17 代わりに

 剣を構えることのできなくなった私を見て、アリアはそっと笑みを浮かべた。

 彼女にははじめから、こうなることがわかっていたんだ。

 私には決して自分を傷つけることはできないと。

 だからこそアリアは、自分には勝てないと言ったんだ。戦いに、ならないから。


「ごめんね、アリス。私はあなたの優しさに漬け込んで、勝ちを確信してあなたの前に現れた。自分が最低だって、ちゃんとわかってるから」


 ゆっくりと、アリアがこちらに向けて歩みを進める。

 その顔はとても悲しそうで、けれどどこか安堵を含んでいる。

 彼女また、こんなことをするのは不本意なんだろう。

 それでも私を想って、酷な手段を取る選択をしたんだ。


「私たちは親友だから。それも、そんじょそこらの親友じゃない。楽しく、でも過酷な旅を共にして、幾多の戦いを乗り越えて、沢山の濃密な時を共にした。私たちの絆は何よりも固いって、記憶を取り戻したあのアリスなら、ちゃんとわかってるはず」

「………………」


 アリアの言葉は、尤も過ぎる事実だった。

 私たちの友情は固く、この繋がりは特別なものだ。

 かつてのあの日々の中で、片時も離れずにいてくれて、いつも寄り添ってくれて、守ってくれた、私の大切な親友。

 レオとアリアは私にとって、とても特別な友達から。

 その事実を思い出している今の私には、例え意見が食い違っていたとしても、刃を向けることなんてできない。


 大切だからこそ戦わなくちゃとか、そんな覚悟はただの言い訳だ。

 友達だからこそ、気持ちがすれ違ったときは正面からぶつかろうとか。

 そういったものは全部、全部全部。

 現実から目を背けるための言い訳に過ぎない。


 いやもしかしたら、本当に根本的な部分で気持ちが異なっていたら、まだ割り切れたかもしれない。

 でも今の状況は、アリアは違うんだ。彼女はただ、私のことを想ってくれている。

 私のことをずっと助けようとしてくれていたアリアが、私を救おうとしてくれているだけだから。

 それが余計に、彼女と戦う意志を弱らせる。


 ロード・デュークスの元になんて行けない。ジャバウォックなんて使わせられない。

 だからアリアを倒して、ちゃんとわかってもらわないとって思うけど。

 彼女が抱く優しさを、私はとてもよく知ってしまっているから。

 どうしてもそこが見えてしまって、戦えない。


「大丈夫だよ、アリス。何にも怖いことなんてない。私が、私とレオがついてるから。私たちが、あなたを救ってみせるから。だから私たちを信じて、ついて来て」


 目の前までやって来たアリアが、そう言って手を差し伸べてくる。

 本当なら、何も迷うことなく、すぐさまその手を握りたい。

 でもその先にあるものは、きっと彼女も理解できていないであろう、混沌の結末。

 けれどだからといって、もうアリアを振り払う気力は今の私にはない。


 もしかしたら、アリアの言うことは何も間違っていないかもしれない。

 ロード・デュークスはもう、私を殺さなくても良いと、本当に思ってくれているかもしれない。

 彼はジャバウォックをちゃんとコントロールするすべを持っていて、世界は壊れないかもしれないし、私の中のドルミーレだけを倒せるかもしれない。

 もしそうだとしたら、確かにアリアの言う通り、彼女たちの助けを従うべきだ。


 私は命を狙われるようになってから、ロード・デュークスには会ったことがないし、彼が何を考えてるのかは飽くまで人から聞いただけ。

 ジャバウォックのことだって、ワルプルギスの魔女たちの反応や、レイくんから聞いた話でしか知らない。

 それなのに、その情報が親友のアリアの言葉より信じられるものだという確証は、一体どこにあるというのだろう。


 アリアのことを信じて彼女の救いに委ねることこそが、彼女の親友である私のするべき、最も正常な判断なんじゃないだろうか。

 目の前で優しく笑みを浮かべるアリアを見ていると、どんどんとそういった気持ちが膨らんでくる。

 何を根拠に、私は彼女に対抗しているんだろうか、と。


 でも、でも。やっぱり引っかかるんだ。ここにレオがいないことが。

 アリアは決して間違っていないのかもしれないけれど、でもそれは、レオが心から賛同できるものではないのかもしれない。

 だとすればやはりそこには、何らかのリスクや、危険、賭けがあるじゃないだろうか。


 アリアのことを信じていないわけではない。むしろ信じてる。大切な親友だから。

 でも、他のみんなのことだって私は信じている。そこに嘘があるとは思えない。

 特にジャバウォックに関しては、私の心にどうしようもない胸騒ぎがあって。

 やっぱりそれを、野放しにはできないと本能が訴えている。


 だからダメなんだ。やっぱりダメなんだ。

 私のことを想ってくれるアリアは、本当にありがたいと思うけど。

 でも今彼女がしようとしていることには、私はついていけない。


 けれど、それでも戦えない。剣を構えられない。私には、アリアを傷つける勇気がない。


「アリスちゃん、大丈夫」


 もうどうして良いかわからなくなって、私はただただ立ち尽くすことしかできなった。

 氷室さんはそんな私の一歩前に乗り出して、とても優しい声で言った。


「アリスちゃんが戦えないなら、私が戦うから。私があなたを守るから。あなたの意思を、私が貫くから」

「だ、だめだよ、氷室さん……!」


 華奢な体で、しかし堂々とアリアに立ちはだかる氷室さん。

 その背中には、魔法使いに劣る魔女の弱さはない。

 ただ私を庇うために、全身全霊で前を向いている。

 私が守りたいもの、私が貫きたいもの、私が進みたいものを、守るために。


「あなたは本当に……わかっていると思うけれど、この状況下では、あなたがアリスの友達だからといって加減はできないよ?」

「……わかっている。それでも、私はアリスちゃんを守るためにここにいるから。戦う相手を、私は選ばない」

「……そう。大好きなんだね、アリスが」


 私への手を遮る氷室さんに、アリアは目を細めた。

 私の大切なものを尊重してくれるアリアでも、私を救い出すためならば、魔女の氷室さんに容赦なんてしない。

 それはもうわかっていることだけれど、アリアの表情には、その覚悟とは別の複雑な色が浮かんでいた。


「私だってアリスが大好きなんだよ。だから、手段なんて選んでいられないんだよ。わかるでしょ?」

「………………」

「だからごめんね。邪魔をするなら、消えてもらう……!」


 アリアはそう言うと、私に向けて差し出していた手を、氷室さんの顔に目掛けて伸ばした。

 その手に込められた強い魔力を見れば、それが炸裂すれば氷室さんが危険なことは明らかで。

 氷室さんはすぐさま防御の姿勢を取ったけれど、魔女の彼女が、魔法使いの魔法をどれほど防げるのだろうか。


 このままでは、氷室さんが死んでしまう。

 私を守って、私の代わりに前に立って、死んでしまう。

 私の親友の手によって。私を守ろうとしている人が、私を救おうとしている人の手によって。


 そんなの嫌だ。そんなのダメだ。許すわけにはいかない。

 約束したじゃないか。絶対に守るって。

 守られてばっかりじゃない。私が氷室さんを守るんだって、約束したじゃないか。

 ならこの状況を、許せるわけがないんだ。


「だめーーーー!!!!!」


 アリアの手が氷室さんに及ぶ一瞬手前。私は慌てて衝撃波を放ち、アリアの体を大きく吹き飛ばした。

 私の反撃を予想だにしていなかったのか、アリアはそれをまともに受けて、抵抗することもなく後方に体を浮かせる。

 けれどすぐさま体勢を立て直し、衝撃を逸らしてすぐ先で着地した。

 その顔には、明確な驚きが刻まれている。


「氷室さんは殺させない。それだけは、何があっても、どんなに理由があっても、絶対に許せない!」


 そんな彼女に、私は必死で自分を奮い立たせて剣を構えた。

 私が戦わなければ、迷い戸惑えば、代わりに戦おうとする氷室さんが傷付き、殺されてしまう。

 その現実が、私の心を埋め尽くした。


「氷室さんは、私が守る。絶対に、何があっても。氷室さんを傷付けるっていうなら、例え……例え、アリアでも…………!」


 どちらがより大切だとか、これはそういうことじゃない。

 私が戦わなければ氷室さんが危ぶまれるのであれば、選択肢は一つしかない。

 アリアを傷つけることになってしまっても、絶対に殺しはしないし、氷室さんが殺されてしまうよりは……。


「アリア……アリア、アリア…………アリ、ァァァアアアアア!!!!!」


 怖い。辛い。苦しい。気が狂ってしまいそうだ。

 アリアと戦うなんて、傷つけ合うなんて、心が張り裂けそうだ。

 でもそうしなければ、私の代わりに傷付くのは氷室さんだ。


 だから私は、歯を食いしばって、アリアに向けて突撃した。

 剣を大きく振りかぶり、魔法で刹那に距離を詰める。

 アリアは驚愕を浮かべて私を見ていて、とても反応できそうにない。


 一撃。一撃で終わらせる。

 深傷を追わないように加減して、でも確実に止められるように力強く。

 一瞬で、一回で、できるだけ痛くないように終わらせるから。

 だからごめん。ごめんアリア…………!


 心の中で謝って、苦しみを叫びで誤魔化して。

 私がアリアに向けて剣を振り下ろそうとした、その時────


「馬鹿野郎。お前にそんなこと、させるかよ」


 赤い刀身の双剣が、『真理のつるぎ』を受け止めた。

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