第1章 第1話 東京は春模様、書物の匂いと新生活
春、それは別れの季節。春、それは新しい始まりの季節。
「うわぁ、やっぱどこも高いなぁ。」
こたつに入りながらパソコンの画面をスクロールする。これをかれこれぶっ通しで1~2時間。この作業、今日で4日目だ。
着ている服は高校のジャージ、左手にはスーパーで安売りされていたミカン。
今年のお年玉で買ったブルーライトカットのメガネの効果を存分に発揮させているのは、この春から大学生の私、前島日葉理(ひより)である。
私は、今住んでいる実家から大学進学のために上京する。今、現在進行形で行っているのはそのための拠点探し、つまり物件探しだ。
「やっぱり駅や大学周辺はきついかなぁ。」
こたつに太腿から下を入れたまま後ろに倒れる。昨年の冬に新調したばかりの絨毯の感触を首に感じる。気持ち良い。
「早く決めちゃいなさい。でも路地はやめなさいよ。あとアパートなら2階以上ね。後は水辺付近はやめなさい、危ないから。ほら、寝っ転がってないで早く決めちゃいなさい。住むとこなくなるわよ。」
お盆に自身のためのコーヒーとチョコレートを2粒乗せた母が向かいに入ってきた。私は起き上がり、足を伸ばすのをやめて胡坐をかいた。
「わかってるよ。今見てるの。」
食べ終えたミカンの皮を左手でぐしゃぐしゃと握る。皮は細かい汁を私の手のひらに噴射する。
母は地味に干渉してくる。放任なら放任を貫いて私にいちいち口出しすることをやめてほしいものだ。
私は母とは目も合わせず。黙々と物件探しを再開した。
スクロールとクリックを何度も繰り返す。
「だんだん流れ作業になってきたなぁ」
これさっき見たな、という物件が次第に現れるようになり、画面に自動表示される広告も賃貸アパート関連のものになってしまっていた。
「次のページまで見て今日は終わりにしよう」
私はこたつの上のミカンが入ったかごに目をやる。そして体勢を崩さず、3つ目のミカンに左手を伸ばした。皮をむきながら、またスクロール。
「ん?、なんかめっちゃ良い!」
今まで見た中で一番良い条件のアパートが一番上に表示されていた。
風呂・トイレ別、IH完備、家具・インターホン付き。2階建ての2階、大学まで自転車圏内。
なのに家賃が地方並みに安い。思わず呼吸とまばたきを忘れて画面に食らいつく。
条件が良すぎると思い、細かい文字まで目を通したが事故物件や、訳あり物件ではなかった。良い、良すぎる。
「ここに決めた!」
私は契約ボタンをポチった。
私は賃貸スクロール生活に終止符を打ち、4月からの住まい、東京暮らしの拠点をついに決めた。
少し先の未来を想像して自然に頬が緩む。
“契約ありがとう”と画面に大きく映し出された文字。そして右下には老夫婦の写真。大家さんだろうか。
その仲の良さそうな夫婦は、写真の中でにこやかに微笑んでいた。
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