第49話

「まずはお礼をとお詫びだね。バアル、いや、その感じだと海堂シオンと言った方が分かるだろうか。彼女を助けてくれてありがとう。そして、駆けつけるのが遅れてしまってすまなかった。この通りだ。」


そう言って、老人は見た目に似つかわしくないような、深々と頭を下げる姿勢をとった。ベッドに横たわっている俺よりもその頭の位置は低かった。


数秒してから、老人は顔を上げた。苦い顔をしていた。


「機関として、君たちの監視役を常につけていたにもかかわらず、こんなことになってしまうとは。」


君たち、というのは俺と橿原のことなのだろう。長濱先生の言っていたことの信憑性がこんなタイミングで確認されるとは。


そう言って、老人は俺の腹部に目を遣った。そういえば、俺の腹部の傷はどうなっているのか、しっかりと確認したわけではなかった。凶器がぶっ刺さっている状態ではないだろうが、その傷口は少し気になるとこでもあった。


「君に告げなければならないのは、この傷についてだ。」


俺がなんとか自分の腹部が見れるよう努力しているところに、老人は言う。俺の姿は滑稽だ。


ほう、俺の傷はどうやら包帯でぐるぐる巻きにされていて外からは様子が分からないみたいだ。だが、痛みが先ほどから徐々に動きを制限するほどではなくなっている点も考慮すれば、さほど大事ではなかったのだろうと思う。思い込む。


禍々しい凶器が、狂気が突き刺さっていたあの瞬間を思い出し、大事ではなかったのだと思い込むことにした。


大丈夫、俺は案外、丈夫なのだ。


「ただの外傷、というわけではないみたいでね。」


うん?


ただの外傷じゃない?


だ、大丈夫。見ての通り、ただの切り傷と一緒。傷口さえ塞いでしまえば何の問題もない普通の傷じゃん。


俺は首を縦にも横にも振らず、傷口を見つめた。見つめても、治るわけではないがそうしているしかなかった。


「君とシオンを襲った黒服の刺客を覚えているかい?やつが持っていた武器、つまり君を刺した武器について調べたところ、ただの刃物、というわけではなかったんだ。」


回りくどい言い方をするな、と思った。ただの外傷じゃないとかただの武器じゃないとか、ただじゃなければなんなのだ。高級な外傷と武器ってか?


不安から、俺の頭にイライラが募る。


「君を刺した武器の性質を確認したところ、あの凶器にはその人間の『能力』を消滅させる力があることが分かった。」


でた、また能力とかいうやつだ。機関お得意の洒落のきいた言葉。


いや、もはや洒落ではないか、長濱先生や佐藤もそれっぽいことはしていたし、少なくともシオンと黒服の戦いは俺の眼前で能力がぶつかり合っていた正真正銘からくりのない証明だったに違いない。


だが―――――


俺にその「能力」を奪う武器が刺さったことにどれほどの問題があるのだろうか。


俺に能力があればそもそもその超人的な力でシオンを無傷で救い出せたに違いない。


現にほら、おそらく俺たちを助けてくれたのであろうこの老人は服に汚れ一つ付いていない。あんな恐ろしい黒服をどんなふうに倒したのか、伝記に書き記したいから教えてほしいものである。


まあ、冗談は置いておいて。


「能力・・・って・・・」


「おお、そろそろ会話もできるようになったかい。回復が順調なのはなによりだ。」


俺は漸く言葉を安定して発せるようになったらしい。そんな自分に驚く。腹部に少しだけ痛みはあるが、大きな声さえ出さなければ大丈夫ということか。


「思っていた通り、やはり君は能力に対する自覚がなかったんだね。なるほど、道理で機関の調査でも確認できなかったわけだ。」


うんうんと勝手に納得して見せる老人。いや俺なにもわかっちゃいませんが?


「その・・・」


「ああ、すまない。こっちの話だ。そうだね、君の能力を私の口から告げてしまっても大丈夫かな?なかなか衝撃的な話ではあるが。」


俺は無言で頷いた。ごくりと生唾を飲む。


能力・・・心がざわめく。スーパーマンのような、世界を救えるような能力が俺に隠されたいたのかと期待で胸が膨らむ気がした。


勿論、透視できるとかいうちょっとお得な能力でも大歓迎だ。


一芸に秀でて、損はない。


まあその一芸が消滅させられてるのは残念だけど、過去の栄光だと思えばいい?


「君の能力というのは―」


カラカラの口内で、更に俺は無を飲み込んだ。


「全ての能力の干渉を無視できる。いわば『不変』の能力だったようだ。」


・・・・?なんだか、うまく呑み込めない。


「まあ、相手としては、機関の能力保持者であるバアルを狙ったわけだから、その目論見は失敗に終わったみたいだがね。勿論君のおかげだ。」


「・・・」


いやまてまてまて、まだその前の段階で納得できてないのだからその先の話をされても何もわからない。


不変?干渉を無視?そもそも能力を良く知らない俺に何が分かるというのか。さっぱりピーマンである。


「だが、君にとっては、きっと重大な問題であるに違いないね。」


俺のそんな疑問を知ってか知らずか、老人は急に険しい顔つきになった。なんだ、俺の余命宣告でもあるのか。


「どういうこと、っすか?」


変に腹部を意識したせいで急にチンピラみたいな言葉を発してしまった。


「君は、この変革後の世界に元の世界の記憶を保持したまま、存在していると聞いている。間違いないね?」


「・・・はぁ。」


よくわからないが、それっぽい理解は出来たので返事をする。まあつまり、非モテ世界の記憶が俺の頭には残っているということの確認だろう。


「おかしいとは思わないかい?君以外の人間は、この世界の日常を、変革してしまったはずの世界の日々をまるで『昨日までと同じ毎日』だと思っているんだよ?恥ずかしながら、私もね。」


「・・・・・・」


なるほど、そういうことか。


確かに、俺だけが前の世界の記憶を改変されることなく持っているのには、疑問はあったが、まあ、それが自分の能力だなんて、そんなが自分の能力だなんて思ってもみなかった。


だって俺からしたら、夢見てるようなもんだからな。


「この世界が変革され、特異点の願いが叶わなければ世界が崩壊してしまうという、まあバカげた話を機関が認知できたのは勿論、君の違和感に、グレモリー、あーいや、長濱先生が気づいてくれたからだ。」


あの日のことを思い出す。確かに長濱先生は俺にかまをかけてきた。「昨日までの世界と違うんじゃない?」みたいな訳の分からないかまを。


というか、グレモリーって長濱先生のこと?無茶苦茶面白いあだ名じゃない?今度いじったろ。


「本来その違和感は、機関の人間によって生じるべきだった。つまりトップである私が、この日常に違和感を持ち、特異点の存在に気付かなければならなかったのだが、特異点の能力がそこまで強力なものだったとは、いやはや見当がついていなかったよ。」


フォッフォと髭を揺らして笑う老人。よくわかんないけどこれだけは分かる。絶対笑う所じゃない。


「だからまあ、君が持つ能力の『不変』によって、君が『この世界の日常の君』と違ってくれたお陰で私たちは事態に気付けたという訳だ。どうだい、そう思えばとてつもない能力だったと思わないかい?」


「そう、ですかね。」


まあある意味では世界を救う、元に戻すきっかけに俺が成っていたということになるのだろう。俺の能力とやらがなければ皆気づかぬまま世界は崩壊していた、というのがこの老人の言わんとしていることなのだろう。


俺の期待していたようなかっこいい能力ではないが。


しかもなんならその能力に気付かぬまま、生きていたんだから、更に今は消滅してるときた、踏んだり蹴ったりである。


「そうだとも。ただ一つ疑問なのは、君以外の人間は元の世界とそう変わっていない日常を送っているはずなのに、長濱先生が君のことを見て一目で『違う』と感じたのは何故だろうか。君は一体どんな日常を送っていたんだい?」


老人は至って真面目な顔で俺に問いかける。髭近い


「それは・・・」


心当たりが、


ないわけがなかった。


だってそりゃそうだろ。


昨日まで好きな人も彼女も、女友達もほとんどいなかった俺に、


目が覚めたら突然彼女を名乗る美女が俺の前にいるなんて誰が納得できようか。


誰が日常を送れようか。


挙動不審になって当然だ。


「よく、わかりませんね・・・。」


大嘘を付いた。大見栄を張った。調べればわかるレベルの低俗な嘘である。


「はは、そうかい。まあ年寄りの戯言だ。忘れてくれて構わないよ。」


にこりと笑ってから、老人は俺に背を向けた。俺の嘘を見抜いていたかどうかは知らない。知ってほしくない。俺の恋愛遍歴とか決して探らないでほしい。


「とにかく、君の能力の説明はできたね。それが消えてしまったのはとても残念だが・・・まあ一気に色々聞かされても大変だろう。落ち着いたらまた話をしよう。」


そういってまた視界の外に歩いていくのが見えた。俺は相変わらず体の自由が半分くらい縛られているので起き上がることは出来ない。


老人の足音が遠くなり、静かになった。


頭は混乱していたが、その理解も、整理もする気になれなかった。第一、俺にどんな能力があったのだとしても、今はもう何もないのだから。


しかも、さっきからというか、ずっと前から、目が覚めてからずっと集中できない理由があった。


あの橿原の儚げな哀しみの顔が、俺の頭にこびりついて離れないのだ。


もうすべてを放り出すように、俺は乱暴に目を閉じた。


疲労のせいか、傷跡のせいか、意識は簡単に遠のいて言った。



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