第61話

「え、パパ帰ってきてるの!?」


「そうみたい、ってか玲奈には連絡なかったのか。」


口の前に手を当てて橿原はあからさまに驚いていた。

高校最寄り駅の噴水を目印として俺と橿原は待ち合わせていた。午後2時のことだった。


俺の家に突然橿原の父親を名乗る人物が現れ、俺を階段落下で絶命するデッドエンドを回避してくれた。どう見ても父親の風貌ではなかったが、確かにキャリーバッグを玄関先に置いていたし、エセ英語と本家の英語を使い分けている辺り、それなりの予想をすべきだったのだろうが。


「もー、パパったらいっつも何の連絡もせず帰ってくるんだからー。」


てっきり橿原もこの嘘みたいな現実を知っていると思っていたので、合流して一発目の会話にあげたのだが、間違いだったか?

ぷっくりと、父親が目の前にいるわけでもないのに頬を膨らませる橿原を、愛でるように眺める。


俺の脳裏には、まだギャル橿原の涙が焼き付いていた。思えば、昨日の一件が余りにも衝撃的過ぎて橿原と会うのが随分と久しく感じられた。この橿原と、だが。


だからこそ、なんだか、心の底から安堵している。感情を表出している彼女に、満足する。


「パパ、圭君にまた私の変なこと喋ったりしてなかった?大丈夫?」


「大丈夫大丈夫。心配ないよ。」


また、という言葉が意味するところはこういう日常がこの世界で『当たり前』ということなのだろう。橿原の父恐るべし。


まあ、否定はしたが、変なことを言ってないわけではないのだが。


寧ろ、正しいこと、というか。


「よかった。」

と橿原は少し笑った。以前俺は橿原の父親から、一体どんな変なことを教えてもらったのだろう。橿原の恥ずかしい過去か何かだろうか。それはそれで気になってしまう。


俺は、橿原のことを知りたい。そう思うようになっていた。


「じゃあ、いこっか。圭君。」


橿原はふっきれたように俺に満面の笑みを見せる。屈託のない、満足げな笑み。


そう言えば、デートに誘ったのは、しかも二人きりってのは、六日目にして初めてかもしれない。


俺の中のトムクルーズのエンジンも温まってきているところだろう。

俺は橿原に右手を差し出した。握手ではない。


「ああ、いこう、玲奈。絶好のデート日和だ。」


「うん。」


橿原は俺の差し出した右手に彼女の左手を合わせた。彼女の温もりが手先から伝わってくる。確かな温もり。この世界は拒絶されるものだとしても、この温もりは、偽物でもなければ、忘れ去られて良いものでは無い。


決して、なくしてはならない、失ってはいけない温もりだ。例え俺にもうその力が残っていないのだとしても。


俺は強く自分に言い聞かせた。


「あー、そうだ。今日はなにするか。特に決めてなかったんだけど。」

噴水から二人歩き始めたところで、俺は言う。

「え、決めてなかったの?」

「今決めた。」

「なんでしょう。」

「俺は今日一日、玲奈専属カメラマンになる。」

手で作ったフレームに橿原は入れる。相変わらず、可愛い。部活終わりの制服。汗っぽいわけではなく、みずみずしい。

「それはデートじゃなくない!?」

「なんなら雑誌の表紙を飾れるまでサポートする。」

「どんな長期スパンのデートなの!?」

「デートするにも三年。」

「愛想尽かされちゃうよ!!!」


正論だった。橿原が良いツッコミするもんだからついついボケ過ぎてしまった。いかんいかん。


「いやしかし、思い出の一つでも残しておこうと思ってな。」


あの老人の言葉を思い出す。


「まあ、たしかに写真に残して思い出取っておくのも大事だけどさ。」


そう言って、橿原は俺の前に一歩踏み出て、恥ずかしそうに、頬を赤らめて、


「今、この瞬間の私は、ここにしかいないんだよ?」


と言った。俺の顔の前に人差し指を立てて、可愛らしい注意をする。


何処まで行ってもその行いが、振る舞いが可愛く、清廉に映える。


「ごもっともだ。」


俺は出しかけたスマホをまたポケットにしまった。まあ、写真はメインの目的ではないしな。今を楽しもう。今を精いっぱい。つまり、そういうことだ。


この橿原はこの世界の行く末も、運命も知りはしないのだろうが、その言葉には心当たりがありすぎる。


「よし、じゃあ週刊誌にスクープされて思い出に残ってやろうか!」

「いや、それだと圭君は妻子持ちの有名人じゃん!」

「逆もありうる。」

「100パーないよ!!」


笑いながら、俺は橿原との休日デートに洒落こんだのだった。


そんな中でも、

橿原大吾の言葉が、俺の心の隅で響く。カランコロンと、心の中を重みを持たぬがゆえに自由自在に転がる。


「君のアレを見てから僕も思う所があってね。アメリカで協力してくれそうな人たちに話を通してきたんだ。」

「え?もしかしてアレはやめちゃったのかい?嘘だろう?あれだけ熱心に活動していた君が・・・」


どうしようもない虚無が、忘れ去っていた、消し去っていた過去が。


この世界は、やはり俺の知っている世界では無いようだった。

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