男子大学生はデンキウナギの夢を見るか

ヴィオラの犬

男子大学生はデンキウナギの夢を見るか

 うなぎ、ウナギ科ウナギ属に属する魚類の総称であり、その中でも4種が食用として知られている。

 特に天然ではニホンウナギ、養殖としてはヨーロッパウナギが日本で主に食用に――。


 そう、食用ウナギは絶滅した。

 最後に確認された食用ウナギの生体は203X年。実に20年前のことである。

 ニホンウナギ、ヨーロッパウナギはもちろんのこと、アフリカ原産のモザンビーカ種、東南アジア原産のビカーラ種を含め既にこの世には存在しない。

 種の保存を目的とした水族館ですら彼らを安定して生育させることができず、彼らから採取したDNAを冷凍保存するのが精一杯だった。


 自然保護団体は日本を名指しで批難し、日本国内でも鰻食文化の喪失が大きく取りざたされ、社会問題にもなった。

 食卓にうなぎの蒲焼かばやきが並ぶことはなくなった……かに見えた。


 205X年現在、蒲焼かばやきも土用の丑の日も未だに現役だ。

 人類は新たな食用ウナギを手に入れたのだ。


 デンキウナギを――。



 「おー、今日もたんと食え食えェ!」

 社員のAさんが小魚を養殖用水槽に放りながら声を上げる。

 養殖デンキウナギは主に小魚を給餌されて育つ。ウナギと同時期に一部のクジラが絶滅し、天敵の減った小魚は今となっては文字通り腐るほどの漁獲量を誇っている。

 僕もバイト支給用の絶縁手袋で足元のポリバケツから小魚を一掴みし、水面に投げた。

 

 ここはデンキウナギ養殖水槽。デンキウナギを育てて出荷する養殖場、そのまさに中心にある養殖用水槽だ。

 成体では体長2メートルを超えるデンキウナギ達を受け入れる水槽はそれ相応に巨大であり、アクアリウムというよりプールによく似ている。

 実際、この養殖場は少子化で廃校になった小学校のプールを改装したものだとAさんから聞かされた。真偽は不明だが。


 「しっかし、こんな小骨ばかりの雑魚ざこだけでよく脂が乗ったウナギが育つよなァ!」

 「元々あぶらが多い魚らしいですからね、品種改良もされてますし」

 「ありがてぇ限りだな!」

 「養殖でお金を貰っている自分達からしたら、デンキウナギ様々ってところですかね」

 「ここまで脂が多いウナギだと白焼しらやきとかでも食ってみてえもんだ!」

 「……」

 過去に絶滅したウナギは白焼きで食されていたと聞いたことがあるが、デンキウナギ一般的には白焼きでは見ることはない。

 僕自身は白焼きを食べたことはないが、聞くところによると薄い味付けではデンキウナギは独特の金属味があるらしい。巨体の大半を占める発電組織が食した際に口の中で放電するのが原因だとか。

 あまり食べたいものではないな、と考えながら小魚を水槽に撒く。


 「俺ぁ小さい頃に一度食ったきりだが、ウマかったんだよなァうなぎの白焼しらやき――」

 「ウナギの仲間ではないらしいですけどね、こいつら」

 「細けえことを言うなって! 名前はうなぎじゃねェか!」

 Aさんが声を張りながら小魚を放り投げ、小魚を求めたデンキウナギが水面からちらりちらりと顔を覗かせる。餌時じゃなくても呼吸のために水上に顔を出す生態だが、やはり餌があると活発になるのかいつもより騒がしく見える。


 ――ざぱん、ざぽん


 眼の前のプールでうごめく黒くぬめった影達は名前こそウナギを冠しているが、身体の造りも生体もまったく異なる別の魚だと授業で教わった覚えがある。しかし、僕が産まれた時には既にウナギ自体は絶滅していたため、あまりピンとこなかった。バイトの研修で改めて生態を説明を聞くと、水中で呼吸ができない時点で大抵の魚とは一線を画しているように見える。

 さておき、ウナギとはまったく違う生態だからこそ養殖が可能だったという側面もあるのだろう。


 「ウナギの話してたら食いたくなってきちまった! これ終わったら朝メシ一緒にどうだ?」

 「自分、明日も深夜シフトなのですいませんが――」

 「あー……、しゃあねェなァ」

 「すいません、次の機会があればご一緒させてください」

 デンキウナギ養殖場は24時間稼働だ。基本的に2人組の3交代制で8時間毎に朝シフト、夜シフト、深夜シフトに分けられる。

 デンキウナギは夜行性だ。夜シフトと深夜シフトで給餌が行われ、昼シフトの業務は監視だけになる。必然的に昼シフトより夜シフトの方が時給は高く、深夜はさらに高い。

 僕にはお金が必要だ。父が倒れたため、学生とはいえ家計に負担をかけられない。必然的に、時給が高く大学の講義がない深夜帯に働くことが可能なこのアルバイトを始めることになった。


 父は雨の日に感電して働けない身体になった。

 雷が落ちた訳ではない。川沿いを歩いていたところ、養殖場から逃げ出したデンキウナギによる放電を間近で受けてしまったのだ。

 感染症の傾向のあるデンキウナギを水槽から排除し、不法に川に放流する一部のデンキウナギ養殖業者がちょっとした問題になっている。デンキウナギには死んでも電気が貯まっているため、死体の廃棄にも専用の処理が必要でコストがかかる。そのコストを嫌うため、わざわざ殺さずに川に流すらしい。

 事業自体の歴史が浅いためか、デンキウナギの養殖業者には遵法精神じゅんぽうせいしんというものが薄いところがあるらしい。父はそんな業者が放流したデンキウナギによって下肢かしに麻痺が残るような被害を受けたわけだ。

 デンキウナギによって父が倒れた結果、僕がデンキウナギ養殖のアルバイトをすることになるのは我ながらひどい皮肉だと思う。


 ――ざぱぱっじゃぷじゃぱっ


 これまでのシフトではあまり聞き慣れない激しい水音。

 どうやら一匹のデンキウナギが暴れているようだ。


 「あァ、こりゃちょっとまずいな……」

 「どうしたんですか?」

 「あの暴れてるの、虫がついちまったらしい」

 「虫……?」

 「俺たちも蚊に食われたら痒ィだろ? そんな感じで魚食う虫がいんだよ」

 Aさんは面倒そうな顔をしながら左手で頭を掻いている。

 どうやら何かしらの寄生虫がデンキウナギについたらしい。


 「――しゃァねェ! 準備すっから単箱取ってこい!」

 「は、はい! わかりました」

 単箱とは単体用出荷箱の略で、その名の通り育ったデンキウナギの出荷用に絶縁加工された箱のうち一匹用サイズのものだ。


 僕はAさんの言う通りプールすぐ裏の倉庫から単箱を1つ急いで持って来た。

 そのAさんはというと、いつの間にやら捕獲用の絶縁網を手にしてプール前で僕を待っていた。


 「よし、来たか! じゃあとっとと捕まえっぞ!」

 「あ、はい」

 「はいじゃねェよ! バイトは危ねェから箱開けて下がってろ!」


 箱の蓋を開け後ろに下がると、Aさんは慣れた手付きで暴れるデンキウナギを網に入れ、ひょい、と単箱に入れた。かなりの手際だ。

 

 ――びちびち


 箱の中でデンキウナギが暴れている。きっと放電しているだろう。

 

 「――よし、じゃァ裏の川に捨ててこい!」

 「へ?」

 「へ? じゃねェよ、このうなぎを川に流せってんだよ!」

 思わず変な声を出してしまったが、言わずもがなデンキウナギの放流は違法だ。


 「――まずくないですか?」

 「いいンだよ!」

 「いや、法律とか規則とかも――」

 「ンなことバイトは考えないでいいんだよォ! とっとと持ってけ! 給料出ねェぞ!」

 Aさんは顔を赤くして、口角泡を飛ばしている。

 父の怪我の原因となった行いの片棒を担ぐことは僕としても許容できない。

 しかし、このような行いが日頃から行われている会社で、無理に逆らえばAさんの言う通り給料が未払いになる可能性は否定できない。給料がなければ僕どころか、家族、他ならぬ父も露頭に迷ってしまうかもしれない。

 「……」


 ――結局、僕は憮然としたままデンキウナギの入った単箱を持って養殖場の外に出たのだった。

 

 養殖場のすぐ裏には地元の川がある。足を向けると、放流にはうってつけなことに河川敷には誰の気配もなかった。

 冬の乾いた空気が冷たく肌に刺さり、暗い景色に白い息だけがやけに目立っている気がした。


 川を眼の前にして抱えていた単箱を降ろし蓋を開けた。

 落ち着きなく「ちゃぱちゃぱ」と身じろぎしているデンキウナギと眼が合った気がした。


 ほお、と息を吐き、川を眺める。

 周囲の家屋も明かりが消え、深夜の河川敷は虫の声だけがしていた。

 すぐに戻らなければAさんは再び怒るだろう。


 僕は絶縁手袋をした手を握りしめた。

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