第2話 童話における『ざまぁ』バリエーションの考察 前編
<< 前回の振り返り >>
①「ざまぁ」の面白さは「お約束の面白さ」
②我々には童話のによって「ざまぁの素養」が備わっている。
→知らず知らず「ざまぁ」ストーリーを期待し、ざまぁに飢えている。
<< 今回の内容 >>
『童話』に含まれる『ざまぁ』のパターンを考察する。
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前話では多くの人が人生のもっとも最初期に触れるストーリーが童話であり、その童話の多くに『ざまぁ構造』が含まれると論じました。
そこで今回は『ざまぁ構造』を含む各童話について検討し、各童話における『ざまぁのバリエーション』について考察していきたいと思います。
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【 王道の『
作品名:『シンデレラ』
ざまぁ対象:継母と義姉たち
―――――――― あらすじ ――――――――――
① シンデレラが継母と義姉にいじめられる
② シンデレラは魔法使いによって不思議な力(チート)をもらう
③ 色々あってシンデレラは王子様と結婚し、継母・義姉たちは悔しい思いをする。
④ ざまぁ成立
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童話のざまぁを語る上で『シンデレラ』を外すことは
ストーリーの中では、現在のざまぁモノの必須要素である『
作中で一番の『ざまぁシーン』としては、王子様の家来がガラスの靴に合う少女を探して回っている時に、先に義姉たちがそれをなんとか履こうとしても結局履けず、最後にシンデレラが履くとあっさりと履けてしまうというシーンでしょうか。
先の展開を知っていても
注*なおシンデレラの原典では、継母が義姉たちにガラスの靴を履かせるためにその踵を切り落とすという凄まじいまでの執念を見せますが、あまりにも残酷なのでこの描写は子ども向けの童話では、カットされていることがほとんどです。
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シンデレラの原典のタイトルが『灰かぶり』であることからわかるように、シンデレラは『逆転のストーリー』なのです。
その逆転を行うためのツールとして、魔法という便利な『チートの概念』を導入することによって現実では達成できないレベルの飛躍、
それが『最上級のざまぁ』を表現することを可能としているのです。
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なおシンデレラにおける『義姉たち』は現在でいうところの『悪役令嬢』といえるでしょう。
そして、この悪役令嬢たちが『シンデレラ』というストーリーの中では『負ける運命』が宿命付けられていることが広く認識されています。
この
これについては次話以降の「『悪役令嬢』にみる応用ざまぁの考察」で考察していきます。
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――――――― ここまでのまとめ ―――――――
シンデレラは『チートの概念』を利用することで現実では不可能なレベルの逆転を実現している。
これは現在ネット小説で主流のざまぁの原型と言える。
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【 対比としての『ざまぁ』 】
作品名:『アリとキリギリス』
ざまぁ対象:キリギリス
―――――――― あらすじ ――――――――――
① 夏にせっせと働くアリたち、それをよそにキリギリスは仕事をしない
② 冬が訪れてキリギリスの食料がなくなる。
③ キリギリスは餓死する。
④ ざまぁ成立
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イソップ童話における『アリとキリギリス』ではざまぁ対象は
キリギリスはあくまでも勝手に働かなかっただけで、アリからしたら別に敵でも味方でもないのです。
あえて悪いことした点を挙げるとしたらアリたちが働いている前で怠慢な姿勢を見せることによって、アリたちをイラつかせたことぐらいでしょうか。
『アリとキリギリス』におけるキリギリスの役割はあくまでもアリに対する比較対象であり、ここに『
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この『対比のざまぁ』構造に基づく、他の童話として『金の斧 銀の斧』が挙げられます。こちらは正直な木こりが結果的に得をして、嘘つきな木こりが『損してざまぁ』するという教訓を含みます。
また日本の『舌切り雀』は、『小さなツヅラ』を選んだ無欲な爺さんが結果的に得をして、『大きなツヅラ』を奪いに行った強欲な婆さんが『ひどい目にあってざまぁ』という教訓話です。
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さてこの『対比のざまぁ』が人気があるのか、と考えればそれは正直微妙と言わざるを得ません。
自分の好きな童話を聞かれた時に『アリとキリギリス』や『金の斧 銀の斧』『おむすびころりん』を真っ先にあげる人は少ないと思われます。
明らかに『お約束』な展開を含む『対比のざまぁ』ですが、教訓の刷り込みには向いていてもざまぁによるスカッと感はあまり得られないのです。
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――――――― ここまでのまとめ ―――――――
直接の加害・被害の関係が成立しない『対比によるざまぁ』は教訓の刷り込みには向いている。
対比によるざまぁはあまり人気が無く、現在主流のざまぁとは言えない。
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【 舞台装置としての『ざまぁされ役』 】
作品名:『桃太郎』
ざまぁ対象:鬼ヶ島の鬼たち
―――――――― あらすじ ――――――――――
① おばあさんが拾ってきた桃から桃太郎が生まれる
② 鬼たちが悪さをしているという話を聞いた桃太郎は討伐に向かう
③ 鬼ヶ島陥落。鬼たちは負ける
④ ざまぁ成立
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桃太郎における鬼たちの存在は『
鬼ヶ島の鬼たちは人間社会という『コミュニティ』に対して攻撃を加えているものの、桃太郎は直接その被害を負っていないというのは特徴的といえます。
桃太郎における鬼たちは最初から悪い存在であり、そこに深い因縁は無いという、つまりあくまでも『
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この『舞台装置としての悪役』の良い所としては『最初の負け描写』や『因縁描写』がすっ飛ばせるという点があります。なろう小説においても主人公の前に『美少女を襲う盗賊やモンスター』がなぜかよく登場しますが、これと同じです。
舞台装置としての悪役はドラクエにおけるお金やアイテムをドロップしてくれるモンスターとなんら変わり無いのです。
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また『最初の負け描写』については、シンデレラで例えるのであれば、義姉たちにいじめられるシーンのことです。
これがあるからこそ、立場が逆転した時のざまぁがより一層美味しく感じるものではあるのですが、一方で負け描写は主人公に『感情移入しようする読者の心を削ぐ』というデメリットもあるのです。
なので、負け描写を飛ばすことが出来る『舞台装置』としてのざまぁは非常に使い勝手のよい便利なものと言えます。
また『因縁描写』がすっ飛ばせるというのも大事です。
普通は因縁があるからこそ相手と戦いに行く、つまりは『復讐の物語』という構造をとらざるを得ないところであり、そのためには『長い説明』や先ほどの『主人公の負け描写』などを挟む必要があります。
しかしあらかじめ『悪役』であることが運命的に設定されている舞台装置としての敵であれば桃太郎が戦いに行くために特に
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さて、この『舞台装置としてのざまぁ』はとても便利ですが、現在のネット小説においてそれを全面に押し出して『舞台装置としての敵がラスボス』というストーリーはあまり見かけません。
なろう風に例えるのではあれば『ギルドの討伐クエストを消化するだけのストーリー』はあまりにも味気なさすぎるのでは無いでしょうか。
このことはやはり、
あまり知らない相手をやっつけてもそれは最高のざまぁではないのです。
――――――― ここまでのまとめ ―――――――
『舞台装置としてのざまぁされ役』は『最初の負け描写』や『因縁描写』がすっ飛ばせるので使い勝手が良い。
ただし、あくまでも『舞台装置としてのざまぁされ役』は味付けであって、これをメインに据えても味気無い。
やはり『最高のざまぁ』には何らかの因縁が必要と言える。
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<< 後編に続く >>
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