやったのだ。そうすれば貴様もシエラもメンツが保てるだろう? 婚約など後でどうとでも破棄してしまえばいいしな」


 ミザイには元々、女癖が悪いとの噂があった。

 しかし帝国の皇子があぁまで熱烈に求めてきたからには無下にするわけにもいかず、レギオスはシエラとの婚約を認めたのである。

 高貴な身分たる皇子が、そう易々と求婚を行えるはずもない。つまりは本気なのだろうと思った。

 だが、一人の女を、12歳の子供を手籠めにする為だけに、ここまでするような男だったとは……レギオスは自分の見る目のなさを恥じた。

 ミザイは不機嫌そうに舌打ちをして、言葉を続ける。


「……しかしシエラは婚約してからも、僕に素肌一つ見せようとしなかった。この僕と婚約した身でありながら、だぞ? これは立派は不貞行為ではないか! 婚約破棄を申し付けられても致し方あるまい」


 無論、婚姻関係ならともかく、まだ婚約の状態では不貞行為には当たるはずもない。

 あまりに身勝手な理屈であった。

 ミザイの暴言はまだ続く。


「まぁあんな仮面をつけたような無表情女だ。きっと恥ずかしがっているのだろうと思った僕は、シエラに理由を与えてやることにしたのさ。……飲み物に酒を混ぜて酔わせ、ちょっと強引に押し倒したんだ。そうしたらあの女、思いきり暴れて逃げだしたのだぞ! 凄まじい馬鹿力でな! 見ろ! 口を切ったのだぞ!?」


 ミザイの頬は、よく見れば赤く腫れていた。

 レギオスは万が一があった時の為、シエラに護身術を仕込んである。

 少々酔っ払っていようが、そこらの男に手籠めにされるような柔な鍛え方はしていない。

 とはいえ仮にも皇子たる者が、飲み物に酒を飲ませ無理やり……などと、チンピラがするような行為をされるとは思わなかっただろう。

 怖かっただろう、恐ろしかっただろう。その時のシエラの気持ちを考えると、胸が痛んだ。

 握りしめた拳は震え、血が滲んでいた。


「結局一度も抱けずじまいだよ。全く、我が寵愛を素直に受け取れぬような愚か者など、こちらから願い下げだ! そういうわけだ、婚約は破棄させてもらうからな!」


 憤慨した様子で言い放つミザイに、レギオスはゆっくりと歩み寄る。


「む、何だ貴様? 謝ろうとでも言うのか?」

「……そう思いますかな?」

「ふむ、まぁ娘の無礼は父である貴様の無礼だ。当然といえば当然だが……いや待て。貴様の首など差し出されても困る。どうせなら他の美女でも連れてくるのが筋だろう。そういう事ならば今は謝罪だけでかまわぬぞ。ははは」


 どこまでも能天気なミザイに、レギオスは半ば呆れていた。

 危機管理能力のなさ、そして自分の立場というものを全く分かっていない発言の数々……それは今まで尽くしてきたこのガリア帝国の終焉を予感させるには十分だった。


「……終わったな」

「んんー? 聞こえんなぁ? もっと大きな声で謝罪してみせろよ」


 わざとらしく片手を耳に当て、聞き耳を立てるような仕草をするミザイ皇子。

 レギオスは苦虫を噛み潰したような顔で、拳を振り上げた。

 ――そして、ミザイの顔面目がけ振り抜く。


「ぶべっ!?」


 ぐしゃりと嫌な音がして、ミザイは吹き飛ぶ。

 辺りの調度品が倒れ、その上に崩れ落ちた。


「き、貴様何をする!? この僕に手を上げるなど、許されると思っているのか! 国に居られなくしてやるぞ!」

「上等だ。元よりこの国に残る理由もない! 俺は娘と国を出る!」


 無様に倒れ伏すミザイを見下ろしながら、レギオスは言い放つ。

 国外追放など、レギオスにとっては願ってもない話だった。

 毅然としたレギオスを見上げ、ミザイの顔は怒りで赤く染まっていく。


「な、な、な……ぐっ、ふざけるなよ! おい、誰かこいつを捕まえろ! 牢にぶち込んでやれ!」


 声を荒げて駆けつけた兵たちに指示を飛ばすミザイだが、その誰もが顔を見合わせるばかりで動こうとしない。


「なぁ、どうするよ。皇子の命令だぜ?」

「しかしレギオス殿に勝てる奴がこの中にいるのかよ」

「いやぁ、全員でかかっていっても瞬殺されるだろ……」


 ボソボソと小声で相談する兵士たち。

 帝国に召し抱えられる前は凄腕の傭兵として名を馳せたレギオスの実力は、そこらの兵士が束になっても敵う相手ではない。

 帝国軍の中でもずば抜けた存在であるレギオスは、雷神と呼ばれ敵味方共々恐れられていた。

 戦場でその戦いぶりを見ていた彼らに、レギオスにかかっていくような気概がある者はいるはずもない。


「貴様らァァァ……! もういい、剣を貸せっ!」


 それに業を煮やしたミザイが、兵の一人から剣を奪い取り、斬りかかる。


「帝国将軍から手ほどきを受けた我が剣技、思い知るがいいっ!」


 紛いなりにもそれなりに訓練を受けたミザイの斬撃、しかしレギオスはミザイに軽く足払いをかけ転ばせた。

 倒れ伏す瞬間、ミザイの身体が眩く光る。

 レギオスは触れざまに手加減した『雷撃』の魔術を放ったのだ。

 ミザイはびくんと一度痙攣した後、気を失った。

 倒れ伏すミザイを一瞥すると、レギオスは今度は兵士たちの方を見る。


「さて……」


 レギオスが一瞥すると、兵士たちは恐れ慄いたように後ずさる。


「お前たちも一応皇子の護衛だ。狼藉を働いた俺を黙って見逃すわけにもいくまい?」

「え、えぇまぁ……」

「だからまぁ、少し痺れておけ」


 そう言って、レギオスが右手を上げる。

 レギオスの周囲を紫電が走り、兵士たちを貫いていく。

 そのたびに倒れていく兵士たち。

 先刻ミザイを貫いたのと同様、極限まで威力を弱めた『雷撃』にて、全員の気を失わせたのだ。


「これで俺と戦ったという体裁は保てるだろ」


 全員が倒れ伏したのを確認し、レギオスは部屋を去るのだった。


 ■■■


「シエラ!」


 部屋に戻ったレギオスは、入るなりシエラを呼ぶ。

 レギオスはシエラの元へまっすぐ歩いていき――抱いた。


「レギ、オス……?」


 突然の抱擁に目を丸くするシエラを、強く、強く抱き締める。

 一瞬、戸惑っていたシエラだったが、すぐにそれを受け入れるように目を閉じ、両手をレギオスの背中に回す。

 しばし、静寂の時が流れた。

 レギオスは腕を緩め、惚けた顔をしているシエラに問う。


「……今、どこか行きたいところはあるか?」


 レギオスの質問にシエラは暫く考えた後、答える。


「レギオスの故郷。行ってみたい」

「そうか、じゃあ行こう」

「今から?」

「あぁ、今からだ」


 そう言ってレギオスはシエラの頭に手を載せ、ゆっくりと撫でた。

 シエラは心地よさそうに目を閉じ、されるがままになっている。

 レギオスは撫でていた手を降ろし、シエラの手を取った。


「――行こう」

「うん!」


 レギオスに手を引かれ、シエラはその後ろをついていく。

 相変わらずの無表情だったが、その目は喜びを湛えていた。

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