第4話
「人?」
私は公園の入り口で思わず足を止めた。こんな天気なのに人がいるなんて。
この間踏みしめたコンクリートは水を受けて鏡のようだ。曖昧に私を映す。
無様に散った花びらが作る道の奥に一人の青年。その青年は傘もささず、だだっ広い公園の砂の上で胡坐をかいていた。
そんな彼は黒いボディーのアコースティックギターを抱えている。ギターは雨を受けて艶やかに光る。
彼は私の姿に気付いていないようだ。重い雨を背負った桜の枝が私を覆い隠していたのだろうか。
彼は一度深く呼吸をして、弦をなぞるように弾いた。雨にかき消されそうなくらい繊細で小さな音だった。その音に身体を預けた彼の声が私の耳に届く。
「綺麗…」
ギターの音程はズレているし、歌も上手とは言い難かったが、何か私の心に触れてくるものがあった。私が初めて出会ったその音楽は土足で私の胸に飛び込んできた。けれど、不思議と嫌悪を感じない。とても優しくて、人懐っこい旋律だった。
パチャン。
私が水溜まりに足を踏み入れた音で彼は私に気付いた。彼は公園に響いていた音楽を止め、私を見つめた。
「ねぇ君!」
彼は一言発すると、私に向かって小さな円柱型の物体を投げた。距離はかなり離れていたはずなのに、その物体は私に向かって一直線に飛んできた。
私は慌ててそれを両手で受け取る。
ガシャーン。
隣で自転車が倒れる音がした。私は自転車を従えていたことをすっかり忘れていた。
「あははっ。君、面白いね」
彼は笑う。
「それ、使いなよ。傘。持ってないんでしょ」
風邪ひくよ、と凛とした声が届く。
倒れた自転車を放置して、私は彼の元へ向かう。前カゴから落ちて、地面に転がったカバンもお構いなしだ。
「いいよ、持ってるから。傘」
私は彼に返す。水色の地に白のドット柄の傘。
彼は彼女の物を借りパクしたんだ、とニカっと笑う。
「君、見かけないけどこの辺の子?もしかして紫大生?」
彼は初対面にもかかわらず、ズカズカと私のテリトリーに侵入してくる。私は少し戸惑いながらも、彼の好奇心と太陽のような笑顔に押されて口を開いた。
今日初めて喋ったからか、口が乾いていて舌がうまく回らない。彼はちょっと待ってて、と言って公園の端にある自販機まで駆けて行った。
二本の缶コーラを抱えた彼は主人を見つけた柴犬のような笑顔で走って戻ってきた。
片方を私に差し出す。私は、ありがとう、と独り言のように小さな声で呟く。
傘をささない二人は公園で、同じ赤い缶を持つ。二人は無言で缶を開ける。
シュパッ、という音が重なる。
私の中から、思いが溢れ出てきた。どうしてだろう、話すことを止められない。
それは缶から溢れて外の空気に溶け込んだ気体のように、自分ではどうしようもできないことだった。
彼は無言で私の話を聞く。私の言葉は雨となって、青年の肩に降り注ぐ。
やがて雨は弱くなった。そして飽きたようにピタッと降ることを放棄した。
二人は示し合わせたかのように、同じタイミングで空を見上げた。七色に輝く虹はなかったが、頭上にはペンキで塗ったように純度の高い、青々とした空が広がっていた。
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