16 私にはできない

 広場の一部が氷山と化したの如く、氷室さんが放った氷の波は、強く大きく押し広がった。

 アリアの姿を完全に覆い尽くし、それでも勢いを損なわない氷は正面の壁までその氷結を波打ち、壁伝いに高い天井まで氷結が走る。


「アリスちゃん、こっちへ……!」


 それを打ち放ってすぐ、氷室さんは私の手を取ってその場から距離を取った。

 圧倒的な氷結の波は、あたかもアリアを完全に打倒したかのように見えたけれど、しかしそう簡単にいかないだろう。

 氷室さんは私を庇いながら、警戒を解くことなく涼やかな氷の塊に目を向けた。


 そして案の定、数秒後に氷は簡単に砕けた。

 広間の一角を覆っていた大量の氷、そのことごとくを吹き飛ばし、軽々と倒壊させながら、アリアはその内部から姿を表す。

 少しだけ余裕を損なったような、苦痛と苛立ちを織り交ぜた顔のアリア。

 どうやら氷室さんの攻撃は、少なからず彼女にダメージを与えたようだった。


「……色々びっくりしたよ。アリスを守ったものにも、その子の魔法の威力にも」


 見せ付けるように辺りの氷を消却しながら、アリアは不機嫌そうに眉をひそめた。

 淡々と並べている言葉だけれど、そこからもやっぱり苛立ちの色を感じさせる。


「アリスに、私の知らないことがあるって? うん、まぁそうかもしれないよね。だって五年も離れ離れだったんだし。でもさ、アリスが私に勝てないってことは、間違ってないでしょ?」

「………………」


 その言葉が、先程の私の一瞬の硬直を指していることは明らかだった。

 私がアリアに勝てない。私はアリアを攻撃できないのだと、彼女はそう言っている。


「そんなこと、ない……!」


 その答えは、私が一番よく知っている。

 だから私は、剣を強く握りしめてアリアを見た。


 私はアリアと戦う覚悟を決めた。

 わかり合うために、私を信じてもらうために、また昔のように笑い合うために。

 彼女と本気でぶつかり合って、気持ちを交わし合って、白黒をつけようって。

 そう腹を括って、戦うと決めたんだ。


 けど、私は確かにあの時、彼女を攻撃することを躊躇った。


「私はあなたと戦って、勝つよ! それこそが、私たちにとって一番良いことだって、信じてるから……!」

「強がっちゃって。無理をするだけ、アリスが苦しいだけなのに……私が、楽にしてあげるからね」


 頭を振ってあの一瞬を掻き消し、私は強く声を上げた。

 そんな私を見透かしたような目で見ながら、アリアは小さく溜息をつく。

 そしてすぐに片腕を大きく掲げたかと思うと、それと同時に大量の鎖が天井から垂れ下がってきた。


 それはまるで滝のように、濁流となって降りかかってくる。

 長さも物量もわからないけれど、とにかく多量の鎖が落下と共に宙を舞って、私たちをグルグルと取り囲んだ。

 そしてそれを徐々に包囲を狭め、球状に私たちを覆い尽くそうとする。


 それど、それらも全て魔法。

 私は周囲を渦巻く鎖たちを『掌握』して拡散させ、そのまま魔法を砕いた。

 そうして開けたアリアとの間を、私はすぐさま魔法で飛び越えて、一気に距離を詰めた。


「アリア、私はあなたを────」


 倒す。今は倒すしかない。そうしないと、みんなを守れない。

 私を救うために、世界を破壊する力を使おうとするアリアは、止めないといけないから。

 そう強く心に念じて、私は飛び込みざまに大きく剣を振りかぶった。


 アリアは動じることなく、私のことをジッと見つめている。

 私がまたさっきみたいに、攻撃を戸惑って隙を見せると、そう思っている。

 もう同じ失敗はしない。もう躊躇わない。私は、アリアに勝って、そして、そして…………!


「ッ────────!」


 魔力を漲らせた『真理のつるぎ』を振るう。

 純白に煌く魔力は、無垢なエネルギーとなって剣戟に乗り、今まさに解き放たれんとしている。

 そんな剣を私は、アリアに叩きつけようとして、でも、できなかった。


「………………できない」


 そう、できない。どんなに気持ちを固めても、いや、固めたつもりになっても。

 正しい理由を作って、正しい道を選んで、覚悟を決めて自分を奮い立たせても。

 それは全部現実から目を背ける言い訳でしかなくて。

 どんなに理由を並べ立てても、私には、アリアを攻撃することができなかった。


「私には、できない…………アリアとなんて、戦いたくない────!」

「アリスちゃん……!」


 アリアの眼前で剣を振るう手を止め、立ち尽くしてしまった私。

 そんな私にアリアが手を伸ばそうとした瞬間、氷室さんが叫び声が響き、私の体は強制的に後方へと引き寄せられた。

 放り投げられたように後方に飛んだ私は、氷室さんの細い体によって受け止められた。

 どうやら私は、氷室さんの魔法でアリアの前から離脱させられたらしい。

 今さっきまで私がいた場所では、アリアの鎖が空振りして床に落ちていた。


「アリスちゃん、しっかり……」

「ご、ごめん、氷室さん…………」


 後ろから私を支えながら、氷室さんのとても冷静な声が私を揺さぶる。

 その声でハッとさせられたけれど、でもやはり、この気持ちを拭うことはできなかった。

 今アリアを打倒して、この場を逃れなければいけないと、頭ではそれがわかっているのに。

 どうしても私は、アリア戦いたくないという気持ちでいっぱいになってしまっている。


 したつもりになっていた覚悟は、全部嘘っぱちだった。

 それを私は、彼女に剣を向けたことで理解してしまった。


 氷室さんの手を離れて自分で体を支えながら、目の前のアリアを見る。

 そこにあるのは、知っていたよと言いたげな、妙に優しい顔だった。


「………………アリア、お願い。もう止めようよ」

「私と一緒に来てくれるのなら、すぐにでも」

「アリア……!」


 自分がめちゃくちゃなことを言っているのはわかってる。

 アリアは自分の考えを曲げる気はないし、私たちの意見や考えは完全に食い違っている。

 自らを貫き通すためには、相手を打倒するしかないんだ。


 わかってる。わかってるのに、どうしてもアリアに剣を振るえない。

 今までだって、すれ違ってしまってどうしようもなく争った戦いはあったのに。

 戦いたくないけど、でも戦わざるを得なくて、前に進むためにぶつかり合ってきたのに。今はそれが、できない。


 レオと戦ったり、夜子さんや千鳥ちゃんと戦ったり。

 クロアさんとだって、戦いたかったわけじゃない。

 それでも私は、わかり合うために戦うことを選んできた。友達とも戦うことを。


 けれど今、アリアに対してはそれができないのはきっと。

 かつてずっと共に旅をして時の、あの思い出あるから。

 記憶を取り戻した今の私には、当時の一年半の間に過ごした彼女との思い出がたくさんあるから。


 レオと戦った時とは状況が違う。

 戦わざるを得なかった他のみんなとは、また関係性が違う。

 私たちは親友なんだ。ずっとずっと一緒にいて、沢山笑い合った、大切な。


 私に、アリアを傷つけることなんてできない。

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